TEXT 「軽さと重さ」-5

 ビートルズの音楽は、ポップスのクラシックとしてというわけではなく半世紀にもわたって聴かれ続けられているということはすごいことである。ジョン・レノンもP.マッカートニーも優れたコンポーザーだが、それだけでなく歌詞と曲との密接な結び付きという点においても天才といわれる。われわれ英語圏の者でなくても心地よい響きで心に伝わってくる。しかし一方で歌詞の意味がよく分からないという曲も多いようだ。ポールもそうだが特にジョンの曲にはいくつか存在する。有名なものでは『I am the walrus(アイ・アム・ザ・ウォルラス)』という曲は、実際訳された歌詞を見てみると、確かに全体を通して何について言っているのか不明だ。イギリス本国でさえそう言われている。私も三十数年聴き続けているのにほとんど意味を考えたことなどない。他にも例えば『Lucy in the sky with diamonds』や『Come together』などもそれに該当する。しかしどれも一般に普通に今でも聴かれている。音楽でなく言葉のみの世界なら、例えば詩のカテゴリーとして評価されるのだろうが、音楽しかもポップスであるということに大きな意味があるように思う。つまり言語のもつ「音」とメロディーを融合させ、韻を踏んだり音符の数に合わせて文字数を決めるなど音楽特有の手法を用いている前提があった上で、一般に向けて聴きやすく歌いやすい工夫がされているからだ。ではそういった操作による単に言葉の持つ「音」のみに加担したものかといえばそうではないだろう。歌詞の意味そのものにも魅力と意味があるはずである。『I am the walrus』の歌詞を見てみると

 I am he
As you are he
As you are me
And we are all together

 (訳)僕は彼で
    君は彼で
    君は僕で
    僕らはみんな一緒

 内容は各人称の関係をひとつの単純な論理で形成させている構造だが、「僕」という存在は彼から見ると「彼」であり、「君」という存在は第三者的「彼」でもある。「僕」は「僕」以外の人間と全体を形成し、つまり「僕」は「君」にも「彼」にもなり、「君」にも「彼」にもならない。人間の存在の根源といったら大袈裟なのだが、単純な言葉で深いことを言っている。ジョン・レノンの意図は分からないが、彼は人間の深層の部分を直感的に表現することに長けているように思う。「僕」と「僕ではない者」もみな一緒である、つまりその一緒の前提を明確にせず、概念として二つの対立する存在を同時に現前せしめること。私は丸山圭三郎の「コードなき差異」の概念を思い浮かべる。
 ソシュールによる言語記号とは「自らに外在する実体を指し示す表象ではなく、間主体・共同主観的網の目の産物に過ぎない」ものであり、「記号学」の解体を、「ラングの現象面と本質面の区別ということではなく、意識の表層におけるランガージュのありかたから深層意識におけるランガージュの活動への試み」としている(「」内は『現代思想を読む事典』(講談社刊)から)。意識の表層とではなく深層における「差異」の概念を、丸山氏は「コードなき差異」つまり「いまだコード化されていない差異」としている。コードとは信号の発信者と受信者の間で情報を表示し伝達するための体系のことを指すということで、このような体系を持たない概念のことを指している。多義的でシニフィアンとシニフィエの関係も曖昧な、人の深層意識で発生する概念は、われわれ普段実社会で理屈の中で理不尽さを感じながらも生きている者にはなかなかうまく処理できないが、例えば子供の世界では言葉遊びや意味不明の言葉や音を素直に受け入れる。丸山氏が自著の著作集Ⅳでとりあげている童謡『かごめかごめ』では

 かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ

 「夜明け」と「晩」、「後ろ」と「正面」という互いに逆のものが同じ平面に同時に存在するような表現。「夜明けであり晩でもある」、「後ろであり正面でもある」ともとられる表現に対して子供はその理屈を考えたりしないだろう。丸山氏は、「一切の指向対象を生みだす以前の差異である」としている。
 ビートルズに戻ると、『I am the walrus』に限らず、あまり歌詞の意味を意識しないで聴いている曲がほとんどだが、英語圏ではない者でも時代を超えて聴き続けられている秘密は、この言葉のもつ指向性のない、もっといえば普遍ともいえる開放性によるものもあるのではないかと考える。

