2017.12.30

TEXT 「軽さと重さ」-6

三島由紀夫の小説『金閣寺』に以下の一節がある。

『そう思うことで、かつて私を悩ませた金閣の美の不可解は、半ば解けるような気がした。何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、その板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、・・・その法水院、その潮音洞、その究竟頂、その漱清、・・・その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、美は細部で終り細部で完結することは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。』(三島由紀夫『金閣寺』より)

物語の主人公の溝口が、金閣の美を構造的な解釈から解こうと努力している。ただし彼が放火を実行しようとしている直前のことである。金閣寺の姿、その美しさ、いわば理屈ではない源体験的な感動を、冷静に細部をあたかも日本建築の絵つき解説書の記述のように実に細かく描写し、またその感動からくる美の構造への懸命な解析の努力をあらわしたテキストである。文中に登場する建築の専門的な部位の用語を溝口がすべて知っていたとは思えないが、これは当然三島由紀夫の豊富な知識と研究から導かれているとはいえ、現代の建築家でも持ちえない知識、日本建築を得意とする建築士や職人でもここまで専門用語をすぐに口にできる人はおそらくいないだろう。
上記の部位の用語の最後に書かれている「漱清」という語に注目すると、これは建築の部位の名称なのか一般的な表現なのかも私は知らなかったが、調べてみると「漱清」は「そうせい」と読み、「漱」は漱石の漱、すなわち「すすぐ」という意味で、「清」という字と組み合わされることで、金閣の池と関係があることが想像できる。実際「漱清」とは池に張り出した小亭のことを指すということが分かった。金閣の写真をあらためて先述の描写の順で見てみると、それがあることがわかる。このように建築の細部を追っていくことで気づくものがあるということを改めて認識する。小亭はたしかに金閣の一部ではあるが、「全体」の一部というよりは、その部分が全体を端的にあらわしているとでもいうか、金閣全体の構成がそこでも繰り返さているような感覚をもつ。全体であらわされている部位は小亭で必ずしもあるわけではないが、小さなからだに内包されているような感覚である。
溝口は金閣のいわば内部の人間としての構成要素の一つであり、その要素が外から自分の属する内面を冷静に分析し、そして火をつけ炎上、焼失(消失)させることで自己が一部であるはずの美の対象を自己の内面とともに消失させた。あたかも永遠の美を自己に内包させたまま、強引に自己の人生を葬るかのような行為を、犯罪ではあるが実行した。ノンフィクションでありながらフィクション性が強く、また放火という犯罪ではあるが人間の複雑な内面と金閣の金、放火の火という輝きと色彩を伴った作品で、いまでも色褪せない魅力がこの作品にはある。単なるドキュメントなら他にもより正確に綴られたテキストはある。有名なものとしては水上勉の『金閣炎上』があり、資料としても貴重なものとされている。三島のこの作品の魅力は金閣の放火という事実をそのまま描写するのではなく、想像の世界(創造ではない)へ転換させたことに、作品を通して三島の豊かな創造性を享受することができる。
この作品は世界中で翻訳され、同じように安部公房の『砂の女』や大江健三郎の諸作品とともに日本文学というよりは世界文学として多くの人に今でも読まれている。ちなみに『金閣寺』の翻訳でIvan Morrisによる「漱清」はそのまま「Sosei」と表記され、注などによる解説はない。蔀戸はshuttersと訳されているが、日本人の感覚としては少し違和感があるが、それでもおそらく何百万という読者は日本の言葉の特殊性を自国の言語の特殊性、「音(おん)」と「意味」と混合させて全体として理解していることだろう。
私も高校の修学旅行で観た金閣の美しさは、小亭の存在をはじめ建築部位の意味や名称について無知だったにもかかわらず今でも全体的な美として脳裏に焼き付いている。のちに建築の専門家になって多くの建築に触れることになり、年を経て様々な建築が興味の対象から外れていっても、金閣はじめ日本建築の美だけは変わらずに心に残っている。

2017.12.30

ニュース

「WORK – Representation 15,16」
2015年と2017年にそれぞれ竣工した十勝の住宅とI邸の2件の竣工写真をWORK-Representation 15,16として掲載しましたのでお知らせします。

2016.5.3

TEXT 「像の此岸」-2

 武満徹・没後20年
立花隆による『武満徹・音楽創造への旅』という本が今年2月にでた。生前の武満へのインタビューをもとに立花が解説や武満や関連する人物の対談や著述などを織り交ぜ構成されたこの浩瀚な本からは、武満の立花に対する全幅の信頼感がうかがえる。それとともに生前の武満の肉声までもが聞こえてきそうな感覚に陥る。
 この本の中で、武満の『ノヴェンバー・ステップス』の誕生に大きな影響を及ぼしたものの一つとして、ジョン・ケージの存在が挙げられている。武満とケージの対談で、日本音楽について興味深いやりとりがある。

