TEXT a+u レヴュー -1

こういう企画にでも遭遇しなければ、すでに記憶の彼方にいってしまったものを再び引き戻すことは難しい。a+u7月号と8月号で続けて興味深い特集が組まれている。7月号は『70年代の建築(「最良の時代」でも「最悪の時代」でもない)』、続けて8月号は『磯崎新の1970年代―実務と理論』である。頁を繰ると私が学生時代だった80年代がゆっくりと蘇ってくる。それとともに当時私が大きな影響を受けた建築評論家の著作も同時に蘇る。それはルイス・マンフォードの『芸術と技術』という岩波新書から改版が出たばかりの本である。マンフォードはアメリカの建築評論家の他文明評論家、あるいは「ゼネラリスト」とも呼ばれていた存在で、私が在学中に90過ぎで亡くなっている。著作には『都市の文化』、『権力のペンタゴン』、『機械の神話』などがある。これらの著作は当時でも絶版になっていて、私は大学の図書館で借りて読んだ(これらの本は原書では手元にある)。この新書『芸術と技術』は1951年の大学での公開講演をまとめたもので、非常に読みやすい。そのためか最初に触れたマンフォードの著作として、ちょうど入門編のような感覚で、その後ここから他の著作につながっていった。建築を学び始めた当時の自分にとって最も大きな影響を受けた存在といっていい。本書から特に印象に残った一節を「建築における象徴と機能」の章の冒頭から引用する。

『この芸術(建築)においては美と効用、象徴的形姿と構造、意味と実用的機能を切り離すことは、形態を分析する際ですらほとんどできない。なぜなら建築は、たとえそれがどんなに不細工であろうと、また建てる者の言い分を語ろうともしないにせよ、ただそれが建っているということだけで、なにか言いあらわさざるをえないからである』(原文は口語体で生田勉による翻訳)。

建築物は『建てる者の言い分を語ろうとしない』ものであり、また設計者として『本当はこうしたかったのだが』という言い訳をすることが出来ない、現前としてそこにあるものの「責任の重さ」を、もう30年以上経てもなお今でも胸にとどめている。

もう少しマンフォードのこの本を続けると、『芸術と技術』というタイトルであることからも、「芸術」と「技術」、それぞれの定義が語られている。

『芸術とは、人間個性の十分な刻印をのこしている技術の一部であり、技術とは、機械による処理を促進するため人間個性の大部分がそこから排除されてしまった芸術の表出である』(同じく翻訳は口語体)。

本書の翻訳者である生田勉は建築家でもあり、マンフォードと親交のあつかった人であるが、この本のあとがきで、マンフォードの考えと相いれない部分を吐露している。

『マンフォードの論理の特徴は、できあがる美と、構造的・経済的・設備・衛生・電気など一連の諸機能とを、同列の機能とみなしている点にある。建築家として私の観点からは異論がある。美の機能と利便的機能とが同列であるならば、ひとつの名建築がパッとできてしまうことになるが、そういうわけにはいかない。名建築すなわち美を成立させるには、なにかあるものが要るわけで、これが何であるかわからない。私は、マンフォードにくらべて神秘主義めいているが、美的なるものを成立させるのは、なにかそこに介在する触媒的なものの役割を考える』。

