2020.7.23

TEXT 「未成年」 いかに脱却するか

以前新聞のコラムかなにかで、作家の井上ひさしだったと思うが、彼がかつて新聞の全紙面を一字一句残さず読んだことで気づいたことがある、ということが書かれていたことを記憶する。それは『(紙面の)言葉はすべて脅しの言葉(脅し文句)でできている』という彼の発言を紹介したものだった。「自分がそう思った」、ということに対してそれは個人の考えだから何を考えても自由なのだが、その発言すべてを承知していないということも踏まえても、井上ひさしが本当にそう考えたとするなら、そこには何か作家という職能の欺瞞のようなものを感じる。紙面の一部、例えばこの記事のこの政治家の発言に対して、あるいは記者のコラムの一部について、など部分を切り取っての発言ならわかるが、例えば読者欄の投書の内容にも「脅し」は感じられるのだろうか。4コマ漫画から「脅し」を感じるだろうか。作家という職業の人、為政者など言葉を重んじる人たちはその影響力を絶えず頭におくことが求められるのではないか。しかし一方、この発言の記憶を端緒に、この「脅し」ということを考えると、それはかなりの拡がりを展開する。

私の感覚としては、「日常生活」ということに関していえば、そのほとんどは「脅し」あるいは「脅し文句」で成立している、といっても言い過ぎではない。朝、目が覚めてすぐ、そして仕事が終わり就寝するときまで、それは成立する。目が覚め、まだ起きたくないと思っても、それは許されないのは多くの人が承知のことだ。なぜならそのまま寝てしまっては、会社に遅刻するか、仕事が遅れるからだ。出勤途中制限速度を大幅に超過して運転すること、バスレーンを走行すること。会社や組織での上司、顧客からの指示、依頼など。仕事が終わり帰宅し、ポストを開けると固定資産税の納付書が入っている。食事も好きなものを毎日食べるわけにもいかない。あまり夜更かしできず、いつもの時間に就寝する。これらのいわば生活の「日常」には、そのほとんどに「脅し」が内在する。つまり「もしそんなことをすると、こうなるぞ」・・・「遅刻すると・・・」、「固定資産税を払わないと・・・」、「好きなものばかり食べていると・・・」の続きの言葉は自明であろう。日常の大半はこのような状況のなかで過ぎていくと言っていいのではないか。この「脅し」という言葉に馴染めないとするなら、「仮言命法」と煙に巻く言葉を用いてもいい。カントの「定言命法」、つまり『意志のみを規定し、その際意志が結果を生むのに十分であるかどうかを問題にしない』に対し、仮言命法とは『作用原因としての理性的存在者の原因性の諸条件を、結果と結果をもたらす効力に関して規定する』こと(『』内はカント著『実践理性批判』(以文社刊)より)。上記で列挙した「脅し」の「主体」は何かというと、会社、国家、制度などであろう。例えば税金を払わなければ国が「罰」を与え、それでもそれに従わなければ国が強制的に、いわば認められた「暴力」を行使することができる。合法的に「暴力」、具体的で物理的な力を使うことがみとめられている。つまり力の「主体」は「脅し」の効力を知っているからこそ「仮言」が成立するといえる。またこの「仮言」が成立するための条件にそれを受け止める対象もまたその効力を承知していないと、この「脅し」としての仮言命法は力を発揮しないということになる。つまり「罰」も「合法的暴力」も恐いという認識を。反対に「定言」は無条件、すなわち「もし」ではなく、対象の結果を問わない、注目しない、ということであるならば、その「命法」とはどんなことが成立しうるのか。つまり対象がその効力を予見しえない事態、意志が結果を生むであるかどうかを問わないということはどういうものであろうか。経験的ではなくアプリオリにその表象をその都度現前させ、行動を判断することはかなり難しいことでもある。日常においては年を重ねるほど経験に頼り、露骨な「脅し」をうまくかわす一方で、その経験から事態を予測する能力が自然に身に着いてしまうのも現実だ。これらのことは何か姑息でやはり目に見えない「何か」に対して辻褄合わせ的な態度のような感覚になる。

現下のコロナ禍において、このウィルスに対しては世界的にも一致した感覚、恐れを抱いているだろう。程度の差はあれ、「もし人との接触が多ければ・・・」というのは、今の時点では一致した「脅し」にあたると思うし、その結果どうなるということも当然予測できる。つまり「脅し」は効力をもって発せられている。人の行動を制限する都市封鎖、あるいは自粛などで対策が取られてきたが、問題はそれが解除された時に、人は意外にもそれを素直に受け入れ、あるいは歓迎するという態度を、普通のこととして受け入れている。つまり解除されたから外出しても平気なんだ、という感覚。しかし何かそこに違和感はないだろうか。つまりウィルスを発生させ蔓延させたわけでもない国や権力側が自粛を要請しようが解除しようが、基本的にこのウィルスの恐さを認識していれば各個人が自ら判断し行動していいようなものだが、日本はもとより世界的にも、いや日本以外の国の多くが、あたかも敵が消えたかのように、自身の行動を緩めているような印象を受ける。マスクを外し、積極的にレジャーや会合を楽しむ姿が報じられる。日本ではたしかに自粛が解除されると、個人の意志とは関係なく、それまで在宅勤務だったものが、会社の命令で出勤ということになり、満員電車の生活に戻るということもある。オンラインで授業を受けていたものが登校ということになる。それはその対象者の意志というより、やはり「力」ある者の意志が働いて、対象者はそれに従わざるをえない受け身の状況にあるといえる。「脅し」は各個人の生命と生活両面に直接響くという点で効力を発揮し、従わなければ「暴力」が行使される。一方で行動が制限されることに対し、特に外国では「自由」という言葉を持ち出し、デモという現象も起きている国もあり、効力が十分発揮されにくいということもある。いずれにしても、様々な事象があってもなおこの状況は続いている。

今年、年が明けてすぐにはこのような事態になるとは予見できなかったであろう。今年マックス・ヴェーバーの没後100年にあたるが、彼は当時流行していたスペインかぜによると推測される肺炎で亡くなったとされている。記念行事など中止されているそうだ。(当時クリムトやエゴン・シーレも同様ウィルスで亡くなっている)。今年刊行された政治学・政治思想史が専門の野口雅弘による『マックス・ウェーバー』(中公新書)に、ヴェーバーの用語で有名な「エントツァウベルンク」、すなわち「脱魔術化」、・・・魔術から解放、魔法が解ける、という語の紹介を元にカントの著書からの主張を引き合いに、以下のような記述がある。『カントは他人の指示を仰がなければ生きていけない未成年状態から脱することを「啓蒙」と呼ぶ。もちろん啓蒙には「知る勇気」という主体的な側面がある。しかし、カントが強調するのは、公衆が自由に議論するというプロセスのなかで生じる、互いに開かれていく経験である。「このように個人が独力で歩み始めるのはきわめて困難なことだが、公衆がみずから啓蒙することは可能なのである。そして自由を与えさえすれば、公衆が未成年状態から抜け出すのは、ほとんど避けられないことなのである」(『啓蒙とは何か』)とカントはいう。エントツァウベルンクもこうしたプロセスにおける「避けられない」出来事であるとすれば、それは「魔法が解ける」ということになる』。

国家や権力側からの指示がなければ生きていけない「未成年」の状態を、私たちは今実践してしまっているか、それを目の前に突きつけられている。しかしそこから脱すること、啓蒙を獲得するために、カントのいう「自由」を私たちが履き違えると、それは単なる駄々っ子と同じ振る舞いによって、国家による「脅し」が本当に効力を失い、互いに何の意味もないやりとりを毎日繰り返す事態に陥ることになってしまわないか。

「脅し」は決して権力者のみが使うのではなく、私たちも日常的に利用しているという前提、つまり「仮言命法」の授受で生きている、ということをあらためて認識するという現在を生きている。「上の者が下の者に」という原則は必ずしもないし、そこには「法則」といったものは存在しない。カントの『実践理性批判』から以下に抜粋する。『欲求された結果に関してのみ規定するとき(仮言命法であるとき)、実践的指令ではあるが、法則ではない。法則は意志を意志として十分に規定しなければならない。なぜならこれらの指令には必然性が欠けているからで、この必然性は、それが実践的である場合、感受的な諸条件(意志に偶然的に付着する諸条件)から独立していなければならない』。