TEXT 「軽さと重さ」-4

 1988年に発行された二冊の『a+u』にA.ヴィドラーの短いテキストがある。その二冊とは、バーナード・チュミの「ラ・ヴィレット公園」が初めて紹介された9月号とP.アイゼンマンの作品集の臨時増刊号である。それぞれに掲載された論文を今改めて読んでみると、最初に読んだ88年当時には感じなかった違和感を覚えたので、それをここで少し述べたい。
 まず9月号だが、(そこにはチュミ本人のテキストもあるが、)ヴィドラーはチュミの建築について『アーキテクトの快楽』と題して論文を掲載している。その内容のキーワードとして「快楽」を使っている。ヴィドラーの考えによるとチュミの考えというのは、「建築家というものは、古今の優れた作品について考察することに意図的に快楽を感じようとせずに、むしろそれを「解体」することに快楽を覚え、快楽を明らかにひねくれた方向へと確実に反らそうとするのである」(引用『a+u』9月号より)。そしてチュミの快楽の本質とは、「受け継がれてきた規範に関する計画的な逸脱、秩序の観念を疑ってみること、調和の概念を再検討すること、形式主義や機能主義の通説から離れること、建築の限界そのものを確かめること」、と記述されている。ここまではヴィドラーによる解釈であるから彼がどのように解釈しても構わないのだが、チュミの「快楽」の考えをバルトの快楽と結びつけていることに対して私は大いに首をかしげる。まずヴィドラーは、「チュミが「解体」で感じる快楽は、バルトが指摘した区別を用いれば「作品」の快楽ではなく、「テクスト」の快楽となるであろう」としている。これはつまりバルトによる「テキストの快楽」とチュミの考える「建築家の快楽」を無理に、あるいは無理解に結び付けているといえないか。ヴィドラーによるバルトのテクスト及び快楽とは、「テクストは作品のように「展示され」いつでも消費されるものではなく、論証されるべきもの」、及び「作品の快楽は優れた著作を読んだり、優れた建物を見たりといった申し分のない恩恵であり、消費の対象としての性格によって相変わらず限定されているが、テクストの快楽は読むことと同様に書く享楽、「快楽」に満ちている」、としている。
 バルトの『テクストの快楽』は、全体を通して決して一義的でなく、上記のようないわば結論的で明確な定義では書かれていない。バルトが著書『テクストの快楽』で述べているテクストの原初的な意味のひとつに「織物」との関係で以下に記述している。「・・・われわれは今、織物の中に不断の編み合せを通してテクストが作られ、加工されるという、生成的な観念を強調しよう。この織物の中に迷い込んで、主体は解体する」。しかし本書は全体的に断章的に書かれていて、しかも前述したように結論めいたことは明確な解答などないし、曖昧な記述も多い。ヴィドラーはチュミの建築にどうしても「テクスト」という概念を取り込み、それに「解体」と「快楽」をもち込もうとした過程で、あたかもバルトの「テクスト」「快楽」が適切な解答を与えているかのごとくあてはめる行為は、バルトを知らない者にとっては誤解をあたえることにつながる。バルトのテキストに対する、それこそ「快楽」は、バルトの前述したような断章的で曖昧ともいえる言説からわれわれが何をどう読み取るかという行為から生まれるといってもいいのではないか。例えば「出現―消滅の演出」や「オイディプス的快楽」など身体や物語の生成との関係で捉えた概念など、分かりにくい部分ではあるが、われわれに豊かな解釈を促す役割を果たしている。ヴィドラーはキーワードとして「解体」を使用したいという意図がこのテキスト全般から伝わってくる。そうであれば、批評家の巨匠に対して失礼かもしれないが、チュミが使う「テクスト」という考えを超えて、もっと建築的で具体的な解釈で「ラ・ヴィレット公園」を例に論を構築してほしいと感じる。「ラ・ヴィレット公園」そういう意味では格好の素材なのだから。

