2019.7.15

TEXT 「自分を知る」のアポリア

玄関を出て庭を眺め、例えば咲いている百合の花をみてきれいだと思うと同時に、『これは花であり、私ではない』、『なぜこれは私ではなく、花なのか』などと思う人はいないだろう。「きれいに咲いている」と思った瞬間、次の行動に移ってしまい、今みた花のことなどすぐに頭からはなれてしまう。そうして一日は、(そんな単純にはできていないとはいえ、)「そのとき」が次に迫っている事柄に追い出され、時間が過ぎていく。しかし子供の頃を思い返してみると、時間に余裕があったせいか、例えば友達の顔をみて、彼が自分ではなく彼であって、私ではないということを意識し始めるときがある(あった)。それは自分が自分であることを認識し、他人でないことを知る、ということなのか。自分を知る、知ろうとする、他人を認識し、知ろうとすることの始まり、なのだろうか。自己同一、ということの目覚めなのか。いや、そうではないだろう。話はかわって、『自分探し』という言葉を聞いたり目にしたりすることがときどきある。有名人に多いので、メディアで取り上げられることもあるからかもしれない。あるいはその目的のために、お遍路の巡礼や外国の遍歴を経験するなどといった人もいるだろう。はたしてそこで「自分を探すことができた」、「自分を発見した」などと実感した人はいるだろうか。そもそも自分を探すなどという言葉を発したり考えたりすることにためらいはないだろうか。

このように、自分を知る、あるいは探すなどといった言葉に触れたときに思い出すことがある。田中美智太郎の書いた本で『読書と思索』(第三文明社刊)という古い文庫がある。これは私が大学に入学したころ、もう30年以上前に読んだものだ。田中美智太郎というと、今では一昔前の人という印象が強く、ギリシャ哲学者であること、プラトンなどの翻訳者くらいにしか認識されていないように思われるが、ましてや彼の思想そのものに触れる機会は一般には少ないだろう。この文庫には、考えることについてや読書、教養などについてわかりやすく書かれているが、そのひとつに『自己を知る』と題された章がある。「自己を知るとは何か」という問いかけに対する一般的な解釈についてすこし長めに触れている。そしてその後その解釈を否定するが、一般的な解釈として『自己の分限を知る』ということを、エピクテトス(古代ギリシャのストア派の哲学者)の『自分だけでどうにでもなるものと、自分だけではどうにもならないものとの区別』という言葉を補足としながら取り上げている。そしてさらには『自己を知ることは、また自己の非を知ること』ということも挙げている。これらの思考はいつの時代でもよく耳にするし、ものわかりの良い話として耳に心地よく響く人もいるだろう。しかし、それは自己を知るということなのか、と彼は問う。「自分を知る」ということが「自分の限界を知る」ということと同じことだとすると、「自分」と「限界」とが同じ意味であることを意味することになり、さらには「自分」と「自分の限界」が同義であるということにもなってしまうだろう。

テキストではさらに続けて、『自己を何かであると知ることも、何かでないと知ることも、自己自身を知ることではない』とし、『自己自身について、他の何かを知ること』とする。『わたしたちは、自己の非をさとったり、人間としての自覚をもったりする前に、自己自身をただ自己自身として、直接にこれを知ることを考えなければならない』とし、それはいったいどのようなことなのか、さらに問いを投げかけ、以下にテキストを抜粋する。

『知られる自己というのは、それを知る者の自己でなければならない。すなわち知る者と知られるものとが、同じ一つの自己でなければならない。しかしながら、知り知られるためには、知るものと知られるものとが分かれなければならない。するとその場合、知られるのは知られるものだけであって、これを知るものは、ただ知るだけで、知られるのではないから、知るものは、知る自己を知ったのではなくて、知られる他のものを知っただけのことになる。これは自己を知ることではなくて、他を知ることなのである。(中略)すべては他をもって他を知ることになり、自己をもって自己を知ることにはならないだろう。全体が、知る部分と知られる部分を知るに過ぎなくなる。従って、自己を知るというのは、知るものが知るもの自身を知ることでなければならない。すなわち知の知でなければならない』。

ここまでで「知る」ということが知る主体と知られる他との関係、そして知る部分と知られる部分という関係から「自己を知るというのは、知の知でなければならない」ということを第一の結語として導かれている。さらに展開して『いくら知る自己を知ろうとしても、知られるのはいつも知る自己ではなくて、知られる他に過ぎなくなり、わたしたちは無限に同じことを繰り返して、結局自己を知ることはできないだろう』とし、第一の結語を補い、『知は、いつも他の知であって、自己の知ではないことになる』と第二の結語が導かれる。つまりこの思考の繰り返しは『古代のアポリア』であるとする。この章では、第三の結語として、『ではどうすればよいのか』と投げかけ、『もともと自知とはそういう矛盾を含んだものであって、そのような矛盾の自己同一がすなわち実在なのだと言おうか。これはアポリアを解くかわりに、アポリアをそのまま呑み込んでしまう仕方である』としている。しかしこれは結論ではなく、さらにつづいて『この自知のアポリアをどう取り扱ったらよいか』と問い、そのアポリアそのものを以下に再解釈している。

『全体が知るものと知られるものとに分かれるとき、両者は互いに他者となり、知る部分は知る部分自身を知るのではなくて、知られる他の部分を知るのであり、知られる部分は、知られる部分自身によって知られるのではなくて、知る他の部分によって知られることになる。これは他者による他者の知であって、自己による自己の知ではない』。

ここまでが自己を知ることのアポリアについて書かれた内容であるが、知る部分がその自身を知るのではなくその他の部分を知るということ、これが他者の知であり自己による知ではないということがわかる。またそこから自分が知ろうとするその対象が自分であるとき、それは自分を客観視するということが前提なのだろうか、と考えるとそこにも矛盾が生じることに気づく。よく「自分を客観的に見つめろ」などということを様々な場面で耳にする。本当にそんなことができるのか不明だが、しかしたとえそれが出来たとしても、自分を知るということとはいえないだろう。それは他者による知ということになる。しかしこういった思考は無意味なことではないことも気づかされる。テキストはさらに続いて、上記のアポリアの存在とその認識について確認し、そのうえで自知は不可能なのかとあらためて問う。以下にテキストを抜粋する。

『知るものの側に自己をおくとき、知るものはどこまで行っても知るだけであって、決して知られるものにはならないとすると、自己は決して客観化されることのない、絶対的主観の意味をもつと考えられる。このような自己は、決して無意味ではなく、むしろ知るものとしては、その純粋究極のかたちにおいて、かくのごときものでなければならないと考えられる。わたしたちのうちにあって、終始ただ知るだけで、決して知られることがなく、強いてこれを対象化して、知ろうとすれば、そこに無限進行のアポリアが生じ来たるがごときもの、それがつまりわたしたちの自己であると考えられる。したがって、自知のアポリアは、かくのごとき自己を不可能にするものでは決してなく、ただこれを対象化してとらえることの不可能を示すものと解される』。

「自己は客観化されること」がなく、「絶対的主観」の意味をもち、「自己」は無意味ではない。自己に意味がなければ、主観としての自己も存在しない。わたしたちの「自己」というものは、知るだけで知られることがない、自己を対象化して知ろうとすると無限のアポリアに陥る。ちなみにテキストではこの後もさらに論は展開され、上記が結論ではない。

