2018.6.10

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 – 9

森有正の「経験」は「体験」の概念と両輪をなす。著書『生きることと考えること』の中で、その関係を書いている。
『人間はだれも「経験」をはなれて存在しない。人間はすべて、「経験を持っている」わけですが、ある人にとって、その経験の中にある一部が、特に貴重なものとして固定し、その後の、その人のすべての行動を支配するようになってくる。すなわち経験の中のあるものが過去的なものになったままで、現在に働きかけてくる。そのようなとき、私は体験というのです』。(『生きることと考えること』講談社現代新書より)

「特に貴重なものとして」の経験は、誰にでも多かれ少なかれあるだろう。私が幼少期からまとわりついていた「暴力」の感覚に関連して、成人してから最もインパクトが強かったアート経験がある。もう二十年くらい前になるが、当時小樽にペテルブルグ美術館という、石造りの歴史的建造物(銀行)を改修した美術館があったが、そこで「ヘルンヴァイン展」が催された。ヘルンヴァイン(ゴットフリート・ヘルンヴァイン)はウィーンの芸術家で、70年代ロックが好きな人なら、スコーピオンズの「ブラックアウト」というアルバムジャケットの絵といえば覚えがあるかもしれないが、それがポップな部類では有名な作品である。ジャケットの絵は頭に包帯を巻いた男が両目にフォークをメガネのように覆って、口を開けて振り向き叫んでいるようなショットを表現したものだ。全面にはガラスが割れて飛び散る瞬間を効果的にかぶせている。かなり異常な絵である。スコーピオンズのジャーマンロック、ジャーマンメタルにふさわしい、「遊び」のないハードコアなものを内包した狂気とよく合ったものだ。もともとこの絵は、彼(ヘルンヴァイン)自身がそのモデルとなり撮られた多くのスチールのショットがあり、その一つを当時のスーパーリアリズム、ハイパーリアリズムの手法を使って、すなわちエアブラシも駆使しながら書いたもので、写真のような質感だがリアリズム絵画とわかる作品だ。展示会でもこの絵を見たが、思ったほど大きなサイズではないことにむしろ驚いたが、それよりも他の作品を通して観たのは初めてだった。美術館は一般の美術館とはつくりが違い、内装も非常に凝ったもので、ヨーロッパの様式に倣ったような重厚で様式的なつくりで、絵画を一層引き立てる役目を果たしているというより、絵画と同等の作品性を維持している。(私は現代の白一辺倒の内装の美術館に違和感を覚える)。
ヘルンヴァインの初期の作品、パフォーマンスには、キーワードとして「包帯」、「血」、「少女」、「フォーク」、「ナチス」などを作品集から読み取ることができる。先のスコーピオンズの「ブラックアウト」も含まれる。作品集というスチールでしか享受できなかった当時、その中の異常とも思えるパフォーマンスに魅力ある「暴力性」を感じた。自己表現が今まで見たこともない「図」として現前し、それと卓越したドローイングの技法の迫力は、例えると稚拙なメソッドで作ったデスクトップミュージックのような素人的で甘い感性など寄せ付けない迫力が伝わる。展示会とともにそのとき購入した作品集のインパクトはもう20年経た今でも私を突き動かす原動力になっている。
迫害にあった少女たちの顔の絵が迎える建物の小さな入り口を入ると順路に従って作品を鑑賞できるようになっているのは他の展示会と同じである。歩を進めると、様々な作品が観者を迎える・・・徹底的な「暴力性」をもって。2畳分くらいあったろうか、2枚の絵と写真が並んで配置されていた。それはゴルバチョフのモノクロの「顔」である。どちらが写真で描いたものか、10㎝まで近づいて視てもわからない。ナチスの腕章をつけた作者自身の血に染められたパフォーマンスの写真。他、今思い出すとミッキーマウスなどよりポップなものを題材としたものもあったが、順路の最後にまさに時が止まったかのような瞬間で作品は完結する。『少女の頭』。息をのむ圧倒的な迫力で、縦横4~5mくらいはあるだろうか、目を閉じた少女の顔のスーパーリアリズムが迎える。建物の吹き抜け空間を利用した巨大なこの作品に私は理屈を超えて胸をうたれ、そしてこの言葉をもたず語り掛ける圧倒は、まさに理想の「暴力」であった。なんの前触れもなく、空間と感情を完全に支配した完全性に、今後の自分の仕事に対する姿勢、大げさに言えば生き方を暴力的に方向づけられた。この「暴力性」に対して、今まで漠然と考えていた「暴力」の概念を入れ込む作業が今後できると確信した。私は仕事を通して「これ」を作ろうと決意した、ことを忘れないように生きてきた。誤解のないように念を押すが、私の言う「暴力性」とはあくまで腕力のそれではない。
こういった経験は、もう20年余経て今に至るので、過去とはなっているが、森有正のいう固定した「経験」、すなわち「体験」と化している。しかし森有正は先の本の引用の続きで以下のように書いている。

『それに対して経験の内容が、絶えず新しいものによってこわされて、新しいものとして成立し直していくのが経験です。経験ということは、根本的に、未来へ向かって人間の存在が動いていく。一方、体験ということは、経験が、過去のある一つの特定の時点に凝固したようになってしまうことです。(略)これは一種の経験の過去化というふうに呼ぶことができましょう。過去化してしまっては、経験は、未来へ向かって開かれているという意味がなくなってしまうと思うのです』。(森有正 同書より)

確かに私の「体験」は固まってしまって、拘泥しがちに陥るが、この言葉をもって、より柔軟に仕事をするよう心がけるようになっている。いや柔軟という言葉は適切ではないが、建築に限らずどんな仕事でもこだわりをもっていては社会で排除されるだろう。こだわりは本来「いい意味」ではない。拘泥することなのだから、それを捨てなければ誰もついてこなくなるだろう。経験を過去化し、固まった体験を常に更新するよう開かれた、そして発見と実験の精神を持ち続けることが、特に私たちの世界ではよりクリエイティブな仕事をするうえで大事になってくるのではないだろうか、ということをよく考える。

再びブランショに戻り、主に文学論で構成されたテキスト『終わりなき対話』(Ⅲ)へと進めたいが、その前に視覚から聴覚へ、ヘルンヴァインからデヴィッド・シルヴィアンへ・・・進化する音表現について。
・・・10へ続く