このあとがきは1980年代中頃、彼が亡くなる2週間前のものだが、マンフォードへの敬愛と友情をよく表しているように感じる発言である。

上記の抜粋からもわかるように、評論において、難しい言葉は使っていない。50年代では難解ないわゆる哲学思想の言語が侵入していない時期であろうか。それは最初に挙げたa+u7月号の巻頭エッセイで書かれていることから推測できる。40年代にモホリ=ナギが、また50年代はトマス・マルドナードが記号論の指導、ゼミの開催などの動き、そして一方で60年代にジョセフ・リクワートが『記号論を合理主義的に解釈してはならず、むしろデザイナーにたいしては、自作のもつ感情への訴求力に目を向け・・・』と、いうことに対して60年代は多くのイタリア人評論家が記号論を武器にするようになったと書かれている(『 』内は本書から抜粋)。建築家ではアルド・ロッシの論文『都市の建築』による「普遍類型学の法則」、あるいはマンフレッド・タフーリによる評論『建築の理論と歴史』(邦題は「建築のテオリア」)、『建築とユートピア』(邦題は「建築神話の崩壊」)ではニューヨーク・ファイブの記号学とフォルマリズムを糾弾しているということも紹介されている。私は70年代の建築理論や建築思想をリアルタイムに体験していない。上記のようなロッシの思想やタフーリの著作、またこのエッセイに登場するレイナー・バンハムの著作などは当時建築を学ぶ80年代の学生にとってはすでに必読書、いわば教科書的な存在となっていたこともあり、当時は建築におけるいわばディコンストラクションが登場した時代ということもあり、興味の中心がそれまでとは異質のデザイン、表現手法へと移っていった。しかしこの7月号で取り上げられている建築家と作品、ドローイング等は当時建築を学び始めた学生にとって大きな影響を受けただけでなく、今見ても色褪せていない。ルイス・カーンの「フィリップ・エクセター・アカデミー図書館」(1972年)、カルロ・スカルパの「ブリオン・ヴェガ墓地」(1974年)、「ヴェローナ市民銀行」(1973年)に始まり、a+u75年4月号からアイゼンマン、マイケル・グレイブス、チャールズ・グワスミイ、ジョン・ヘイダック、リチャード・マイヤー、76年5月号からアルド・ロッシのテキストと作品、その他ロバート・スターン、ロバート・ヴェンチューリ、ハンス・ホライン、磯崎新などの作品と計画案のドローイングが続く。そして7月号の後半は75年9月号からノーマン・フォスターとレイナー・バンハムのテキストが掲載され、リチャード・ロジャース、レンゾ・ピアノとともにいわゆるハイテク建築が紹介されている。個別の作品に詳細を書くときりがないが、なかでも私が大学に入学して間もなく、図書館で手にした薄い冊子「GAギャラリー」のグンナー・バーカーツによる『ミネアポリス連邦準備銀行』は、その構法と構造と意匠が一体となった現代的なデザインに惹かれ、いつもこの薄い冊子を見ていた記憶が蘇る。この建築は地上レベルを公共広場として利用するために、100mの建物両端のコアからの吊構造が採用された斬新で明解なデザインである。このような吊構造でそれがそのまま意匠として表現されているものの代表と言えば、以前の回のテキストで触れた丹下健三の代々木体育館があるが、これとはまた違った魅力を放っている。グンナー・バーカーツによるこの建築は、一見現代的でスケールがはっきりしない、ガラスのカーテンウォールでかろうじてその大きさがわかるような、いわゆるインターナショナルスタイルともいえるが、他の単なるガラスの連続建築とは明らかに異なる。一方単なる矩形のインターナショナルスタイルは、超高層ビルとして世界中どこにでも存在する。「国際連合の事務局ビル」はその典型ともいっていい建築であるが、これはガラスのカーテンウォールのイメージが強く、現在でも報道などの映像でもこのイメージは定着しているが、デザインについては多くの批判もある。オスカー・ニーマイヤー、ル・コルビュジェ設計によるこのデザインに対して、マンフォードは『芸術と技術』の「建築における象徴と機能」の章のなかで、以下のように批判している。

『今日(20世紀中頃)では、多くの建築家はみずから陥った貧相さに気づいている。機械の教訓を吸収し新しい構造形式を学ぶうちに、自分たちが人間の個性の正当な要求をなおざりにしてきたことを悟った。古くさくなった象徴を排撃したのはよかったが、同時に、完璧な建造物ならどれにおいてでも十分果たされていなければならぬ人間的な欲求、興味、愛情、価値などまで斥けてしまった』。

「人間の個性の正当な要求」や「人間的な欲求、興味、愛情、価値」といった概念は、1950年代当時では実感として多くの人に受け入れられた言葉であろう。先に挙げた生田勉の言葉『なにかそこに介在する触媒的なものの役割』というものもこれに含まれているように思う。いわば建築におけるユマニスムのような、古代とはいわないまでも、直近の近代建築のフランク・ロイド・ライトやルイス・カーンのような心を揺さぶるような原初的な感覚といったものに多く触れてきた者にとって、新しい概念と表出への嫌悪や郷愁というものを抱くということを止めることはできない。『私がここで言っている意味での建築とは、それが役者=行為する者に最大の助けとなって社会的ドラマが演じられる、文化の恒久的な舞台装置のことである。建築において、象徴と機能とを実際に調和させることが、最大の重要事である』(マンフォード著『芸術と技術』より)。「象徴と機能との調和」は本書のテーマである「芸術と技術」における統合についての考察の一つの試論といえる。マンフォードは、彼が敬愛するW.ジェイムズによる著『プラグマティズム』から「軟らかい心」と「硬い心」というキーワードを引用し、この二つの「心」の統一にジェイムズは失敗したという見解をもち、マンフォード自身は『長いこと、こうした不公平な解決、こうした一方的な綜合には批判的』だったと述べている。いずれにしても70年代はこうした二項対立的な考察より、ドローインングにせよ実作にせよ、その表象は一見後から言葉がついてくるような世界に直面することになり、思想は大きく転換し、多様に広がっていく。7月号の最後の方では、フランク・ゲーリーの『自邸』が登場する。この建築に代表される「構造」(工学的な意味あいではない)を解釈するには、まだ少し時間がかかり、私にとってはバーナード・チュミのような建築を待たなければならなかった。これらには単純な二項対立的な解釈はもはや存在しない。