「自分を知るということのアポリア」は、自己を対象化することが不可能であり、そしてもっと言うとこのこと自体(自己を知るということそのもの)を対象化してとらえることが不可能であるといえないだろうか。つまり「自分を知るということを対象化できない」ということになるのではないだろうか。私が冒頭に書いた「知る」ということ、特に「自分を知る」ということについての一種の違和感は、この本にであってもう30年以上経てもなお続いており、「知る」ということについてはますますわからないというより、文中にあったアポリアの認知に留まったままで、「自己を知るとは」などと問うことはないし、「対象化」しないようになっている。しかし上記で展開される「知る側」「知られる側」の関係、あるいは「自己」と「他者」との関係において、鏡に反射した鏡のごとく無限に繰り返される思考を無意味ととらえず、私自身としてその関係性をそのときそのとき思考する、あるいは自身の経験に照らし合わせて内省する。このような「自分を知る」ということが「知れば知るほど知らない自分に気づく」などという短絡的な解釈よりも、「知る」対象が自己であることとそうではないこととを余韻を含ませることなく自分自身に突きつけること、それ自体に何かしらの違和感を正直に認めるような状態でありたいと考える。つまり無限に繰り返される思考は、結局はナンセンスに行き着きがちだが、単にそれが無意味な思考ではないということをもちたいと考える。「自分を知るとはどういうことか」ということに対して、「そんなことを考えるのは意味がない」とか、つまりこういうことだ、などと割り切れるほど一度も「自分」や「知る」ということを深く考えないことは思考の停止を自ら選択することに陥りかねないからだ。

2019.6.30

TEXT 「音楽の状態を憧れる」-3

維持された「プログレッシブ・サウンド」

ジェスロ・タルの50年にわたる活動を総括する3枚組のCD『50 for 50』が昨年発売された。50曲が収められている。ジェスロ・タルの音楽はそれぞれのアルバム1枚ごと、その全体に魅力があり、今まで単体の曲で聴くことを避けていたが、この3枚組を聴いて個別に聴いても十分聴き応えがあるものと再認識した。3枚のうち2枚は主にデビューから70年代の曲が多く収められ、1枚目1曲目が69年の2枚目のアルバム『Stand Up』から『Nothing Is Easy』の1曲目としては意外なフェードインから始まり、3曲目にはイアン・アンダーソンのフルートに加えて彼の唸りが登場する68年の最初のアルバム『This Was』から『Beggar’s Farm』、さらには中盤で再び『Stand Up』からゆったりとしたテンポとブルーズ風の『A New Day Yesterday』などとともに初期の各アルバムやシングルの作品などが収録されている。上記の3曲は私も特に好きな初期の曲で、イアン・アンダーソンのフルートがバンドのオリジナリティを高めているとともに、すでにプログレの特徴の一つである変拍子が現れている。ジェスロ・タルのアルバムは68年から80年までは毎年1作発表されている。私は特に最初のアルバム『This Was』に続いて『Stand Up』、『Benefit』の3枚は何度聴いたかわからないくらいよく聴いた。『This Was』はまだ彼らのルーツであるブルーズ・ロックの雰囲気が残っているが、『Stand Up』ではその域を超えた、独自の世界観をすでに表し始めている。1曲目の『A New Day Yesterday』にはもうプログレの芽ともいうべきリズムが刻まれている。またそれ以外にもバッハの曲『Bouree』をアレンジした曲もあり、アンダーソンのフルートとグレン・コーニックのベースが静かにテクニックを披露している。『Benefit』ではサイケデリックも若干加わりながら他のブルーズ・ロックとは全く異なるものとなった。このように3枚のアルバムだけでも、曲づくりにおいても、また演奏においても急速に進化を遂げた。彼らの音楽がいわゆるプログレのジャンルに属するようにいわれる、その節目となった作品がおそらく71年に出た『Aqualung』であろう。このアルバムは私にとってはそれまでの3枚の延長上にあるものとして捉えていて、サウンド的に各パートの個性が際立つようになり、特にギターのフレーズが効果を発揮していると感じていただけであった。しかしこのCDのライナーノーツを読むと、「『Aqualung』はコンセプト・アルバムである」という音楽評論家の指摘に対してイアン・アンダーソンはそれを否定して・・・というようなことが書かれていた。私も当時これがコンセプト・アルバムとして捉えることがなかったので、なぜ評論家はそういった括りをしたがるのだろうと思ったものだ。しかしアンダーソンはその評論家たちの指摘を無視するのではなく、むしろそれならば「これこそコンセプト・アルバムだ」というものをつくろう、ということでできたのが翌72年の『Thick as a Brick』である。当時のLPレコードA面、B面合わせて1曲という扱いだが、基本的にはいくつかのパートをうまくつないだ形で、その中で共通のモチーフが繰り返され、統一感を計っているものといえる。しかしこれはビートルズのコンセプト・アルバムとしての『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』とは全く異質の、凝りに凝った仕掛けとサウンド、詩のストーリーで綿密に構成されていて、ジェスロ・タルは5作目にして一気に他のプログレ・バンドと一線を画す存在となった。これはこの後の『A Passion Play』(73年)でも同じメソッドとして引き継がれていて、私は個人的にこのアルバムが最も好きなアルバムである。このアルバムはプログレという枠から抜け出し、どのプログレ・バンドにもない世界観を醸し出していて、いわばプログレ・ロックの極地にあるものともいえる。それに伴い『Aqualung』以前の単体の曲の暗くてブルーズ感を内包した魅力は少し影を潜めたが、アルバム1枚で劇的でストーリー性の高い質に仕上がっている。『Thick as a Brick』に戻ると、これを初めて聴いたときは、A面を聴き始めてから特にコンセプト・アルバムとして意識して聴いたわけではなく、むしろ前作までの魅力がないとも思ったものだが、B面の中盤から様相が変わり始め、味わったことのない緊張感に包まれてくる。キーボードを主体とした極端な変拍子のこのパートだけでもこのアルバムを聴く価値がある。少し話はそれるが、このB面の後半を占めるキーボードは、その後発売されたELPの『Brain Salad Surgery』(73年)に大きく影響したと私は推測する(実際そういう事実があるのかもしれないが)。このアルバムのみならずELPにおけるキース・エマーソンによる超絶したキーボード演奏は、バンドというより彼のソロパートに引っ張られてできた曲という印象で、そういった個人プレイの影響が強い傾向のものは他のバンドにも存在する。たとえば同じ時代、いわばプログレの最後の大物バンドともいわれるU.K.の2枚のアルバムではキーボードの奏法がやはりエマーソンばりで、ほかのメンバーの影が薄くなっている曲も中にはある。蛇足だが、U.K.はいかにもプログレといった印象の強い最後のバンドではあるが、基本的に彼ら、特にジョン・ウェットンの曲作りの方向性は、アルバムを聴いているとプログレが目的であって、プログレ的な音楽を作ることに力を注いでいるようにみえる。そういった方法は70年代の流行が覚めてしまえばやはり飽きられてしまう。そのためウェットンは80年代にはいりスタイルを変え、新しいバンドASIAで大成功をおさめたが、そのスタイルはもうプログレではなく、曲は悪い意味でなくプログレの長大重厚に対する軽薄短小へと変化した。しかしその萌芽としてU.K.の2枚目のアルバム『Danger Money』の『Nothing to Lose』はやがて来る時代を予感させる曲であり、ほとんどASIAの曲といってもいいものだ。この曲は唯一といっていいほど変拍子がなく、ウェットンを中心としたコーラスを含むボーカルと単調なドラム、シンセサイザーが新しい時代にマッチした曲だ。プログレ・サウンドを目的とした作り方は新しい時代になってそのスタイルを変えるか変えないかでその後の道は変わっていったのだろう。ジェネシスのピーター・ガブリエルは、私は彼のソロのポップな曲の方が好きだが、異論はあろうがやはりガブリエルもプログレ・サウンドを目的とした作り方に見切りをつけたかたちとなっている。しかしジェスロ・タルはそもそもプログレ・サウンドを目的としたものではないということが伝わる。ジェスロ・タルの『Thick as a Brick』は先述したようにELPのようなキーボードのソロの感じは全くなく、バンドの音づくりの過程で緻密に練られた構成を聴き取ることができる。その後のアルバムでも同じことがいえる。