2018.6.9

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 – 8

『読書する暇つぶし屋を、わたしは憎む』

様々な言葉、箴言が私を戒める。
ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫版)の第一部「読むことと書くこと」で、氷上英廣が訳したのは「暇つぶし屋」で、他の翻訳では「怠け者」など、多少の違いはあるが、若い時代に出会ったこの言葉に、まともに字義通りに受け止めていたとしたら、少なくともこの30年はおそらく乾いた砂漠の中を歩いているような思いをしたか、あるいは逆に何も知らない無邪気で潤いのある生活を送っていたかもしれない。しかし私はこの言葉を胸にとめておきながら多くの本を読んだ、ように思う。本を読む、読書するという行為は誰にでもできそうだ、が、誰にもできない、誰にでもできるというわけではない、と思うようになっていた。私の経験に照らしても、読んだ本のほとんどはその内容は覚えていない。つまり読んだという確証がない。しかし、過去に読んだ本のページを繰ってみると、そのほとんどに付箋やアンダーラインをしている。さらにその箇所を眺めてみると、なぜこのときここに線をひいたのか、このページに付箋を貼ったのか、疑問に思う箇所も多い。しかしそれでも昔の日記を紐解くように、次第にその時何に敏感で、興味があったかなどがよみがえってくることもある。また一度だけでなく何度も繰り返し、何かの節目で読んできた本も多い。例えばドストエフスキーの『罪と罰』、『悪霊』、漱石の『吾輩は猫である』、『坊ちゃん』、あるいはフォークナーの『八月の光』や『響きと怒り』は何度読んだか数えられないくらいだ。それでも読むたびに発見がある。そうして、その発見した言葉、胸に響いた言葉を忘れないようにノートに書き留めておく、という行為をずっと続けてきたが、それはほとんど習慣というか、食事や歯を磨くなどといった日常のルーティンに近い感覚で続けていた。つまり大げさに言えば人生において必要な行為となっていた。本を読むという行為は、あるいはその行為から、様々な意味をくみ取ることができる。人によっては内容はともかく、その読んでいる時間そのものが大事であったり、集中力を養うため、あるいは気を静めるため、など目的はさまざまであろうが、やはり私にとっては前述のように、どんなテキストからも一つは胸を打つ言葉があるから、あるいはあるかもしれないから読書をやめられないのだ。「読書する暇つぶし屋」と皮肉られようがかまわず、むしろそれを積極的に受け入れることにし、そしてそれを戒めとすることも忘れないようにしてきた。
ニーチェの『ツァラトゥストラ』に戻ると、本テキストの冒頭の言葉の前後は、以下のようなものである。

『すべての書かれたもののなかで、わたしが愛するのは、血で書かれたものだけだ。血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。他人の血を理解するのは容易にできない。読書する暇つぶし屋を、わたしは憎む。読者がどんなものかを知れば、誰も読者のためにはもはや何もしなくなるだろう。もう一世紀もこんな読者がつづいていれば、-精神そのものが腐りだすだろう。誰でもが読むことを学びうるという事態は、長い目で見れば、書くことばかりか、考えることをも害する』。

この内容についてよりも、今はこれを契機として、「読書」経験とはつまり本を読んだということと同義ではない、つまり私にとって本を読んだ、ということはすなわち「書くこと」と同じ意味になるということだ。先述したように、本をよみ、何かを発見する、知らなかったことを知る、このことによってあらためて自分の無知を自覚する。そして闇の中から何か実態のつかめない、自分で枠にはめたものをとりだし、さらにその中から自分で咀嚼できるものを選ぶ。そして、日常のなかのなんでもない非日常を拾い出し、異化する。そうして無限の曖昧からかってに絞られた領域をつまみだす。こうした行為に対し衒学的でスノッブだと批判的し、馬鹿にし、むしろ超然としているのは簡単なことだが、恥を受け入れ、無限の無知を積極的に受け入れてこそ、無限と思われていたものが限界を意識するようになるのではないか。
このようなことを取り上げたのは、言うまでもなく森有正の「経験」とブランショの「限界」について、私が普段思っていたこと、つまり「経験」とは森有正の言うように、『ある根本的な発見があって、それに伴って、ものを見る目そのものが変化し、また見たものの意味が全く新しく』なり、『経験が深まるにつれて、あるいは進展するにつれて、その人の行動そのものの枢軸が変化する』、ということ。そして『この発見、或いは視ることの深化更新が、あくまで内発的なものであって、自分というものを外から強制する性質のものではなく、むしろ逆にそこから自分というものが把握され、或いは定義される』ということを。自分の身近な日常を契機に考えてみた。
またブランショの『終わりなき対話(Ⅱ)』の訳者、西山達也が指摘するように、『ギリシア語で「経験」を表すempeiriaにも、「試し」「実験」等を意味するperiaという語が含まれており、さらにこの語には「境界」「限界」を意味するperasと共通の意味等が含まれている』ということを考えると、私は「経験」「実験」「限界」という言葉が一体となって様々な解釈の、そして行動の動機付けとなる。「experience」(経験)は「experiment」(実験)を通して物事を実証しようと企て、その限界、領域、枠組みを見極めようとする。無限の曖昧さから限界のひとかけらをつかむ。そしてますますわからないことが多くなることを実感する。このような繰り返しを積むことそのこと事態が「経験」なのではないだろうか。
ブランショは『終わりなき対話』の中で、以下のように「限界―経験」について書いている。
『限界―経験とは、人間が自己を徹底的に問いのなかに投入しようと決意したとき、その人間が出会う応答のことである。こうした決意は人間の存在総体を巻き込むのであるが、この決意は、たとえどのような慰めであれ、どのような真実であれ、そこに足を停めることはできないという不可能性、さらには、行動のもたらす利得や結果であれ、知と信による確実さであれ、けっしてそこにとどまることはありえないという不可能性を表現している』。(ブランショ 『終わりなき対話(Ⅱ)』筑摩書房刊より)
実験を試みて初めて「応答」に出会うものだ。「問い」に身を投げる決意をもって、自分をとどめさせないというスリリングな覚悟をもって「経験」の薄皮を毎日はがす作業を繰り返す。
・・・9へ続く

2018.6.3

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 – 7

私が所属する業界、建築界では、設計、施工だけでなく、設計においても構造や設備、外構等の専門領域、他建物の規模にかかわらず多くの人がかかわっている。基本的に設計においては有資格者でないと設計はできないのだが、資格がなくても設計ができる能力を有する人は多い。逆に資格はあるが能力がない人も多いのが現状だ。どんな業界でもいえることかもしれないが、実務を多く経験した人は自信があり、説得力もある一方、経験したことのないことに関しては曖昧な対応をするか、経験に照らして予測して対応する人などによく出くわす。建築の技術的なことに関して単に経験のみに基づいて行動する人の話は、素人にはともかく専門家、特に有資格者には非常に怪しく感じることが多い。何も有資格者がすべてにおいて信頼できるという意味ではなく、資格を取ることはすなわち経験しないことの知識も習得しなければならないということを考えると、未経験の事態に出くわしても、経験からではなく、理屈で、あるいは技術や知識で判断することができる、と期待される。実際はそう単純な話ではないことではあるが、つまりここで「経験」ということを考えた時に、「経験」というのは、実務をすることのみで何か知識が知らず知らず身について、わかったような気分になっているということ、果たしてそれは経験を積んだといえるだろうか、とよく思ったものだ。
私はこのような疑問を抱くとき、いつも森有正の言葉が頭に浮かぶ。彼のエクリチュールのなかで、非常に重要な部分を占めるのが、「経験」と「体験」についてだが、『遥かなノートルダム』の中の『霧の朝』で以下のように経験について書かれている。

『経験というものが、感想のようなものが集積して、ある何だか漠然とした判ったような感じが出て来るというようなことではなく、ある根本的な発見があって、それに伴って、ものを見る目そのものが変化し、また見たものの意味が全く新しくなり、全体のペルスペクティーヴ(原文ママ)が明晰になってくることなのだ、と思う。したがってそれは、経験が深まるにつれて、あるいは進展するにつれて、その人の行動そのものの枢軸が変化する、ということをも勿論意味している。その場合大切なことが二つあって、一つは、この発見、或いは視ることの深化更新が、あくまで内発的なものであって、自分というものを外から強制する性質のものではなく、むしろ逆にそこから自分というものが把握され、或いは定義される、ということ、と同時に、それはあくまで自分でありながら、経験そのものは、自分を含めたものの本当の姿に一歩近づくということ、更に換言すれば、言葉の深い意味で客観的になることであると思う。(略)経験をもつということは、人間が人間であるための基本的条件であり、一つの経験は一人の人間だ、ということである。したがって、一つ一つの経験は互いに置き換えることの出来ない個性をもつと共に、人間社会におけるそれであるが故にそれが客観的に純化されるに従って、相互に通い合う普遍性をもって来るのである』(『森有正全集3』筑摩書房刊より)。