・・・2へ続く

カテゴリー: TEXT

TEXT ベケットの言語「快楽」

テクストをめぐる快楽の大きなものは、「オイディプス的」快楽であろうが、私にとってもう一つの快楽は非「オイディプス的」なものとの出会いである。「オイディプス」は「衣服」が避け、口を開いたところから垣間見える肌の「出現-消滅」である。まぎれもなくこのバルト的快楽とは、『物語が「父」を登場させ、起源と結末を裸にする、知る、認識する』ことであり、一方でその快楽を「非」的な現出で認識すること。ブランショとベケットの「フィクション」体験がその最も覚醒的な現出となり、すべてのアポステリオリから解放され、一時的に、あるいは終始表象の現前を拒否してくれる。そして「言語」の海へと導いてくれる。ドゥルーズはこのような体験を、いわゆる「ベケット論」として「言語Ⅰ」を、『言葉でもって可能なことを尽くすという野望をもつ以上、順列組合せは一つのメタ言語を構成しなければならない。この言語においては物の関係が言葉の関係に一致し、言葉はもはや可能なことを実現にみちびくのではなく、言葉自身が、まさに一つの消尽しうる固有の現実を可能なことに与えるのだ。ぎりぎりまで小さくなり。もうそれ以上はない。不在にむかって、無限が零に達するように一直線に』としたうえで、この切断されたものとしての言語を定義している。またこの言語Ⅰを「名詞の言語」とも言っている(『消尽したもの』ドゥルーズ著、宇野邦一訳、白水社刊より)。ここでいう「順列組合せ」とは、『可能なことを包括的選言命題によって尽くす技術あるいは科学』としていて、選択された可能性はメタ言語として、可能なことに消尽しうる固有の現実を与えるということになる。続けてドゥルーズはさらに言語Ⅱを「声の言語」とする。フィクションを可能にする様々な言語Ⅱ。これは『混成可能な流れによって作動する』。さらにドゥルーズは言語Ⅱについて同書で以下に述べている。

『言葉を尽くすには、言葉を発音する〈他者たち〉に、あるいはむしろ混合されたり区別されたりする流れにしたがって言葉を発し分泌する〈他者たち〉に、言葉を結びつけなければならない。この非常に複雑な第二の契機は、第一の契機と無関係なわけではない。つまり話すのはいつでもひとりの〈他者〉なのである。言葉は決して〈私〉など待望したことはなく、言語とはいつも異国語でしかないからである。それはいつも他者であり、みずから話すことで所有する物の「持ち主」である。あいかわらず可能なことが問題なのだが、こんどは様相を異にしている。他者たちは様々な可能世界であり、声たちはこの可能世界に、その声がもつ力にしたがってたえず変化しうる現実を提供する』。

「私」を待望しない「他者」、そして「他者」が発する「声」にしたがって、語り手が不連続と「立ち止まり」を続ける。そうした感覚は具体的に(ベケットの)作品の読むことで、より鮮明になる。

ベケットの小説三部作といわれる『モロイ』、『マウロン死す』、『名づけられないもの』が昨年、宇野邦一による新訳で刊行された。初めて三作を通して読んでみると、以前読んだ『事の次第』と『マーフィー』とともに、エクリチュールにおけるアプリオリな解釈の心構えと期待を超えた裏切りに、さらに思考の拡大と旋回という原初的な「眩惑」体験に陥る。あらためてそこに喜びを見いだすことができるのがベケットであることを実感する。これはブランショでも同様の体験を得ることができる。『モロイ』の一節を以下に挙げる。

『警官がやってきた。私がぐずぐずしているのが気に障るのだ。彼にしたって窓のほうから見られていた。どうやら笑われていた。私のなかにも笑っている人物がいた。悪いほうの足を手で抱え、自転車のフレームの上をまたがせた。私は出発した。行き先を忘れていた。思い出そうとして止まった。私には自転車をこぎながらものを考えるのは難しい。走りながら考えようとするとバランスを失って転んでしまう。いま現在形で私は語っている。過去のことは現在形で語ればやさしい。これは神話的現在というものだ』(『モロイ』河出書房新社刊、宇野邦一訳より)

全体を通してこのように具体的な行為、行動は描写されてはいるが、旅の途中で出くわす様々な事象のなかで、そのときそのときの言葉を継続する。ここには「私」という語り手が存在し、ぎりぎりのフィクションを成立せしめる「声」が存在する。先述の「言語Ⅱ」が成立する。