ジェスロ・タルに話を戻すと、前述の『A Passion Play』の次のアルバム『War Child』では前作と一変して、タイトルのシビアさとは対照的に曲調は明るい。しかし前作に似たフレーズも垣間見えて、例えば『Sealion』では『A Passion Play』のB面後半の激しい変拍子のモチーフが短い曲の中で展開されていて、アンダーソンの一つのメロディの特徴がここで再び聴くことができる。次の『Minstrel in the Gallery』(75年)では、『Thick as a Brick』のアコースティックの部分がマイナー調になったような、そして初期のサウンドを思わせるオーソドックスで落ち着いた雰囲気のメロディの連続で、メロディメーカーとしてますます磨きがかかっている。組曲的な『Baker St. Muse』の曲の展開は聴くものを飽きさせないし、リリカルなメロディとハードなパートとの対比が自然なかたちで受け入れられる。さらに『Too Old to Rock ‘n’ Roll: Too Young to Die!』(76年)では、ユーモアとアンダーソンのアートワークでのアクションが目を引くが、サウンド的には特に私たちの世代に懐かしい、何か日本の歌謡曲のようなメロディとアレンジで、大げさなオーケストレーションが中途半端でなく、それまで培われた確かな音楽性を自信をもって表現したような音楽だ。そして彼らは80年代に入っても、スタイルは基本的に変わっていない。イアン・アンダーソンの83年のソロアルバム『WALK ONTO LIGHT』では、打ち込みのドラムやプログラムが多く導入されているとはいえ、彼のフルート演奏もあり、独特の変拍子もプログラムに乗って仕上がっていて、何曲かはそのままジェスロ・タルの曲といってもいいくらい彼のスタイルが維持されている。つまり彼にとってプログレというのは目的ではなく、あえていえば自己表現を助ける最大の手段であり、さらに言えば彼の音楽に欠かせない一要素となっていたことがソロのアルバムからも聴きとることができる。同じようなことがいえるプログレの代表にピンクフロイドがいる。当初サイケデリックの印象が強いアルバムが続いたが、70年に出た『Atom Heart Mother』はプログレの始まりを告げるような重要なアルバムとなった。しかしフロイドの曲には特に変拍子があるわけではなく、彼らの音づくりはロックでありながら、その枠組みさえはみだしそうなサウンドを生み出している。その後の名盤中の名盤『The Dark Side Of The Moon』のA面の構成は全体で1曲というわけではいないが、やはりA面で一つという印象が強い。A面は大きく分けて前半の『Breathe』と、特にリック・ライトのピアノが美しい後半の『The Great Gig in The Sky』で構成されている。バンドのメンバーではない女性のボーカルのソロパートは、ロックの域を超え、彼らの高い音楽性を証明する一助となっている。しかしB面も個別に曲は分かれてはいるが、アルバム全体に欠かせない要素としてうまく構成されている。このアルバムは基本的にロックの形態を踏まえたものだが、その一方『Atom Heart Mother』を最初聴いたときは、かなり違和感を覚えたことを思い出す。その感覚は割と最近まで残っていた。私がフロイドのアルバムを始めて聴いたのは『Meddle』で、『The Wall』が出る前、今から40年くらい前の『Animals』が出たころだった。その感覚で聴いた『Atom Heart Mother』はこれがプログレというものなのか、と実感したことも覚えている。A面はロックの作品にはあまりないホーンセクションが前面に出て、フロイドのメンバーの個性が出ていないのではないかと感じたのも事実だ。しかしその違和感みたいなものが払拭されたのが、近年発売されたフロイドの初期の、主にライヴ音源や未発表のテイクなどを集めた『The Early Years-CRE/ATION』のなかに収録されていた『Atom Heart Mother』のバンドバージョンのライヴ音源を聴いたときだった。ホーンセクションはなく、フロイドの4人のみによるライヴ演奏で、ギルモアのギターもレコードの音より鋭く、リック・ライトのキーボードもホーンセクションを取り去ること表出した彼独特の美しい音色が際立っている。メイスンのドラムはいい意味でプリミティブで荒っぽさが際立ち、これを聴くとプログレというより純粋なロックだということが分かる。

再びジェスロ・タルに戻ると、彼らの特に70年代のアルバムは『Thick as a Brick』以降は、前述したようにそれぞれ明確なテーマを持って1枚1枚を仕上げてはいるが、最初に上げた『50 for 50』ではアルバムの中の単体をピックアップしても十分単体の曲として聴き応えがあるものであることがわかる。その選ばれた曲を聴いていると、各アルバムで聴いた印象とはまた違って、新たな発見もあり、まるで3枚組の新譜を聴いているかのような充実感があるというのもジェスロ・タルたる所以ではないだろうか。すべてのアルバムでイアン・アンダーソンの個性が発揮され、その尽きない創造力はプログレというジャンルをより意味あるものへと深化させ、他方へ大きな影響を与え続けた。最初の回に取り上げたアイアン・メイデンはジェスロ・タルを始めとしたプログレ的クリエイティビティを彼ら独自の解釈で受け継いでいる。

 

 

 

2019.6.23

TEXT 「音楽の状態を憧れる」-2

メタル・音楽(2)