TEXT materialscape -2

 P.アイゼンマンによる『ホロコースト記念碑』(2005年ベルリン)は『a+u 』に掲載されているし、その用途の性格上からも一般によく知られているが、ウィーンの『ホロコースト記念碑』はあまり一般になじみがないのではないだろうか。このウィーンの記念碑はアイゼンマンによるものではなく、イギリスの美術家レイチェル・ホワイトリードによるものであり、案は設計競技で選ばれ2000年に完成したものである。ベルリンの記念碑の方は広大な敷地に多数の箱が整然と配置されたものだが、それとは対称的にウィーンの方は建物に囲まれたユダヤ人広場にあり、かつてそこにあったシナゴーグ(ユダヤ教の教会)の地中の遺構の上に建てられたものである。ここでは双方のデザインに対して書く意図はなく、ホワイトリードという美術家による作品についての印象について若干の考察を書きとめておきたい。
 私の造語(?)としてmaterialscape について以前書いた線上で考えたことだが、ホワイトリードの作品は、もちろん美術館の展示室におさまる一般的な美術作品の規模のものもあるが、前述した記念碑のような、いわば構築物的な規模の大きなものある。記念碑は碑とはいっても外見上は博物館のような重厚な建築物である。7m×10mの箱型平面で高さが4m近くある。そこには私たちが建築であまり目にしないような外壁、それは一見コンクリートブロックの組積的なつくりのようにも見えるが、その表面の質感に特徴がある。遠目にははっきりしないがクローズアップすると縦に細かいリブが入っていて、触れるのをためらうような非常に荒々しい質感となっている。このデザインの意図は「書物の民」といわれたユダヤ人の暗喩として表現されたものだということで、つまりリブは本の背表紙を表現したということになる。この質感は背景の石造の建物群に負けないとともに調和した落ち着きを放っている。建築批評家A.ヴィドラーによるとこのデザインは「生命の記憶に依存したもの」と評している。実はアイゼンマンもこの設計競技に参加したらしいが、私はその案を知らない。しかしヴィドラーによるとアイゼンマンの応募案は「建築的客体の平行する記憶のなかの、その記憶の形象の模倣に依存したもの、つまり「記憶」のプロセスを模倣したものである」と評しているが、案を見ていないのでこの意味を理解するのは難しい(引用はA.ヴィドラー著『歪んだ建築空間』(青土社刊 中村敏男訳)より)。しかし建築家ではない美術家であるホワイトリードが案として選ばれたのだが、この記念碑以外に彼女の作品、すなわち「美術作品」のなかで興味深いものがある。それは「ハウス」と題されたもので、これも室内に納まるような規模ではなく、一般の住宅建築なみの規模で、屋外作品である。三層構成を思わせる階段の断面と、まるで建物を縦に切断し元々あった内部空間をコンクリートで充填したかのようなマッシブな表現は、詳細は不明だが取り壊し予定の建物を加工したものらしい。前述したヴィドラーの著作から引用すると、「この「ハウス」というキャスト(鋳造作業)は、空間を満たすという単純極まりない作業であり、かつてオープンであったものを閉ざす作業であって、そのことが「オープン(開かれている)」とは絶対的に正しいとは言えないにせよ、より良いことだとする一世紀にわたるドグマの常識的分別と真っ向から対立するのである。・・・そしてこれは、一人の彫刻家が物質的注意力を、複雑に入り組んだ格好の作品の鋳造に、注意深く、発揮した意思表示なのである」。さらに引用を続ける。「「ハウス」がそれまでの居住の記憶や住居の伝統的概念の痕跡であるとするならば、・・・ホロコースト記念碑は、「ハウス」を公共の場において完結させたものである」。またホロコースト記念碑について批評家ジャッスルウッドの解釈を以下のように記述している。「この「メモリアル」は、「ハウス」を論ずるコンテクストのなかでは、単純に彫刻を建築に転換するものではなく、むしろその両方を変貌させている。内部は外部となって、建物は建物「として」キャストされ、固有の内部をもち、さらにそのキャストはイマジナリー(虚として)で、タイポロジー(表象)としての形体以外では決して存在したことがない建物・・・棺とかザ・テンプル(法曹学院)・・・から作られ、彫刻としての基準と建築としての基準を重ね合わせて、何か別のもの、二つの「どちらでもない」ものを構成するのである」。
平たく言えば「記念碑」も「ハウス」も、建築と彫刻の境界を再考させる媒体として現前する。私は「ハウス」を見たとき、鈴木了二氏の仕事を連想した。建築としては「麻布EDGE」。そして70年代以降の「標本建築」は構築物ではないが、バラック建築のファサードを「標本」したもので、これも鈴木氏の「物質試行」の大事な一断面である。ホワイトリードの作品と同様、物質、特に表層の質感に思いを巡らし、言葉を超えて迫りくる力強さは、それが建築であるか美術作品であるかの解釈を寄せ付けない。