「言語Ⅰ」に戻ると、それは「語り手不在の名詞の連続」ともいえるもので、『事の次第』で顕著に表れる。以下に一節を抜粋する。

『わたしの人生最終版言いそこない聞きそこないに見つけそこないそして泥のなかでのささやきそこない顔面下部の束の間の動きいたるところで脱落だらけ

それでもどこかで記録はされそのほうがよいそのまま順を追いわたしの人生の一瞬一瞬わたしは百万番ではないほとんどすべてが失われ誰かが聴きそれからもう一人誰かが記録を取っているひょっとしたら同一人物(原文ママ)』(『事の次第』白水社刊、片山昇訳より)

句読点もなく、誰が何に対して言っているのか、いわゆる文章の法則を逸脱した表現といえる。このように一見支離滅裂な印象を与えるものの、小説は全体として三部から構成され、第一部は「わたし」が「ピム」を求めた旅の日記であり、第二部はその「ピム」と「わたし」の共同生活について、第三部は「わたし」の言葉、というように内容が破綻しているということではなく、物語が存在する。つまり一見小説の「語り手」が判然としないように見えて、それが省略されているか、背後に隠れているような構造がある。つまり「言語Ⅰ」、すなわち「語り手不在の名詞の連続」は決して語り手がいないというわけではなく、見えないだけという場合もある。隙間から覗くと確かに存在する場合がある。先に挙げたドゥルーズによる解釈のように、言語は『ぎりぎりまで小さくなり。もうそれ以上はない。不在にむかって、無限が零に達するように一直線に』展開する。

先述の『モロイ』の後に発表された『マウロン死す』も同様な手法で、『モロイ』よりさらに「不連続」が強くなる。以下に一節を抜粋する。

『現在の状況。ここは私の部屋のようだ。そうでなけれりゃ、ここにいられる理由がわからない。しばらく前から。なんらかの権力が仕組んでいるのでなければ。そんなことはありえそうにない。私のことで、どういうわけで権力が方針転換したのか。一番単純な説明ですませるのがいい、たとえそれほど単純じゃないとしても、たいして説明になっていないとしても』(『マウロン死す』河出書房新社刊、宇野邦一訳より)。

しかしその後発表された『名づけられないもの』では、ある一節を抜粋すると、『この前置きはもうすぐ終わりにして、そろそろ私のことでは決着をつけたいものだ。不幸なことに、いつものように私は一歩踏み出すのが怖い。なにしろ一歩踏み出すとは、ここから出かけること、自分を見出し、見失い、消滅し、再開し、最初は未知のものとして、それからおもむろに、いつものように、別の場所で、私はずっとそこにいたと言うだろうが、実は何も知らないし、知ることができず、見ることも動くことも考えることも話すこともかなわず、それでも少しずつ、こんな障害にもかかわらず、そこがいつもと同じ場所だとわかるのにはちょうど十分なだけわかってきて、そこは私のためにあるようだが、私は望まれず、私のほうは望んでいるようでもあり、望まないようでもあり、・・・』(『名づけられないもの』河出書房新社刊、宇野邦一訳より)というように、その後文が途切れずさらに続き、訳者である宇野邦一による解説に、『全編がひとつの「言語ゲーム」であるにはちがいない。むしろ「言語破壊ゲーム」というものだろうか』、と書かれているように、ここでは小説としての定石は拒否される。しかしそれは「破壊」ではなく、文としての構成は保たれている。よくあることだが、読んでいて、一体誰が語っていて、何についてなのか、何のことなのか、全くわからない小説は少なくない。特に現代の世界文学では多い。しかしそういった小説のなかで、単なる言語ゲームに陥っているものを見分けることは簡単なことではない。セリーヌの一連の作品において、その暴力的なエクリチュールに内包される一貫性と力強さを「言語ゲーム」と形容することは違和感がある。しかし一方で本当に単なるゲームに終始して、「何か高尚なことを言っている」という印象を与えようとしている小説も多いのも事実だ。少なくともベケットやブランショに関しては、その構造の解析において最も思考を要する部類に入ることは間違いない。ドゥルーズは『消尽したもの』のなかで、『可能なことを尽くすには、〈可能なもの〉(物あるいは「あれ」)を、それを指示する言葉に、包括的選言命題によって、まさに順列組合せにおいて結びつけなければならない』としている。

ベケットは『名づけられないもの』で、作品間で横断しマーフィー、モロイ、マウロンに触れ、『彼らのせいで時間を失い、無駄な骨折りをした』と書いている。そして、はじめて「私」について喋ろうとしている、とも言っている。「他者」としてマーフィー、モロイ等がもつ声が可能せしめる世界に、作品中「他者」であるはずの「私」が自分について喋る、すなわち喋る対象が「他者」である「私」であることで、作品はあくまでフィクションとしての領域を確認し、私を再び作品に引き戻す。

カテゴリー: TEXT