キング・クリムゾンの『The ConstruKction of Light』は2000年に発表されたスタジオ録音のアルバムである。ビル・ブラフォード(近年ではブルーフォードという)は不在だ。私はこのアルバムが現在に至る約半世紀にわたるクリムゾンのキャリアのなかでも最も好きなアルバムといってもいい。私にとってクリムゾンの魅力をあえて誤解を恐れず言うと、それは『音の健全な暴力』ということができる。「暴力」という言葉に抵抗はあるかもしれないが、この言葉が私がクリムゾンを聴いてから40年あまりつきまとっていた言葉であり、彼ら、というよりロバート・フリップの音楽は思想的にも多くの影響を受けたといっても言い過ぎではないほどである。アルバム『The ConstruKction of Light』は、その『音の健全な暴力』を極限にまで高めた作品であり、それまでの彼らのオリジナリティを進化させ、統合させた作品ともいえる。どのような点でそういえるのかというと、このアルバムに収録されている曲に具体的に表現されている。まず2曲目であるタイトル曲の『The ConstruKction of Light』は、80年のアルバム『Discipline』のライン上にある作品だ。「ライン上」などというと、直後の2枚のアルバム『Beat』や『Three of a Perfect Pair』のような、よくいわれるような『Discipline』の惰性で契約上仕方なく作られたといわれるようなつくりではなく、曲でいうと『Frame by Frame』や『Discipline』のような、それこそ「規律」や「訓練」といった言葉がうまくあてはまるような、あたかもギター教本をレベルアップさせたような音のつくりだ。また一方で『Larks’ Tongues in Aspic Part IV』はもちろん『PartⅠ』と『PartⅡ』をよりヘヴィにしたもので、リリックな感傷が入る余地が全くない、まさに「音そのもの」なのだ。また『FraKctured』は70年代の黄金期、ライヴでもよく演奏されたアルバム『Starless and Bible black』の『Fracture』のアルペジオ的なフレーズが使われている。このほかの曲でもエイドリアン・ブリューが主に手掛けたと思われるボーカル入りの曲も、80年代、90年代のどちらかというと浮いた感じが消え、よりクリムゾン的色彩が濃いものに進化している。このアルバム発売からすでに20年近く経っているが、この傾向は最近でもよりヘヴィなサウンドで確認できる。特に最近では過去のライヴ音源が多くCD化されている。個人的には昨年の12月の来日公演で実感することを果たした。『Larks’ Tongues in Aspic PartⅠ、Ⅱ、 IV』、『Red』、『Discipline』を目の前で弾いているフリップの姿が信じられなかった。ギターのみでなく、特にドラムの3人編成がより全体に厚みを持たせている。徹底したヘヴィ振りだ。このサウンドに対し「ヘヴィ」という語をあえて用いるのは、フリップが90年代に自らの音楽を『ヌーヴォ・メタル』と名付けたことからも、明らかにメタル・サウンドに対する特別な考えがある。『Red』の音に対し、かつてフリップが『Yes, the iron. It’s the iron, isn’t it?』と発言したと当時のレコードのライナーノーツに書かれているが、その時はシニックな発言として受け止めることもあったかと思うが、90年代以降現在に至るまで『ヌーヴォ・メタル』スタイルを貫いていることからも、彼はメタルに対して自身が目指す究極をみていたのではないかと思われる。95年発売の『Thrak』は『ヌーヴォ・メタル』を実践した最初のフルアルバムだが、そこではシンプルな音階とダブル・ドラムがかつての『Red』を思わせるサウンドとしてヘヴィさが蘇っている。レコード店のジャンル分けでいうとクリムゾンンはロック/ポップスに含まれ、HR/HMのジャンルとは一般的に切り離されていることもある。しかしクリムゾンの「音」はヘヴィメタを超えたメタル・サウンドだ。『音の健全な暴力』ということを最初に書いたが、音に関しては暴力があっていいのではないか。徹底した音の暴力のみこそが、音以外の要素が全く入る余地のない、他を寄せ付けないようないわば「暴力性」こそが、逆説的だが音楽の魅力を引き上げるのではないか。あらゆる音から適切な音を拾ってメロディを紡ぐのではなく、音のすべてを現前させる。それはあたかも「白色雑音」をより「発見的」に、あるいは「再現的」に表出させるような感覚である。

このアルバムの最後の曲は『Larks’ Tongues in Aspic Part IV』から直結したかたちで『Coda: I Have a Dream』につながる。20世紀の悲劇の出来事を列記し、最後にキング牧師の言葉で終えるこのボーカル入りのこの曲も、前曲の暴力性を際立たせる役割を果たしているように感じる。

前回のTEXTで、音楽のことを書く最初にヘヴィ・メタルを取り上げたのも、ロバート・フリップのメタルに対する創作態度からくる私個人のメタルへの偏見のない、むしろ純粋な憧れがそうさせたと考える。

2019.6.16

TEXT 「音楽の状態を憧れる」-1

メタル・音楽(1)

唐突だが、ヘヴィメタルのジャンルにおいて、新しいバンドの存在を私は知らない。ヘヴィメタルといっても様々なタイプがあるはずなのだが、括られて一つの印象を与えている。「ただうるさいだけ」「大音量のギターとドラム、絶叫するボーカル」。こういったレッテルはいつのころから貼られてきたのか。そもそもヘヴィメタの始まりはどこか。どんなバンドの、どんなアルバム、曲か。よく取り上げられるバンドにブラック・サバスがある。

トニー・アイオミのギターリフは確かにその後のメタルの始まりともいえなくもない。しかしそのリフは指にハンデがありながも独創的で、さらにオズボーンのボーカルがそのリフのうえにただ乗っかっているという単純な印象はまったくない。しっかりとしたメロディと演奏、ボーカルを構成している。4作目後にメンバー、特にアイオミが曲作りのスランプに陥り、そこから抜け出したときの5作目で披露されたリフには、その後のメタルのリフを先取りしたフレーズがみられるようになったが、基本的に70年代のしっかりとしたブリティッシュ・ロックのスタイルを踏襲している。

ギターリフといえば、70年代はリッチー・ブラックモアも多くの有名なリフを残しているし、彼自身ディープ・パープル後のレインボウや繰り返される再結成やソロでも、自身のリフを何度も採用していて、ディープ・パープル、レインボウと違うバンドとしてライヴを行っても、それぞれのボーカルがリフに合わせたメロディを歌いあげている。レインボウのアルバム『DIFFICULT TO CURE』の2曲目『Spotlight Kid』はパープルの90年代に再結成された時のアルバムの曲でも確か使われている。他にも初期のパープルで有名な『Highway Star』もレインボウでほぼ同じリフが使われている曲があり、多くのリフが様々な曲で引用されている。ライヴではパープルかレインボウかでボーカルが異なるため、パープルで使ったリフをレインボウで披露できないということが一般的にあるが、ブラックモアの場合そういうことにならないようになっている。同じリフでメロディとボーカルが異なるという違いだけの状態で、彼はどちらのボーカルでもかまわないといった感じで演奏しているように聴こえる。一方ボーカルは作詞を担うことが多いが、私の勝手な思い込みだが、ボーカルはブラックモアがあみだしたリフにメロディラインをつくる役目も担っていたのではないかと考える。レインボウもパープルのギランのボーカルとレインボウでのボーカル担当でやはり曲の出来が大きく差がでていることからもそう推測される。ブラックモアはパープルでギランとカヴァーデイルという優れたボーカルを得たが、その後のレインボウでボーカルに苦労したのではないだろうか。レインボウの2作目『Rising』はいわゆる名盤中の名盤だが、ボーカルはロニー・ジェイムス・デイオで、レインボウの歴代のボーカルのなかでは最もブラックモアの曲に合っていたように思われるし、楽曲としても『Stargazer』と『A Light In The Black』はLPレコードのB面を占める大作で、コージー・パウエルのドラムの迫力のうえにメンバーの力量が充分発揮された傑作となっている。しかしその後ボーカルも代わりアルバムとして物足りない印象を与えたが、80年代に入りアルバム『DIFFICULT TO CURE』が出て、ボーカルがジョー・リン・ターナーに代わった。彼のボーカルは80年代という新しい時代にふさわしい魅力を放ち、ブラックモアのギターも一段と引き立ったような印象を与えている。これはやはりボーカルであるターナーの力も大きいのではないかと考える。またブラックモアに関してはギターのリフのみでなく、パープルの『Burn』で披露されたジョン・ロードのソロのキーボード(オルガン)のモチーフは、その後レインボウでも繰り返し採用されているし、前述の『A Light In The Black』、あるいはパープル再結成の『Perfect Strangers』でもわかりやすいかたちでそれが展開されている。ギターソロでなくてもブラックモアを特徴づける代表的なフレーズとなっている。