2020.5.5

TEXT「軽さと重さ」-7

昨年(2019年)大規模火災にみまわれたパリのノートルダムの報道を見ていて、ゴシック建築のこの石造の建物で一体どこが焼けたのかと考えたが、木造の屋根の部分だったことが報じられ、建築を専門としている者として大聖堂に木造の部分があることを知らなかったことを恥ずかしく思った。一方この報道で思い出したある本がある。大学1年目で確か音響工学が専門の泉先生だったと記憶するが、その先生から薦められた本で、『カテドラルを建てた人びと』(ジャン・ジェンペル著、鹿島出版会SD選書)というものだ。当時それを読んであまり胸に響かなった記憶があり、今では内容もまったく覚えていなかったが、35年ぶりに本を開いてみると、意外にも付箋が貼られていた。本の章立てとしては、中世という時代背景や創造力についてなどとともに、建築家、石材関係の職業や彫刻家などの専門職などの文字が並列されている。付箋が貼られていた箇所の一つに、その建築家の章で著者がプラトンの『メノン』の一節を引用している箇所がある。それはソクラテスと奴隷(岩波文庫版の『メノン』では「召使」となっている)の対話である。内容は「2倍の面積をもつ正方形の作図法」についての対話だが、この本の著者によるとカテドラルを建てた技術者はこのような作図法を大学で学ぶこともできたし、またヴィトルヴィウスの建築書からも学べた、としているとともに、中世の石切工もこの建築書を明らかに知っていたとしている。また本書では、当時の建築家について、『現場で養成され、施工業者の仲介なしで工事を指導できた』とし、今の時代の建築家より勝っているとも書いている。その背景として建築家はその専門領域以外のあらゆるものに関心があったととれるスケッチブックが残されていて、『中世は現代のごとく分析と過度の専門分化の時代ではなく、総合を特色とする時代』であったと著者は評価している。当時のヴィラール・ド・オヌクールという建築家のスケッチブックがこの本で紹介されていて、木構造に関心をもっていたことに触れられ、当時の建築家には大工技術の深い知識が必要で、大工親方は石工親方に比肩する重要な職業だった、とも書かれている。ちなみにそのスケッチブックの内容が、「機械」「実用的な幾何学と三角法」「木構造」「建築製図」「装飾作図」「人物・動物作図」「家具・調度」「建築家やデザイナーの専門に関係ないもの」という8項目の題材に区分けされている。

前述のプラトンは中世からさかのぼること更に2000年ほどの人物だが、その時代古代ギリシャではパルテノンのような建造物があり、大聖堂とは違うが中世に劣らない技術と装飾美がうかがえる。古代テクネーはその表象たる遺産にその高いレベルと背景に存在するはずの高度なエピステーメーと分化されて、それぞれが定義づけられている。しかし中世の大聖堂と同じように、古代テクネーも当然その時代の高度な(そして今でもそれに頼り下敷きにしている高度な)分化されない科学的基盤と並行して世界がかたちづけられている。建築という分野において基本的なテクネーは2000年を経ても維持されて、現代においても同じである。しかし古代ギリシャと中世のエピステーメーは異なる。アメリカの評論家アート・バーマンは自著『ニュー・クリティシズムから脱構築へ』(未来社刊)のなかで、M.フーコーを『ひとつのエピステーメーが他のエピステーメーにとって替わっていく歴史を掘り起こしている考古学者』としている。フーコーは『知の考古学』の中でエピステーメーを『ある特定の時代において、諸々の認識論的形象、諸科学、またときには形式化された知識の諸体系を生み出すさまざまな言説=実践を統一する諸関係の総体』と定義している。バーマンによると、『近代的エピステーメーが発生してくるのは、表象不可能な実在が見出されるとき、世界の外貌の、組織されていると見える表面の「奥深い背後にあるものは何か」が問われるとき』であるとしている。建築を巡る現代の諸関係、背景は中世や、ましてや古代とは大きく異なるが、しかし一方で今の時代が当時より高度で複雑であるとは必ずしもいえないのではないか。いずれにしてもその時のかかえる問題は、何か普遍的で絶対的な『知』が解決するというものではなく、積み重ねられたものの経験と知それぞれの内的な言説の「言い換え」で時代の枠組みを維持し続けてきたとはいえないか。単に建築の問題を考えても、前世紀までのメソッドでは到底解決できない諸問題と切り離せない事態になっている。当然地球規模の環境問題と人間の生活スタイルや価値観の変化が大きいわけだが、生活スタイルはともかく前世紀ではあまり俎上にのせるような議題ではないものも、今ではまったく無視できなくなってきている。人間の生命に直結する根本的で緊急的なテーマであることから、ある程度の強制的な枠組みを甘受するしかないのも事実なのだ。それは狭義のデザインにも形として現れている。この時代のエピステーメーの今日までの言説を用いて、人はどれだけ新たな「知」を獲得し、不透明で不気味な表象に向き合い、実践するか。新しい「知」を伴った専門領域を獲得するか、ということに目を向けなければ古いエピステーメーがそのまま通用するほどの事態ではなくなってきている。カテドラルに匹敵するほどの規模の東京都庁の設計において、丹下健三はいわゆる狭義の建築デザインにのみ力を発揮したわけではなく、これを成立させる全体を包括する力をもっていただろうし、また代々木体育館は構造美といってもいいような先進的冒険の結集といえるが、しかしそれを成立させる具体的な施工方法については、やはりゼネコンが果たした力は大きい。一人の建築家がそれに首を突っ込む余地のないほどの、あるいは余計な口出しなど必要ないほどの技術をもっている。丹下健三にしても、構造のアイディアを出したとしても具体的な構造設計や計算、ましてや部材のひとつひとつの接合や細かい施工方法について指示を出していたわけではない。これほどの規模で、建築家でこれができる人はいないだろうが、だからこそ専門の分化が必要なのだが、しかしそれらに関心がないと設計段階でさまざまな方面から「無理だ」「できない」という言葉に、計画を諦めてしまうことも多いのも現実だ。今私が直面する規模の小さな建築物、ほとんどが住宅だが、それでもこの「無理だ」「できない」という言葉と常に相対して仕事をしているように思う。その中で実践として実現可能なメソッドを勉強し提供する能力を獲得しようとしている。

転換を要する大きなエピステーメーは、哲学に今の時代の、難解な言説ではなく、誰でも理解できる日常的な言葉で流布させる使命があるのではないだろうか。「ものを生み出せる唯一の存在」としての哲学者は、今の時代、新しいエピステーメーを「生み出す」責任を負っているのではないか。しかもそれは実践としてのテクネーを内包したものでなければならない。

蛇足だが、大聖堂というと、近年では小説としてケン・フォレットの『大聖堂』(原題The Pillars of the Earth)の12世紀のイングランドを舞台とした大聖堂建設を巡る壮大な物語があり、エンターテインメントとして堪能できる。

 

 

 

2020.4.5

TEXT 「音楽の状態を憧れる」-6

アメリカのオリジナリティ

音楽を聴けば、嫌なことも忘れる、などということはないが、個人的なことでも、また社会的なことでも、心配事があるときにはなおさら、それらが傍らにありながらも音楽は一時心に潤いを与えてくれる。

ピーター・バラカンの言葉を借りれば、とにかく『変』なのだ。スティーリー・ダンの曲を思い浮かべると、この『変だ』という文字が浮かび上がる。初めて聴いたのはもう20数年以上前のことだが、72年にでた最初のアルバム『Can’t By A Thrill』の1曲目『Do It Again』に対しては、この『変だ』という印象はなかったし、その後聴いている間はこの『変』という意識は頭にない。しかし他のバンドの曲との比較で考えると、たちまちこの『変』というイメージが湧いてくる。何が変なのかということを説明するのは難しいが、それはメロディラインやその展開、あるいは独特なボーカルとの関係など、よく考えると何か変だという程度なのだ。しかしその一方でこれだけ長く聴き続け、私にとって最も好きなバンドの一つにまでなっているのは、それは非常に心地よく耳に響くということともに、強力なオリジナリティを感じるということからくるのだろうと思う。