 武満:・・・もちろん僕は、ここで日本のものすべてがいいと言おうとしているんじゃないんです。
 ケージ:でも、とてもいいものを色々あることは事実ですからね。
 武満:もちろんそうです。僕たちにとって非常に意味のあるものが多い。特に日本人が持っている美的な観念というか、アイディアの中に『さわり』というものがあるんですが、これは何かというと、つまり一番美しいのはノイズだという発想に他ならないんです。
 『さわり』という言葉は実にいろんな意味を含んでいます。漢字で書けば『障』という字。プリベンション。ところが日本では、最も美しいもののことも『さわり』というわけですね。(中略)つまり障害が最も美しい。これはどういうことかというと、障害があるからこそ、自分たちは本当に自由になれるという発想なんですね。
 西洋の機能主義、近代化というものは、物事を最も便利なようにしてきたわけです。不便なものは捨ててきた。だからそれは非常に便利だから、どこへでも持ち運ぶことが出来るでも日本の伝統音楽の中にある・・・僕は必ずしも日本の伝統音楽のすべてをひいきしているわけじゃないけれど、しかし、そこには、どこに持っていくということのできないものがある。持っていくには『さわり』があるんですよ。
 楽器としてもそうです。日本の楽器には、すべて不自由な『さわり』の装置というか、障害装置がついている。音が出しにくいふうに作られているわけです。だから、もしその音がほんとに出た時には、その自由さはものすごく大きいわけです。
 そしてジョン・ケージの発明の中にも、やっぱり『さわり』がいっぱいあるんです。ケージが僕たちに与えてくれた一番素晴らしいものは、やっぱり新しい聴き方、それのほんとに無限な可能性というのを教えてくれたことだと僕は思うんだけど、その世界が、実はとても日本の音楽に近いものだという気がしてならないんですね。(立花隆著 『武満徹・音楽創造への旅(文芸春秋社刊)』)

 ジョン・ケージはプリペアド・ピアノや「四分三十三秒」などの「作品」で知られる前衛の音楽家だが、武満も彼に大きな影響を受けたとはいえ、決して彼のような音楽家にはならなかった。武満自身も上記の対談のようにケージに共感する部分がある一方で根本的に違うことも認識していた。すなわちケージは作品の構築をやめたのに対し、武満は自分の論理で音楽を構築しようとしてそれを実践したという根本的な違いがあった。前述の対談で触れられた日本の伝統音楽において、特に楽器は武満が指摘したように物理的な「さわり」があるということも実体験として後に触れられている。琵琶や尺八といった楽器は、奏者によってだけでなく、海を渡り、外国の地では特に響きが日本とは異なるという。また音質以前の話として、初めてのアメリカの公演を前に尺八が乾燥で割れてしまったということも述べられている。日本のような高温多湿な地との違いということも実感した。楽器の移動という単純な行為でも「さわり」が生じるということだ。初めてのアメリカ公演というのは、ニューヨーク・フィルの委嘱を受けた1967年のことである。

 ニューヨーク・フィルの125年周年の記念行事で作曲の委嘱を受けた作曲家で唯一の日本人として武満は、指揮の小澤征爾、琵琶と尺八の各々の奏者とともに1967年にニューヨークへ渡る。そのときのニューヨーク・フィルとの初日のエピソードがこの本の中で詳細に書かれているが、それを読むと武満の表現者として味わった、屈辱を慰藉するもののない孤独な存在が、彼の風貌とあいまって胸に迫るものがある。小澤はオーケストラの反応を心配していて、彼らが不謹慎な振る舞いに及び、武満に失礼なことをするのではないかと危惧していたという。そしてそれが現実となり、武満はショックを受け作曲料も何もいらないからキャンセルしたいと小澤に訴えかけたという。ニューヨークでの練習の初日に、二人の奏者(琵琶の鶴田と尺八の横山)が舞台に出てきたとき、団員たちが笑い転げて、中には舞台から飛び降りて客席の方まで転げまわっていったのがいて、武満はこんな不真面目な連中とやれるのかと思ったという。武満の訴えかけに小澤は、これはまだいいほうだ、かつて自分が指揮をする曲では団員全員がいなくなったということもあるから、と言って初日は練習なしで、二人の奏者による日本の伝統的な曲をやってもらったという。そうすると団員たちも音楽家であるから二人の素晴らしい演奏を感じ取り、『ブラボー』といってその後うまくいったということが書かれている。
 
 このエピソードから様々な思いを抱くだろう。半世紀前のこととはいえ、戦後20年は経過していてもやはり国と国の間に生じる根拠のない優位性の感覚は歴然と表れている。前述のケージとの対談で触れられたように、楽器だけでなく武満と二人の奏者(琵琶の鶴田と尺八の横山)が「さわり」となり、外国人の目に音楽家として素直に映し出されるには大きな「プリべンション」があるということを実感したことになる。しかし武満はこのことを契機に世界のTAKEMITSUとなる。かつて笑い転げた人間たちにも尊敬の対象となる。