経験するということは「ある根本的な発見」がある、と彼は言う。それはこの章の始めに「experience」と「experiment」の意味を「経験」と「実験」と書いたが、この関係をブランショの『終わりなき対話(Ⅱ)』の訳者(西山達也)が以下にうまく表現している。

『経験とは、その定義上、限界に赴くこと、限界に触れること、限界領域に身を置くことを意味する。(略)経験とは、何か未知なるものや不確実なもの、リスクや危険を孕んだものに向かっていく運動であり、そこにはつねに偶発的な要素が前提とされている。ギリシア語で「経験」を表すempeiriaにも、「試し」「実験」等を意味するperiaという語が含まれており、さらにこの語には「境界」「限界」を意味するperasと共通の意味等が含まれている。こうした語源的な背景を念頭にいたうえで、ブランショは、限界―経験という表現を用いているのであり、つまり、経験とは、徹底した自己の問い直しを起点とするものであり、それは安定した境界に囲まれた領域の内部で自己を安全なまま維持することではありえないのである。』

この文からは、ブランショの「経験」に加えて語源から派生させた意味として「限界」との関係を西山は解説している。ブランショによる本書では副題が「限界―経験」であることからも、「限界」というキーワードが重要な位置を占める。
『経験をもつということは、人間が人間であるための基本的条件である』とする森有正の「経験」を、そしてブランショの「経験―限界」を、この先しばらく考察してみたいと思う。
・・・8へ続く

2018.5.27

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 – 6

ドゥルーズ、マラルメから森有正へ。ブランショのテキストに森有正が登場するわけではない。急な転化の前に、国は違うが、ニーチェにマラルメという同時代人がいたように、ドゥルーズと、そして我々と同時代のフーコーの、「権力」へ。
私は「暴力」の取り方、すなわち「腕力ではない暴力」として暴力をとらえたのと同じように、「権力」に対しても、いわゆる一般的で政治的なとらえ方とは感覚的に異なるとらえ方をしている。M.フーコーが、ある(H.ベッカー、R,フォルネ=ペタンクール、A.ゴメス=ミュラーとの)対話のなかで、次のように「権力」について、彼自身の考えをわかりやすく、簡潔に述べている。
『・・・私が権力という言葉で何を理解しているのかという問題に帰着します。私は権力という言葉をあまり使いませんし、ときどき使うときがあっても、それは「権力の諸関係」という私がいつも使う表現を短くしただけのことです。(略)権力が語られるとき、ひとはすぐさま政治的な構造、政府、支配的な社会階級、奴隷にたいする主人などのことを考えてしまいます。私が権力の諸関係について語るとき考えているのは、そういうことではありません。私が言いたいのは、様々な人間関係においてーそれは今しているような言語的なコミュニケーションであろうと、恋愛関係であろうと、制度的または経済的な関係であろうとー、どのような人間関係においても、権力はつねにそこにある、ということなのです。つまり、一方が他方の行動を指揮しようとするような関係があるということです。だから様々なレベルで、さまざまな形式において、権力の諸関係を見出すことができます。権力の諸関係は可動的なものです。つまりそれは変わりうるものであり、一度に決定的に与えられてしまうようなものではありません。たとえば私が年上なので、はじめあなたは怖気付いていたとしますね。会話が進むにつれて関係が逆転し、今度は私のほうが、年下の人間を前にしているというまさにそのことに怖気付いてしまうことだってあるのです。だからこうした権力の諸関係は可動的、可逆的であり、不安定なものです。さらに主体が自由であるかぎりにおいて、権力の関係がありうるのだということも指摘しておかなければなりません。二人のうちどちらかが他方に完全に掌握されてしまい、彼の物に、つまり彼が無限で際限のない暴力を行使できる対象になってしまったとしたら、権力の諸関係はありません。したがって権力の関係が行使されるためには、双方に少なくともある形の自由がなくてはなりません。』(フーコー『フーコー・コレクション(5)』(ちくま学芸文庫刊)廣瀬浩司訳より)
力というのは、つまり関係の中で生じ、優位や劣勢などを感じ、あるいはそれを行使するかどうか、できる可能性があるのか、資格があるのか、つねにその隙間で考えることもある。それはあくまで関係の中で生じることで、先述した会話における関係では、もっとも身近で誰でも体験することで、きわめてポリフォニックな現象がその舞台である。言葉を武器とする人たちのなかにおいて、最も言葉が大事で、あるいはそれしか能力を要求されないといってもいいような人たち、最たるものが為政者なのだが、それゆえ政治性というのは、最も力の場を表象しやすい類といえる。今その政治性についてどうこういうつもりはないが、人のこころを動かす、揺さぶる言葉なくして、人を動かすことはできないだろう。しかしその揺さぶる言葉でさえ、そのほとんどが脅しといっても言い過ぎではないように私は思うが、それでもその「脅し」を自らの力に変換し、政治性を尊重しながら言葉を受け止められること、こういったことを日常のなかで無意識に反芻することが生活の目的にもなっているように思える。「腕力による暴力」に属する暴力も絡めて、フーコーと同時代人のドゥルーズは、フーコー論である自著『フーコー』の中で、「権力」と「暴力」について書いている。
『どんな力もすでに関係であり、すなわち権力なのだ。つまり力は、力とは別の対象や主体をもつことはない。(略)暴力とは力に付随するもの、力から結集するものであって、力を構成するものではない。フーコーは、ニーチェに最も近い(そしてマルクスにも)。ニーチェにとって、力の関係は、奇妙にも暴力を超えてしまうもので、暴力によって定義されることはないのだ。つまり、暴力は身体、対象、あるいは規定された存在に関わり、それらの形態を破壊したり、変更したりするが、力の方は、他の力以外のものを対象とすることはなく、関係そのものを存在とするのだ。』(ドゥルーズ『フーコー』(河出書房刊)宇野邦一訳より)
同時代の「権力」は、たとえ互いに会わなくてもテキストで会うことができる。しかしその同時代の中で、「会うことができない」人たち、あるいは情報がないか特殊な立場でしか得られないような人たち、これらの人たちは思想的に孤独であり、親炙する者がいない状況でも、死後も生き続けるテキストがあるだろう。
ニーチェやマラルメと同時代の日本人に、哲学ではなく文学において、「権力」について登場人物に語らせた作家がいた。漱石である。一昨年(2016年)は没後100年になる(ちなみに昨年は生誕150年である)。『こころ』の中で、「先生」が次のような言葉を発する。
『かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立を己れとに満ちた現代に生まれた我々には、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう』(漱石『こころ』より)。
漱石の同時代を日本国内で俯瞰することが難しいが、漱石は少し前の代のドストエフスキーを読んでいたことは作品の中で書かれていることから推測される。ドストエフスキーの影響があるとは軽々に言えないが、ドストエフスキーの小説から発せられる深刻さは漱石にも何らかの影響を与えたことも推察される。ドストエフスキーは人間について定義する。上記の漱石による記述も人間の本質に迫る思想である。権力にシュプレヒコールを上げ、しかし立場が権力側に就いたとたんその権力を乱用する人たちは数多い。
『かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようするのです』
この言葉は、漱石自身の言葉として、また漱石の言葉を超越して、私を戒める。
漱石は100年以上前にロンドンに行き、苦悩の末帰国したが、20世紀に半ばにやはり外国に行き、帰国することなくその地、パリで人生を終えた人物、森有正に移りたい。
・・・7へ続く