TEXT 「軽さと重さ」-3

 半世紀も前に発表されたコーリン・ロウの『透明性(Transparency)』という論文は、私が学生時代の80年代に『a+u 』の75年のバックナンバーに掲載されたものを目にして以来、しばらくは建築設計の一つの手掛かりとして私の頭の隅にあった。「透明性」を物理的で「実」のものと、知覚的で「虚」のものとの2つに分け、建築に対してバウハウスやル・コルビュジェを例にセザンヌやキュビスムの「透明性」の論理を適用して論が展開されている。今の時代にこのようないわば建築理論をそのまま適用するには少し無理があるように思えるが、この「透明性」を喚起させる建築として私が個人的に思い浮かべる建築は二つある。池原義郎の「早稲田大学人間科学部所沢キャンパス」と槇文彦の「慶応義塾湘南藤沢キャンパス」である。池原の「所沢キャンパス」の方は池原義郎のデザインを象徴するつくりとなっているのがわかる。すわなち「襞」的な表現による壁の何層もの積層による奥行きと複雑さを表す手法、それがいわば「虚」の透明性を喚起しやすい構成となっているが、一方槇の「藤沢キャンパス」の方は一般的には「透明性」とは関係のないような感じを受ける。「所沢キャンパス」に対してガラスによる直接的で現実の、つまり「実」の透明性ということではなく、キャンパス全体、つまり各棟の配置により、近景~遠景へと「虚」の透明性が確保されているように捉えるのだ。しかしこれら二つの例は、ロウが挙げたバウハウスやル・コルビュジェの建築例の分析とは異なるものであり、むしろ絵画的で知覚的な透明感とでもいうようなものに近いものである。つまりわざわざ「透明性」などという言葉を出す必要もなく、建築単体とそれを取り巻く空間の全体と部分の関係から如何にデザインをするかという観点から捉える、手法としても当たり前で基礎的な手法の選択肢でもあるだろう。
 この論文で紹介されているロウのモホリ―ナギに対する解釈は、もはや建築とは関係ない。
『歪曲、再編、懸け言葉というプロセスを経ることによって言語学上の透明性・・・すなわちケペッシュの「視角的な断絶のない相互貫入」にあたるもの・・・が生れるということと、ジョイス的な「言語膠着」に出会った人は、一つの言葉の意味の裏側にもう一つの意味を探る喜びを味わうことになるという事実に気づいたように思われる』(訳 伊東豊雄、松永安光)。
 ロウによるこの記述はエクリチュール上の問題を扱っているだけで、その後の展開でそれを建築という三次元の物体に結びつけることに違和感をおぼえる。すなわちロウのこの記述のような解釈は、単に「透明性」という言葉の表面上の上澄みを表したものと考えてもいいのではないだろうか。ジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に「多重言語膠着」を見出すこととバウハウス透明性とは結びつきの平面が違うのではないかと考える。ジョイスのことを敷衍すると、言語膠着をどのように解釈しているかは分からないが、おそらく一つの意味に様々な要素を付加・結合させ文法的な役割や関係に差異を与えるということだと勝手に解釈すれば、それはニュアンス的には言語的な透明性としてそれこそ何にでもあてはめられそうな印象を与える。しかし一般的に文学上エクリチュールの透明性などと表現した場合に受け取られる印象は、おそらく言葉単体のもつ透明さ、すなわち「きれい」、「みずみずしい」など、直接的な透明性を指すのではないだろうか。
 ここまでの論でも明らかなように、私にとってはすでにこの「透明性」はあまり重要ではない言葉になっている。二次元の絵画、三次元の建築、文学上の言語、これらを貫通させようとする多義的なようで一義的、一義的なようで多義的な発想はむしろ不幸を招くだけだろう。もちろん外部に対する論としては無意味なひとりごとであり、内的にも私にとっては拡大不可のワードとなっている。

TEXT 「像の此岸」-1

 バルトの言葉を悪用すれば「オイディプス的な快楽」とでもいうか、「物語」が「父」を登場させることで全ての辻褄を、「出現―消滅」の暴露を、求めようとすると私はこの快楽を拒否しようと思う。そういった類いの快楽を否定するもの。「父」、そして「一族」とその「生活」を、その内的な活動を露わにする行為を拒否した創造者たちは、限りない暴力とメタファーに関心のない表象を眼前にぶつけることを唯一の快楽とし、それを受け入れようが受け入まいが画面のサイズに関係なしに人の心を振るわせる。映像の全体性は徹底した健全な暴力論を孕む場合にのみ価値ある部分を内包する。
 次の言葉の無意味さと野暮さは責めることのできない政治性と直感的な表われである。
「これは映画だろうか?アートフィルムだろうか?ジャンルは何だろう?」
「ドキュメンタリーみたいだが、一方で映画的でもある」
 映像を言葉に置き換えようとした結果の空虚さと、いわゆる評に対しての限界と諦めを感じることが多いだろう。しかし彼方に突き放した論を素直に手近に引き寄せたい。

 創造者と創造物。これら2つの例として、P.ボカノウスキーの『天使』(原題L’ANGE)とダニエル・シュミットの『今宵かぎりは』が挙げられる。どちらもストーリーや一般的な評はここでは避ける。またどちらも私がこの20数年、機会あるごとに見続けてきたもので、2つの作品が頭の中で混ざっては分離することを繰り返してきたものだ。

