維持された「プログレッシブ・サウンド」
ジェスロ・タルの50年にわたる活動を総括する3枚組のCD『50 for 50』が昨年発売された。50曲が収められている。ジェスロ・タルの音楽はそれぞれのアルバム1枚ごと、その全体に魅力があり、今まで単体の曲で聴くことを避けていたが、この3枚組を聴いて個別に聴いても十分聴き応えがあるものと再認識した。3枚のうち2枚は主にデビューから70年代の曲が多く収められ、1枚目1曲目が69年の2枚目のアルバム『Stand Up』から『Nothing Is Easy』の1曲目としては意外なフェードインから始まり、3曲目にはイアン・アンダーソンのフルートに加えて彼の唸りが登場する68年の最初のアルバム『This Was』から『Beggar’s Farm』、さらには中盤で再び『Stand Up』からゆったりとしたテンポとブルーズ風の『A New Day Yesterday』などとともに初期の各アルバムやシングルの作品などが収録されている。上記の3曲は私も特に好きな初期の曲で、イアン・アンダーソンのフルートがバンドのオリジナリティを高めているとともに、すでにプログレの特徴の一つである変拍子が現れている。ジェスロ・タルのアルバムは68年から80年までは毎年1作発表されている。私は特に最初のアルバム『This Was』に続いて『Stand Up』、『Benefit』の3枚は何度聴いたかわからないくらいよく聴いた。『This Was』はまだ彼らのルーツであるブルーズ・ロックの雰囲気が残っているが、『Stand Up』ではその域を超えた、独自の世界観をすでに表し始めている。1曲目の『A New Day Yesterday』にはもうプログレの芽ともいうべきリズムが刻まれている。またそれ以外にもバッハの曲『Bouree』をアレンジした曲もあり、アンダーソンのフルートとグレン・コーニックのベースが静かにテクニックを披露している。『Benefit』ではサイケデリックも若干加わりながら他のブルーズ・ロックとは全く異なるものとなった。このように3枚のアルバムだけでも、曲づくりにおいても、また演奏においても急速に進化を遂げた。彼らの音楽がいわゆるプログレのジャンルに属するようにいわれる、その節目となった作品がおそらく71年に出た『Aqualung』であろう。このアルバムは私にとってはそれまでの3枚の延長上にあるものとして捉えていて、サウンド的に各パートの個性が際立つようになり、特にギターのフレーズが効果を発揮していると感じていただけであった。しかしこのCDのライナーノーツを読むと、「『Aqualung』はコンセプト・アルバムである」という音楽評論家の指摘に対してイアン・アンダーソンはそれを否定して・・・というようなことが書かれていた。私も当時これがコンセプト・アルバムとして捉えることがなかったので、なぜ評論家はそういった括りをしたがるのだろうと思ったものだ。しかしアンダーソンはその評論家たちの指摘を無視するのではなく、むしろそれならば「これこそコンセプト・アルバムだ」というものをつくろう、ということでできたのが翌72年の『Thick as a Brick』である。当時のLPレコードA面、B面合わせて1曲という扱いだが、基本的にはいくつかのパートをうまくつないだ形で、その中で共通のモチーフが繰り返され、統一感を計っているものといえる。しかしこれはビートルズのコンセプト・アルバムとしての『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』とは全く異質の、凝りに凝った仕掛けとサウンド、詩のストーリーで綿密に構成されていて、ジェスロ・タルは5作目にして一気に他のプログレ・バンドと一線を画す存在となった。これはこの後の『A Passion Play』(73年)でも同じメソッドとして引き継がれていて、私は個人的にこのアルバムが最も好きなアルバムである。このアルバムはプログレという枠から抜け出し、どのプログレ・バンドにもない世界観を醸し出していて、いわばプログレ・ロックの極地にあるものともいえる。