20年前、武満の訃報の日本におけるメディアの扱いは軽いものだったようで、むしろ世界での報道が大きかったと立花が著書で書いている。現代音楽というジャンルが今も当時も難解であるという一般的な認識の証明でもある。当時NHKで特集番組が放送され、立花隆がコーディネート役として出演していたことを思い出すが、彼が話の途中で言葉に詰まり、涙ぐむ姿が放送されたのを見て、当時私は違和感を抱いた。つまりジャーナリストと現代音楽の作曲家の接点が見いだされなかったためだ。しかし今回この著書を読んで、立花が若いころから現代音楽に関心を持ち、造詣が深いことを知り、あのときの立花の涙を今になって理解する。また武満が彼に長時間に及ぶインタビューに応じたという経緯も理解できる。没後20年を経てもなお武満の音楽は生き続け、古典やスタンダードになっている作品も多く、多くの音楽家の尊敬を集めている。交響楽団の定期公演で現代音楽の演奏はほとんどないに等しいが、私たちはCDを通して武満の論理を超えた音の世界を堪能することができる。

2015.11.21

materialscape -3

 構築物が存在し風景を形成する。様々な都市施設があり、建築物が建ち並び、規制に基づき都市の望む姿に誘導されていく。都市の公共的な空間はモノとそれを扱い関係するヒトで景として成立する。しかしこの都市における公共というなんとなく曖昧な概念は一体誰がどのような外力で企むのだろうか。私たちが住むこの街の姿は、どのような力が働いて今日に至り、そして未来を目指しているのだろうか。そこに働くモメントは公共性という漠然とした、得体のしれない何かにどのように内在しているのか。あるいはどのような外力が働くのか。
 ハイデガーは『存在と時間』において、序説の前にプラトンの『ソフィステース』を以下に引用している。
「・・・というのは、君たちが〈ある〉〔存在する〕という言い方をするとき、一体それがどんな意味なのか、君たちはずっと前からむろんよく知っているのだ。僕たちも以前には、それがよく分かっているつもりだったが、今はてんで分からなくなって困りきっているのだ」。
 ハイデガーはこれを契機に〈ある〉〔存在する〕という根源的な問いを提示し、「すべての存在了解一般が可能になる視界としての、時間を解明することが、この論文のさしあたっての目標なのです」(岩波文庫版 桑木務訳(以下引用同))と自著で論を展開していく(ちなみに著書は未完である)。
 本書第一部第一篇の第四章「共同存在および自己存在としての世界・内・存在「ひと」」の「日常的自己存在と〈ひと〉の節で、公共性について自己及び他人、そして「現存在(ダーザイン)」をモチーフに論じている。「現存在(ダーザイン)」はここで簡単に定義はできないが、かっこつきで人間存在を表し、人間の在り方を指している。そしてこの章(第四章)は「現存在の予備的な基礎分析」の中の考察である。長い著述の中で一つのポイントとしてまとめられるのが、公共性は①差異性(ちがい)、②平均性(ありきたり)、③平坦化(ならし)で構成されるというものだ。
 ハイデガーによると、「ひとが他人とともに、(また他人のためには、また他人に反対して)つかんだところのものを配慮する場合には、いつも他人となんらかの差異をめぐっての関心が存する。それが他人の差異を均すためのものであれ、自分の現存在を他人との関係において引き上げようとすることであれ、自分の現存在が他人より優位にあってかれらを抑えつけようと企てたりする場合であれ、いつも関心は差異に根ざしている」と論じ、現存在は差異性の性格をもっているとしている。さらに「ひとは自分独自の在り方をもっていて、このような差異性の傾向は相互存在そのものが平均性を配慮するものだということに基づく」と論じ、ひとは自分の存在において本質的に平均性に関わっているとする。またさらに平均性は「全て出しゃばってくる例外を監視する。どんな優位も抑えられる。全て深遠な根源的なものも一夜明ければとっくに知られたものとして滑らかになっている。およそ闘いとられたものはみな手ごろなものになり、このような平均性を目指す関心は現存在の本質的な傾向を露呈し、これを存在可能性の平坦化と呼んでいる」。ハイデガーが「公共性」をこのように概念として「差異性」、「平均性」、「平坦化」の三段階で分類しているところが興味深い。
 差異は一個人の中でも表われるし、もちろん他人との関係で顕著になるが、いずれにしても公共性という巨大な怪物の前では平均化され平坦化されるというような一義的で狭義な思考ではないが、あらためて「ひとは自分独自の在り方をもっていて、このような差異性の傾向は相互存在そのものが平均性を配慮するものだということに基づく」という言説から「個」(部分)、「共同(相互)」を、「公共」(全体)という枠の中で、「すべてを曇らす」という現実の中で関心を持ち続けるかということが、ますます大事になってくるであろう。
 
 蛇足になるが、公共は英語で「public」という。
 よく自己PRという言葉を、特に学生の就職活動の面接練習で使う。たいていの学生は自分が中学、高校時代に経験したこと、例えば部活やバイトで頑張った経験を滔々と話す。その努力を社会、会社で活かすということを言いたいのだろうし、それはそれで別にかまわないのだが、採用する側の立場に立ってみればその経験は単なる思い出としてしか捉えられない。結局それが社会と学生個人との関係で考えたとき、公共という社会の中での自分の存在の在り方まで踏み込んだものであれば、「個」「公」のどちらにも偏らない、様々な関係性を意識しうる能力を今後育てることができると思えるようになる。(私は採用する側と学生を指導する側のどちらも経験したことがあるので、多少実感としての考えである)。自己PRのPRとは「public relation」の略であり、「広告」や「宣伝」のほか、字義通りに捉えると「公共的な関係性」といえる。話はハイデガーから逸れるが、最初の問いに戻って「公共性」における「力」というものの存在について、今後も考えてみたいと思う。
 