 『天使』は、全体が7つのシークエンスにアーティキュレイトされた構成で、更にそれらが更に微分化され、細切れに切り刻まれ小刻みに震えている。「父」をもたない各一族単位において、さらに子をもたない一族を形成している。そしてその画面構成は舞台性などという小さな言葉の範疇に納まらず、余計な辻褄合わせのスケールさえもたない、しかし実はリアリティのある、手ごたえのあるアナログ空間内の高度な技術空間として不安と安定の間の中を往来する。辻褄もなければ当然「出現―消滅」も存在しない。そこにあるのは画像と動きと「音」の全体性と、一般的な快楽を捨てた快楽の極地である。言いかえれば悲劇としてのオイディプスが発生しようのないものなのだ。

 『今宵かぎりは』は『天使』とは異なり、長い「静」のシークエンスが延々と続き、スローな一つの一族を形成している。ここでは微分化はなく、むしろ全てがゴーレムか能のような動きと空間性を生みだし、要素がアメーバのように気味悪く連結していく。城の中で繰り広げられる逆転の行為は、祝祭のなかの一部の暴力のように、辺りを気にすることなく快楽へ向かう。つまり「父」をもたない構成は一族の構成要素が逆転しても、オイディプス的結果も逆転しない。

 この二つの映像は商業的にも成功している。1984年に公開された『天使』では、ボカノウスキーはセット作りと撮影に2年、特殊効果と編集に3年要している。また『今宵かぎりは』は1972年に劇場公開され、ダニエル・シュミットはその後も多くの作品を発表していて、1995年には大野一雄の舞踏のドキュメンタリー作品も手掛けている。大野一雄の舞台は、私も1996年頃、『わたしのお母さん』という題の舞台を生で観たことがあり、なるほどダニエル・シュミットが彼を取り上げた理由が分かったような気がした。
 「物語」が「一族」を孕むことに否定的な感覚はないし、細部まで計算されたストーリーテリングはそれだけでも感動することがあるし、映像表現が見事なものも当然多い。計算と映像、そして「映画性」とでも言いたくなるような見事な舞台性。それらすべて合わせ持ったものではヴェルナー・ヘルツォークの『ノスフェラトゥ』を挙げたいが、当然B.ストーカーの『ドラキュラ』が原作であることからも、ある「父」の存在は確認できる。しかしその快楽は前述の2つの作品に劣らない。
 映画論をくだくだしく述べることには抵抗があるが、私個人にとっては仕事上大きな影響を与え続けてきた媒体ではあるのだ。

TEXT 「軽さと重さ」-2

 最近新国立競技場の問題でクローズアップされたザハ・ハディドのデザインから考えたことがあり、それはハディドの「建築デザイン」は変わっていないか、いや変わったのかということである。変わったというのは、日本のバブル期のハディドがまだペーパー・アーキテクトの扱いの時期のことであるが、当時学生だった私を含め多くの学生や一部の建築家がそのアヴァンギャルドに触発されたことを思い出すが、当時を思うと現在の彼女の立場も事務所規模も、そしてデザインも当然変化している。さらに一方で現在の彼女のデザインは、もちろんコンピューターの環境が大きく変わったことを考慮しても、根本的にその表面的な斬新さは変わっていないように思う。そのコンピューター時代だからこそ表現できる範囲が拡大したことは間違いないが、その表現、具体的な建築的形態については彼女自身の内的な規則性とは離れたもののようにも感じる。彼女のキャリアのスタートを印象付けるドローイングは紛れもなく「ドローイング」であり、おそらく全ての表現に何らかの彼女の規則性が内在されているといえる。それは頭の中での観念的でイデオロギー的なものとアナログ的な「手」の動きによるものと類推される。そして近年の彼女の作品集や『A+U』などで建設中のものも含めた作品群を見ていると、昔では実現がありえなかったであろう形態が現実のものとなっていて、まずそのことに驚く。これはハディドに限ったことではないし、コンピューターの発達で複雑な三次元モデルも可能となり、施工と連動していることも既に普通のことである。しかし再びハディドに戻ると、彼女のデザインもその流れの中で生成され、デザインの進化の成果と考えられる一方で、私は実はそれは彼女個人に対する何か「釈然としない広義のデザイン感」とでもいうような思いに駆られる。彼女一個人から規模が拡大していく事務所環境の中で、名をもつ建築家の存在の何か無理な姿勢を感じてしまうのだ。
 建築批評家のアンソニー・ヴィドラーの著作『20世紀建築の発明』(鹿島出版会刊、今村創平訳)の序文の内容が、こうした感じを代弁してくれているような記述をしている。その序文はP.アイゼンマンによるもので、彼はこの序文の中で形式主義(フォルマリズム)をキーワードにアメリカの建築学校での講評会の経験で感じたことを書いている。以下はその抜粋(一部省略などの加工あり)である。