彼らの特徴が最もよくあらわれていると私が感じるアルバムは73年の2作目『Countdown To Ecstasy』で、これは最も好きなアルバムだ。彼らの曲をもし『会話』に例えるとすると、それは「自分が何か疑問を投げかけ、それに対して自分自身が曖昧な答えをする」というような奇妙な印象をもつ。この2作目のアルバムの2曲目『Razor Boy』は特にこのような印象が強く、また彼らの個性が最もよくあらわれている曲のように感じる。また他の印象としては、ひとつの曲にいくつかのメロディが混在し、それらが互いに本来違う曲のメロディであるにもかかわらず、無理なくつながり、全体としてまとまった感じを与えているような印象だ。それが最も顕著に、魅力的に、また中毒的に聴かれる曲に同アルバムの最後の曲『King Of The World』があげられる。ボーカル部分の最後は、その後絶対に忘れられない印象を残す。このアルバムはあまり商業的にはよくなかったらしいが、ドナルド・フェイゲンはもっとも好きなアルバムだと後に述べているらしい。その後もフェイゲン、およびウォルター・ベッカーの主導でアルバムが製作されたが、共通するのは先述の『変だ』という印象から、それが「中毒性を帯び、癖になる」という経験に変化し継続されるが、一方でサウンドに注目すると、静かだがその緻密さ、テクニックは、2人の妥協を許さぬある確信みたいなものが感じられる。難しい演奏を要求されたスタジオミュージシャンたちはその後、80年代にはほかのバンドでも力を発揮していくようになる。この独特の彼等の『音楽』は、イギリスのバンドとはまったく違った個性を発揮している。

私がこれまで音楽のことで書いてきたロック・ポップスでは、そのほとんどがイギリスのものだったが、アメリカのロック・ポップスもよく聴く。といっても、そのほとんどは60~70、80年代のものだ。脈絡はないがジャクソン・ブラウン、ザ・バンド、レオン・ラッセル、マーヴィン・ゲイ、ジミ・ヘンドリックス、グレイトフル・デッドなど今でもよく聴いている。80年代前後は時代の変化に伴い、音楽も長尺の曲は敬遠され、MTVなどビジュアルも伴った新しいメディアも意識され、またドラムマシンや打ち込みも多くなったが、それでもTOTOなどは今聴いてもあまり古さは感じない。60年代最後の69年はビートルズの『Abbey Road』が出た年だが、この年は歴史的名盤が多いといわれる。またウッドストック・フェスティバルも69年だ。ジミ・ヘンドリックスのウッドストックのライブアルバムは、その音響や録音の良さに驚かされるとともにヘンドリックスのどのスタジオアルバムよりも彼のギターの醍醐味が伝わる名盤である。またこの年にリリースされたアイザック・ヘイズの『Hot Buttered Soul』は、当時のLPレコードでA,B面それぞれ2曲ずつという構成で、アメリカでは珍しい長尺な曲が占めているにもかかわらず、大ヒットを記録した。それはそれまでのソウルの枠を超え、ジャズやポップスなどの領域を横断する「新しさ」が込められているということも大きな理由だろう。A面1曲目の『Walk On By』はバート・バカラックが作曲したものだが、64年にすでにディオンヌ・ワーウィックによるバージョンですでに大ヒットとなった曲だ。ヘイズのバージョンでは彼独自の世界観を醸し出している。しかしその一方で、バート・バカラックらしさが存分に発揮されているともいえる。アメリカ人のみならず多くの人の心に深く染み入る、郷愁を誘うような独特のコード進行とコーラスは、彼の作曲による他の多くの曲にも共通し、多くのカバーが存在する。例えば『The Look of Love』のような曲を思い起こさせる。彼もまたアメリカのオリジナリティの代表するような存在といえる。彼と似たような存在で、日本人の心に深く染み入るような作曲家を挙げるとすると、筒美京平がそのような存在にあたるように思う。特に私のような50代以上の人たちにとっては実感としてわかるだろう。バート・バカラックは2006年に『At This Time』というアルバムを出していて、エルビス・コステロやルーファス・ウェインライトなどがフィーチャーされた曲などもあり、聴き応えがある。とにかくバカラックらしさは健在で、しかし一方でサウンドはドラムルーピングなどプログラミングを駆使したデジタルデバイスと生のオーケストラがうまく融合した、バカラックならではの高度な専門領域を十分味わうことが出来る。このアルバムでもう一つの目玉はバカラック自身が作詞も手掛けているという点である。特に1曲目の『Please Explain』は『There was a song . I remember said ‘What the world needs now… Where is the love. Where did it go…』という歌詞で始まる。つまり『こんな歌があった。僕は思い出す。「世界に必要なのは・・・愛はどこへいったのだろう・・・」』と。これは65年に発表された、バカラック自身が作曲しハル・デヴィッドが作詞した曲『What The World Needs Now Is Love』のことを取り上げているのだが、バカラック自身が今この年齢、時代にあの時代のことを、半世紀を経て今度は彼自身の言葉で振り返り、そして問いかけている、『説明してくれ』と言っている、ということに大きな意味を含んでいる。しかしこのアルバムは決して郷愁としてではなく、今の最先端、誰も追いつくことができないほどの質の高さを堪能でき、私はこの年のベストアルバムとしてこの十数年よく聴いている。

ロックに戻すと、スティーリー・ダンと並び、ある意味『変』という言葉も当てはまる存在にトーキング・ヘッズがいる。しかし彼らの音楽の魅力を一言で言いあらわすことは難しい。フロントマンのデヴィッド・バーンの才能は、その知的で少し病的なボーカルとともに、独特なサウンドで発揮されている。『アメリカの』ということで書いてきたが、実は彼はイギリス生まれのイギリス人なのだが、幼少からアメリカに住んで、学生時代に知り合った友人たちとトーキング・ヘッズを結成したアメリカのバンドだ。彼らの音楽はブライアン・イーノのプロデュースの力は大きいが、それ以上にメンバーの個性は際立っている。特にどのバンドよりもいち早くアフリカのサウンドを取り入れ、エイドリアン・ブリューやロバート・フリップの参加などで個性的で先進的なアルバムを出している。しかしメンバー以外の力も大きいとしても、例えば特にティナ・ウェイマスのベースはもう一つのボーカルのように独特のベースラインを構成していて、これだけでも聴くに値する曲も多い。79年の『Fear Of Music』は、翌年の全編アフリカを意識した名盤『Remain In Light』につながるアルバムで、ミニマム的で先進的なアルバムとして、個人的に最もよく聴くアルバムだ。デヴィッド・バーンは87年の映画『ラスト・エンペラー』で坂本龍一らと音楽を担当しているが、メインの壮大なオーケストレーションの坂本による有名な曲とは全く趣が違う、もう一つの中国らしさを表現したバーンによる軽快な音楽も魅力で、ある意味この映画で彼の才能を再確認されたかたちとなった。2年前にソロのアルバム『American Utopia』を発表したが、これはそのままトーキング・ヘッズの新作としてもいいくらいの印象で、バーンの個性は全く変わっていないことを証明していて、非常によくできたアルバムとなっている。バーンだけでなくメンバー含めた彼らの都会的でアーティスティックな魅力はイギリスにはあまり見られない存在として、やはりアメリカのオリジナリティとして私は強く意識する。

 

2020.2.16

TEXT 「音楽の状態を憧れる」-5

ピンクフロイド/DISCOVERY

「DISCOVERY」はピンクフロイドのオリジナルアルバムをすべてリマスターしたボックスセットのタイトルで、2011年に発売された。以前のテキストでもとりあげたヒプノシスのストーム・トーガソンがアートワークを手掛けている。DISCOVERY、つまり「発見」という意味では、音がよりクリアになったということ以外、新たに発見したことはないが、最近発売されたCDとレコードで「発見」があった。CDでは77年のライヴ音源と、レコードでは74年のライヴ音源である。