2015.10.20

TEXT 「軽さと重さ」-5

 ビートルズの音楽は、ポップスのクラシックとしてというわけではなく半世紀にもわたって聴かれ続けられているということはすごいことである。ジョン・レノンもP.マッカートニーも優れたコンポーザーだが、それだけでなく歌詞と曲との密接な結び付きという点においても天才といわれる。われわれ英語圏の者でなくても心地よい響きで心に伝わってくる。しかし一方で歌詞の意味がよく分からないという曲も多いようだ。ポールもそうだが特にジョンの曲にはいくつか存在する。有名なものでは『I am the walrus(アイ・アム・ザ・ウォルラス)』という曲は、実際訳された歌詞を見てみると、確かに全体を通して何について言っているのか不明だ。イギリス本国でさえそう言われている。私も三十数年聴き続けているのにほとんど意味を考えたことなどない。他にも例えば『Lucy in the sky with diamonds』や『Come together』などもそれに該当する。しかしどれも一般に普通に今でも聴かれている。音楽でなく言葉のみの世界なら、例えば詩のカテゴリーとして評価されるのだろうが、音楽しかもポップスであるということに大きな意味があるように思う。つまり言語のもつ「音」とメロディーを融合させ、韻を踏んだり音符の数に合わせて文字数を決めるなど音楽特有の手法を用いている前提があった上で、一般に向けて聴きやすく歌いやすい工夫がされているからだ。ではそういった操作による単に言葉の持つ「音」のみに加担したものかといえばそうではないだろう。歌詞の意味そのものにも魅力と意味があるはずである。『I am the walrus』の歌詞を見てみると

 I am he
As you are he
As you are me
And we are all together

 (訳)僕は彼で
    君は彼で
    君は僕で
    僕らはみんな一緒

 内容は各人称の関係をひとつの単純な論理で形成させている構造だが、「僕」という存在は彼から見ると「彼」であり、「君」という存在は第三者的「彼」でもある。「僕」は「僕」以外の人間と全体を形成し、つまり「僕」は「君」にも「彼」にもなり、「君」にも「彼」にもならない。人間の存在の根源といったら大袈裟なのだが、単純な言葉で深いことを言っている。ジョン・レノンの意図は分からないが、彼は人間の深層の部分を直感的に表現することに長けているように思う。「僕」と「僕ではない者」もみな一緒である、つまりその一緒の前提を明確にせず、概念として二つの対立する存在を同時に現前せしめること。私は丸山圭三郎の「コードなき差異」の概念を思い浮かべる。
 ソシュールによる言語記号とは「自らに外在する実体を指し示す表象ではなく、間主体・共同主観的網の目の産物に過ぎない」ものであり、「記号学」の解体を、「ラングの現象面と本質面の区別ということではなく、意識の表層におけるランガージュのありかたから深層意識におけるランガージュの活動への試み」としている(「」内は『現代思想を読む事典』(講談社刊)から)。意識の表層とではなく深層における「差異」の概念を、丸山氏は「コードなき差異」つまり「いまだコード化されていない差異」としている。コードとは信号の発信者と受信者の間で情報を表示し伝達するための体系のことを指すということで、このような体系を持たない概念のことを指している。多義的でシニフィアンとシニフィエの関係も曖昧な、人の深層意識で発生する概念は、われわれ普段実社会で理屈の中で理不尽さを感じながらも生きている者にはなかなかうまく処理できないが、例えば子供の世界では言葉遊びや意味不明の言葉や音を素直に受け入れる。丸山氏が自著の著作集Ⅳでとりあげている童謡『かごめかごめ』では

 かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ

 「夜明け」と「晩」、「後ろ」と「正面」という互いに逆のものが同じ平面に同時に存在するような表現。「夜明けであり晩でもある」、「後ろであり正面でもある」ともとられる表現に対して子供はその理屈を考えたりしないだろう。丸山氏は、「一切の指向対象を生みだす以前の差異である」としている。
 ビートルズに戻ると、『I am the walrus』に限らず、あまり歌詞の意味を意識しないで聴いている曲がほとんどだが、英語圏ではない者でも時代を超えて聴き続けられている秘密は、この言葉のもつ指向性のない、もっといえば普遍ともいえる開放性によるものもあるのではないかと考える。