ギターとボーカルの関係をさらに敷衍すると、これはメタルとは言い切れないが、マイケル・シェンカーが在籍するUFOとその後のM.S.Gの時とで、やはりメロディに大きな差がでている。ドイツ人であるマイケルが当時英語を話せなかったこともあってなのか、作曲とギターテクで自己表現を最大限発揮することに全精力を注ぐ一方で、その手助けとしてUFOではボーカルのフィル・モグの存在は欠かせない。彼もやはり歌詞とメロディに大きな影響を与えたことは十分推測できる。なぜならM.S.GではUFOとはその質にあきらかに大きな差があるように思われるからだ。フィル・モグはまだマイケルがスコーピオンズに在籍していた頃に、たびたび彼をライヴでレンタルしていて、その後マイケルの兄ルドルフ(スコーピオンズでギター担当)の承諾を得て若いマイケルを加入させたといわれている。加入後の1作目『Phenomenon』は、これもいわゆる名盤中の名盤で、ほとんどの曲でマイケルが作曲している。『Doctor Doctor』や『Rock Bottom』といったその後のマイケルにとって重要な曲もこのアルバムに収められていて、歌詞と曲の関係は切り離せないものとなっている。ファンならタイトルを聴いただけでメロディとモグの声、マイケルのリフとソロがすぐに頭の中に駆け巡るだろう。このアルバムは全編通してハードななかにもマイケル特有のメランコリックな旋律もあり、際立った明るさや派手さというもの、いわば遊び的で無駄な要素があまりなく、その点からも長く愛聴される理由ともなっているように思うのだが、その後のアルバムではギターのリフに明るさというものが垣間見えるようになる。それぞれのアルバムで1枚を通して聴くには何度も繰り返しという感じではなくなる。もちろん好みはあるが、それだけに『Phenomenon』への郷愁みたいなものが一層増すかたちとなる。しかしマイケル脱退2作前、アメリカを強く意識したといわれるアルバム『Lights Out』のタイトル曲は、やはりその後のマイケルの定番となるような力の注ぎようで、彼がつくったもののなかでも最もハードなプレイを披露している。やはりこのタイトルを聞けば、特にライヴ盤の『Strangers in the Night』での「lights out Chicago!」と叫ぶモグの声が聞こえるように、歌詞と曲が切り離せないし、この曲は特にモグのボーカルでなければならないとファンなら思うだろう。モグはマイケルの才能を開花させたというだけでも、一流のプロデューサーでもあるともいえる。

近年ホワイトスネイクの新譜が出たが、残念ながらそこには80年代の冴えはもうない。この新譜のみでなく、87年以降現在に至るまでのアルバムにも同じことがいえる。特に今世紀に入ってからでたアルバムでは全く曲の態をまるでなしていないように思われるし、ほぼギターの勢いのみが前面にでていて、ほとんどの曲が同じような印象を与えている。なかにはいい曲もあるが、アルドリッヂのギターはカヴァーデイルのボーカルには向いていないように思われる。87年のいわゆる『Serpens Albus』(正式には『Whitesnake』(アメリカ盤))は、これも名盤中の名盤で、イギリス本国はもとより世界中でいまだに聴き継がれている。これに大きく貢献したのが、ジョン・サイクスである。このアルバムでサイクスはほとんどの曲でギターと曲作りに参画している。2曲が過去の曲のリメイクだが、カヴァーデイル単独で作られた『Crying in the Rain』はサイクスの自身のライヴでも演奏しているほど、彼のギターが冴えている。つまりサイクスはこの曲の蘇生に自身が果たした役割をよく知っているからこそライヴでも最も盛り上がる曲の一つとなっている。その他の曲もサイクスのギターが全面に出ながらも、カヴァーデイルのボーカルはむしろ水を得た魚のように生き生きとしている。サイクスのバンドで彼が作った曲を聴いても、これもサイクスのボーカルではなくカヴァーデイルのそれだったらどんなにいいだろうと思ったものだが、そう思わせるほどカヴァーデイルにはサイクスが必要だし、サイクスにとっても、彼が自身のバンドでボーカルを担っても、やはり物足りないのが現実だ。双方にとって欠かせない存在だと思うのだが、このアルバム以降二人による曲、アルバムはない。そして現在に至るまでホワイトスネイクは、ヴァンデンヴァーグ以外よいギタリストに恵まれていないように思えるし、そのせいか曲においてもカヴァーデイルの魅力が活かされたものは出ていない印象がある。今回の新譜も例外ではない。

80年代から現在に至るまで、アルバムをコンスタントに出し続けているバンドにアイアン・メイデンがある。ヘヴィメタらしい音楽を作り続けているバンドだが、彼らの音楽の根底には70年代ロックがある。スティーヴ・ハリスはジェネシスやジェスロ・タルの影響を受けていると公言している。(ハリスがジェスロ・タルのアルバムのライナーノーツも手掛けているものもあるほど)。特に5作目の『Powerslave』以降、その影響をうかがわせるような長尺で変調の曲も多い。3作目までは加入したばかりのブルース・ディッキンソンの伸びのあるボーカルとシンプルなロックが魅力だったが、4作目の『Piece of Mind』(Peace of Mindではない)では、ニコ・マクブレインの新加入による高度なドラミングと、スタイルを確固としたスミスとマーレイによるツイン・ギター、そしてディッキンソンの高音のボーカル、なによりハリスだけではなくスミスやディッキンソンの手による曲も個性を放ち、安定した統一感に仕上がったアルバムとして、私は個人的に最もよく聴いたアルバムである。ボーカルであるディッキンソンはこのアルバムで『Revelations』やスミスとの共作の『Flight Of Icarus』でコンポーザーとしての才能も証明した。直近の新譜で『The book of souls』(2015)は、2枚組のスタジオ録音で、80年代で展開した世界観をますます進化させ、聴くものを裏切らない作品となっている。ここでもディッキンソンが書いた曲は色褪せていないどころかますます精彩を放っている。前述の曲『Revelations』のギターリフには、メタルではないウィッシュボーン・アッシュの70年代の名盤『Argus』のなかの『Warrior』のフレーズと同じモチーフが採用されている。メイデンのギターリフには、例えばマイケル・シェンカーに似たものもある。聴いたことのあるフレーズが違うバンドで聴かれるというのは決して悪いことではなく、むしろそれまで積み上げられたブリティッシュ・ロックの伝統を踏襲しているという安定感が伝わってくる。ディッキンソンが在籍した期間に発表されたアルバムを通して聴くと、それがよく伝わってくる。

一方、メタルではないが、自ら「ヌーヴォ・メタル」として90年代に自身のスタイルを名づけたバンドにキング・クリムゾンがある。

・・・続く

2019.5.3

TEXT プルーストの「その時」―2

    前回、『現実とは感覚と回想との関係のことであり、作家は文章のなかでこれらをつなぎ合わせるために見出すもの』として、『失われた時を求めて』から引用してプルーストの作家の在り方を取り上げた。作品を仕上げていく段階で、ある感覚についてプルースト独特の感性を表現した箇所がある。