77年のライヴ音源は『Live-IN THE FLESH TOUR1977』というタイトルで、アルバム『ANIMALS』と『WISH YOU WERE HERE』の、いずれも全曲が収録されている。オリジナルの『ANIMALS』は主にDOGS、SHEEP、PIGの3曲で構成されているが、中でもDOGSとSHEEPのいわば原曲にあたる曲、それぞれ『You’ve Got to Be Crazy』と『Raving and Drooling』が、74年のライヴ音源として発売された3枚組LPレコード『Live at Empirepool,Wembley,London,Nov16,1974』のなかで演奏されている。また同じく77年ライヴ盤に収録されているアルバム『WISH YOU WERE HERE』のうち、『Shine on You Crazy Diamond』のPart1~5及びPart6~9がパートに分かれず連続したかたちで演奏されている。つまり74年の時点でその後のアルバムに収録することになった曲の原曲が披露されている。ちなみにこのLPの最大の目玉は『The Dark side Of The Moon』の全曲が収録されている。それも当然「4人」のフロイドによるものだ。後年、R.ウォーターズが抜けてからの3人のフロイドでの全曲演奏は存在するが、やはりウォーターズの存在する演奏は非常に重い。ANIMALSの「原曲」に話を戻すと、77年のライヴ盤の演奏に比べ、印象としては少しやわらかいというか、どちらかというと60年代のサイケ的なモチーフもあり、ギルモアのギターもあまり強くない。SHEEPの原曲『Raving and Drooling』はリック・ライトのキーボードが柔らかく響き、歌詞も全くオリジナル版と異なる。DOGSの原曲『You’ve Got to Be Crazy』は、このタイトル名から歌詞が始まることもあり、馴染み深い印象もあるが、これも音としては柔らかい印象を受ける。この2曲の存在はCD『ANIMALS』のなかのライナーノーツで以前から知ってはいたが、実際にそれを聴いたのは初めてだった。その意味で「発見」といえる。また『WISH YOU WERE HERE』の『Shine on You Crazy Diamond』はオリジナル版では前半と後半に分かれていたが、これもこの74年のLPで連続して演奏されている。この時点ではパートに分かれていたわけではないということがわかる。連続されていることで1曲としてのまとまった印象を受け、ギルモアのソリッドで泣きのギターもなく、全体的に優しい印象を受けるし、前述したように60年代を感じさせるモチーフも残っている。これらの体験は「発見」であり、4人のこの時期の演奏のピークを感じる。ピンクフロイドはこの後、アルバム『The Wall』でのライヴを行ってはいるが、ウォーターズが抜けてからはギルモア中心のアルバムとライヴで、物足りなさが否めなかった。しかし今世紀に入って、4人のフロイドのライヴを目にする機会があった。2005年の『LIVE 8』で、この中で4人による演奏が実現している。これはDVDで観ることができる。4人のライヴはおそらくこれが最初で最後であったと思うが、今ではリック・ライトも亡くなっていることだし、それも望めない。『LIVE 8』は世界9か国での音楽イベントで、P.マッカートニーやU2、ザ・フーなど多くのアーティストが参加している。LONDONの会場では「とり」のマッカートニーの前にこの4人のフロイドが演奏している。『The Dark side Of The Moon』から『Breathe』、『Money』他『WISH YOU WERE HERE』と『Comfortably Numb』。『Comfortably Numb』の出だしのボーカルはやはりウォーターズでなければならないことを改めて実感する。『WISH YOU WERE HERE』もウォーターズのボーカルのほうがしっくりくる。昔からのフロイドファンなら涙が出るほどの感動だ。

近年はこうした昔のライヴ音源が多く発売されていて、あらたな「発見」がいまだにできることはありがたいことだと感じる。

2020.2.16

WORK – Representation 16,17,18

久しぶりにWORKに作品追加しました。

Representation 16のI邸は、以前の写真を入れかえ、庭がきれいにつくられた後に撮影した外観写真と一部内観を追加しました。内部で構造の梁材を表し、床材、家具はナラ材、壁は漆喰で、外装材は板張り、木製サッシとほとんどすべての素材を自然素材で仕上げた住宅です。

Representation 17は昨年竣工したリフォーム物件です。建物のかたちはそのままで、外装を断熱改修したうえに江別レンガタイルを全面に施しました。内部は床がナラのフローリング、壁は漆喰と、こちらもすべて自然素材でしつらえています。

Representation 18は過去に設計した物件、3件です。1と2はグループホーム、3は高齢者向けの共同住宅です。1はRC造3階建て、3ユニットタイプで、ゆったりとした明るい内部空間が特徴です。2は狭い敷地に建てられたRC造4階建てで、2から4階が各階で1ユニットのタイプです。写真は1階部分のホール空間です。スクラッチタイルを多用した重厚なつくりとなっています。また3は木造平屋で、グループホームではないですが、3ユニットの形式をとった構成で、写真は9世帯が利用するディルームのような食堂スペースです。化粧の柱や梁で和の感じを演出しています。

2020.1.4

TEXT レクチュール1題

なぜ今までこういう本に出会わなかったのか、と思わせるような経験はそう多くはない。黒川創の編集による『〈外地〉の日本語文学選2:満州・内蒙古・樺太』という本を読んだ。前回のように最近再読した本で『インドへの道』が収められた『E.M.フォースター著作集』第四巻に挟まれた「月報」に触れたことがきっかけだった。「月報」には黒川創による文章で、谷譲次の『安重根』という戯曲を読んで感じたことが書かれていた。彼は室譲二による優れた谷譲次論『踊る地平線』の一節を以下のように要約し、続けて日本文学についてのある問題点を指摘している。

『安重根は、近代・現代の日本人作家にとって、もっとも表現しにくい場所に位置してきたという。もし、日本人作家が、安重根に一体化することで伊藤博文・日本を全否定しようとするなら、そこには欺瞞が滑り込む。しかし、日本の立場を作家が全部背負って、安重根と朝鮮を否定することにも、文学の自立性はありえない。こうした困難は、かつての植民地支配に対する受け止め方を「謝罪」と「恐縮」ですませてきた、“戦後民主主義文学”のなかでも続いている』。

黒川はこの問題の所在を韓国のある文芸評論家の一文からはっきりさせられたという。それは『近代日本の文学が、フォースターの『インドへの道』にあたる作品を残すことがなかったという点、そしてもし文学が「個人単位または民族単位のもっとも繊細な触覚の一つ」、すなわち「モラルの尖端」だと言えるなら、それは加害というその事実自体によって、「モラルのある側面の崩壊または拘束」から免れられないはずだという点』である。つまり『侵略された側の「傷」とは別に、支配した側の「傷」、それに対する日本文学の想像力の欠如』に気づかされたという趣旨が、この数ページしかない月報に掲載されている。(『』内は月報から引用)

黒川創はこの問題への対処の一つの試みとして戦時下に「外地」と呼ばれた地域で書かれた日本語の文学を再発見する観点から、シリーズとして三巻分の選集としてまとめ上げている。私はその一つ、第二巻目にあたる「満州・内蒙古・樺太編」を読んだ。最初に「なぜ出会わなかったのか」ということに対して、いわゆる戦争文学に興味がなかったわけではなく、むしろ多くの作家、作品を読んできたつもりだった。例えばまとまったシリーズで十年くらい前に刊行された集英社版の「戦争と文学(全20巻)」は、多くの作家による、テーマ別にうまく選択されている。当時毎月配本され、そのときにすべて読み切ったが、先に指摘されたような視点で選択された作品はなかったように思うし、あるいはあっても気づかないということもある。例えば『〈外地〉の・・・2』に収録されている平林たい子の作品は『敷設列車』というものだが、『戦争と文学』シリーズでの「戦争の深淵」というテーマの巻で他の作品が掲載されている。実際この作品よりも『敷設列車』はこの巻に掲載された14作品の流れの中で、あたかもその一編であるかのような感覚で読むことができ、より胸に迫るものがある。この作品が発表されたのは1929年で、平林は1924年に約十か月間大連で過ごしたが、彼女が作家として満州に渡ったわけではない。彼女の生涯をここで要約するにはあまりにも無理があるので省くが、黒川の解説を引用すると『実作にあたっては、彼女が見知っていた馬車鉄道の苦力の労働と、鉄道の敷設というジャーナリスティックな素材とを、統合しながら創作されたものだろう』と書かれているように、現地での体験が作品に現実味を増している。