2015.10.19

TEXT 「軽さと重さ」-4

 1988年に発行された二冊の『a+u』にA.ヴィドラーの短いテキストがある。その二冊とは、バーナード・チュミの「ラ・ヴィレット公園」が初めて紹介された9月号とP.アイゼンマンの作品集の臨時増刊号である。それぞれに掲載された論文を今改めて読んでみると、最初に読んだ88年当時には感じなかった違和感を覚えたので、それをここで少し述べたい。
 まず9月号だが、(そこにはチュミ本人のテキストもあるが、)ヴィドラーはチュミの建築について『アーキテクトの快楽』と題して論文を掲載している。その内容のキーワードとして「快楽」を使っている。ヴィドラーの考えによるとチュミの考えというのは、「建築家というものは、古今の優れた作品について考察することに意図的に快楽を感じようとせずに、むしろそれを「解体」することに快楽を覚え、快楽を明らかにひねくれた方向へと確実に反らそうとするのである」(引用『a+u』9月号より)。そしてチュミの快楽の本質とは、「受け継がれてきた規範に関する計画的な逸脱、秩序の観念を疑ってみること、調和の概念を再検討すること、形式主義や機能主義の通説から離れること、建築の限界そのものを確かめること」、と記述されている。ここまではヴィドラーによる解釈であるから彼がどのように解釈しても構わないのだが、チュミの「快楽」の考えをバルトの快楽と結びつけていることに対して私は大いに首をかしげる。まずヴィドラーは、「チュミが「解体」で感じる快楽は、バルトが指摘した区別を用いれば「作品」の快楽ではなく、「テクスト」の快楽となるであろう」としている。これはつまりバルトによる「テキストの快楽」とチュミの考える「建築家の快楽」を無理に、あるいは無理解に結び付けているといえないか。ヴィドラーによるバルトのテクスト及び快楽とは、「テクストは作品のように「展示され」いつでも消費されるものではなく、論証されるべきもの」、及び「作品の快楽は優れた著作を読んだり、優れた建物を見たりといった申し分のない恩恵であり、消費の対象としての性格によって相変わらず限定されているが、テクストの快楽は読むことと同様に書く享楽、「快楽」に満ちている」、としている。
 バルトの『テクストの快楽』は、全体を通して決して一義的でなく、上記のようないわば結論的で明確な定義では書かれていない。バルトが著書『テクストの快楽』で述べているテクストの原初的な意味のひとつに「織物」との関係で以下に記述している。「・・・われわれは今、織物の中に不断の編み合せを通してテクストが作られ、加工されるという、生成的な観念を強調しよう。この織物の中に迷い込んで、主体は解体する」。しかし本書は全体的に断章的に書かれていて、しかも前述したように結論めいたことは明確な解答などないし、曖昧な記述も多い。ヴィドラーはチュミの建築にどうしても「テクスト」という概念を取り込み、それに「解体」と「快楽」をもち込もうとした過程で、あたかもバルトの「テクスト」「快楽」が適切な解答を与えているかのごとくあてはめる行為は、バルトを知らない者にとっては誤解をあたえることにつながる。バルトのテキストに対する、それこそ「快楽」は、バルトの前述したような断章的で曖昧ともいえる言説からわれわれが何をどう読み取るかという行為から生まれるといってもいいのではないか。例えば「出現―消滅の演出」や「オイディプス的快楽」など身体や物語の生成との関係で捉えた概念など、分かりにくい部分ではあるが、われわれに豊かな解釈を促す役割を果たしている。ヴィドラーはキーワードとして「解体」を使用したいという意図がこのテキスト全般から伝わってくる。そうであれば、批評家の巨匠に対して失礼かもしれないが、チュミが使う「テクスト」という考えを超えて、もっと建築的で具体的な解釈で「ラ・ヴィレット公園」を例に論を構築してほしいと感じる。「ラ・ヴィレット公園」そういう意味では格好の素材なのだから。

