三島由紀夫の小説『金閣寺』に以下の一節がある。
『そう思うことで、かつて私を悩ませた金閣の美の不可解は、半ば解けるような気がした。何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、その板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、・・・その法水院、その潮音洞、その究竟頂、その漱清、・・・その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、美は細部で終り細部で完結することは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。』(三島由紀夫『金閣寺』より)
物語の主人公の溝口が、金閣の美を構造的な解釈から解こうと努力している。ただし彼が放火を実行しようとしている直前のことである。金閣寺の姿、その美しさ、いわば理屈ではない源体験的な感動を、冷静に細部をあたかも日本建築の絵つき解説書の記述のように実に細かく描写し、またその感動からくる美の構造への懸命な解析の努力をあらわしたテキストである。文中に登場する建築の専門的な部位の用語を溝口がすべて知っていたとは思えないが、これは当然三島由紀夫の豊富な知識と研究から導かれているとはいえ、現代の建築家でも持ちえない知識、日本建築を得意とする建築士や職人でもここまで専門用語をすぐに口にできる人はおそらくいないだろう。
上記の部位の用語の最後に書かれている「漱清」という語に注目すると、これは建築の部位の名称なのか一般的な表現なのかも私は知らなかったが、調べてみると「漱清」は「そうせい」と読み、「漱」は漱石の漱、すなわち「すすぐ」という意味で、「清」という字と組み合わされることで、金閣の池と関係があることが想像できる。実際「漱清」とは池に張り出した小亭のことを指すということが分かった。金閣の写真をあらためて先述の描写の順で見てみると、それがあることがわかる。このように建築の細部を追っていくことで気づくものがあるということを改めて認識する。小亭はたしかに金閣の一部ではあるが、「全体」の一部というよりは、その部分が全体を端的にあらわしているとでもいうか、金閣全体の構成がそこでも繰り返さているような感覚をもつ。全体であらわされている部位は小亭で必ずしもあるわけではないが、小さなからだに内包されているような感覚である。
溝口は金閣のいわば内部の人間としての構成要素の一つであり、その要素が外から自分の属する内面を冷静に分析し、そして火をつけ炎上、焼失(消失)させることで自己が一部であるはずの美の対象を自己の内面とともに消失させた。あたかも永遠の美を自己に内包させたまま、強引に自己の人生を葬るかのような行為を、犯罪ではあるが実行した。ノンフィクションでありながらフィクション性が強く、また放火という犯罪ではあるが人間の複雑な内面と金閣の金、放火の火という輝きと色彩を伴った作品で、いまでも色褪せない魅力がこの作品にはある。単なるドキュメントなら他にもより正確に綴られたテキストはある。有名なものとしては水上勉の『金閣炎上』があり、資料としても貴重なものとされている。三島のこの作品の魅力は金閣の放火という事実をそのまま描写するのではなく、想像の世界(創造ではない)へ転換させたことに、作品を通して三島の豊かな創造性を享受することができる。
この作品は世界中で翻訳され、同じように安部公房の『砂の女』や大江健三郎の諸作品とともに日本文学というよりは世界文学として多くの人に今でも読まれている。ちなみに『金閣寺』の翻訳でIvan Morrisによる「漱清」はそのまま「Sosei」と表記され、注などによる解説はない。蔀戸はshuttersと訳されているが、日本人の感覚としては少し違和感があるが、それでもおそらく何百万という読者は日本の言葉の特殊性を自国の言語の特殊性、「音(おん)」と「意味」と混合させて全体として理解していることだろう。
私も高校の修学旅行で観た金閣の美しさは、小亭の存在をはじめ建築部位の意味や名称について無知だったにもかかわらず今でも全体的な美として脳裏に焼き付いている。のちに建築の専門家になって多くの建築に触れることになり、年を経て様々な建築が興味の対象から外れていっても、金閣はじめ日本建築の美だけは変わらずに心に残っている。