「最近その講評会で、形式主義の新しく、より毒をもった血筋が普及し、その影響を目の当たりにして当惑したことがあった。・・・「より毒のある」というのは、それがネオ・アヴァンギャルドによる技術的決定主義の旗のもとにあったからである。形式主義のつながりが膨大な複雑さと一貫性とを合わせ持つパラメトリック・プロセスを生産する複雑なアルゴリズムから生成された最先端のコンピューター・モデリング技術のなかに見ることができる。・・・これら最先端のプロセスをもつ作品が、こうした作者不詳のプロセスのなかに、ある自律性の遺産の考えに近いためでも行く分ある。だがその代わりに、私には何かが根本的に間違っており、ここでは今日の建築に関するより一般的な問題が語られていると思われた。・・・イデオロギー的関与の欠如と内在的に決定された意味は、この新しい形式主義を自律性の考えへと結びつける。・・・形式的なものは形式主義と区別されるべきであり、前者は内在的価値をもち、後者は現在の造形における空虚な修辞にすぎない。」

 アイゼンマンのこの記述は、コンピューター・プログラムによるアルゴリズムをデザイン手法として否定しているものではなく、また私もハディドの建築をそのように一元的に捉えているわけではない。しかし一方である形式をコントロールする立場がそのコントロールの外れた、いわば意図しない自律性にゆだね表出されたものがその成果だとしたら、それは確かに造形上の修辞ととられかねない。また時代の要請にも応えていないものにもなりかねないだろう。つまりそこには説明不可能性を絶えず孕み、自律した主体が存在しないもの、開き直って言えば「それがデザインというもので、デザインの能力はプログラミング能力、あるいはプロデュース能力と同等である」かのような地点に立ってしまう。建築デザインはコノテーションの余韻や閉鎖的な他者に意味不明なメソッドを受け付けなくなってきている。だからといってもちろんデザインは形式的に一つの解答に収斂するものではないことは誰もが分かっていることだ。

TEXT 「軽さと重さ」-1

 設計図に限らず何らかの図を書くと言う行為は、基本的に線を引くことと同等と考えても言い過ぎではないだろう。それは一昔のような手書きの時代も今のデジタル時代もあまり変わらないように思える。一本の直線を引くという行為は、ある点からある点へ向けてペンを走らせるか、あるいはCADで長さと方向の数値を入力して表すことができる。しかしいずれにせよこの行為の中にあまり意識にのぼらないことがあるとすれば、それはこの線、あるいは点自体に(長さ、太さなどの)サイズがないということである。例えば0.5ミリの芯のシャープペンで線を引くと、その線には0.5ミリという眼に見えるサイズを含むことになるが、設計上はサイズがないものとして考える。つまり線自体に距離が内在すると設計上矛盾が生じ、破綻を生む。こんな当たり前のことを意識するということはナンセンスだが、現実には線にも点にもサイズがあるということは認識しなければならない。なぜならいわば実体として現前するものを観念上のものとしているわけだが、紙、あるいはCAD上の実体は、何の違和感も不思議もなく現実の物体へとやがて変換されていくからだ。建築物はこの線を引くという行為から始まり、二次元から三次元へと変容していく。線を引くことは形態の生成の大事な位置を占めることにつながる。
 そして造形の基本要素である線についてあらためて考えてみると、私は学生時代に触れた様々な造形理論に帰ることができる。その一つがカンディンスキーである。カンディンスキーの仕事は建築ではなく絵画の分野であるが、彼が遺した100年近く前の造形理論はデザインにおいて今でも私の頭の片隅にある。「絵画的要素の分析のために」と副題が付された『点・線・面』(1920年バウハウス叢書第9巻)は、形態的要素の分析と構成を主にひろく造形一般の問題に触れたもので、あらためて頁を繰ってみると、そのユニークさに引き込まれる。
 同書の「点」の章と「線」の章の各々の冒頭には以下の記述がある。

「幾何学上の点は眼に見えぬ存在である。したがってそれは非物質的な存在と定義せざるを得ない」
「幾何学上、線は眼に見えぬ存在である。線は動く点の軌跡、したがって点の所産である」

 カンディンスキーの「点」についての定義は実際そこに目に見えるものに対して、それは「眼に見えぬ」観念上のものであるということ、そして「線」については私たちが直線を点と点を結ぶ最短の軌跡とする考え方とは別の、つまり点を動きの中で捉え、その集合体のような観念で捉えているといえる。
 また次の点がおそらくカンディンスキーの画家としての独自の発想であり、別の著書『抽象芸術論』の中で詳細に述べられているが、それは即ち端的にいうと直線を温度で以下の3つに区分しているということである。