2015.10.15

TEXT materialscape -2

 P.アイゼンマンによる『ホロコースト記念碑』(2005年ベルリン)は『a+u 』に掲載されているし、その用途の性格上からも一般によく知られているが、ウィーンの『ホロコースト記念碑』はあまり一般になじみがないのではないだろうか。このウィーンの記念碑はアイゼンマンによるものではなく、イギリスの美術家レイチェル・ホワイトリードによるものであり、案は設計競技で選ばれ2000年に完成したものである。ベルリンの記念碑の方は広大な敷地に多数の箱が整然と配置されたものだが、それとは対称的にウィーンの方は建物に囲まれたユダヤ人広場にあり、かつてそこにあったシナゴーグ(ユダヤ教の教会)の地中の遺構の上に建てられたものである。ここでは双方のデザインに対して書く意図はなく、ホワイトリードという美術家による作品についての印象について若干の考察を書きとめておきたい。
 私の造語(?)としてmaterialscape について以前書いた線上で考えたことだが、ホワイトリードの作品は、もちろん美術館の展示室におさまる一般的な美術作品の規模のものもあるが、前述した記念碑のような、いわば構築物的な規模の大きなものある。記念碑は碑とはいっても外見上は博物館のような重厚な建築物である。7m×10mの箱型平面で高さが4m近くある。そこには私たちが建築であまり目にしないような外壁、それは一見コンクリートブロックの組積的なつくりのようにも見えるが、その表面の質感に特徴がある。遠目にははっきりしないがクローズアップすると縦に細かいリブが入っていて、触れるのをためらうような非常に荒々しい質感となっている。このデザインの意図は「書物の民」といわれたユダヤ人の暗喩として表現されたものだということで、つまりリブは本の背表紙を表現したということになる。この質感は背景の石造の建物群に負けないとともに調和した落ち着きを放っている。建築批評家A.ヴィドラーによるとこのデザインは「生命の記憶に依存したもの」と評している。実はアイゼンマンもこの設計競技に参加したらしいが、私はその案を知らない。しかしヴィドラーによるとアイゼンマンの応募案は「建築的客体の平行する記憶のなかの、その記憶の形象の模倣に依存したもの、つまり「記憶」のプロセスを模倣したものである」と評しているが、案を見ていないのでこの意味を理解するのは難しい(引用はA.ヴィドラー著『歪んだ建築空間』(青土社刊 中村敏男訳)より)。しかし建築家ではない美術家であるホワイトリードが案として選ばれたのだが、この記念碑以外に彼女の作品、すなわち「美術作品」のなかで興味深いものがある。それは「ハウス」と題されたもので、これも室内に納まるような規模ではなく、一般の住宅建築なみの規模で、屋外作品である。三層構成を思わせる階段の断面と、まるで建物を縦に切断し元々あった内部空間をコンクリートで充填したかのようなマッシブな表現は、詳細は不明だが取り壊し予定の建物を加工したものらしい。前述したヴィドラーの著作から引用すると、「この「ハウス」というキャスト(鋳造作業)は、空間を満たすという単純極まりない作業であり、かつてオープンであったものを閉ざす作業であって、そのことが「オープン(開かれている)」とは絶対的に正しいとは言えないにせよ、より良いことだとする一世紀にわたるドグマの常識的分別と真っ向から対立するのである。・・・そしてこれは、一人の彫刻家が物質的注意力を、複雑に入り組んだ格好の作品の鋳造に、注意深く、発揮した意思表示なのである」。さらに引用を続ける。「「ハウス」がそれまでの居住の記憶や住居の伝統的概念の痕跡であるとするならば、・・・ホロコースト記念碑は、「ハウス」を公共の場において完結させたものである」。またホロコースト記念碑について批評家ジャッスルウッドの解釈を以下のように記述している。「この「メモリアル」は、「ハウス」を論ずるコンテクストのなかでは、単純に彫刻を建築に転換するものではなく、むしろその両方を変貌させている。内部は外部となって、建物は建物「として」キャストされ、固有の内部をもち、さらにそのキャストはイマジナリー(虚として)で、タイポロジー(表象)としての形体以外では決して存在したことがない建物・・・棺とかザ・テンプル(法曹学院)・・・から作られ、彫刻としての基準と建築としての基準を重ね合わせて、何か別のもの、二つの「どちらでもない」ものを構成するのである」。
平たく言えば「記念碑」も「ハウス」も、建築と彫刻の境界を再考させる媒体として現前する。私は「ハウス」を見たとき、鈴木了二氏の仕事を連想した。建築としては「麻布EDGE」。そして70年代以降の「標本建築」は構築物ではないが、バラック建築のファサードを「標本」したもので、これも鈴木氏の「物質試行」の大事な一断面である。ホワイトリードの作品と同様、物質、特に表層の質感に思いを巡らし、言葉を超えて迫りくる力強さは、それが建築であるか美術作品であるかの解釈を寄せ付けない。

2015.10.13

TEXT 「軽さと重さ」-3

 半世紀も前に発表されたコーリン・ロウの『透明性(Transparency)』という論文は、私が学生時代の80年代に『a+u 』の75年のバックナンバーに掲載されたものを目にして以来、しばらくは建築設計の一つの手掛かりとして私の頭の隅にあった。「透明性」を物理的で「実」のものと、知覚的で「虚」のものとの2つに分け、建築に対してバウハウスやル・コルビュジェを例にセザンヌやキュビスムの「透明性」の論理を適用して論が展開されている。今の時代にこのようないわば建築理論をそのまま適用するには少し無理があるように思えるが、この「透明性」を喚起させる建築として私が個人的に思い浮かべる建築は二つある。池原義郎の「早稲田大学人間科学部所沢キャンパス」と槇文彦の「慶応義塾湘南藤沢キャンパス」である。池原の「所沢キャンパス」の方は池原義郎のデザインを象徴するつくりとなっているのがわかる。すわなち「襞」的な表現による壁の何層もの積層による奥行きと複雑さを表す手法、それがいわば「虚」の透明性を喚起しやすい構成となっているが、一方槇の「藤沢キャンパス」の方は一般的には「透明性」とは関係のないような感じを受ける。「所沢キャンパス」に対してガラスによる直接的で現実の、つまり「実」の透明性ということではなく、キャンパス全体、つまり各棟の配置により、近景~遠景へと「虚」の透明性が確保されているように捉えるのだ。しかしこれら二つの例は、ロウが挙げたバウハウスやル・コルビュジェの建築例の分析とは異なるものであり、むしろ絵画的で知覚的な透明感とでもいうようなものに近いものである。つまりわざわざ「透明性」などという言葉を出す必要もなく、建築単体とそれを取り巻く空間の全体と部分の関係から如何にデザインをするかという観点から捉える、手法としても当たり前で基礎的な手法の選択肢でもあるだろう。
 この論文で紹介されているロウのモホリ―ナギに対する解釈は、もはや建築とは関係ない。
『歪曲、再編、懸け言葉というプロセスを経ることによって言語学上の透明性・・・すなわちケペッシュの「視角的な断絶のない相互貫入」にあたるもの・・・が生れるということと、ジョイス的な「言語膠着」に出会った人は、一つの言葉の意味の裏側にもう一つの意味を探る喜びを味わうことになるという事実に気づいたように思われる』(訳 伊東豊雄、松永安光)。
 ロウによるこの記述はエクリチュール上の問題を扱っているだけで、その後の展開でそれを建築という三次元の物体に結びつけることに違和感をおぼえる。すなわちロウのこの記述のような解釈は、単に「透明性」という言葉の表面上の上澄みを表したものと考えてもいいのではないだろうか。ジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に「多重言語膠着」を見出すこととバウハウス透明性とは結びつきの平面が違うのではないかと考える。ジョイスのことを敷衍すると、言語膠着をどのように解釈しているかは分からないが、おそらく一つの意味に様々な要素を付加・結合させ文法的な役割や関係に差異を与えるということだと勝手に解釈すれば、それはニュアンス的には言語的な透明性としてそれこそ何にでもあてはめられそうな印象を与える。しかし一般的に文学上エクリチュールの透明性などと表現した場合に受け取られる印象は、おそらく言葉単体のもつ透明さ、すなわち「きれい」、「みずみずしい」など、直接的な透明性を指すのではないだろうか。
 ここまでの論でも明らかなように、私にとってはすでにこの「透明性」はあまり重要ではない言葉になっている。二次元の絵画、三次元の建築、文学上の言語、これらを貫通させようとする多義的なようで一義的、一義的なようで多義的な発想はむしろ不幸を招くだけだろう。もちろん外部に対する論としては無意味なひとりごとであり、内的にも私にとっては拡大不可のワードとなっている。

