つい先日、ピンクフロイドの新譜が発売された。『The Division Bell(邦題:「対」)』以来20年振りである。アルバムのアートワークは元ヒプノシスのオーブリー・パウエルが手掛けた。ジャケットカバーはタイトルの『The Endless River』にふさわしい美しいイメージと、ピンクフロイドのもつスケールの大きさを兼ね備えている。
パウエルはヒプノシスの共同設立者の二人(のちに三人)の内の一人であるが、もう一人の重要な人物ストーム・トーガソンは昨年亡くなった。ピンクフロイドのこの新譜は、2008年に亡くなったリック・ライト(ピンクフロイドのメンバーの一人)への追悼であるとともに、個人的にはトーガソンへの追悼としても思いたい。
ヒプノシスの倉庫に保管されていた大量のフォトセッションや印刷見本などを一冊にまとめた『ヒプノシス・アーカイヴズ』(日本版:河出書房新社刊)がつい最近発売された。私自身も所有するレコード、CDにもヒプノシスによるデザインが多くある。ピンクフロイド、UFO、ウィッシュボーンアッシュ、レッド・ツェッペリンなど。なかでもヒプノシスといえば私だけなく多くの人がまず思い浮かべるのが、ピンクフロイドの『原子心母』であろうが、この本の中でパウエルが初期の頃のヒプノシスに対してのレコード会社の反応について、以下のように言っている。
・・・われわれは常にウケがよかったわけではない。レコード会社がどれほどヒプノシスを嫌っていたことか。「フロントジャケットは牛だけで、ピンクフロイドの名前が出てないだって?これでどうやってレコードを売るんだ?」というのが典型的な反応だ。
最終的には彼らの案が採用されたわけだが、レコード会社を説得するための実績の乏しさと業界の常識が障害となり、不採用もやむなしと考えるのが普通であろう。しかしこのジャケットは音楽とともに70年代の幕あけを飾るにふさわしい作品となった。何でも「最初」というのはそれだけで尊敬に値する。
また当時のヒプノシスの仕事について、トーガソンが以下のように言っている。
・・・ポー(パウエルのこと)と私、そしてピーターはいろいろな実験で遊んだ。たとえば現像液をはねかけてみたり、質感を変えてみたり、ブロムオイル法でプリントしたり、ポラロイドを使ったり、手で着色したり、その他多くの効果を使ったりした。(中略)ポートレートらしからぬこと、平凡さを免れることならなんでもやった。ヒプノシスのポートレートを見直していく中で、我々はそれらを再考し、再評価する機会を持つことができた。(中略)これらのイメージは時を逆行させるような魔法を今も生み出している、と我々は思う。
トーガソンが亡くなる前にアーカイヴズを整理している中での発言だと思うが、当時のアナログ的な実験や遊びが結果的に常識を超えたクリエイティブな力の源泉になっていたといえる。今ではデジタル的な手法が主流だが、過去を振り返ることの意義はこうした経過を知り、そして再評価し、現在に活かすことではないだろうか。
ピンクフロイドの『Wish You Were Here』のアートワークのデザインの経緯として、そのアナログのすごさをあらためて実感する記述がこの本にある。スイマーが砂漠の風景をかきわけて進むデザインがあるが、これは実際にアメリカのユマ砂漠で実際に撮影されたものだということが書かれている。砂漠で彼らの乗り物が砂に埋まって進まなくなったときにバギー・ライダーたちが救助に来てくれたという逸話も書かれているが、このシーンのアートワークを知っている人は、当時はこれが合成か否か半々くらいの認識ではないだろうか。しかし現在はじめて見る人はほぼ100%合成でデジタル処理したものだと思うだろう。CDのカバーにこれほどの労力をかけはしないだろうと考えるのが普通だ。しかしレコードジャケットの約30㎝角に広がる世界は音楽をはなれて独自の世界観をかもしだす。いわゆる「ジャケ買い」をするという行為も納得できるのだ。このアートワークの魅力は、非常識と思わせるものの中にリアリティがあり、またリアリティのなかに幻想がある、ということがいえないだろうか。
またこの『アーカイヴズ』のなかで、興味深い製作過程の紹介があった。スコーピオンズの『Blackout』について書かれたものである。最終版は彼らによるものではなく、ヘルンヴァインの「絵画」作品であるが、なぜ自分たちの案が却下されたのかということについて、彼ら自身が冷静に分析している。つまり努力して作って、しかも面白いものができたが、結局リアリティに欠け、それがスコーピオンズのイメージとかけ離れていたのではないか、ということが文面から解釈できる。ヘルンヴァインの作品は「絵画」であるが、その「スーパーリアリズム」はリアリズムを超えたリアリティを出している。スコーピオンズのドイツ的なハードコアが、ヘルンヴァインのスーパーリアリズムとマッチした作品となった。ヒプノシスの案は現実の素材を使い、撮影したリアリズムであるにもかかわらずリアリティがなく、ヘルンヴァインは「絵画」であるのにリアリティがあるという、皮肉だが教示的な結果となった。しかしいずれも現実の世界で生み出された手ごたえのあるものには変わらない。
私は先述したトーガソンの言葉が忘れられない。
「・・・平凡さを免れることならなんでもやった。・・・我々はそれらを再考し、再評価する機会を持つことができた。・・・これらのイメージは時を逆行させるような魔法を今も生み出している、と我々は思う」。
私が建築のデザインにおいて、いろんな理由からややもすればあきらめもしょうがないと思うことも多いが、やはりひとつひとつ手ごたえがあり、実感をもてる仕事の仕方をしなければならないと、この『アーカイヴズ』からあらためて教わったような気がする。