『ときには作品の悲痛な断章がまだ下書きの状態にある段階で新たな愛情や苦痛が到来すると、それはその断章を仕上げ、豊かに膨らませる機会となる。このように役に立つ大きな悲嘆にかんしては、さほど不平を言わなくてもいい。そうした大きな悲嘆はかならずやって来るものであり、われわれをそれほど長く待たせることはないからである。とはいえ悲嘆はそう長つづきしないから、その悲嘆を大急ぎで利用しなければならない。人の心はすぐに慰められるものであるからだ。逆にその苦痛が慰められないほどに強いときは、心臓が充分に強靭でない人は死んでしまうからだ。というのも肉体にとって健康にいいのは、幸福だけだからである。しかし精神の力を強化してくれるのは悲嘆である。そもそも悲嘆は、そのたびにある法則を発見させてはくれなくとも、そのたびに習慣や懐疑や軽薄や無関心という雑草をひき抜いてわれわれを真実へとひき戻し、ものごとを真剣に考えるよう強いるから、やはり必要不可欠なものなのだ』。(第13巻 岩波文庫 吉川一義訳)

「どうせ悲しいことは起こるのだから、もとより幸福など求めない」というような類のいわばシニックで悲観的な思考ではなく、『悲嘆はかならずやって来る』ものであり、作品、すなわち仕事や実生活においてそれを利用しなければならない、しかも『悲嘆は長つづきしない』し『すぐに慰められてしまうから』として、「悲嘆」というものを現実の必然的事象として受け止める。それはプルースト自身が人生経験のなかで体得し、さらに過去の様々な現象から分析し、思考したいわば「科学」であり、それを作家としていかに活かすのかということを思考したリアリストとしての顔が最も表出した一節ではないかと思う。この膨大なテキストを仕上げていく段階で、様々な悲しいことに遭遇するたびに執筆を中断したり止めてしまっては、それは少なくとも職業としての作家としては不適格であり、逆にその悲しみを作品の質に転化させてこそ、しかもすぐにそれを行ってこそ作家なのであり、プルーストはそれをこの小説で証明してみせたということになる。 このように悲しみに目を背けず、それを積極的に受け入れるということを、小説のなかで明確に書かれた小説を他に挙げると、例えばドストエフスキーの『罪と罰』やフォークナーの『野生の棕櫚』があげられる。ラスコーリニコフはこれから起こりうる悲しみを受け入れ、自首し、シベリアへ流刑される。しかしそこでは大きな病気をして、受け入れた罰以上の悲しみを負うことになる可能性から身体的に回復し、精神的にはソーニャと和解し、そして自我とも和解することになる。『野生の棕櫚』においては、ウィルボーンが「悲しみと無のあいだにあって、悲しみを選ぶ」とし、逃げることも自死することも拒み罪を償う。いずれも物語としては悲惨で暗いものだが、ドストエフスキーもフォークナーも主人公の行動や言葉を通して、物語の結論として悲しみを積極的に受け入れることを描いているため、物語の悲惨さや暗さというものがその結論のための経過であるという認識に至らしめる。そして読む者を励ます力強さを獲得する。『失われた時を求めて』の『精神の力を強化してくれるのは悲嘆である』という言葉は、ドストエフスキーやフォークナーと同じように、力強い言葉として我々に訴えかける。

昨年の地震の後のテキストで、フォークナーの日本の若者への言葉を引用した。『人間は強靭であり、何ものも本当に何ものも、戦争の悲しみも、失望も絶望も、何ものも人間が生き続けるほど長くは続かないだろう。・・・すがるべき杖を探すための努力ではなく、希望と人間の強靭さと忍耐力を信じることによって自分の足で真っ直ぐに立つ努力をするならば、人間はあらゆる苦悩を乗り越えられるだろう』。私たちが経験した悲しみは、個人差はあれ、やがて薄れて、そしてまたあらたな悲しみや困難に遭遇する。しかしそれら悲しみは長く続かないが、だからといってそれら悲しみをなかったこととするのではなく、そのときそのときその悲しみをしっかりと受け入れることで精神の力を強化していくという気持ちを持つことができれば、『失われた時を求めて』は人生のなかで大事な出会いといっても言い過ぎではないだろう。

2019.4.29

TEXT プルーストの「その時」―1

小説の中でも、長編を読むという行為は読書の最大の楽しみの一つともいえる。例えば文庫本で4巻以上もあるような大きな小説というと、トルストイの『戦争と平和』、ミッチェルの『風と共に去りぬ』、スタインベックの『エデンの東』など他にも上げたらきりがないが、これらの小説は長いにも関わらず非常に読みやすいという点でも共通していて、それが長く読まれている理由の一つでもあるようにも思われる。しかしとりわけ群を抜いて長い作品がプルーストの『失われた時を求めて』ではないだろうか。この有名な作品は、有名であるにもかかわらず、全部を読み切った人は一体どれだけいるのだろうかと考えてしまう。私もこのあまりに大きさゆえ、もう30年ほど前になるが、エクストレ版で読んだくらいで、それ以来全部を通して読んでいない。しかし9年ほど前に岩波文庫から全14巻の刊行が始まり、それを機会に1巻目から読み始め、1年に1冊かせいぜい2冊しか配本されないものを、もう9年にわたって読み続け、ようやくあと1冊の配本を残すのみというところまできている。かつてこれほど長い期間にわたって読み続けた小説はない。昨年暮れに配本された第13巻目は『見出された時Ⅰ』で、物語としては第1巻目からもう20年ほど経過した状態で、主人公「私」を巡る出来事の長々しい描写を経て、「私」の文学論が展開される。「私」の文学論は「プルースの」文学論に置き換えることが出来る。しかしそれは文学論というより、彼の思想、哲学といっていいものであり、胸に響くエクリチュールが展開する。

『一時間はただの一時間ではなく、さまざまな香りや音や計画や気候などで満たされた壺である。われわれが現実と呼んでいるものは、われわれを同時にとり巻いているこうした感覚と回想とのある関係のことであり、-この関係は単なる映画的ヴィジョンでは抹消されてしまうから、映画的ヴィジョンは真実だけを捉えようとしてなおのこと真実から遠ざかる-、この関係こそ、作家が感覚と回想というふたつの異なる項目を自分の文章のなかで永遠につなぎ合わせるために見出すべき唯一のものなのだ』。(第13巻 岩波文庫 吉川一義訳)

  プルーストは、「現実とは感覚と回想との関係のことであり、作家は文章のなかでこれらをつなぎ合わせるために見出すもの」として、作家の在り方を説いていて、『失われた時を求めて』とはまさにこの思想を体現した、いわば「媒体」のような存在である。私が9年にわたって読み続けられたのも、おそらく時代も場所も、風俗や文化も、時代背景や日常も大きく異なるものに対しても、自分の日常に沿って、自己の環境や境遇との照合と対比のなかで、いわばもう一つの日常として物語が傍らを静かに歩いていたからではないかと思う。単に面白いストーリー展開や結末を期待していたのでは挫折してしまうだろう。またまとまった期間に、たとえば1か月集中的に読もうと思っても、やはり頓挫してしまう、おそらくそういう小説であろう。先述した『風と共に去りぬ』、『エデンの東』などは、物語として壮大で、感動を呼ぶ小説だが、その一方で一度読んだきりで、また読みたいと思うのにかなりの時間を要する。しかし何度も繰り返し読んだ小説というのは、やはりストーリーテリングだけではない。例えば長編のなかでもジョイスの『ユリシーズ』は読むたびに新たな発見がある。しかし『失われた時を求めて』は、その最後までたどり着くのに相当な時間がかかるため、読後また読み返したいとすぐに思っても、なかなか難しいのが現実なのだろう。