2018.5.20

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 – 5

再びドゥルーズの「力の複数性」に引き戻すと、ブランショがその隔たりの差異をニーチェの「力への意志」との関係でとらえたことを、さらに今度はマラルメの思考を引用して、差異を次の三段階の過程を経て結論付ける。すなわち「差異は空間である」、とする(ニーチェと同時代の)マラルメの発見は、すなわち『それが自らを間隔化して間が開き、[種子の散布のように]散種されて散在する』かぎりにおける空間である、とブランショが敷衍し、そして『生成の、方向づけられた同質性という意味合いではなく、こう理解される生成としての時間である』とする。それはすなわち『それが自らを区切って拍子を打ち、自らを通告し、自らを中断するときの生成、さらには、こういう中断のなかで、自らを連続的にするのではなく、むしろ不―連続的にするときの生成としての時間なのである』、と展開させて以下に結論する。『時間と空間の戯れ=作動である差異は、諸関係の黙した戯れ=作動であって、エクリチュールが宰領する「多数の、引き出された空き地」であるが、このことは結局のところ、大胆にもこう言明することに帰着する、すなわち差異は、本質的に言って、書き込むのだ(エクリール)、と』(『』内:ブランショ『終わりなき対話(Ⅱ)』より)。
差異とは時間であり空間である。そして両者の戯れであり、エクリチュールが仕切る「空き地」に対して「書き込む」という行為を与えることが本質である。こうした読み取りはあくまで「エクリチュール」の問題として処理し、他の領域に無理に拡大することをやめなければならないだろう。
しかしブランショは差異について述べる。『差異の「違う=異なる」は、エクリチュールによって担われ運ばれているが、しかしけっしてエクリチュールによって登録されてはいない。(略)極限的には、エクリチュールが登録しないよう求めるのであり、そして、登録のない生成にほかならないエクリチュールが、ある不規則的な空白=不在を記すことを求める。それはいかなる刻印によっても安定化させられることのない、また、かたちを授けられてさだめられることのない、不規則的な空白=不在であって、こういう空白=不在は、刻印なしにただ痕跡づけられているだけであり、ひとえにそれを決定するものが絶え間なく消えゆくことによってのみ、初めて輪郭の描かれるような何かである』(ブランショ同書より)。
「空き地」においては定まった何かが埋められるのではなく、「登録」されていないエクリチュールが不規則に、しかも「刻印」なしに「痕跡」づけられる。これらのブランショによる独特で難解なエクリチュールは読者の視点に引き戻して次のように章を終える。
『差異―それは言葉の差異以外ではありえない。(略)差異自身は、ダイレクトなやり方では、言語活動(ランガージュ)へとやって来ることはない。あるいは、そこへとやって来るのなら、そのとき、私たちを、中性的なもの(略)の奇異性へと送り返す。すなわち、和らげるままにはならないものへと送り返す。言葉つまり、刻印のない描線、転写のないエクリチュール。それゆえエクリチュールの描線=特徴は、けっしてひとつの描線の単純性では、すなわち、その刻印と混ざり合うことで引かれ、書き記されることのできる、ひとつの描線の単純性ではないだろう。そうではなく、エクリチュールの描線=特徴は相違しつつ分岐することであり、まさにそこから発してあの追及―断絶が始まるー始まりなく始まるーのである』。

・・・私たちは、「空白」を怖いと感じる。とめどなく発せられる言葉は「空白」への埋め合わせであり、エクリチュールは痕跡を留めているように錯覚する。発せられる言葉は、その言語活動において刻印もなく、転写もない、と考える。しかしエクリチュールは何らかの描線を描き、「空白」を固有の描線で埋め尽くす。しかしそれもそこに留まり続けない。私(たち)は、エクリチュールはそこに留まっていると思っている。しかしけっしてそうではないということを、私はここから読み取りたい。プラトンのエクリチュールはプラトンのものであって、プラトンのものではない。それはソクラテスのものという意味ではなく、プラトンと同時代のプラトンのエクリチュールが多くの痕跡を残しつつ、何者かが痕跡を奪って、登録から外してきた歴史があるということを認識しなければならないだろう。そうして、今の私たち、今の時代の膨大なエクリチュールは、同時代のものであって、同時代のものでなくなる、さらに痕跡は消され、残され、未来にそのまま、あるいは転写され、形を変え、退屈で怖い「空白」を埋める作業に没頭することになるだろう。

4.「経験」―森有正、そしてブランショ

高校時代に英単語を暗記した記憶はあるだろう。唐突だが、「experience」と「experiment」はそれぞれ「経験」と「実験」であり、意味は異なるが「字面」と音は似ているので、混同してしまうこと多かった。ブランショの同書(『終わりなき対話(Ⅱ)』)の後半は「限界―経験」と称する章で、言葉の定義を解説で訳者(西山達也)が書いている。その解説から感じたことなど、森有正の「経験」と関連して考えてみたい。

・・・6に続く

2018.5.13

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 4

3.D/M
ヨーロッパ人であるニーチェは、彼が属する社会の古い価値の蓄積の上に自らのニヒリズムが存在することを理解し、そのうえで「人間とは克服されねばならぬなにものかである」とする「力への意志」を説く。ヨーロッパの蓄積された価値はもともと価値なきものを価値として依存してきた積み重ねであり、ヨーロッパの歴史とはその蓄積の歴史といってもいいだろう。価値なきものを価値とする「暴力的」行為は、ますます力を強め、一方で多くの価値を排除してきた。これはヨーロッパだけの問題ではないだろう。価値の排除は他の言葉に置き換えて考えられがちである。現代において都合よく使われる言葉、「解体」である。特にデリダの「脱構築」が最も引き合いにされる。デリダはその迷惑に真面目に言葉で解説をし、「解体」ではないことを繰り返し説く。「構造を解体」するというナンセンスは、よく芸術分野、あるいは私が身を置く建築の世界でも一時期流布した。便法として大変都合のいいこじつけとしていまだに多用されている。そもそも「構造」は解体されるものではない。構造はそこにあるものであり、解析、解釈されるものである。解体される構造などないだろう。つまり意味として全く成立しないのだ。現代の思想の分かれ目はこの構造への誤謬にあるのではないかと思う。バルトは自ら「構造」を名乗ったが、フーコーは自分が構造主義であるという指摘を否定し、レヴィ=ストロースの思想は主義などと括ること自体が滑稽でさえあるような、科学的分析による研究姿勢だ。サルトルは構造主義の登場で犠牲となった感があるが、しかしそのとき決して死んだわけではなく今も生き続けるどころか、多くの影響を与え続けている。ドゥルーズもサルトルを取り上げている。ドゥルーズの思想は軽快で、かつ難解で、時に多くの批評家の批判の的ともなっている(アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンによる『「知」の欺瞞』などでラカンやクリステヴァなどもやり玉にあげられている)。ドゥルーズは最初の書物として『差異と反復』を著しているが、ブランショは「力」と「差異」との関係でドルーズの言葉を引用して以下のように書いている。