最初に取り上げた谷譲次の『安重根』については、まず安重根とは1909年にハルビン駅で、当時韓国統監であった伊藤博文を暗殺した朝鮮人であるが、黒川創は同月報で『この戯曲が私には面白かった。谷譲次は、ここで、いわば「英雄」ではなく「弱い」安重根、「憂鬱な」安重根を描いている。その弱さを通して「人間化」された安重根を描いている』と書いている。実際この戯曲を読んでみてそれがよく伝わってくる場面がいくつもある。安重根の台詞に以下のようなものがある。

『僕が伊藤を憎むのも、つまりあいつに惹かれている証拠じゃないかと思う。何しろこの三年間というもの、伊藤は僕の心を独占して、僕はあいつの映像を凝視め続けて来たんだからなあ。三年のあいだ、あの一個の人間を研究し、観察し、あらゆる角度から眺めて、その人物と生活を、僕は全的に知り抜いているような気がする。まるで一緒に暮らして来たようなものさ。他人とは思えないよ。この頃では、僕が伊藤なんだか、伊藤が僕なんだか・・・』(『〈外地〉の日本語文学選2:満州・内蒙古・樺太』黒川創編 新宿書房刊より)

私はこの戯曲の中で最も印象深く、またより現実感が伝わってくるのが、冒頭の場面で、ウラジオストックの田舎の朝鮮人部落で安重根が演説をしている場面である。周りに農民が集まり、ぼんやりと、倦怠そうに路上に立ったりしゃがんだりしているという設定で、安重根が力説している最中、女性や青年、子供などの個人的な会話が行き交っている。ある青年が『水か。待ってた。飲ましてくれ』と言うと女がそれに対し『冗談じゃないよ。お炊事に使うんだから』と返す。それに対しまた青年が『咽喉が乾いて焼けつけそうなんだ』とまた返す。こういったやりとりが、安重根の演説とは関係なく飛び交い、それでも彼は演説を止めず、またあまりにも雑音が多くなったときなど所在なく静まるのを待つ姿などが描写されている。戯曲は創作ではあるが、安重根という一人の人間像がくっきりと浮かび上がっている。それに加えて当時日本の占領下だった満州の社会の日常の一面も、安重根とは関係ない、政治的にも無関心な一般の農民の姿も、声を通して伝わってくる。今挙げたような例はこの戯曲を通して全場面で繰り広げられる。それは暗殺を企てる一人の狂気な孤独な人間像ではなく、彼とその周りの人たちの様々な声の上で、彼の姿が彼の意志の強さよりはむしろ弱さや周囲の一般の農民の感覚、人間らしさというものと同化している感覚すら抱くことができる。しかも本書では黒川創による細かい注釈があり、また後半は彼による詳しい解説があるため、当時現地で使われていた言葉や時代背景、歴史、あるいは作家自身のことなど知ることができる。それも各作品の面白さを高める重要な役割を果たしている。

本書での他の作品で樺太を舞台とした譲原昌子の『朔北の闘い』では、日本領時代の南樺太でのアイヌの暮らしの一端を知ることが出来る描写がある。

『柳やたもの茂った川っぷちからいつか虎杖の蔽い被さっている野の道へ出た。(中略)全くうんざりするほどの遠い道。いつかの日の暮れ方に外川の爺っこに連れられて帰った事のある道だ。この内淵川畔に、魚を捕ったり獣を撃ったりして暮らしているアイヌ達の所へ、部落の和人達は焼酎や黒砂糖を携えて行っては、彼らの鮭だの毛皮だのと取り替えるのであった。内縁川における鮭や鱒の漁獲は、樺太庁の特殊な土人保護法によって彼等アイヌにのみ許されてあった。しかしアイヌのいわゆる和人達は、みすみす指を舐ってひっこんではいない。そこで密猟が行われるのであった』。

文中の「和人」は「わじん」ではなく「しゃも」と発音され、アイヌ語でシャモルンクル(隣国の人)の略語で、非アイヌ系の「日本人」を指して言う言葉であるということも注釈されている。

また満州・内蒙古編では日向伸夫の『第八号転轍器』では、『なあに構うもんか、満語がいけねえんなら露西亜語はどうだ。なあリカベさん、その方がおめいにも解っていいだろう』という台詞のように、中国語のことを「満語」と言い、中国語という呼称は一種のタブーであったことも注釈されている。

同じ満州・内蒙古編で長谷川濬(しゅん)の『家鴨に乗った王』では、冒頭の書き出しが『王(ワン)は乞食である。王は生まれつきの乞食で、彼には両親は勿論、兄弟、その他肉親と名乗る者は一人もなく、文字通りの天涯孤独である』で、それに続いて王の身なりや生活など描写される。一見こういった書き出しだと、その後は様々経験を経ながら成長し、貧しさから脱却し、地位や金など何かしらのものを獲得してゆく一種の教養小説を思い浮かべることもあるが、これはそれに当てはまらない。変わらぬ王(ワン)の姿が映像として残る。黒川の解説によると、作者は満州映画協会の社員だったこともあり、『映像的、シナリオ的なイメージが、この作品のモダンな雰囲気を支えている。ことに終盤、王が末期の幻想に入っていくところで、家鴨の丸焼きのシルエットが、一転、よちよち歩きはじめるくだりは、一場のアニメーションとして描かれていると言ってもいい』。

他に詩もあり、また占領時の現地の暗い背景のなかでも、そこで暮らす人々、言葉が生き生きと描かれている作品ばかり収められている。

本書の編纂の基本として、植民地の現地人作家が日本語で書いた文学作品であること、植民地及びそれに準ずる地域に居住していた日本人作家の文学作品であること、植民地などへの滞在は一時的だが、その経験が作家の文学に深く根づいていると思われる文学作品、という三つの原則から構成されていることが編者である黒川による序文で明らかにされている。この第二巻の「満州・内蒙古・樺太編」の他、第一巻で「南方・南洋/台湾編」、第三巻の「朝鮮編」という全三巻でまとめられている。私は第一、三巻は未読だが、近いうちに読んでみたいと思う。

私はここで過去におかした日本の過ちと、現在におけるアジア諸国との向き合い方について何かを発する意図はない。戦争なら戦争というテーマにおいて、『〈外地〉における』という視点は、「与えられる」まで意識の上に上ってこない。日常生活において大きな出会いというのは、振り返ればいくつかあるが、それが人であれモノであれ、それによってモノの見方が変わったというより、それまで何か欠けていたものに気づかされるという程の出会いもある。本との出会いはもちろん偶然の場合も多い。今回取り上げたような「月報」という、ほとんど読まずに栞代わりか無視するか捨てるかくらいの扱いだったものから、その関連をたどって一つの意味に行き着くことも経験する。このような些細なことから自らの意識を引き上げるような出会いというものを、本から得られることが多いということも改めて実感した。