1. 冷たい形態
2. 暖かい形態
3. 冷と暖とを含む形態

 形態を寒暖で分類しているのだ。
更に論を進め、線と色彩について直線の基本色として以下に4つに分類している。

1. 水平線:黒
2. 垂直線:白
3. 対角線:赤(もしくは灰色、ないし緑)
4. 任意の直線:黄と青

 ちなみにカンディンスキーによると「つねに白の方が黒より暖かい感じ、そして絶対黒は内面的には寒そのものである」と、色彩と寒暖を結びつけている。そして赤、黄、青に関しては「赤は平面について離れぬ性質をもつことにより、黄及び白から区別される。一方対角線が任意の直線と異なるところは、平面上にしっかりとついて離れぬこと、水平線ならびに垂直線との相違は、それがいっそう大きな内面的緊張を有していることである」としている。
 そして更に角のある直線(折れ線)について、角度の種類(鈍角、直角、鋭角)によって色分けをし、折れ線の組み合わせとして三角形、四角形、そして円、各々の形態の三原色を示している点がユニークだ。前述の基本色の4分類に温度(寒暖)と明度の点から、更に以下に線、及び平面を分類している。


・水平線:黒=青
・垂直線:白=黄
・対角線:灰色、緑=赤

平面
・三角形:水平線(黒=青)+対角線(赤)=黄
・正方形:水平線(黒=青)+垂直線(白=黄)=赤
・円:(能動的=黄、受動的=赤) =青

 また曲線に関しては「点に対して二つの力が同時に作用し、しかも圧力において一方の力がつねに同じ割合で他方の力を凌駕しつつ、作用し続けるとき、基本型たる曲線が生れる」と定義し、「単純な曲線」と「複雑な曲線ないし波状曲線」として論を展開する。基本的に「曲線はもともと直線だが、絶えず側面から加わる圧力で直線コースから逸らされた」と定義し、これもある一点を中心とした一定の半径の点の集合という円、あるいは円弧の考え方、つまり曲線は中心点をもつという考えから離れ、私たちが、特に設計で扱う曲線とは考え方が全く異なる。つまり直線と同じく運動や力学の過程として生じるものという考え方である。カンディンスキーによると、例えば複雑な曲線、波状曲線の中にも、線の一部を太くすることで円弧の頂点を強調する効果がある、といった手法も紹介されている。そこから発展してカンディンスキーの絵画の曲線の基本パターンをうかがわせる図も紹介されている。カンディンスキーにとって主な具体的な手法として自己の絵画のなかで実践していたものと想像できる。キャンバスのなかで、線、曲線、折れ線、線の太さの強弱に加え色彩も基本理論に沿って描かれたか、あるいは後付けかは絵画作品を見ればいいが、ここはその検証をする場ではない。
 
これらの理論が、つまりデザイン、特に建築設計において一体何がどう影響するのかという問いに対してここでは特に私の結論はなく、ましてや建築デザインの基礎理論だなどと言うつもりもない。冒頭に書いた、線そのものにサイズがないという当たり前で素朴な感覚を思うとき、絵に書いたもの、あるいはCAD上のものは、目に見える実体ではあるが、決して実物ではないということ、極論すればそこには「何もない」という考えをつねにもちながら、それが実体のものへ変換する工程をしっかり概観し、ものごとを進めていかなければならない。このような基本的な姿勢に戻ることも必然なのだ。
 
 「線」の章の最後に、まとめのように以下のような記述がある。
「点は静止、線は運動、から生れたもので、内面的な動きを表す緊張。この二つの要素、その交錯と並置、それらは言葉では表現しえぬ独自の《言語》をつくる。この言語の内面的な響きを鈍らせ、また曖昧にする一切の《混ぜ物》を排除すること、それが絵画的表現に最高の簡潔さと最高の正確さを与える。純粋な形態こそ生命に満ちた内容を存分に表現しうるのである。」(文中引用訳西田秀穂)

materialscape  物質景

 もはやシニフィアンには興味がない。構造的解釈にも意識が向かない。しかし、一方で私にとりつく強力な思考の道具からは解放されない。あらゆる道具の中で今まで私の手足とはならなかったもの。『顔』のデザイン手法がそのひとつである。建築の顔とは、一つは文字通り人や動物の顔に似たもの。建築のファサードを構成する窓や開口部などが目、鼻、口に見えるものを指す。今ここでとりあげたいのはもう一つの意味として「語る」顔である。
 「語る」とはどういう意味か。18~19世紀にかけて活躍したフランスの建築家ルドゥーの言葉で「語る建築」というのがある。哲学、思想史の研究者高岡佑介氏の言葉を借りると「ルドゥーにとって、建築の性格を表現する手段は、一つだけではなかった。彼は装飾芸術が建築物の「表情」を成し性格を体現すると説く一方で、「語る建築」と称される奇想天外な視覚的言語を編みだし、これによって「性格」を表現しようとも試みた」(月曜社刊『表象』2011/05号より抜粋)。例えばルドゥーが計画した『樽職人の仕事場』は、樽の形状を建築の形態にそのままあてはめ、住人の仕事と直接的に結びつけたものだ。この作品のほかにもルドゥーにはこのような例が多い。

