TEXT 「ディテールと身体表象」-1

 それが自己の内面にしっかりと備わっているはずだと錯覚し、そしてそれが活かされないものに不満を抱く。「それ」とは「ディテール」である。建築生成の過程で、ディテールが占める重要性は多くの専門家は認識ている。しかし現実の実務ではそれが全く発揮されていないことに常に力不足を感じる。
 
 私は大学時代を80年代後半に過ごしたが、その時代背景としては様々な分野でそれまでのモダニズムの概念から発展したポストモダン、あるいはデ・コンストラクションの概念が登場してきた時代でもあった。それらの概念は建築界においては思想の世界から遅れて、表現的な、あるいは表面的、表層的に、いわば手法として都合のいいメソッドとして使われた感がある。世界を席巻した刺激的なプロジェクトや作品、それらを模倣したものが多く出回った時代でもあった。
 そんな時代背景のなかで、当時私が在籍した研究室の先生に大きな影響を受けた。そしてその先生の「教え」は、その後の私の建築設計の基本的な考え方の一つになっている。その先生は日本を代表する建築家の一人で、ガウディ研究の第一人者でもある入江正之先生である。そして先生の師が巨匠池原義郎先生である。私は池原先生に直接お目にかかる機会はなかったが、池原先生の思想は入江先生を経由して学ぶことができたと考えている。それは、「思想的」というより私の感覚では「身体的」といって言いものであり、その「身体的」という感覚の基となっているものは、私を含めた学生に対する先生の接し方、あるいは先生の設計態度といっていいものだ。当時を振り返ると、先生の日常は、まず研究室の学生の誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰宅する、しかも実践としての「設計」と研究・理論としての「論文」を両立させ、双方を互いに刺激し合いながら高めていく、そんなハードで地道な日常であった。そのようなハードな日常の中で、私たち学生は、先生から直接言葉で指導を受けるとともに、先生がまさにドラフトに向かう姿勢のオーラや息遣いが、研究室という一つの空間内で「身体感覚」として私たちの内部に浸み込んでくる。
 先生のそのような設計態度は、それまで池原先生のもとで学ばれた設計態度そのものであろうことは推測できる。先生のバイタリティは、怠け癖がついた私を含めた学生たちを鼓舞し、建築に向かう姿勢を「身体経験」として教えてくれた。
 いまも先生の作品が発表されるたびにその変わらぬ設計概念とぶれない態度の一貫性に改めて頭が下がる。
 
その入江先生から、私が学生時代に学んだ一番大きなものは、ディテールの考え方である。先生のディテールの思想は、先生の師である池原義郎先生の言葉からも読みとることができる。

 以下に少し長めの文章を引用する。(彰国社刊『池原義郎のディテール』 巻頭の池原先生自身の言葉『ディテールは全体の形へ包摂されて見えないもの』より)

(ガウディの作品を訪れ、その時受けた池原先生の印象)
「建築を組み立てる概念、仕組、方法そのものへの追究には天才ともいえる能力をもちながら、そのものを表面に主張するのではなく、人の心に温かく呼応するために、建築がもつものへの“願い”の中に要素を総合化し、内部の生活を包み込む柔らかさに温もりのようなものをもたせるために表皮に形とディテールを必然させるのを見ることができた。私が形やディテールを思うとき、このベリュスガルドで受けた印象が脳裏から離れない。
 私は、建築設計において、ディテールは全体の形の内側に潜在化され、現寸で処理しなければならないものと考えている。建築の形は直接に見ることができ、視覚によって直接理解することができる。そして、その形はディテールに内在している。ディテールは、形の単なる部分ではない。形は視覚により見ることができるが、ディテールは、視覚の中で直接に認知されない、形の内に秘められたものである。
 たとえば、直線は幾何学の概念では、2点を最短距離で結ぶものであり、2点間はただ一つしか存在しない。しかし、造形感覚の世界では、2点間を結ぶ直線はただ一つではない。2点間を結ぶ直線には、硬い直線、柔らかい直線、ゆるい直線というように多数ある。視覚的には、直線と認知されるものの中で、柔らかい直線とは、幾何学的には、かすかに曲がる曲線である。曲率が視覚では認知されないほどの小さい曲線である。しかし、これは、感覚的視覚の中の形では直線であって、柔らかさがひそんでいる直線である。この視覚では見えない微小な撓みは、私のディテールの基本的な概念を説明するものである。和風建築において、柱の面の取り方、“ちり”の扱いなどに、設計者は細心の神経を使うが、そのものは、全体の形・空間の中に内在していて、そのものの存在は、視覚的にはほとんど捉えられないものである。しかし“面” “ちり”は、建築の空間や全体の形の感性と精神を視覚化する役割を演じる。』

 以上の文章には池原先生と入江先生のディテールに対する思想がはっきりと明示されている。特に「直線は幾何学の概念では、2点を最短距離で結ぶものであり、2点間はただ一つしか存在しない。しかし、造形感覚の世界では、2点間を結ぶ直線はただ一つではない。2点間を結ぶ直線には、硬い直線、柔らかい直線、ゆるい直線というように多数ある。」という部分は、実際に建築設計に携わる人間でないと、実感として理解することはできないだろう。しかもここ20数年におけるCADによる設計・作図では、直線は「2点間の最短距離」であり、たとえゆるい曲率だとしても、最終的は閉じることになる円環の一部である。先生の「ゆるい曲線」とは閉じない曲率である。その感覚は、私はドラフトに向かう「姿勢」から生まれるものだと考えている。いわば身体表現によって生み出されるもの、一種のスポーツのような態度に近いのではないかと考えている。飛躍しすぎかもしれないし、また時代遅れともいわれかねないが、私自身はいまでもそう考える。ではそれがCADによる表現で不可能なのかというと、そうとは言えないが、CADに変換する以前の段階でやはりそういった身体表現が必然であると考えている。池原先生の上述の文で和風建築の“ちり” “面”が取り上げられているが、私たち日本人にとって、「理屈は分からないが何となく美しい」と感じることができる「和」のデザインは、そこに秘められたディテールにあることを私たち設計に携わる者は忘れてはいけないと考える。

