2013/06/30竣工「帯広の住宅」(7/1付ニュース)の竣工写真をWORK-Representation 8として掲載しました。同時にRepresentation 9としてFilm Work 2も掲載しましたのでお知らせします。
Disciplineの仕事は、実作他基本計画のみで監理していないもの、あるいは基本計画のまま中断したもの、また修士設計や映像作品(実験)なども含めてまとめていますが、それらWork(仕事)を「Representation」なる語を付けてまとめています。
Representationは一つの日本語に置き換えることができない語で、文脈に応じて「再現」「表象」「上演」などという語に使い分けられます。Representation=「Re(再)+presentation(現前)」(再現前)・・・再び現前する・・・すなわち「存在するものを別のものに表すこと」であり、代わりの表現、あるいは置き換えと考えられます。とりわけ思考において、それは対象の観念(イメージ)を作ることに他ならないわけですが、それは「表象」と言われます。フッサールによる「表象」の定義は難解で、以下の二つに意味に分けられます。すなわち「作用性質(=単純表象作用)」と「作用資料(=作用の内部で志向的本質の一面を形成する)」というものです(フッサール著『論理学研究』より)。作用資料は、質量が具体的なものになるために必要な他の諸契機と合体した場合の質量のことを指し、代表象と定義し、あらゆる作用の基礎、つまり作用性質の基礎としています。(私の修士設計はこの論理に基づいています)。いづれにしてもRepresentationは「存在を別のもので表すこと」と捉えられ、私は設計に関わる仕事を、それが実作かそうでないかに関わらず、自己の創造行為の表われとしてRepresentation=表象として捉えています。しかし創造といっても、モノをゼロから造り上げるということではなく、これまでの経験や、既にあるものの積み重ねで成り立つものであることから、創造という行為もそれらのものの置き換えでしかないとも捉えられます。HP上で公開することは、もちろん営業上の目的が第一ですが、それであれば単に実作のみ前面に出せばよいわけですが、それよりも他に大事な意味があると考えています。
90年代初めに『Représentation(ルプレゼンタシオン)』という季刊誌が発行されました。計5巻で終了しましたが、各巻の内容が興味深く、執筆陣を見ても、例えば創刊号は中沢新一氏、小林康夫氏、松浦寿輝氏等の思想家に加え、ドゥルーズやバルトの論文まで掲載されていました。今改めて開いてみると、アンダーラインが随所にあり当時の日記を読むような思いがし、当時何に興味を抱いていたかが分かります。
創刊号の巻頭の言葉に次のような記述があります。『隠された一つの意志を「表象」とすることのない複数の言葉からなるその記号は、間違っても確かな場所の占有を目指したりはしないだろう。あたりを埋め尽くしている言葉たちのあるかないかの隙間に滑り込み、その厚みをかいくぐりつつひたすら偏心し、無方向に拡散してゆくという運動だけが、この記号の夢だといえばいえるかもしれない。始まりや終わりの瞬間を思考するのではなく、『Représentation表象=ルプレザンタシオン』は、その中間に拡がりだした既知の時空に幾つもの裂け目をさぐりあて、その網状の回路をひたすら横断し続ける記号=運動でなければならない。・・・そのとき、二つの不断の運動がわれわれの身振りを律することになるだろう。みずから記号の発信を試みつつ、同時に記号の方向転換を組織しうる中継点に徹すること、というのがそれである。』
また第002号の巻頭の言葉では『・・・「新しい」情報ではなく、記号の文脈そのものを新たに組織し、真剣に演じられることで初めて批判的なものたりうるその遊戯への、多方向からの介入を誘発すること。・・・』とあります。
私がWorkをRepresentationとして名づけたのは、もう20年以上も前に上述の引用に感化されたためであり、実作に関わらずHP上に掲載する理由は、一種の記号として発信し、同時にその記号の方向転換を目指すためでもあります。抽象的な言い回しになりましたが、今後も変化を試みつつ、何かを発信していければと思っています。