2020.1.2

TEXT 痩せた「便宜的」デケイド

近年読む本の半分近くは再読で、しかも30年以上前の学生時代に読んだものも多い。D.リースマンの『孤独な群衆』もその一つである。今になってこれを手に取ったのは、これも学生時代に読んだ山崎正和の『柔らかい個人主義の誕生』と『曖昧への冒険』を最近再読し、前者でこの『孤独な群衆』が取り上げられていることがきっかけである。『柔らかい個人主義の誕生』は、前半は『おんりぃいえすたでぃ‘70』と題されていることからわかるように日本版『オンリー・イエスタディ』の試みである。『オンリー・イエスタディ』はF.L.アレンによるアメリカにおける1920年代のアメリカ史について書かれたものであるが、『おんりぃ・・・』は書かれた当時の70年代の日本の同時代を扱っている。この章で日本の60年代、70年代という十年単位、つまりア・デケイドについて触れ、20世紀の先進国における、十年ごとの時代としての社会のとらえ方の関心の強さを論じている。ちなみに『オンリー・イエスタディ』は1920年代の十年間、その後発表された同じ著者による『シンス・イエスタディ』はアメリカの1930年代の十年間を扱っている。『孤独な群衆』はアメリカで1950年ころ出版されたもので、当時のアメリカ社会を、「性格」、「政治」、「自主性」の三つの章に分けて分析し、「他人指向」と「内部指向」をキーワードに、各章でそれぞれに該当する対象の比較で主に構成されている。著者が日本版の序文で、「アメリカ全体のことを書いているわけではないし、日本に当てはめて捉えてほしくない」と書いているとはいえ、それでも世界で現在でも版を重ね、読まれ続けているのは、読者がやはりそこに一定の普遍性を見いだしている故であろう。

20世紀はたしかに年代ごとの特色があり、また日本は世界の流れとは異なる特色もある。それらは周知のことでもあるので詳述しないが、では今世紀に入って2000年代、2010年代という各デケイドをそれぞれ一言で言い表すことができるだろうか。20世紀の動向とは異なる新たな世界的な問題も多く表面化され、また別次元の情報化の明暗も顕著になっている。これも誰もが周知のことである。では十年という単位を今世紀の現在で当てはめるのにはどうかというと、そこには少し違和感があるように思う。それにしてもなぜ20世紀はデケイドという「時代区分」がしっくりくるのか。いやここで「なぜ」という問いを発するのではなく、現実にそれが「機能」していたという事実から何が考えられるだろうか。

前述の『曖昧への冒険』で山崎正和は「歴史主義」という言葉から歴史のとらえ方について書いている。つまりランケとマイネッケ(両者とも歴史学者)によって名づけられた「歴史主義」とカール・ポパー(哲学者)によるヘーゲルとマルクスを代表とする新しい「歴史主義」を比較して、前者を「水平的」(多元的、個別的歴史像)、後者を「垂直的」(一元的、統一的歴史像)としている。つまり前者は『個々の歴史上の時代に最大限の独自性と固有性を認める立場』であるのに対し、後者は『歴史をひとつの全体として捉え、個々の時代をその一連の発展過程の段階とみなす立場』と捉える。山崎は本書で『「歴史主義」者は人間が第一義的にこの時代の子であることを主張し、行動の道標も判断の尺度もすべて具体的に時代の内側にあることを強調』していると書いている。先に「機能」という言葉を用いたのも「歴史主義者」に向けた言葉である。「歴史主義者」という言葉が本当に該当するものがいるのか、それが「水平的」であれ「垂直的」であれ、検証可能かどうか不問だが、たしかにその時代の枠組みから抜け出したり、時代の影響を全く受けずに行動したりすることは誰もできないだろう。思考や行動の背景に時代性があるのは否定できない。しかし例えば今年2020年になって、個人的にはともかく、社会として「これからの十年は何をしようか」と考えなければならない立場の人はそう多くはないのではないだろうか。あるとすれば顕著化した地球温暖化の弊害に向き合いながら各国がどのように進行の阻止のための対策を立て実行するかという世界的な取り決め、そして約束を果たしていくかということに対面する為政者、また彼らだけでなくもはや人類全体、特に先進国の人間、彼ら(われわれ)自身が該当し、大きな、また世界共通の克服しなければならないテーマとして前に立ちはだかるが、ただそれは時代区分としてのデケイドとはあまり関係はないし、これからの十年何をしようかなどといった悠長なテーマではない。時代区分は山崎の言葉を借りれば『人間が技術的にひとつの目安として有効でもある』。しかし『そうした時代概念は人間が生きるための便宜的な手段ではあっても、生きるための気力をかきたてる、精神全体の原動力となるものではない』。今振り返って2010年に、21世紀に入ってからの十年間のことをある特定の特色ある区分として考えた記憶はないし、一つの節目として捉え次の十年に向かって進む一歩などと考えることもなかった。それは個人的に学生時代を80年代から90年代に過ごした期間においても同じで、当時世界情勢は劇的に変貌し、それが精神的に、思想的に次に進む方向の指針になったということはない。つまりその渦中においてその時代を「垂直的」に俯瞰し、時代区分として確定化することなどできないし、あるいはその時代の雰囲気みたいな漠然とした空気を感じているに過ぎないなかで、来たる次の時代への気力として「時代性」が押し上げるということは少ないのではないか。

山崎正和は同書で次のように書いている。

あまりにも技術的な思想は価値観について無邪気であり、それゆえにかえって特定の理念を標榜する思想よりも一層熱狂主義に傾くという逆説を見せる。いつしか手段が目的となり、作業計画が至上命令と化して、人間の精神全体の大動員が進められたのであったが、現代はこの疑似的な熱狂主義の急速に冷却した時代だといえる。(『曖昧への冒険』新潮社刊より)

これは70年代後半から80年初めのころの文章である。つまり60年代、70年代の「熱狂主義」の時代と訪れた冷却時代を言っている。90年代は世界的にも情報化が急速に加速し、世界の勢力の構図も変化し、かつてのエキソチシズムは消滅し、世界共通の負債をかかえる一方でゆきすぎた愛国主義も横行している。60年代の高度成長期に馬車馬のように働いた社会が70年代で新しい価値を手にし、次のデケイドで消費を謳歌したという「機能」を経て、「では次の十年は」という意味でのデケイドはあまりにも無邪気な思考だ。

本書で山崎は以下のようにも書いている。

・・・交通災害も、過度の競争の弊害も、全体の社会問題としては将来に解決の道があるとしても、それがけっして自分にとって本質的な救済にはならないことを、現代人は感じ取ってしまったといえる。災禍の総量が減れば減るほど、例外的な奇禍にみまわれた個人は一層不幸なのであり、しかも、その犠牲者がほかならぬ自分である可能性は、誰にとってもいささかも減じたわけではないからである。そして、それを感じ取った人間は、もはや、時代の共同の理想に酔えないのはもちろん、たんに共同の苦痛をわけあうことを通じてすら、ひとつの同時代に参与して生きている実感を覚え難いのは、当然であろう。

今この80年当時に書かれた文章を読んでいると、現在「災禍の総量」は減るどころか、年々増加し、国内だけの問題ではなく、世界中で起こっている災禍のますますの脅威にもはやなすすべもなく、どこかで誰かが何かを毎日訴えている。この脅威は誰か特定の不幸ではなく、万人の不幸に陥っていることを感じ取っていながらこの時代の理想のたてまえと思惑、駆け引きにため息をつきながらも、それを次の瞬間には忘れ、同時代性とは関係ないレベルで同じことを繰り返しているのも現実だ。

今世紀に入って特に、いわば前世紀的デケイド観みたいなものに対する意識が薄くなってきても、前述した「垂直的」に上昇する「歴史主義」の構図のなかで、危機的な時代の位置づけをし、自己の存在との連関で日常の些細な自他の行動に各自が敏感にならざるをえない時代であることはいえると思う。それはもはやいわば「便宜的」なデケイドとの必然でなし崩し的な決別であるともいえるのではないか。