2015.10.10

TEXT 「像の此岸」-1

 バルトの言葉を悪用すれば「オイディプス的な快楽」とでもいうか、「物語」が「父」を登場させることで全ての辻褄を、「出現―消滅」の暴露を、求めようとすると私はこの快楽を拒否しようと思う。そういった類いの快楽を否定するもの。「父」、そして「一族」とその「生活」を、その内的な活動を露わにする行為を拒否した創造者たちは、限りない暴力とメタファーに関心のない表象を眼前にぶつけることを唯一の快楽とし、それを受け入れようが受け入まいが画面のサイズに関係なしに人の心を振るわせる。映像の全体性は徹底した健全な暴力論を孕む場合にのみ価値ある部分を内包する。
 次の言葉の無意味さと野暮さは責めることのできない政治性と直感的な表われである。
「これは映画だろうか?アートフィルムだろうか?ジャンルは何だろう?」
「ドキュメンタリーみたいだが、一方で映画的でもある」
 映像を言葉に置き換えようとした結果の空虚さと、いわゆる評に対しての限界と諦めを感じることが多いだろう。しかし彼方に突き放した論を素直に手近に引き寄せたい。

 創造者と創造物。これら2つの例として、P.ボカノウスキーの『天使』(原題L’ANGE)とダニエル・シュミットの『今宵かぎりは』が挙げられる。どちらもストーリーや一般的な評はここでは避ける。またどちらも私がこの20数年、機会あるごとに見続けてきたもので、2つの作品が頭の中で混ざっては分離することを繰り返してきたものだ。

 『天使』は、全体が7つのシークエンスにアーティキュレイトされた構成で、更にそれらが更に微分化され、細切れに切り刻まれ小刻みに震えている。「父」をもたない各一族単位において、さらに子をもたない一族を形成している。そしてその画面構成は舞台性などという小さな言葉の範疇に納まらず、余計な辻褄合わせのスケールさえもたない、しかし実はリアリティのある、手ごたえのあるアナログ空間内の高度な技術空間として不安と安定の間の中を往来する。辻褄もなければ当然「出現―消滅」も存在しない。そこにあるのは画像と動きと「音」の全体性と、一般的な快楽を捨てた快楽の極地である。言いかえれば悲劇としてのオイディプスが発生しようのないものなのだ。

 『今宵かぎりは』は『天使』とは異なり、長い「静」のシークエンスが延々と続き、スローな一つの一族を形成している。ここでは微分化はなく、むしろ全てがゴーレムか能のような動きと空間性を生みだし、要素がアメーバのように気味悪く連結していく。城の中で繰り広げられる逆転の行為は、祝祭のなかの一部の暴力のように、辺りを気にすることなく快楽へ向かう。つまり「父」をもたない構成は一族の構成要素が逆転しても、オイディプス的結果も逆転しない。