それに伴い『Aqualung』以前の単体の曲の暗くてブルーズ感を内包した魅力は少し影を潜めたが、アルバム1枚で劇的でストーリー性の高い質に仕上がっている。『Thick as a Brick』に戻ると、これを初めて聴いたときは、A面を聴き始めてから特にコンセプト・アルバムとして意識して聴いたわけではなく、むしろ前作までの魅力がないとも思ったものだが、B面の中盤から様相が変わり始め、味わったことのない緊張感に包まれてくる。キーボードを主体とした極端な変拍子のこのパートだけでもこのアルバムを聴く価値がある。少し話はそれるが、このB面の後半を占めるキーボードは、その後発売されたELPの『Brain Salad Surgery』(73年)に大きく影響したと私は推測する(実際そういう事実があるのかもしれないが)。このアルバムのみならずELPにおけるキース・エマーソンによる超絶したキーボード演奏は、バンドというより彼のソロパートに引っ張られてできた曲という印象で、そういった個人プレイの影響が強い傾向のものは他のバンドにも存在する。たとえば同じ時代、いわばプログレの最後の大物バンドともいわれるU.K.の2枚のアルバムではキーボードの奏法がやはりエマーソンばりで、ほかのメンバーの影が薄くなっている曲も中にはある。蛇足だが、U.K.はいかにもプログレといった印象の強い最後のバンドではあるが、基本的に彼ら、特にジョン・ウェットンの曲作りの方向性は、アルバムを聴いているとプログレが目的であって、プログレ的な音楽を作ることに力を注いでいるようにみえる。そういった方法は70年代の流行が覚めてしまえばやはり飽きられてしまう。そのためウェットンは80年代にはいりスタイルを変え、新しいバンドASIAで大成功をおさめたが、そのスタイルはもうプログレではなく、曲は悪い意味でなくプログレの長大重厚に対する軽薄短小へと変化した。しかしその萌芽としてU.K.の2枚目のアルバム『Danger Money』の『Nothing to Lose』はやがて来る時代を予感させる曲であり、ほとんどASIAの曲といってもいいものだ。この曲は唯一といっていいほど変拍子がなく、ウェットンを中心としたコーラスを含むボーカルと単調なドラム、シンセサイザーが新しい時代にマッチした曲だ。プログレ・サウンドを目的とした作り方は新しい時代になってそのスタイルを変えるか変えないかでその後の道は変わっていったのだろう。ジェネシスのピーター・ガブリエルは、私は彼のソロのポップな曲の方が好きだが、異論はあろうがやはりガブリエルもプログレ・サウンドを目的とした作り方に見切りをつけたかたちとなっている。しかしジェスロ・タルはそもそもプログレ・サウンドを目的としたものではないということが伝わる。ジェスロ・タルの『Thick as a Brick』は先述したようにELPのようなキーボードのソロの感じは全くなく、バンドの音づくりの過程で緻密に練られた構成を聴き取ることができる。その後のアルバムでも同じことがいえる。
ジェスロ・タルに話を戻すと、前述の『A Passion Play』の次のアルバム『War Child』では前作と一変して、タイトルのシビアさとは対照的に曲調は明るい。しかし前作に似たフレーズも垣間見えて、例えば『Sealion』では『A Passion Play』のB面後半の激しい変拍子のモチーフが短い曲の中で展開されていて、アンダーソンの一つのメロディの特徴がここで再び聴くことができる。次の『Minstrel in the Gallery』(75年)では、『Thick as a Brick』のアコースティックの部分がマイナー調になったような、そして初期のサウンドを思わせるオーソドックスで落ち着いた雰囲気のメロディの連続で、メロディメーカーとしてますます磨きがかかっている。組曲的な『Baker St. Muse』の曲の展開は聴くものを飽きさせないし、リリカルなメロディとハードなパートとの対比が自然なかたちで受け入れられる。さらに『Too Old to Rock ‘n’ Roll: Too Young to Die!』