2019.10.26

TEXT 「作る人は自然存在ではない」

映画『燃えよドラゴン』の中でブルース・リーが自らの哲学を述べるシーンがある。有名な『Don’t think !』のシーンではなく、ディレクターズカット版で本編から削除されたシーンでの師との応答の場面である。師から『究極の技とは何か』という問いに対し『型をもたぬこと。優れた闘いとは遊戯のようなもの。しかし真剣に闘うべきもの』、続けて『敵が押せば引き、引いたら押す。好機が訪れても“私”は攻撃しない。流れに従うまでです』と答える。ブルース・リーは中国人ではあるが、アメリカ生まれでワシントン大学の哲学科を卒業している。専攻など詳細は知りえていないが、おそらく西洋の思想・哲学を習得する一方で彼は自らの思想を武道、少林寺を通して確立させたと推測される。学問が彼の思想に影響を与えたというよりは、武道家でありながら大学の哲学科へ向かわせた彼の志向そのものが、彼独自の思想を生み出すに至る強い意志を示している。この映画でのシーンによる彼の思想には、力があるものがその力(時にその力が凶器にさえなる)を誇示するのではなく、いかに制御するかということが含まれているように思われる。私たちの身の廻りでは、それとは反対に力を見せつけ、それを強引に押し付ける情景がいたるところで見受けられる。その力に説得力、理屈があってもなくても、あるいはそこに政治性があってもなくても、あるいは「そこには全く何の力もない力」といったもの、そういう「力」を様々な場面で振るう、あるいはそれを受けるということを多くの人が経験する。そしてその状態は普通化、日常化され、「力」の行使に慣れてしまっている。生活においても、仕事においてもそういえる。とりわけ仕事においては、利益、あるいはそれなりの企業にとっては貢献といったものを生み出すこと、成果が日常的に求められる。つまり何かを「作る」、「新しい発想をする」などといったことが求められる。

19~20世紀の思想家、田辺元は「力」について著書で書いている。

『他を作り変えるとか他を新しくするということは、かえって相手方を生かして、相手方を通じて、相手方自らが自らを新たにするように仕向けるということでなければならない』(岩波文庫『田辺元哲学選Ⅲ』より)。

田辺は「作る」という行為の中に「他者」という媒介をもちだす。他者を生かし、他者が自らを新たにするよう仕向ける。これは「私」自身が一人で力を行使するのではなく、他者との関係で、「彼」に力を託し、「彼」が力を発揮するということにつながる。そしてさらに「彼」は別の「彼」に力を託す。そのように「力」は広がり、「私」の容量をはるかに超えた「新」を生み出す「力」につながる。田辺の思想を穿ち、自分はそのように解釈したい。さらに続けて以下のように同書の中で書いている。

『力ずくで無理やり、へし折り押し曲げて自分の思うように作るということは真に具体的な意味において作り変えるとか創造するということではない。作る人というものは、もはや単なる自然存在ではない筈です。自然はどこまでも内在的な原理によって生成変化している。しかし作るものはそういう自然に対立して自然を支配することができる原理をもつものでなければならない。自然を支配することのできるような自己でなければならない。しかし自然を支配するといっても、それはわれわれが勝手に自然を支配するのではない。自然を支配するものはまず自然に従わなければならない。自己を自然に与える、自然に委ねることによって自己を媒介にして自然が新しく変わってくるということがすなわち私が自然を作り変えるということなのです』。(中略あり)

「作る人」という言葉を用いて、その彼は「自然存在ではない」とされ、そして彼は「自然を支配することができる自己」であり、「自然に委ねる」ことが大事であるとする。つまり先述した「他者」とはここでは「自然」に置換されている。「私」が力を発揮し「他者」である「自然」を生かし、「自然」が自らを新たにする。そしてそこには「力の関係」があるとする。

『力は不思議なもの。力というものは反対が、抵抗がなければ現れない。そこに不思議なことがある。力というものはいわゆる力ずくで、強い方が弱い方を滅却してしまおうとする、それが力の本性。しかし反対の力、抵抗を潰してしまったときには、同時に自分も無くならなければならない。だから力が働いているということは、力が自分自身抵抗を受容れているということがなければならない。抵抗を潰してしまって、反対を押切ってしまったら同時に自分の働きも止むのです。だから力学的な力の存在として自分があるということは、いつでも抵抗、すなわち自分に反対するものを認めてかかり、それを許しておくということがなければならない』。

田辺は「力」とは不思議なものであると前置きし、反対や抵抗があって力が出現し、つまりそれがなければ「自分」もなくなる。すなわち「自分」は反対や抵抗を受け入れなければ「自分」(の働き)もない。そして反対や抵抗を認めるということが大事なことだと説いている。

ブルース・リーに戻ると、彼の哲学、あるいは武道には、一般のスポーツにはない特殊な関係がある。一対一において、自己と他者は単に闘う関係ということだけではなく、まして単なる勝ち負けということが力の証明ということでもない。他者がいてはじめて自己があり、他者がいなければ、すなわち自己にとって反対の者がいなければ関係(試合)は成り立たない。だから試合が終わっても互いに礼をし、相手を敬う。例えば日本の相撲がわかりやすいが、勝敗は白星、黒星で表わされる。これは勝ちが白で負けが黒であることは間違いないが、むしろ白と黒は一体であり、「陰陽」に置き換えて考えられる。あるいは光と影ともいえる。光がなければ影もない。誰かにスポットライトがあたるということは、そこに影ができる。しかしそれは悪い意味の影ではなく、結局はその人を支える影の存在が浮き彫りにされるということにつながる。ブルース・リーは『敵が押せば引き、引いたら押す。・・・流れに従うまでです』という。この思想の根底には究極的には「他者」、「自然」に力を発揮させるという関係性を孕んでいるように思われる。

田辺の言葉を続けると、『自分を否定して、そうして自分に反対する相手方を許しておくということがある限りにおいて、同時に自分が力であることができる。人を制するとか、物を圧迫するとかいうような力というものは、単にそれだけでは本当の力ではない。真の力は何かといえば、自己を制する自制の力が本当の力である』(中略あり)。

武道に限らず、『自己を制する力が本当の力である』という田辺の言葉を、いつでも胸に留めておきたいものであるが、なかなかそうならないのが現実なのだが。

2019.10.6

TEXT 「第三項排除から運動としての貨幣」

『自然とは運動変化あるいは変化一般の始原である』と、アリストテレスが『自然学(第3章第1章)』の冒頭で書いている。この章の眼目は運動変化が2つの在り方で規定されるということ、すなわち「そのものの在り方を発現しきった状態であること」、そしてもう一つはそれとは対称的に「別の在り方への可能性をいまだ発現しえていない状態であること」ということを論述している点である。そして前者を「終極実現態」、後者を「可能態」と名づけている。一方別のアリストテレスのテキストでは「蓄財術」について、財の使用には二通りの仕方があるとしている。つまりそれ自体として使うその仕方が同じではないというのである。それを「固有」と「固有でない」と二つに区別している。具体的な例として「靴」を取り上げ、靴を使用するにしても、『靴を必要とする者に貨幣や食料と引き換えに靴を与える者でも、靴を靴として使用しているからである』(『』内岩波書店刊『アリストテレス全集17』より)としている。靴の製作は貨幣や食料との交換のためではなく、靴を履くために制作しているはずである。そして『蓄財術に属する売買術が自然にもとづくものではないことは明らかである』としている。

この「運動変化」と「蓄財術」に関するテキストの関連を,倫理学や哲学史が専門の学者、熊野純彦氏が『マルクス 資本論の哲学』(岩波新書)という本のなかで取り上げていて、経済学の立場ではなく哲学の視点でマルクスを捉えている。マルクスに関しては、個人的には若い時に第一巻(岩波文庫3巻分)を読んで、どうもよくわからなかったという印象だが、今その本を開いてみるとアンダーラインとそれらの文節を結びつける記号やメモ書きなどがあって、理解しようとした痕跡がある。つまり読んだ当時は丹念に読み込めば理解はできていたということはわかった。しかし一方でマルクスがこの本を書いてもう150年以上経ていてもなお読まれていて、あるいは例えばマルクス・レーニン主義という言葉から政治、とりわけ革命との関係からもいまだに様々なテキストで引用されているのは何故だろうとも思ったのも事実だ。『資本論』は副題が経済学批判ということからも、実践としてのテキスト(ロシア革命におけるマルクス・レーニン主義)であるとともに思想書としても取り扱われる。なぜ今でも『資本論』なのか、という漠然とした思いでいたなかで、この本に出会った。