『力は差異を言う。力を考えること、それは差異の名において力を考えることである。このことはまず、ほとんど分析的様式で理解される。力を言う者は、つねに多数的なものとして言う。もし力が統一された一体性であるなら、力は存在しないことになるだろう。ドゥルーズはそのことを、次のように決定的な簡潔さで表わした。「すべて力というものはある他の力との本質的な関係のうちにある。力の存在は複数的であって、それを単数的に考えることは不条理であろう。」ただ、力は単に複数性であるだけではない。諸力の複数性ということは、隔たっている諸力、隔たり=距離(ディスタンス)によってお互いに関係し合っている諸力という意味である。つまりそういう隔たりは、諸力を複数化する隔たりであり、そして、諸力のうちで、それらの差異の強烈さのようなものである隔たりなのだが、そんな隔たりによって、一方が他方へと関係し合っている諸力ということを意味している(ニーチェは次のように言っている、「こうした距離の感情(パトス)の高みから、ひとはまず、諸価値を創り出す権利を、あるいは諸価値を決定する権利を我がものとするのだ。有用性などはなんの関係もない」)。こうして隔たり=距離は諸力を分離させるものであるが、それは諸力の相関関係でもある - そして、あるもっと特徴的な仕方で、隔たりは諸力を外から区別するものであるばかりではなく、諸力の区別という本質を内から構成するものである。言いかえてみよう。諸力を隔たっているままに保つもの、すなわち外は、諸力の唯一の内奥であって、諸力がそれによって活動して作用を及ぼすものであり、また、何かの作用を被るものである、すなわち、「差異論的なエレメント[差異のみに基づいて成り立つエレメント]であって、それが諸力の現実の全体である。だから諸力は、自分自身のうちに現実を持っておらず、ただ諸関係だけを – そんな関係は、境界となる項たちのない関係なのだが、そういう諸関係だけを - 持っているのであり、まさにその限りにおいてのみ現実的なのである。しかるに、〈力への意志〉とは何だろうか。「ひとつの存在ではなく、ひとつの生成でもなく、ひとつのパトスである」、すなわち『差異へのパッションなのだ』。(ブランショ『終わりなき対話』(Ⅱ)より)

ドゥルーズは力を他の力との関係として、複数性としてとらえ、ブランショはその隔たりの差異を説き、さらにニーチェの言葉を借りて、隔たり(距離)の感情(パトス)から価値の創造の権利の取得に同意する。隔たり(距離、関係)の外は、力の内であり、「差異のみに基づいて成り立つエレメント」であり、力は関係だけを持つ、ニーチェの〈力への意志〉とは『差異へのパッション』である、とブランショは言う。
テキスト2で取り上げた「会話における暴力」は、力の複数性が身近な場面で実感として現れる。

ドゥルーズの『アンチ・オイディプス』に初めて触れたのはもう30年近くも前になる。現在は新訳も出ていて、最初の翻訳より読みやすくなった感じはあるが、基本的に読みにくさは変わっていない。とにかく1頁目からそれまで思想・哲学書では読んだことのない言葉が続く。
「[〈それ〉[エス]。機械の機械] 〈それ〉は作動している。・・・」(ドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』(市倉宏祐訳 河出書房新社刊)
後年、ガタリが「草稿」を出版したが、それを読むと同書におけるガタリの占める領域の深さを知ることが出来る。ドゥルーズとガタリは互いに力を獲得し、互いの思想、領域を拡大・止揚させ、共著という形のテキストで多くの暴力、発展的な諸力を含みながら現前する。二人とも死後も生き続けている。どちらも第一ヴァイオリンであり、第二ヴァイオリンなのだ。
しかし再びニーチェの時代に戻り、ドゥルーズ=ガタリのような関係ではもちろんないし、単純に思想家・哲学者とはいえない人物、つまりマラルメ、のブランショによる引用に続く。マラルメは『ディヴァガシオン』という思想的な著書もあるが、基本的に詩人として知られる。死後も多くのテキストで引用されている。ドゥルーズ=ガタリの関係ではないが、マラルメはニーチェとの関係でいうと、年齢は二歳違いで、全く同時代に生まれ死んでいて、『ディヴァガシオン』でマラルメがとりあげたワーグナーはやはりニーチェのワーグナー批判と対応して考えることが可能だとすれば、二人の思想的関係に思いをはせることができる。ニーチェは狂気の末亡くなったが、マラルメも晩年の作品には狂気が含まれているといわれる。それぞれ狂気にいたる「孤独」を到底想像できないだろう。しかしその孤独のなかに、互いに「会話」がないとしても、真の「友人」を見出すことはできる。私淑する対象がないとしても互いに尊敬し合うことはあるだろう。
・・・5に続く

2018.5.5

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 3

残る二人、ドゥルーズとマラルメの前に。
身近に引き寄せ・・・坂本龍一の『async』、そして近年坂本のキャリアを包括する『Year Book』がリリースされた。『async』については、長く長く待った作品という感覚だ。YMOの、特に中期YMOと呼ばれる頃の『BGM』と『TECHNODELIC』は中学生当時音楽に敏感だった同時代の私たちの誇りといっても言い過ぎではない。坂本はこの2枚のアルバムの間にソロの『B-2Unit』を出している。前者2枚がポップ寄りだとすると、後者は現代音楽寄りといっていい。しかしどちらもポップスでも現代音楽でもない、根本的な新しさを秘めていて、それが今でも色褪せていない。発売から40年近く経たが、これらを上回る「新しさ」に出会うことがない。『TECHNODELIC』以降、坂本がどんなに世界的な名声を獲得しても、私は満足できる作品に出合ったことがない。根本的な新しさはおろか、坂本自身が新しい音楽を追いかけているかのように見えたのだ。しかし今回の『async』は予想を裏切り、長い眠りから目覚めたような、彼本来の音楽思想に満ち溢れたものに仕上がっていて、『TECHNODELIC』当時の81年頃に引き戻されたような感覚を覚えた。あまりにも長い不在だった「新しさ」が突然現れた。そして一方の『Year Book』のなかで、「その時代」と坂本がレコードデビューする以前の活動の巻を聴いてみると、『async』に直結するような音楽へ向き合う姿と熱気がみとめられる。私が当時中学生のときに買った『千のナイフ』のアルバム内に収められたコンピューターに向き合う坂本の長髪の写真と重なり、未発表の音源の新しさを堪能できる。時代の空気は軽薄短小へ向かい、坂本の音楽も軽いものになっていったが、私はもう一度あの時代の新しさをどこかで待ち続けていたのだと思う。『async』は長い眠りから覚めた、というよりは今だからできた作品だといえるのかもしれない。収録された曲は、「音」そのものの迫力としか表現しようのない体験で胸に迫る。そういう点であの時代の『TECHNODELIC』を想起させる。『async』と趣が異なるのは、『TECHNODELIC』はメロディーのなかに音がある。ギターやピアノといった既存の楽器音ではなく、工場の音や何かはわからないが機械的な音、それらは実際にスタジオの近くの工場の音をサンプリングしたもので、『Epilogue』で使われている。ノイズがリズムを持ち、心臓の鼓動のように胸に迫る。サンプリングでいうと、同時期にたとえばArt of Noiseがそれを駆使した作品『Who’s Afraid of the Art of Noise?』を出しているが、これは従来のロックのアレンジにサンプリングを利用したに過ぎないため、面白さはあるが新しいものという感覚がない。そのため何度も繰り返し聴くというものにはならない。『TECHNODELIC』はそういった類いのものとは全く異質のものだ。曲で言うと『Stairs』や『Seoul Music』は最も「音の暴力の魅力」という点でピークの曲であるように思う。おそらくどんなに真似をしようとしてもできない暴力性であろう。その暴力性を、自信をもって世に出す、あるいは出せる環境があったという意味では、時代が新しさを求めていたともいえる。今ではほとんど考えられないのではないだろうか。ミニマルやアンビエントとも違う、イーノのような非音楽的ともいえず、スティーヴ・ライヒのような割とパターン化したアナログのミニマルでもない。しかしYMO、坂本の当時の暴力性はその後急速に消失したが、長い暴力の不在を経て今ようやく再び目の前に現れた。しかも坂本自身が出来にかなり満足しているようで、これからも他を寄せ付けない、ある意味期待を裏切るような「新しい」ものを世に出してほしい。
音楽、しかもポップミュージックに限らず、70年代から80年代、90年代と時代がますます軽く、即物的というかインスタントな形を帯び始め、さらに自分で制御することのないコンピューターの表現、プログラムを構築するのではなく、あるプログラムを利用するだけの媒体が様々な分野で席巻するようになる。
建築の世界で言うと、私が以前TEXT「「軽さと重さ」-2で取り上げた、P.アイゼンマンが形式主義(フォルマリズム)をキーワードにアメリカの建築学校での講評会の経験で感じたことが書かれたヴィドラーの著作『20世紀建築の発明』の一節をここで再び与えたい。
『最近その講評会で、形式主義の新しく、より毒をもった血筋が普及し、その影響を目の当たりにして当惑したことがあった。・・・「より毒のある」というのは、それがネオ・アヴァンギャルドによる技術的決定主義の旗のもとにあったからである。形式主義のつながりが膨大な複雑さと一貫性とを合わせ持つパラメトリック・プロセスを生産する複雑なアルゴリズムから生成された最先端のコンピューター・モデリング技術のなかに見ることができる。・・・これら最先端のプロセスをもつ作品が、こうした作者不詳のプロセスのなかに、ある自律性の遺産の考えに近いためでも行く分ある。だがその代わりに、私には何かが根本的に間違っており、ここでは今日の建築に関するより一般的な問題が語られていると思われた。・・・イデオロギー的関与の欠如と内在的に決定された意味は、この新しい形式主義を自律性の考えへと結びつける。・・・形式的なものは形式主義と区別されるべきであり、前者は内在的価値をもち、後者は現在の造形における空虚な修辞にすぎない』。(鹿島出版会刊、今村創平訳)
アイゼンマンが覚えた当惑に共感する機会は数多い。プログラムを利用するだけの媒体から新しさは生まれるだろうか。それは新しいかたちの「新しさ」なのかもしれないし、新しい形式主義かもしれない。しかし今の実感としてはこれまで問題にしてきたものとは異なる、いわゆる「腕力的な暴力」がそこには発生していて、それが当たり前に社会に浸透するようになっているように思える。今こうしてパソコンでワープロを打っている間でも、いろんな通知が画面に出てきて、時には強引に更新の通知が表れ、再起動せざるを得ない状況になることもある。これはよく見えない何か(誰か)による暴力以外ない。相手が見えないのだ。これほど四六時中何かとつながっていなければ社会生活を送れないような日常というのは、何か不自然のようであり、また一方では便利でいい時代になったと甘受する人達ももちろんいる。つながっていることが前提となっている世の中で、遮断行為はその人の責任でその人が徹底的な暴力を被る仕組みになっている。このような暴力は腕力による暴力と同質で、このテキストで問題にしている暴力とは全く関係のないものだ。私が取り上げるのは干渉することが憚れるような、静かに耳を傾ける思考、言葉を持たずに迫る力、柔軟な堅物なのだ。決して『造形における空虚な修辞』などではない。だから、そして、ドゥルーズとマラルメへ。
・・・4へ続く

