TEXT 「軽さと重さ」-1

 設計図に限らず何らかの図を書くと言う行為は、基本的に線を引くことと同等と考えても言い過ぎではないだろう。それは一昔のような手書きの時代も今のデジタル時代もあまり変わらないように思える。一本の直線を引くという行為は、ある点からある点へ向けてペンを走らせるか、あるいはCADで長さと方向の数値を入力して表すことができる。しかしいずれにせよこの行為の中にあまり意識にのぼらないことがあるとすれば、それはこの線、あるいは点自体に(長さ、太さなどの)サイズがないということである。例えば0.5ミリの芯のシャープペンで線を引くと、その線には0.5ミリという眼に見えるサイズを含むことになるが、設計上はサイズがないものとして考える。つまり線自体に距離が内在すると設計上矛盾が生じ、破綻を生む。こんな当たり前のことを意識するということはナンセンスだが、現実には線にも点にもサイズがあるということは認識しなければならない。なぜならいわば実体として現前するものを観念上のものとしているわけだが、紙、あるいはCAD上の実体は、何の違和感も不思議もなく現実の物体へとやがて変換されていくからだ。建築物はこの線を引くという行為から始まり、二次元から三次元へと変容していく。線を引くことは形態の生成の大事な位置を占めることにつながる。
 そして造形の基本要素である線についてあらためて考えてみると、私は学生時代に触れた様々な造形理論に帰ることができる。その一つがカンディンスキーである。カンディンスキーの仕事は建築ではなく絵画の分野であるが、彼が遺した100年近く前の造形理論はデザインにおいて今でも私の頭の片隅にある。「絵画的要素の分析のために」と副題が付された『点・線・面』(1920年バウハウス叢書第9巻)は、形態的要素の分析と構成を主にひろく造形一般の問題に触れたもので、あらためて頁を繰ってみると、そのユニークさに引き込まれる。
 同書の「点」の章と「線」の章の各々の冒頭には以下の記述がある。

「幾何学上の点は眼に見えぬ存在である。したがってそれは非物質的な存在と定義せざるを得ない」
「幾何学上、線は眼に見えぬ存在である。線は動く点の軌跡、したがって点の所産である」

 カンディンスキーの「点」についての定義は実際そこに目に見えるものに対して、それは「眼に見えぬ」観念上のものであるということ、そして「線」については私たちが直線を点と点を結ぶ最短の軌跡とする考え方とは別の、つまり点を動きの中で捉え、その集合体のような観念で捉えているといえる。
 また次の点がおそらくカンディンスキーの画家としての独自の発想であり、別の著書『抽象芸術論』の中で詳細に述べられているが、それは即ち端的にいうと直線を温度で以下の3つに区分しているということである。

1. 冷たい形態
2. 暖かい形態
3. 冷と暖とを含む形態

 形態を寒暖で分類しているのだ。
更に論を進め、線と色彩について直線の基本色として以下に4つに分類している。

1. 水平線:黒
2. 垂直線:白
3. 対角線:赤(もしくは灰色、ないし緑)
4. 任意の直線:黄と青

 ちなみにカンディンスキーによると「つねに白の方が黒より暖かい感じ、そして絶対黒は内面的には寒そのものである」と、色彩と寒暖を結びつけている。そして赤、黄、青に関しては「赤は平面について離れぬ性質をもつことにより、黄及び白から区別される。一方対角線が任意の直線と異なるところは、平面上にしっかりとついて離れぬこと、水平線ならびに垂直線との相違は、それがいっそう大きな内面的緊張を有していることである」としている。
 そして更に角のある直線(折れ線)について、角度の種類(鈍角、直角、鋭角)によって色分けをし、折れ線の組み合わせとして三角形、四角形、そして円、各々の形態の三原色を示している点がユニークだ。前述の基本色の4分類に温度(寒暖)と明度の点から、更に以下に線、及び平面を分類している。


・水平線:黒=青
・垂直線:白=黄
・対角線:灰色、緑=赤

平面
・三角形:水平線(黒=青)+対角線(赤)=黄
・正方形:水平線(黒=青)+垂直線(白=黄)=赤
・円:(能動的=黄、受動的=赤) =青

 また曲線に関しては「点に対して二つの力が同時に作用し、しかも圧力において一方の力がつねに同じ割合で他方の力を凌駕しつつ、作用し続けるとき、基本型たる曲線が生れる」と定義し、「単純な曲線」と「複雑な曲線ないし波状曲線」として論を展開する。基本的に「曲線はもともと直線だが、絶えず側面から加わる圧力で直線コースから逸らされた」と定義し、これもある一点を中心とした一定の半径の点の集合という円、あるいは円弧の考え方、つまり曲線は中心点をもつという考えから離れ、私たちが、特に設計で扱う曲線とは考え方が全く異なる。つまり直線と同じく運動や力学の過程として生じるものという考え方である。カンディンスキーによると、例えば複雑な曲線、波状曲線の中にも、線の一部を太くすることで円弧の頂点を強調する効果がある、といった手法も紹介されている。そこから発展してカンディンスキーの絵画の曲線の基本パターンをうかがわせる図も紹介されている。カンディンスキーにとって主な具体的な手法として自己の絵画のなかで実践していたものと想像できる。キャンバスのなかで、線、曲線、折れ線、線の太さの強弱に加え色彩も基本理論に沿って描かれたか、あるいは後付けかは絵画作品を見ればいいが、ここはその検証をする場ではない。
 
これらの理論が、つまりデザイン、特に建築設計において一体何がどう影響するのかという問いに対してここでは特に私の結論はなく、ましてや建築デザインの基礎理論だなどと言うつもりもない。冒頭に書いた、線そのものにサイズがないという当たり前で素朴な感覚を思うとき、絵に書いたもの、あるいはCAD上のものは、目に見える実体ではあるが、決して実物ではないということ、極論すればそこには「何もない」という考えをつねにもちながら、それが実体のものへ変換する工程をしっかり概観し、ものごとを進めていかなければならない。このような基本的な姿勢に戻ることも必然なのだ。
 
 「線」の章の最後に、まとめのように以下のような記述がある。
「点は静止、線は運動、から生れたもので、内面的な動きを表す緊張。この二つの要素、その交錯と並置、それらは言葉では表現しえぬ独自の《言語》をつくる。この言語の内面的な響きを鈍らせ、また曖昧にする一切の《混ぜ物》を排除すること、それが絵画的表現に最高の簡潔さと最高の正確さを与える。純粋な形態こそ生命に満ちた内容を存分に表現しうるのである。」(文中引用訳西田秀穂)