昨年(2019年)大規模火災にみまわれたパリのノートルダムの報道を見ていて、ゴシック建築のこの石造の建物で一体どこが焼けたのかと考えたが、木造の屋根の部分だったことが報じられ、建築を専門としている者として大聖堂に木造の部分があることを知らなかったことを恥ずかしく思った。一方この報道で思い出したある本がある。大学1年目で確か音響工学が専門の泉先生だったと記憶するが、その先生から薦められた本で、『カテドラルを建てた人びと』(ジャン・ジェンペル著、鹿島出版会SD選書)というものだ。当時それを読んであまり胸に響かなった記憶があり、今では内容もまったく覚えていなかったが、35年ぶりに本を開いてみると、意外にも付箋が貼られていた。本の章立てとしては、中世という時代背景や創造力についてなどとともに、建築家、石材関係の職業や彫刻家などの専門職などの文字が並列されている。付箋が貼られていた箇所の一つに、その建築家の章で著者がプラトンの『メノン』の一節を引用している箇所がある。それはソクラテスと奴隷(岩波文庫版の『メノン』では「召使」となっている)の対話である。内容は「2倍の面積をもつ正方形の作図法」についての対話だが、この本の著者によるとカテドラルを建てた技術者はこのような作図法を大学で学ぶこともできたし、またヴィトルヴィウスの建築書からも学べた、としているとともに、中世の石切工もこの建築書を明らかに知っていたとしている。また本書では、当時の建築家について、『現場で養成され、施工業者の仲介なしで工事を指導できた』とし、今の時代の建築家より勝っているとも書いている。その背景として建築家はその専門領域以外のあらゆるものに関心があったととれるスケッチブックが残されていて、『中世は現代のごとく分析と過度の専門分化の時代ではなく、総合を特色とする時代』であったと著者は評価している。当時のヴィラール・ド・オヌクールという建築家のスケッチブックがこの本で紹介されていて、木構造に関心をもっていたことに触れられ、当時の建築家には大工技術の深い知識が必要で、大工親方は石工親方に比肩する重要な職業だった、とも書かれている。ちなみにそのスケッチブックの内容が、「機械」「実用的な幾何学と三角法」「木構造」「建築製図」「装飾作図」「人物・動物作図」「家具・調度」「建築家やデザイナーの専門に関係ないもの」という8項目の題材に区分けされている。
前述のプラトンは中世からさかのぼること更に2000年ほどの人物だが、その時代古代ギリシャではパルテノンのような建造物があり、大聖堂とは違うが中世に劣らない技術と装飾美がうかがえる。古代テクネーはその表象たる遺産にその高いレベルと背景に存在するはずの高度なエピステーメーと分化されて、それぞれが定義づけられている。しかし中世の大聖堂と同じように、古代テクネーも当然その時代の高度な(そして今でもそれに頼り下敷きにしている高度な)分化されない科学的基盤と並行して世界がかたちづけられている。建築という分野において基本的なテクネーは2000年を経ても維持されて、現代においても同じである。しかし古代ギリシャと中世のエピステーメーは異なる。アメリカの評論家アート・バーマンは自著『ニュー・クリティシズムから脱構築へ』(未来社刊)のなかで、M.フーコーを『ひとつのエピステーメーが他のエピステーメーにとって替わっていく歴史を掘り起こしている考古学者』としている。フーコーは『知の考古学』の中でエピステーメーを『ある特定の時代において、諸々の認識論的形象、諸科学、またときには形式化された知識の諸体系を生み出すさまざまな言説=実践を統一する諸関係の総体』と定義している。バーマンによると、『近代的エピステーメーが発生してくるのは、表象不可能な実在が見出されるとき、世界の外貌の、組織されていると見える表面の「奥深い背後にあるものは何か」が問われるとき』であるとしている。建築を巡る現代の諸関係、背景は中世や、ましてや古代とは大きく異なるが、しかし一方で今の時代が当時より高度で複雑であるとは必ずしもいえないのではないか。いずれにしてもその時のかかえる問題は、何か普遍的で絶対的な『知』が解決するというものではなく、積み重ねられたものの経験と知それぞれの内的な言説の「言い換え」で時代の枠組みを維持し続けてきたとはいえないか。単に建築の問題を考えても、前世紀までのメソッドでは到底解決できない諸問題と切り離せない事態になっている。当然地球規模の環境問題と人間の生活スタイルや価値観の変化が大きいわけだが、生活スタイルはともかく前世紀ではあまり俎上にのせるような議題ではないものも、今ではまったく無視できなくなってきている。人間の生命に直結する根本的で緊急的なテーマであることから、ある程度の強制的な枠組みを甘受するしかないのも事実なのだ。それは狭義のデザインにも形として現れている。この時代のエピステーメーの今日までの言説を用いて、人はどれだけ新たな「知」を獲得し、不透明で不気味な表象に向き合い、実践するか。新しい「知」を伴った専門領域を獲得するか、ということに目を向けなければ古いエピステーメーがそのまま通用するほどの事態ではなくなってきている。カテドラルに匹敵するほどの規模の東京都庁の設計において、丹下健三はいわゆる狭義の建築デザインにのみ力を発揮したわけではなく、これを成立させる全体を包括する力をもっていただろうし、また代々木体育館は構造美といってもいいような先進的冒険の結集といえるが、しかしそれを成立させる具体的な施工方法については、やはりゼネコンが果たした力は大きい。一人の建築家がそれに首を突っ込む余地のないほどの、あるいは余計な口出しなど必要ないほどの技術をもっている。丹下健三にしても、構造のアイディアを出したとしても具体的な構造設計や計算、ましてや部材のひとつひとつの接合や細かい施工方法について指示を出していたわけではない。これほどの規模で、建築家でこれができる人はいないだろうが、だからこそ専門の分化が必要なのだが、しかしそれらに関心がないと設計段階でさまざまな方面から「無理だ」「できない」という言葉に、計画を諦めてしまうことも多いのも現実だ。今私が直面する規模の小さな建築物、ほとんどが住宅だが、それでもこの「無理だ」「できない」という言葉と常に相対して仕事をしているように思う。その中で実践として実現可能なメソッドを勉強し提供する能力を獲得しようとしている。
転換を要する大きなエピステーメーは、哲学に今の時代の、難解な言説ではなく、誰でも理解できる日常的な言葉で流布させる使命があるのではないだろうか。「ものを生み出せる唯一の存在」としての哲学者は、今の時代、新しいエピステーメーを「生み出す」責任を負っているのではないか。しかもそれは実践としてのテクネーを内包したものでなければならない。
蛇足だが、大聖堂というと、近年では小説としてケン・フォレットの『大聖堂』(原題The Pillars of the Earth)の12世紀のイングランドを舞台とした大聖堂建設を巡る壮大な物語があり、エンターテインメントとして堪能できる。