2018.5.4

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 2

『あらゆる言葉は暴力である』(この引用でのみすべてを了解することは危険である)。前回のテキストで引用したブランショの記述で、私は「言葉」を「会話」に置き換えて「暴力」の問題を考えることがある。特に二人による会話において、両者の立場の力関係の差の大小にかかわらず、すべての会話が暴力的であるととらえている。力関係、例えば同じ年齢の子供同士、あるいは社会人になってからの同僚同士、上司との関係、あるいは親子や教師と学生の関係、様々な場面での会話がある。特に友達同士のような一見公平な立場であるように思われる関係でも、そこには公平はなく、ましてや会社や仕事上の関係において公平性を求められる場においてさえも公平など存在しない。その不均衡の中で、会話はあるルールを承知の上で行われる。一人が話しているときに相手が同時に話すことは基本的に違反であるため、交代で話すだろう。そうでなければ会話は成立しないだろう。ということを経験上誰もが知っている。交代で話すとはどういうことか。一方が話すことに関連したことを一方が受け継ぐ場合に会話がうまく運んでいるように錯覚する。つまり全く関係のない話をされると不快になるだろう。あるいは互いにお構いなく自分の話したいことを話すことで満足する関係も多い。どちらにしても会話といえるだろうが、やはり「同時に会話が進行」することはないといえるだろう。それが起こりえる場合は、それは単に自己主張、言いたいこと、をただ単に言うだけに終わってしまう。独り言と同じである。問題にしたいのは会話というものは「言葉が交代で行き来するものだ」ということである。そしてその変わり目で一方が目論んでいた企みが、進行が一時的に一方に譲られる隙に弱められ、間隔をおいて企みが復活するということだ。元通りに復活することもあれば、全く違うもの、あるいは正反対のものに変わることもある。つまり交代の間際で企みの一部が排除される。排除される一方で新たな企みが発生することもある。この瞬間に「暴力」が現前する。(ここであらためて言いたいが、暴力は腕力の問題、しかも否定的な言葉として扱っていない)。この交代をブランショは「中断」あるいは「中休み」と言っている。

『彼らが担う一貫した言述は、いくつかのシークエンスで構成されており、話し手が変わると、それらのシークエンスは、たとえつながるように調整されるにしても、中断される。(略)言葉を話すという能力は中断され、そしてこの中断は副次的に見える役割、まさしく従属した交替の役割を演じる。しかながらこれはかくも謎めいた役割なのであって、言語活動の謎そのものを担っているものと解釈されることができる。文章間の中休み、ひとりの対話者から別の対話者へと移行する中休みであると同時に、注意深い中休み、聴き取りという中休みであって、それは話すこと=語り方の力を二重化する』(同書より)

話し手の交代を「謎めいた役割」とブランショは言い、さらには「言語活動の謎」、と思考の次元を上げている。私はこの謎を一種の暴力の介在ととらえ、対話者の間に、犠牲者の蓄積をみとめる。その犠牲者とは何か。言語活動で犠牲となった余韻(必然ではないもの)である。余韻のなかにその人の主張のかなりの部分が含まれていることが多いだろう。それを排することを負っても対話という交代と中断の暴力をすんなり受け入れることが会話であろう。

2.ニーチェの災難

死後も生き続ける人、ニーチェ、ドゥルーズ、マラルメ、それぞれ生まれが、19世紀半ば、20世紀初め、そして19世紀半ば。ドゥルーズが亡くなったときの記憶はまだ残っている。ドゥルーズ含め、現代でもこの三者は様々なテキストで引用される。
ニーチェは『悲劇の誕生』から後年の『ツァラトゥストラ』までその思想は変化している。初期は芸術のおかれている問題、つまり純粋な創作活動から商業的で俗的なものに堕ちたとする現実からその純粋性をもう一度再生させようという、いわば希望の思想から、後年は理性というものに対する挑戦と、さらに「永遠回帰」という「肯定の思想」に変化していく。しかしその後年のニーチェのニヒリズムを、打開できない現状への受け入れと解釈、ととらえるような誤った認識が一方に存在することも現実だろう。ブランショはニーチェのニヒリズムについて以下のように記述する。