先ほどの抜粋した文から発展し、「私」が文学論を展開している。『・・・しかし真実がはじまるのは、作家が異なるふたつの対象をとりあげ、科学の世界における因果律という唯一の関係に相当する芸術の世界における関係としてこの両者の関係をうち立て、この両者を美しい文体という必然的連環のなかに閉じこめるときだけである。(中略)・・・自然自体がそもそも芸術のはじまりではあるまいか?・・・自然は、ある事物の美しさを、しばしばずいぶん後になってから、べつの事物のなかでのみ、ようやく私に教えてくれたからである。』

  プルーストは感覚と回想の関係を説き、そしてそれだけは文体としての芸術に到達していないと考える。ここでは「真実」という語で必然的連環のなかで、異なる2つの対象を捉え、『両者をひとつのメタファーのなかに結びつけて両者に共通するエッセンスをとり出すとき』真実がはじまるとする。

この長大な書物が100年も読み続けられた最大の理由は、この『見出された時』における、「私」に語らせたプルーストの文学論の存在ではないだろうか。私がこれまで読んだ小説のなかでも、このように物語のなかで、しかも最後に登場人物が作家や小説について論ずるという構造は記憶がない。なにか長い眠りの夢から突然現実に引き戻されたような不思議な感覚である。そしてこの感覚がもう一度最初に戻って、読み直したいという欲求につながっていく。「見出された時」にいたる経過は、決して失われた時ではなく、プルーストが求めた真実のとらえ方、エクリチュールの在り方を現前化させる長い長い舞台であるように思える。

2019.4.14

TEXT アントニオーニの質感

以前のテキストでG.ヘルンヴァインを取り上げた。経験と体験を巡る内容の回で、森有正の思想を受けて「特に貴重な経験」として、ヘルンヴァイン展がその後の人生において固定化された「体験」となったことを書いた。その「体験」は私が30歳になる直前のことだったが、さらにその10年前の大学1年の頃の経験が固定化された「体験」となって、それが現在までつながっている対象がミケランジェロ.アントニオーニである。アントニオーニは20世紀の半ばイタリアで活躍した映画監督で、フェリーニと並ぶネオリアリスモの巨匠である。私の「出会い」は、先述したように大学に入学してまもなくのことで、彼の映画は、それまで高校時代から好きで見ていたいわゆるハリウッド映画とは全く異質なものだった。当時テレビで深夜に放映されたアントニオーニの『太陽はひとりぼっち(原題L’eclisse』)をたまたまビデオに録画していたものを観た。その時の印象は、まず単純に面白くないという感覚しかなかった。しかしその後繰り返し観ていくうちに、次第に惹き込まれるようになった。そしてその後アントニオーニの他の作品のみならず、フェリーニやゴダール、ベルイマンなどヨーロッパの映画をよく観るようになった。これらの経験は先の回に書いたヤン・シュヴァンクマイエルやP.ボカノウスキー、セルゲイ・パラジャーノフといった商業映画とは一線を画す作品に触れるようにつながっていったが、いわばその嚆矢が私にとってアントニオーニだったといえる。アントニオーニの映画の中のシーンや画面の構成、空気や役者の表情などから発せられる、いわば像の質感などは、私のその後の仕事や日常の中で常につきまとうというか、自分を支配している覆いのような存在になっている。その覆いのようなものを最初に具体的に表現した例としては、大学院修士設計で、いわば漠然とした空間における「質感」のようなものを、そのアントニオーニから影響を受けた感覚を契機として、全体と部分の考察を基本とした様々な思想、理論の助けを借りながら論と設計を展開した。(それは本HPのWORKで「Representation1」として掲載している)。建築という仕事を基本とした日常の中で出くわす、主に視覚的体験としてアントニオーニの映像が根底にある。

具体的なシーンとして挙げると、『情事』(L’avventura 1960年)では、小島で行方不明となった女性の恋人とモニカ・ヴィッティ扮する友人との関係を象徴するような、建造物の石の壁面が画面の半分を占める二人の背景。『夜』(La notte 1961年)では、特に後半、早朝のゴルフ場で二人が歩くシーン。時間の感覚を失った空と芝が広がる中に樹木が点在するなかを並んで歩き、芝に座りこむ二人。ジャンヌ・モローの美しく暗い表情と、夫への愛が冷めたことを口にする妻としての悲しみがそのまま風景と同化する。そして先述した『太陽はひとりぼっち』では冒頭の男女の別れ話のシーン。何度も話し合った後、早朝の男の部屋から出ていくモニカ・ヴィッティが、住宅地の脇の草むらを抜け、自宅マンションへ入って窓から揺れる樹葉を見つめるシーン。証券取引所で、ある証券マンが亡くなったというアナウンスのあと1分間の黙とうを捧げる中、太い円柱を挟んで立つヴィッティとドロンのシーン。そしてなんといっても最後の数分間の映像。二人が待ち合わせ、歩き、話しが繰り広げられた場所の、二人の不在のシークエンス。『赤い砂漠』(Il deserto rosso 1964年)はアントニオーニ初のカラー作品であるが、特にこの作品は、工場とその排気ガス、港の霧など前作までの都会的な情景とは異なる陰鬱な様相が全編通して作品を覆っている。

今取り上げたシーンは私のその後の生活の中で、ふとした瞬間に訪れる。大学時代の室蘭の風景・・・いつも吹いている風、道路脇に箒で掃かれた跡のような雪、新日鉄工場群と鉛色の空。あるいは札幌での、時間や季節の感覚を失う、何でもない街の風景。仕事で偶然通りかかる団地の画一的な形と小さな公園。あるいは具体的場面でなくても、例えば安部公房の作品で描かれる身近な街の普遍性など。これらの感覚は単に視覚的な経験が「体験」として積み重ねられ、現在に至るまでの自分の心象風景として固定化したもとのとなっている。タイトルに挙げた「質感」とは、マテリアル、すなわちものの物質性というか、具体的な手触りの感覚を、いわば空間をキャンバスにみたてたような手触り感覚を「質感」として捉えたものだ。それは学生時代に出会った「アントニオーニ」から得られた逃れられない感覚となっている。