今の時代、広い意味での貨幣の変化は急で大きい。電子マネーはいうまでもないが、仮想通貨まで存在する。仮想通貨の発想は昔からあったようだが、その問題も多いのも報道を見て誰もが知っている。またマイナーでは地域通貨のようなものもあり、そのどれも信用を失えば何の意味もないものに転落する。経済学者の岩井克人氏が『貨幣論』(ちくま学芸文庫)のなかで、『壱万円という数字が印刷されている一枚の紙幣をながめてみよう。それは、もちろん日本中どこでも一万円の価値をもつ貨幣である。だが、今度はその一万円を貨幣としてではなくたんなるモノとしてながめてみよう。そうすると、それはその立派な印刷にもかかわらず、それ自体としてはなんの価値ももたない一枚のみすぼらしい紙切れとして立ちあらわれてくるはずである』と書いているように、貨幣はその価値を失えばたちまち全く何の価値をもたないものに転落する。観賞用にでもなくトイレットペーパーにも使えない。(ちなみに本書でもマルクスの資本論が下敷きとなって論が展開されている)。

一方、故今村仁司氏の著作からキーワードとして「第三項排除」という思想があげられる。貨幣とモノとの交換の際に、第三項におけるスケープゴートの存在として貨幣を捉える考え方。また最初に戻って、アリストテレスの自然学と政治学から発展して、貨幣を「運動」として捉える考え方。この二つはマルクス、あるいは資本論を経済学ではなく思想・哲学として捉える考え方であろう。「運動」として例を挙げた「靴」を「貨幣」に転化させて考えると、靴は靴の機能をもったものとしてつくられるのに対し、貨幣は貨幣のためにあるのではなく、出来上がった靴がその人に機能的に満足された場合に交換可能な媒体、つまりスケープゴートとしてはじめてその機能を発揮するという点で「運動」においては「可能態」が「終極実現態」へ移行する、つまり運動の中にあるということがいえる。自然における運動はこの貨幣のみでなく、様々な状態で起こりえる現実がある。つまりそこにあるものが、そこにあるだけでは機能を発揮せず、何らかの状態にはまったときにのみ「発現」する。アリストテレスの『自然学』のなかでは、建物の建材についてもわかりやすく例をあげている。建材は建物の一部となって初めてその価値を発揮した状態になる。しかし建材はスケープゴートとして製作されたものではなく、その意味で貨幣は極めて自然の状態ではない状態が自然の状態であるし、その運動状態が極めて激しいモノであることが貨幣の特殊性を際立たせているといえる。

2019.9.23

TEXT 「長いモラトリアム期のアフェイジア」

タルコフスキーの映画で『鏡』か『ストーカー』のどちらだったか覚えていないが、冒頭でいわゆる吃音の青年が「治療」を受けるシーンがある。吃音は文学においては、三島由紀夫の『金閣寺』の主人公の特徴の一つとしても有名であるが、現実に自分の身の廻りでも存在した。その程度も軽いものから重度のものまであるが、いずれも言葉を発する際の何らかの障害となっている状態であるように受け止められる。しかし言葉を発する際に、なかなか適切な言葉が浮かばずに口ごもってしまうことは誰にでもある。それは特に子供の頃はなおさらであり、同年代同士よりは大人との関係で、いわば言い返せない状態となってやむなく言うことを聴かざるを得ない状態に陥り、そうして内部で不満が堆積していくようになる。それはその結果として吃音の状態を招くよりはむしろ長く失語的な状態に陥ることもあるといっていいのではないか。障害としての失語症(アフェイジア)というよりは一定期間の長い失語状態を招くとでもいうか、私は内面的にこの状態との闘いを受け入れてきたように思う。その闘いとは言葉を発する際に、適切な言葉を探し、選び、組み立てるという行為、思考のことである。

ロシアの言語学者ロマン・ヤコブソンは著書のなかで、「ことばにおいては、一定の言語的実体が選択されるとともに、それらがより複雑な言語単位へと結合されている。語彙レベルでは、これは一目瞭然である。話し手は語を選択し、それらを、自分が使う言語の統語体系に従って結合し文にする」と書いている。この文のみではいかにも当たり前のことを言っているようにみえる。彼によると「言語記号はどんなものもこの二つの配列の様式をもつ」とし、結合については、「どんな記号単位も同時により単純な単位にとってのコンテクストとなっている、および・またはより複雑な言語単位のなかで自身のコンテクストを見出す。そのため実際に言語単位を群にまとめると、つねにそれらの単位はより上位の単位になっていく。結合とコンテクスト化は、同じ操作の二面にほかならない」とし、選択については「交替要素のあいだの選択は、ある交替要素を、ある点では等価であり他の点では異なる別の交代要素の代わりに用いることができることを前提にしている。実際、選択と代置は、同一の操作の二面である」としている(文中の引用は平凡社刊『ヤコブソン・セレクション』より)。

諸記号は互いに結びつき、内部にコンテクストを構成する。また記号は等しい物と交換され、異なるものと交換され、さらに結びつきを選択しながら、あらたなコンテクストを構築する。幼いころから無意識のこの行為、思考を試みながら、挫折を繰り返し、頓挫し、また人によっては囚われの身のように自分を縛り、失語症のように内部に破滅的なコンテクストを閉じ込めてしまう。ヤコブソンは「失語症」について、その障害のあらゆる形式は「選択と代置の能力」か、「結合とコンテクスト化の能力」のいずれかの多少なりともの「損傷」としている。「選択と代置の能力」の損傷は「メタ言語的操作の低下」とし、「結合とコンテクスト化の能力」の損傷は「言語単位の階層制を維持する能力の損傷」とし、前者を「類似性関係」、後者を「近接性関係」、それぞれの抑制とし、「隠喩は類似性障害と相いれず、換喩は近接性障害と相いれない」としている。以下にこの「隠喩」と「換喩」について著書から抜粋する。

『言説は、二つの異なった意味的回線にそって展開しうる。すなわち、ひとつのテーマは、類似性を通してか、近接性を通してかのいずれかで、もうひとつのテーマへと移っていく。それらは、前者の場合は隠喩的方法、後者の場合は換喩的方法と名づけるのが、もっとも適当であろう。両者はそれぞれもっとも凝縮された表現を隠喩と換喩に見いだしているからである』。

ヤコブソンは類似性関係と隠喩的方法、近接性類似と換喩的方法を結びつけて、失語症はどちらか、あるいはどちらもが制限される状態であると説いている。つまり「メタ言語的操作の低下」は隠喩的方法において、「言語単位の階層制を維持する能力の損傷」は換喩的方法、それぞれの抑制と言い換えることができる。

会話の中で、ある単語に対して反応する場合、例えば「今日」という単語に対して、「今日は疲れた」、あるいは人によっては「TODAY」というタイトルの曲を連想したり、または「明日」や「昨日」といった「時間」を連想する。そうして発生したそれらが無意識に互いに反応し合って、内部で自分なりのコンテクストを構築する。内部で隠喩と換喩が交錯しながら会話が成立し、発展する。しかし言葉に異常に執着するような時期にその言葉ひとつにとらわれ、隠喩か換喩のどちらか一方にのみ突き進んでしまうということがある。また一つの単語の意味を深く考え込み、あるいは「本当にこの言葉は適切なのだろうか」と考え込んでしまうと、その先の会話がおかしなことになるか、あるいはまったく成立しなくなってしまう。そうして会話をすること自体を障害に感じてしまうということに陥る。しかしそれはある一時期、そういう経験を経て、その呪縛のようなものから脱すると、必ずしもその失語的期間は無駄とはいえず、むしろ有益であったことに気づくことになる。よく口八丁手八丁や軽々しく言葉を使う人を見かけることがあると思うが、表面的にはともかくコンテクストをよく吟味して、自分なりの言葉の置き換えと解釈をすることを通して、新たなコンテクストを発掘する操作ができるようになれば、個人的には会話における失語的状態に陥るような心配は必要ない、と自分に言い聞かせるにはかなりの時間を要した。