TEXT 「木」の硬軟

 この数十年で建築材料として無垢の木を使うことが次第に少なくなった。木造の構造材は、昔はその部位 ―例えば土台、柱、梁など- で使用する樹種が異なっていたが、いまは同じものを使っていることが多いだけでなく、本木ではあっても集成材が使われることが多いし、輸入材も増えているのが現状である。それはたとえ林業の盛んなまちでも例外ではない。
 いまここで書くことは、木の使われ方の推移についてではなく、建築ではあまり耳慣れないある樹種についてである。「白檀(びゃくだん)」という木がある。私が所有する木材辞典から引用すると、『樹名:ビャクダン 分類:ビャクダン科 ・・・硬さ状況:超硬質 腐食耐久性:良 原木は輸入禁止 白檀はインドの葬儀には欠かせない香木です。インドビャクダンは少し黄色を帯びた灰白色をしていて使いこむと黒ずんできます。インドネシアに入ると木も太くなり、木目が荒く黄色が強くなってきます。自生地の東端はティモール島です。日本では囲炉裏框に使い、茶室の炉には最高の框材とされます。仏像彫刻も有名。』などと記述されているように、硬さと香りが特徴である。木造の家なのに木の匂いがしないのは、いまでは普通であるが、和室をつくる機会があったときなどは何か懐かしい匂いがする。それは畳のい草からくるものがほとんどだが、床の間で本木を使うとその香りも加わる。例えば床柱として「紫檀(シタン)」などは最高級品だが、これも白檀の仲間である。黒檀や花梨などとともに「唐木」というくくりをされることもあり、美しい色や艶の特徴を活かした家具や楽器が作られる。仏像でも白檀が使われるが、それは香りとともに腐食耐久性が良いことからであることは明白である(硬質であるため、彫刻は難儀するらしい)。原産地がインド~インドネシアのアジアであるということから仏教国で仏像にこの木が使われることは納得できる。またアジア原産ということから、中国の古典と、そして現代文学の世界でもそれぞれ白檀について書かれたものをみとめることができる。

 ひとつは誰もが知っている『西遊記』、そしてもうひとつは莫言の『白檀の刑』である。
『西遊記』では、悟空と八戒の会話で白檀の硬さについて他の木と比較する形で記述されている。

「おぬしはガキの時分から山のなかで人を食っていたから、木材に二種類あることぐらいは知ってるだろ?」「知らねえな。どんな木材だ?」「ひとつは楊木(やなぎ)、ひとつは檀木(びゃくだん)だ。やなぎは、その性質はなはだ柔軟である。よって名匠がそれで聖像を彫り如来を刻む。それに金箔を貼ったり白く塗ったり、玉(ぎょく)を嵌(は)めたり模様を描いたりすれば、万人が香をたいて礼拝し、はかり知れぬ幸福を手に入れている。いっぽうびゃくだんは、その性質はなはだ剛硬である。よって製油所がそれで油しぼり用のくさびをつくる。そして鉄のたがでしめつけられたりするんだが、それもこれも、この木が剛強なるがゆえに、こんな苦しみを受けるのであるよ」「兄貴、いい話じゃないか。なんでもっと早く教えてくれなかったんだい?そうすりゃ、やつらにぶたれなくてすんだのにな」 (『西遊記』岩波文庫版より)

 以上は八戒が山からおりる際、二人の女の妖怪に会い、八戒が彼女らに「妖怪」と声をかけたことに女怪たちが怒り、八戒が頭を鉄秤棒で殴られたことを、悟空に話した時の二人の会話である。ここでは彫像についてはむしろ柳の方の記述であるが、人間性の硬軟を柳と白檀の硬さの比較でたとえているのがこの会話の眼目であることが興味深い。
 また現代文学では、やはり現代の中国の作家 莫言の『白檀の刑』という作品があるが、内容は「刑」ということから分かるように、処刑が中心として清朝末期の中国を舞台に書かれたものだ。刑そのものについては本書を読むと分かるのでここでは記述は避けるが、かなり残酷なものである。硬い木が使われる理由がここでは納得できると思う。直接刑とは関係ない箇所で、以下に白檀のことが書かれている文節を引用する。

『母屋に入ると、北京から運ばせた竜の彫り物のある金糸模様の白檀の太師(タイシー)椅子[肘掛けつきの直立型椅子]に端座している舅が、目を閉じて躰を休めているのが目に入りました。両手で白檀の数珠を握り、口ではぶつぶつ言っていますが、お経を唱えているのやら、誰ぞを罵ってござるのやら。』(莫言 『白檀の刑』 中央公論新社刊 吉田富夫訳より)

この一節では椅子や数珠に白檀が使われていることが書かれていて、中国では昔から馴染み深い木の材料だったのではないかと推測できる。
 いずれにしても木は建築だけではなく様々なものに使われる。木は生き物であり、硬軟だけでも人間性にたとえることもある。身近に本木が少なくなる中、改めて木の魅力をみつめてみたい。