2019.3.21

TEXT 「不正操作」とファウスト-2

  「ファウスト」を主題とした作品を書いた作家はゲーテの他、ドイツの劇作家グラッペとイギリスの劇作家マーロウがいる。ヤン・シュヴァンクマイエルは「ファウスト」の撮影日誌のなかで、先の回にあげた「不正操作」という言葉を書いている。撮影後のある日帰宅途中で自分の「ファウスト」が、実際に何についてのものなのかをじっくり考えたという。つまりそれは「不正操作」について他ならない。マーロウの「ファウスト」を下敷きとしたシュヴァンクマイエルの作品はゲーテとグラッベのそれと何が違うのか。ゲーテとグラッベのそれは『反乱を起こす「巨人(ティタン)」であり、知識の万能さをめぐるロマン主義的な考え方』であることに対し、マーロウの方は『神への反抗と瀆神にたいする罰が問題になっている』としている(『』内は日誌文中から引用)。しかしシュヴァンクマイエルの「ファウスト」に対しては、マーロウのそれを下敷きにしているとはいえ、一方で現代における現実的で乾いた思想で解釈している。作品そのものが語り回答していることを、彼はあえて言葉にしているといった感じだ。それはファウストという伝説とそれを担わされた「人物」、そして「ファウスト」を題材とした映像の創造においては演じる役者と役柄の関係、台詞とリハーサル、現実ではなく芝居であること、それらは「ファウスト」という伝説の表象の在り方のシュヴァンクマイエルという一創造者の手法と表現という解釈、つまり伝説のファウストの役柄を与えられた悲劇的な対象、それは芝居の役者という意味ではなく、ゲーテ、グラッベ、マーロウが「操作」した架空の「人物」、それがシュヴァンクマイエルの「ファウスト」では、それに加えて台詞を暗記させられた「役者」、「舞台」という「操作」という更なる表象の舞台としての「ファウスト」の解釈を、彼独自の言葉(翻訳を通してではあるが)で日誌に綴っている。そしてこの「操作」を一貫して「不正」として捉えていることが興味深い。
彼は日誌の中で語る。『不正操作の対象となって悲劇的な立場(役柄)におかれ、そこで死ぬまで忠実に演じていく「偶然の」人間なのだ。これはまさにある明確なパラドクスだ。ひとは不正操作されてファウスト(反逆者ファウスト)の悲劇的な立場におかれ、この不正操作にたいしては反抗さえしない。これは現代のアクチュアルな問題だと思う』。日誌以外でもインタビューのなかでも、やはりこの「不正操作」について触れている。『撮影の最中、私にとって強迫観念となっているテーマ、すなわち不正操作というテーマを作品のなかにもちこみたいという強い衝動を感じていました。不正操作は全体主義体制の原理にはとどまりません』。『逆説的なことに、ファウストは、知らず知らずのうちに不正操作の犠牲になっているのです』。
『現代のアクチュアルな問題』。シュヴァンクマイエルはこの「不正操作」の解釈を単に自作の創造行為にのみあてはめているのではなく、現代が抱える様々な矛盾や権力・暴力にまで拡大して、引き上げて捉えているだろうことは容易に想像できる。

2019.2.17

TEXT 「不正操作」とファウスト-1

ヤン・シュヴァンクマイエルの作品を初めて観たのは、もう30年近く前になると思う。札幌でアートフィルムかショートフィルムばかり集めた作品の上映だったと記憶する。その時シュヴァンクマイエルのみでなく、他にブラザーズ・クェイの作品も印象に残っている。ヤン・シュヴァンクマイエルはチェコの映像作家で、クレイのコマドリを始めとして人形のコマドリ、アニメと実写を組み合わせた映像を多く生み出している。私が初めて接してから数年後にシアター・キノ(当時まだ数席しかない超小型の映画館)で上映された『悦楽共犯者』(1996年)を観た時の強烈な印象はいまだに忘れていない。初めて観た作品は『男のゲーム』(1988年)だが、クレイで作られた人の顔がインモラルな方法でゆがめられ、破壊される。グロテスクだがユーモアも内包されている一方、構成が一定の法則に沿っていて、よく練られた創造物であることが伝わってくる。一方『悦楽共犯者』は、クレイの表現よりは実写のコマドリが多く、内容は男の「悦楽」のために工夫された、いわば他人には「無害」だが個人的な「装置」の創出の自由さが表現されている。ここで繰り広げられる「サド」と「マゾ」の交錯は、現代を生きる私たちの隠された「悦楽」表象に転化される。そしてブラックでグロテスクでありながら、ユーモアとタブーを同時に「湿った」画面に貼り付けられ、他では出くわすことのない圧倒的なオリジナリティを見せつけられる。
公開の場で観たのはこの二つの作品だけで、他はDVDで多くが入手でき、私もほとんどの作品を観ることができた。なかでも『ファウスト』は他とは若干趣向が異なるように感じる。多くの他の作品は「内的」あるいは「スタジオ的」印象だが、『ファウスト』だけはもう少し「開かれた」感じがある。この作品に絡めて、ゲーテの作品で良く知られるドイツの『ファウスト博士』の伝説、そしてシュヴァンクマイエルのこの作品におけるいくつかの言説、撮影日誌などから彼がキーワードとして頻繁に登場する「不正操作」という語を作品としての『ファウスト』を軸にしながら考えてみたい。・・・(続)

2019.1.2

TEXT レクチュール1題

筒井康隆の現在新刊として入手できない長編や短編集をまとめた〈筒井康隆コレクション(全7)〉を購入して、そのまま手を付けず1年以上経ってしまい、この連休を利用して第1巻を読んだ。第1巻には全部で4作収録されおり、どれも初期のもので、SF作品だ。そのうち『48億の妄想』は筒井康隆らしいユーモアと知が詰まったもので、しかも内容が面白いだけでなく、半世紀後の今現在書かれたものではないかという錯覚に陥る。編者である日下三蔵による解説を抜粋すると、『『48億の妄想』の世界では、テレビがすべての価値観を左右している。有名人には無線式のテレビカメラ「カメラ・アイ」が張り付いていて常に演技を要求されるし、一般人でもひとたびテレビに出演することになれば、タレントとして大げさな振る舞いをするのが当然という社会だ。この作品の世界と我々が暮らす現代社会との類似に驚くしかない。都会では町中いたるところに監視カメラがあるのが普通である。何か事件があれば一般人が携帯電話で動画を撮影し、それがインターネットにアップされて拡散する。昨日まで無名であった人が、マスコミに取り上げられると、有名人の仲間入りだ』、というように、読んだ者誰もが現代の作品である感覚に陥る。

具体的に興味深い文を2つ取り上げる。

 

『どうしてなのかしら?私、今の社会って、お芝居みたいな気がしてしかたがないの。いつからそんな気がしはじめたのか、自分じゃぜんぜん、わからないのよ。本当の社会生活ってものが、別のどこか遠いところにあって、現実の社会生活は、本当の社会生活をカリカチュアライズしたものに過ぎないという気がするの。人間的なものがなくて、皮相で、嘘みたいに思えるの。あなたはそんな気がしない?一度も、そう感じたことない?』

 

『大昔は、旅をするのは死地に赴くことだった。そしてそこから不穏な思想を、自分たちの安定した社会に持ち帰り、それによってその社会を進歩させた。だが今では、戦争に行くのさえ観光気分なのだ。観光旅行社クーポン券さえ買えば、エキゾチックな局地戦の光景が簡単に楽しめるはずだとさえ思っているのだ。現代では旅行者はいない、あるのは観光客だけだ・・・と、折口は思った』

 

半世紀も前の記述だ。一つ目の『あなたはそんな気がしない?一度も、そう感じたことない?』という言葉は、自分に問いかけられているようだ。SF作品とはいえ、いや優れたSFだからこそ、突飛で唐突、非現実というものを超えて、ある時代を共有した人たちの枠組みを外すことなく、共通言語で過去と現在を結びつける。