 このような極端な「語る」建築は、現在私たちが普段街を歩いていて目にすることはあまりないだろう。街を形成する顔がこのような「語る建築」のみで構成されている街並みなど想像したくないが、しかし一方で何かを語りかけようとしているものには出くわすことはあるだろう。それは「顔」から切り放された何らかのメタファーとして現出されたものだが、例えば商業地などの人混みや街そのものの混沌を表現しようとしたもの、それは形態の複雑さや材料の複合的な使用などで体現したものかもしれない。農村地帯では牛舎やサイロなどを模した形態など例に挙げることができる。

 「建築」、「建造物」、「建物」はそこにあるだけでその場の空間性に影響を与えている。街並みを形成し、よくも悪くも都市の「顔」の一部となる。私たちが札幌の中心部を歩いていて、ここが札幌であるという感覚を抱くことがあるとすれば、赤レンガ庁舎や碁盤目の区画があることからしかないかもしれない。しかし名古屋市の中心部を歩いていても同じ感覚を抱くかもしれない。「ここは札幌によく似ている」といった感覚を。札幌駅と、駅から外に出て南に歩を進めて目に入る通りに面したビル群はおそらく名古屋にも、東京にもあっておかしくないデザインだ。これらガラスとパネルの単純な構成のいわば(古い言葉でいうと)インターナショナルスタイルはどこにでもあり、そして善し悪しを別にしてその街並みの顔となっている。ここで「北の玄関口」としてのふさわしさについて触れるつもりはない。

 20数年前、バブルが崩壊した直後の頃に東京の青山周辺を歩いたときの空間体験は、今でも街や街並み、あるいは街の顔、ファサードといった概念に対する思考の体験的な基礎になっている。地方にいる私のような者にとって東京は建築を見て回るというよりは街そのものを見るということに魅力を覚える。マリオ・ボッタ設計の『ワタリウム美術館』から歩いて、東孝光設計の『塔の家』、竹山聖設計の『テラッツァ青山』など個性的な建築物は、何かの比喩表現ではない。例えば『テラッツァ青山』のコンクリート打放しのその造形は、建築のデザインの質とは関係なく言葉を持たず訴えかける力をもち、設計者独自の美意識さえ感じることができる。都内を歩いていると、そのようなコンクリートの存在感、あるいは構成の複雑さ、一般的なマンションですら工夫を凝らしたデザインなどであふれている。目に見えない設計者の言葉が内在しているように感じる。私はとりわけ素材感に対して敏感で、前述のようなコンクリート以外にも、金属板、それもシルバーのスパンドレルから角波鉄板、特にコルテン鋼など、素材そのものに魅かれる。それらの建築への採用に関して施主に説明するための比喩は使うこともあるが、なにより言葉を超えた存在感をもつ。かつて前述した青山周辺の建築群に対して「アヴァンギャルドの風景」と表現した建築評論家がいた。バブル期に建てられた建築に多く見られるいわゆるデ・コン的な建築は、その多くが狭義でアヴァンギャルドといえる。それまでのモダニズムを基本とした手法とは異なるものだ。この現象は東京のような大都市だからということもある。札幌ではあまり見られない風景だ。前述で札幌の街並みに関して『「北の玄関口」としてのふさわしさに触れるつもりはない』と言ったが、例えば本物のレンガの素材感を、あるいは札幌軟石の重厚感など他の都市ではあまりなじみそうにないものを積極的に活かすこともあっていいだろう。しかしこれらの素材を活かすには徹底したディテールが必要で、ミースのようなあたかもイコンとでもいえそうな部分のディテールがないと全体としての存在も陳腐なものになってしまう。設計者の力量はこのディテールで証明されるといってもいいのではないだろうか。また一方でこれらの材料はもちろんコスト上、それらの材料を口にしただけで一蹴されてしまう厳しい現実もある。
 
 私はかつて商業地で店舗計画を依頼された時に、「物の素材」を街形成の一要素として捉える、という視点で計画したことがあるが、その際本テキストの題である『materialscape』としての都市、街を強く意識した。materialscapeはもちろん私の造語で、『物質景』と勝手に名づけたが、このような街並みがどこか都市の一画にあってもいいはずだと思う。現在、私が手掛ける設計のほとんどが住宅であり、住宅地で『物質景』を求めようとはあまり考えないが、住宅地以外の計画の際に少なくとも材料の扱いにはスタディを重ねたデザインをするよう心がけている。