『永遠回帰の思想は、その古くさい不合理性という意味では依然として奇妙なものである。それが表わすのは論理的な眩暈である。ニーチェはそこから逃れることはできなかった。それはすぐれてニヒリズム的な思想であり、ニヒリズムが自らを決定的な仕方で乗り越え不可能なものにしながらも、絶対的に自らを乗り越えていくような思想である。それゆえ永遠回帰は、精神が臆せずそれに立ち向かうときにこそ、ニヒリズムという、この罠のようなものが何であるのかを私たちにもっとも明らかにしてくれるのだ』。(ブランショ『終わりなき対話(Ⅱ)』より)

永遠回帰は、「時間」という概念、回帰という逆の方向への時間の概念を孕みながら、ニーチェはそのニヒリズムという罠を受け入れながら、自らを乗り越える、臆せず立ち向かう、という生の思想を提示する。つまり単なる言葉として、あるいはスローガンとして「永遠回帰」などと主張するのは、腕力による暴力と同じである。いわば健全な暴力的思考とはニヒリズムとともに極端な思考を、それこそ中断することだろう。
ニーチェの「超人」は、決して「宗教」的ヒーローではない。さらにブランショの引用。『・・・人間はその時間の次元においては、再生不可能な過去と不可逆の時間という必然性によってはもはや限定されないということでなければならない。人間は完全な成就としての時間を必要としているのだ。しかし、時間が背後へと回帰するというのは、可能なるものの埒外にあること、つまりは不可能性であり、それはここでは次のような最大の意味を帯びている。すなわち、それは力への意志としての超人の挫折を意味しているということだ。超人は決して極端なものを可能にはしないだろう。永遠回帰は、権力の領界には属さない。永遠回帰の経験がもたらすのは、あらゆる遠近法の転倒である。無を望む意欲は、永遠を望む意志となり、そしてその意志において意欲もなく目的もない永遠が自分自身へと回帰する。(略)価値という概念がその領界へと適用されるのをやめるような、ひとつの領界へと私たちを到らせるのである』(同書より)。戻れない時間のなかで、人間は極端なものを可能にしない。無を望む意欲が永遠を望む意志となり、意欲も目的もない永遠が回帰する。暴力的思考は、あくまで自分自身への回帰のなかで、「問い」という未完な言葉の転倒と、そして決して転倒されない時間の認識のなかで存立するであろう。
・・・3へ続く

2018.5.3

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 1

1. ブランショの助け

Hello darkness ,my old friend,
    I’ve come to talk with you again,
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の冒頭の歌詞とともに、古い、あの感覚が私を覆いつくす。時と場所を選ばず、急に襲いかかる、あるいは常に「それ」が漂う海の中に身を沈めているかのように。「それ」とは、常につきまとう「暴力」に他ならない。様々な場面で遭遇するその漠然とした感覚にどう対抗していくかということが私の人生の目的にもなっているように思う。それはもちろん一般的な、腕力によるそれではなく、大半は「言葉」、あるいは「関係」によるものだ。あえて具体的場面は後述するとして、ここでは過去のテキスト「軽さと重さ」を敷衍して主にブランショのテキストを参照して、私が子供のころから大きな関心の的だった「暴力」の問題について記述したい。

私は建築の仕事を通して土地と建物の存在に常に触れている。何もない土地に新しい建築をつくる。あるいは元からあったものを取り壊しつくる。いずれもその場の景観の歴史を良くも悪くも変える行為に加担している。こういった行為については誰も暴力とは思わないだろうが、施主が個人であれ行政であれ、あるいは民間会社であれ、大きな関係性のなかで、そしてビジネス行為の中で施行されるものであり、その中にあって様々な、しかも大きな力の関係が働いている。そして場面となる空間性は犠牲者として今後しばらくはいやおうなく現前する。私たちの関係の中で生ずる犠牲者の存在には誰もが無感覚になっている。そのことを問題にするような人はいないし、いたとしても誰もそれに耳をかさないだろう。
空間性に対してもっと身近な「感覚」をあげるとすれば、観光地、に行ったとする。例えば自然豊かな風景を360°眺めることが出来る展望台があるとする。そこで期待することは景色を楽しむとともに静寂と、その静寂を助ける可聴域を超える音域(例えば鳥のさえずりや樹葉のざわめき)などであり、それ以外のことは望まない。しかしその期待はすぐに裏切られることを知っている。静寂には邪魔なBGMが流れていたり、目につきやすい場所に『ようこそ○○へ』などと書かれた幕など目に入ったり。さらに言えば「観光地」という存在自体本来おかしなものだ。元から「観光」のためにあった場所などないのではないか。多くの人が押し寄せて、金を落とす期待があるから、そこを「観光地」として「名づ」け、「観光地」としてつくりあげる。そしてやはりその犠牲者として空間が葬りさられる。
子供のころは言葉が未発達で、感情を表現する適切な言葉を持ち合わせていないこともあるためか、何となく感じていた感覚、それは「違和感」、あるいはもっといえば「異」的な感覚であるが、後年になって言葉を習得することによって次第にそれを「暴力」として捉えるようになった。

『やあ 暗闇よ 僕の古い友だちよ また君と話をしに来た』
The Sound Of Silenceのなかでポール・サイモンが綴った詩は、『眠っている間にその種を残していったから、僕の脳裏に植えつけられたその考えは今もなお生き続けている 静寂の音のなかで』と続く。
「言語」が未熟な段階でいわば言語が眠っている状態で、反論できず従うことを強要される空間では、残され、堆積した「種」はやがて言語を身に着けることで次第に萌芽した考察の神経が激しく脳内を張巡り、サイモンが歌うように静寂の音のなかで、いやむしろ静寂とともに抽象的ではあるが、言葉をもって語りかけてくる。
未成熟な期間では様々な「問い」があらわれ、「問い」に対して言葉で答えない対象は権力と立場の優位で、小さな、あるいは優遇される暴力で押さえつける。「問い」についてブランショは著書『終わりなき対話』で以下のように言っている。

『問いは、それが未完了な言葉であるなら、未完了ということを足場にする。問いは、問いとして不完全なのではない。それは逆に、自らが不完全だと宣言することによって完成させる言葉である。問いは、充満した肯定を空虚のなかに置き直すのであり、この先行する空虚によって、充満した肯定を豊かにする。問いによって、私たちは自分自身に問われていることを与え、そしてまた、自分自身に空虚を与える。この空虚のおかげで、そのことをまだ持っていないか、あるいはそれを欲望として持つことが許される。問いは思考の欲望である。』(モーリス・ブランショ『終わりなき対話Ⅰ』(湯浅博雄他訳)

「問いとは思考の欲望である」。とくに言葉が未発達の子供時代においては、その最も欲望的な的は、私にとっては問いであったと思う。学校では先生の言葉は一方的である。一方向的であり、私たちは受け身である。大人は「ねばならない」の繰り返しである。それに対して「問い」は先生を職業とする人をはじめ大人にとってたいていは面倒であり、あらためて常識を考察し子供にわかるように説明することを考えることなどしない。一方子供も「ねばならない」に普通に従うもので、そういうものだと自然に受け止め、あるいは植えつけられる。私も例外ではないが、しかし一方では内面で「問い」は一層膨れ上がり、もちえない言語で不満や理不尽、あるいは先述した「異」の感覚を説明しようと欲する。見えない暴力、あるいはこの段階で「暴力」が言い過ぎだとすると、「力の関係」(健全なたてまえの関係)は社会という舞台装置のなかで着実に植えつけを継続する。ブランショは著書のなかで、言葉について以下に記述している。