(76年)では、ユーモアとアンダーソンのアートワークでのアクションが目を引くが、サウンド的には特に私たちの世代に懐かしい、何か日本の歌謡曲のようなメロディとアレンジで、大げさなオーケストレーションが中途半端でなく、それまで培われた確かな音楽性を自信をもって表現したような音楽だ。そして彼らは80年代に入っても、スタイルは基本的に変わっていない。イアン・アンダーソンの83年のソロアルバム『WALK ONTO LIGHT』では、打ち込みのドラムやプログラムが多く導入されているとはいえ、彼のフルート演奏もあり、独特の変拍子もプログラムに乗って仕上がっていて、何曲かはそのままジェスロ・タルの曲といってもいいくらい彼のスタイルが維持されている。つまり彼にとってプログレというのは目的ではなく、あえていえば自己表現を助ける最大の手段であり、さらに言えば彼の音楽に欠かせない一要素となっていたことがソロのアルバムからも聴きとることができる。同じようなことがいえるプログレの代表にピンクフロイドがいる。当初サイケデリックの印象が強いアルバムが続いたが、70年に出た『Atom Heart Mother』はプログレの始まりを告げるような重要なアルバムとなった。しかしフロイドの曲には特に変拍子があるわけではなく、彼らの音づくりはロックでありながら、その枠組みさえはみだしそうなサウンドを生み出している。その後の名盤中の名盤『The Dark Side Of The Moon』のA面の構成は全体で1曲というわけではいないが、やはりA面で一つという印象が強い。A面は大きく分けて前半の『Breathe』と、特にリック・ライトのピアノが美しい後半の『The Great Gig in The Sky』で構成されている。バンドのメンバーではない女性のボーカルのソロパートは、ロックの域を超え、彼らの高い音楽性を証明する一助となっている。しかしB面も個別に曲は分かれてはいるが、アルバム全体に欠かせない要素としてうまく構成されている。このアルバムは基本的にロックの形態を踏まえたものだが、その一方『Atom Heart Mother』を最初聴いたときは、かなり違和感を覚えたことを思い出す。その感覚は割と最近まで残っていた。私がフロイドのアルバムを始めて聴いたのは『Meddle』で、『The Wall』が出る前、今から40年くらい前の『Animals』が出たころだった。その感覚で聴いた『Atom Heart Mother』はこれがプログレというものなのか、と実感したことも覚えている。A面はロックの作品にはあまりないホーンセクションが前面に出て、フロイドのメンバーの個性が出ていないのではないかと感じたのも事実だ。しかしその違和感みたいなものが払拭されたのが、近年発売されたフロイドの初期の、主にライヴ音源や未発表のテイクなどを集めた『The Early Years-CRE/ATION』のなかに収録されていた『Atom Heart Mother』のバンドバージョンのライヴ音源を聴いたときだった。ホーンセクションはなく、フロイドの4人のみによるライヴ演奏で、ギルモアのギターもレコードの音より鋭く、リック・ライトのキーボードもホーンセクションを取り去ること表出した彼独特の美しい音色が際立っている。メイスンのドラムはいい意味でプリミティブで荒っぽさが際立ち、これを聴くとプログレというより純粋なロックだということが分かる。
再びジェスロ・タルに戻ると、彼らの特に70年代のアルバムは『Thick as a Brick』以降は、前述したようにそれぞれ明確なテーマを持って1枚1枚を仕上げてはいるが、最初に上げた『50 for 50』ではアルバムの中の単体をピックアップしても十分単体の曲として聴き応えがあるものであることがわかる。その選ばれた曲を聴いていると、各アルバムで聴いた印象とはまた違って、新たな発見もあり、まるで3枚組の新譜を聴いているかのような充実感があるというのもジェスロ・タルたる所以ではないだろうか。すべてのアルバムでイアン・アンダーソンの個性が発揮され、その尽きない創造力はプログレというジャンルをより意味あるものへと深化させ、他方へ大きな影響を与え続けた。最初の回に取り上げたアイアン・メイデンはジェスロ・タルを始めとしたプログレ的クリエイティビティを彼ら独自の解釈で受け継いでいる。