 この二つの映像は商業的にも成功している。1984年に公開された『天使』では、ボカノウスキーはセット作りと撮影に2年、特殊効果と編集に3年要している。また『今宵かぎりは』は1972年に劇場公開され、ダニエル・シュミットはその後も多くの作品を発表していて、1995年には大野一雄の舞踏のドキュメンタリー作品も手掛けている。大野一雄の舞台は、私も1996年頃、『わたしのお母さん』という題の舞台を生で観たことがあり、なるほどダニエル・シュミットが彼を取り上げた理由が分かったような気がした。
 「物語」が「一族」を孕むことに否定的な感覚はないし、細部まで計算されたストーリーテリングはそれだけでも感動することがあるし、映像表現が見事なものも当然多い。計算と映像、そして「映画性」とでも言いたくなるような見事な舞台性。それらすべて合わせ持ったものではヴェルナー・ヘルツォークの『ノスフェラトゥ』を挙げたいが、当然B.ストーカーの『ドラキュラ』が原作であることからも、ある「父」の存在は確認できる。しかしその快楽は前述の2つの作品に劣らない。
 映画論をくだくだしく述べることには抵抗があるが、私個人にとっては仕事上大きな影響を与え続けてきた媒体ではあるのだ。

2015.10.8

TEXT 「軽さと重さ」-2

 最近新国立競技場の問題でクローズアップされたザハ・ハディドのデザインから考えたことがあり、それはハディドの「建築デザイン」は変わっていないか、いや変わったのかということである。変わったというのは、日本のバブル期のハディドがまだペーパー・アーキテクトの扱いの時期のことであるが、当時学生だった私を含め多くの学生や一部の建築家がそのアヴァンギャルドに触発されたことを思い出すが、当時を思うと現在の彼女の立場も事務所規模も、そしてデザインも当然変化している。さらに一方で現在の彼女のデザインは、もちろんコンピューターの環境が大きく変わったことを考慮しても、根本的にその表面的な斬新さは変わっていないように思う。そのコンピューター時代だからこそ表現できる範囲が拡大したことは間違いないが、その表現、具体的な建築的形態については彼女自身の内的な規則性とは離れたもののようにも感じる。彼女のキャリアのスタートを印象付けるドローイングは紛れもなく「ドローイング」であり、おそらく全ての表現に何らかの彼女の規則性が内在されているといえる。それは頭の中での観念的でイデオロギー的なものとアナログ的な「手」の動きによるものと類推される。そして近年の彼女の作品集や『A+U』などで建設中のものも含めた作品群を見ていると、昔では実現がありえなかったであろう形態が現実のものとなっていて、まずそのことに驚く。これはハディドに限ったことではないし、コンピューターの発達で複雑な三次元モデルも可能となり、施工と連動していることも既に普通のことである。しかし再びハディドに戻ると、彼女のデザインもその流れの中で生成され、デザインの進化の成果と考えられる一方で、私は実はそれは彼女個人に対する何か「釈然としない広義のデザイン感」とでもいうような思いに駆られる。彼女一個人から規模が拡大していく事務所環境の中で、名をもつ建築家の存在の何か無理な姿勢を感じてしまうのだ。
 建築批評家のアンソニー・ヴィドラーの著作『20世紀建築の発明』(鹿島出版会刊、今村創平訳)の序文の内容が、こうした感じを代弁してくれているような記述をしている。その序文はP.アイゼンマンによるもので、彼はこの序文の中で形式主義(フォルマリズム)をキーワードにアメリカの建築学校での講評会の経験で感じたことを書いている。以下はその抜粋(一部省略などの加工あり)である。

「最近その講評会で、形式主義の新しく、より毒をもった血筋が普及し、その影響を目の当たりにして当惑したことがあった。・・・「より毒のある」というのは、それがネオ・アヴァンギャルドによる技術的決定主義の旗のもとにあったからである。形式主義のつながりが膨大な複雑さと一貫性とを合わせ持つパラメトリック・プロセスを生産する複雑なアルゴリズムから生成された最先端のコンピューター・モデリング技術のなかに見ることができる。・・・これら最先端のプロセスをもつ作品が、こうした作者不詳のプロセスのなかに、ある自律性の遺産の考えに近いためでも行く分ある。だがその代わりに、私には何かが根本的に間違っており、ここでは今日の建築に関するより一般的な問題が語られていると思われた。・・・イデオロギー的関与の欠如と内在的に決定された意味は、この新しい形式主義を自律性の考えへと結びつける。・・・形式的なものは形式主義と区別されるべきであり、前者は内在的価値をもち、後者は現在の造形における空虚な修辞にすぎない。」

 アイゼンマンのこの記述は、コンピューター・プログラムによるアルゴリズムをデザイン手法として否定しているものではなく、また私もハディドの建築をそのように一元的に捉えているわけではない。しかし一方である形式をコントロールする立場がそのコントロールの外れた、いわば意図しない自律性にゆだね表出されたものがその成果だとしたら、それは確かに造形上の修辞ととられかねない。また時代の要請にも応えていないものにもなりかねないだろう。つまりそこには説明不可能性を絶えず孕み、自律した主体が存在しないもの、開き直って言えば「それがデザインというもので、デザインの能力はプログラミング能力、あるいはプロデュース能力と同等である」かのような地点に立ってしまう。建築デザインはコノテーションの余韻や閉鎖的な他者に意味不明なメソッドを受け付けなくなってきている。だからといってもちろんデザインは形式的に一つの解答に収斂するものではないことは誰もが分かっていることだ。