『私が言葉を語るとき、私は常にある種の権力の関係を実行している。(略)諸々の能力=権力の網状組織に所属しており、私はそういう網状組織を利用しつつ、私に対してはっきりと現われてくる権力に対抗して闘っている。あらゆる言葉は暴力である。(略)暴力の密かな中心とは、語が名づけるもののうえにもうすでに行使される暴力  - 語は何かあるものを名づけるとき、そのあるものか現存=現前(プレザンス)を引き離すことによってしか名づけることができないので、どうしてもそのもののうえに行使される暴力 - である。こうした暴力は、見た通り死が語っているしるしになっている -すなわち私が言葉を語るとき、死(あの能力=権力である死)が語っているしるしとなっている。だが同時に私たちは次の点もよく知っている。つまり人々が口で言い争うときには、人々はなぐり合ったりはしないという点である。言語を用いることは暴力が開かれてむき出しにならないことを受け入れる企てである。(略)・・・あるもっと強力な統御=支配を目指して自分を留保しておく。・・・』(同書より)

私たちは普通言い争うとき殴り合ったりはしないが、腕力をむき出しにしないための一種のたくらみとして言語を操る。私たちはその網状組織のなかに組み込まれている。そして言葉はシニフィアンの前の段階で発見されたものをいじめつけ、強引に「名づけ」行為をする。名づけられた媒体はシニフェと実を置き去りに新たなシニフェさえ生もうとする。そしてそれはたいてい一方的で暴力的でもある。名づけの過程で排除された項目はその残滓を不幸な形でときおり顔をのぞかせながら様子をうかがい続ける。ブランショは『言葉は暴力である』という。『ある種の権力の関係を実行している』という。私たちも当然権力の網状組織のなかで生きている。言葉も同様である。暴力は腕力による殴り合いのような二者によるとは限らず、あるいは二者によって生じたものであっても、全く関係のない第三者が被る傷が存在する。二者の間に生じる項目、二者の対立する項目の間に生じるもの、それは単体ではなく、また複数というわけでもなく、「無限の空間」とでもいうべきものも存在する。つまり二項においてのみで完結される暴力は限定的でトートロジカルな議論に終始するものとなる。ブランショは同書で以下のように記述する。

『・・・ひとつの項からその対立項へ、たとえば〈存在〉から〈無〉へ向かう。しかるに、ふたつの対立項のあいだには何があるのか。〈無〉そのものよりも、もっと本質的なひとつの無である。すなわち、「両者の - あいだ」という空虚であり、ひとつの間隔 – つねに落ち窪み、そして、窪みつつ、膨らむ間隔 – であって、それはつまりle rien - 作業=作品としての、また運動としてのle rein[何ものでもないもの]- である。たしかに、第三の項、総合の項が、この空虚を満たし、間隔を埋めにやってくるだろう。が、しかし、原則として、あいだ[という空虚]を消え去るようにさせることはなく(もしそうであれば、すべてがただちに停止してしまうだろう)、むしろ逆に、あいだを成就することによってあいだを維持し、あいだが欠けることそれ自体において、あいだを実現し、こうして、そういう欠如をさらにひとつの能力、ひとつの可能性となす。』(同書より)

ここに暴力が存在するとすれば、それは「空虚」、健全な「無」の空間を埋めに来るよう活動であり、鏡の中の鏡のように、無限に「虚無」の繰り返しを反復させ、多くの人が最も好む繰り返しの議論へと突き進む。私はそれを省略したいし、無用な前置きは極力省きたい。そして「虚無」のなかにいて、両極にいるかもしれない項目を見届けたいとも思う。よりハードコアなものとは、その行為のなかでしか垣間見ることが出来ない代物なのだと思う。そうした健全な欲求から発せられる暴力とは他を寄せ付けない迫力を生む。そのとき新たな暴力の地平が開かれるのではないだろうか。
・・・2へ続く

2017.12.30

TEXT 「軽さと重さ」-6

三島由紀夫の小説『金閣寺』に以下の一節がある。

『そう思うことで、かつて私を悩ませた金閣の美の不可解は、半ば解けるような気がした。何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、その板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、・・・その法水院、その潮音洞、その究竟頂、その漱清、・・・その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、美は細部で終り細部で完結することは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。』(三島由紀夫『金閣寺』より)

物語の主人公の溝口が、金閣の美を構造的な解釈から解こうと努力している。ただし彼が放火を実行しようとしている直前のことである。金閣寺の姿、その美しさ、いわば理屈ではない源体験的な感動を、冷静に細部をあたかも日本建築の絵つき解説書の記述のように実に細かく描写し、またその感動からくる美の構造への懸命な解析の努力をあらわしたテキストである。文中に登場する建築の専門的な部位の用語を溝口がすべて知っていたとは思えないが、これは当然三島由紀夫の豊富な知識と研究から導かれているとはいえ、現代の建築家でも持ちえない知識、日本建築を得意とする建築士や職人でもここまで専門用語をすぐに口にできる人はおそらくいないだろう。
上記の部位の用語の最後に書かれている「漱清」という語に注目すると、これは建築の部位の名称なのか一般的な表現なのかも私は知らなかったが、調べてみると「漱清」は「そうせい」と読み、「漱」は漱石の漱、すなわち「すすぐ」という意味で、「清」という字と組み合わされることで、金閣の池と関係があることが想像できる。実際「漱清」とは池に張り出した小亭のことを指すということが分かった。金閣の写真をあらためて先述の描写の順で見てみると、それがあることがわかる。このように建築の細部を追っていくことで気づくものがあるということを改めて認識する。小亭はたしかに金閣の一部ではあるが、「全体」の一部というよりは、その部分が全体を端的にあらわしているとでもいうか、金閣全体の構成がそこでも繰り返さているような感覚をもつ。全体であらわされている部位は小亭で必ずしもあるわけではないが、小さなからだに内包されているような感覚である。
溝口は金閣のいわば内部の人間としての構成要素の一つであり、その要素が外から自分の属する内面を冷静に分析し、そして火をつけ炎上、焼失(消失)させることで自己が一部であるはずの美の対象を自己の内面とともに消失させた。あたかも永遠の美を自己に内包させたまま、強引に自己の人生を葬るかのような行為を、犯罪ではあるが実行した。ノンフィクションでありながらフィクション性が強く、また放火という犯罪ではあるが人間の複雑な内面と金閣の金、放火の火という輝きと色彩を伴った作品で、いまでも色褪せない魅力がこの作品にはある。単なるドキュメントなら他にもより正確に綴られたテキストはある。有名なものとしては水上勉の『金閣炎上』があり、資料としても貴重なものとされている。三島のこの作品の魅力は金閣の放火という事実をそのまま描写するのではなく、想像の世界(創造ではない)へ転換させたことに、作品を通して三島の豊かな創造性を享受することができる。
この作品は世界中で翻訳され、同じように安部公房の『砂の女』や大江健三郎の諸作品とともに日本文学というよりは世界文学として多くの人に今でも読まれている。ちなみに『金閣寺』の翻訳でIvan Morrisによる「漱清」はそのまま「Sosei」と表記され、注などによる解説はない。蔀戸はshuttersと訳されているが、日本人の感覚としては少し違和感があるが、それでもおそらく何百万という読者は日本の言葉の特殊性を自国の言語の特殊性、「音(おん)」と「意味」と混合させて全体として理解していることだろう。
私も高校の修学旅行で観た金閣の美しさは、小亭の存在をはじめ建築部位の意味や名称について無知だったにもかかわらず今でも全体的な美として脳裏に焼き付いている。のちに建築の専門家になって多くの建築に触れることになり、年を経て様々な建築が興味の対象から外れていっても、金閣はじめ日本建築の美だけは変わらずに心に残っている。