TEXT 「軽さと重さ」-2

 最近新国立競技場の問題でクローズアップされたザハ・ハディドのデザインから考えたことがあり、それはハディドの「建築デザイン」は変わっていないか、いや変わったのかということである。変わったというのは、日本のバブル期のハディドがまだペーパー・アーキテクトの扱いの時期のことであるが、当時学生だった私を含め多くの学生や一部の建築家がそのアヴァンギャルドに触発されたことを思い出すが、当時を思うと現在の彼女の立場も事務所規模も、そしてデザインも当然変化している。さらに一方で現在の彼女のデザインは、もちろんコンピューターの環境が大きく変わったことを考慮しても、根本的にその表面的な斬新さは変わっていないように思う。そのコンピューター時代だからこそ表現できる範囲が拡大したことは間違いないが、その表現、具体的な建築的形態については彼女自身の内的な規則性とは離れたもののようにも感じる。彼女のキャリアのスタートを印象付けるドローイングは紛れもなく「ドローイング」であり、おそらく全ての表現に何らかの彼女の規則性が内在されているといえる。それは頭の中での観念的でイデオロギー的なものとアナログ的な「手」の動きによるものと類推される。そして近年の彼女の作品集や『A+U』などで建設中のものも含めた作品群を見ていると、昔では実現がありえなかったであろう形態が現実のものとなっていて、まずそのことに驚く。これはハディドに限ったことではないし、コンピューターの発達で複雑な三次元モデルも可能となり、施工と連動していることも既に普通のことである。しかし再びハディドに戻ると、彼女のデザインもその流れの中で生成され、デザインの進化の成果と考えられる一方で、私は実はそれは彼女個人に対する何か「釈然としない広義のデザイン感」とでもいうような思いに駆られる。彼女一個人から規模が拡大していく事務所環境の中で、名をもつ建築家の存在の何か無理な姿勢を感じてしまうのだ。
 建築批評家のアンソニー・ヴィドラーの著作『20世紀建築の発明』(鹿島出版会刊、今村創平訳)の序文の内容が、こうした感じを代弁してくれているような記述をしている。その序文はP.アイゼンマンによるもので、彼はこの序文の中で形式主義(フォルマリズム)をキーワードにアメリカの建築学校での講評会の経験で感じたことを書いている。以下はその抜粋(一部省略などの加工あり)である。

「最近その講評会で、形式主義の新しく、より毒をもった血筋が普及し、その影響を目の当たりにして当惑したことがあった。・・・「より毒のある」というのは、それがネオ・アヴァンギャルドによる技術的決定主義の旗のもとにあったからである。形式主義のつながりが膨大な複雑さと一貫性とを合わせ持つパラメトリック・プロセスを生産する複雑なアルゴリズムから生成された最先端のコンピューター・モデリング技術のなかに見ることができる。・・・これら最先端のプロセスをもつ作品が、こうした作者不詳のプロセスのなかに、ある自律性の遺産の考えに近いためでも行く分ある。だがその代わりに、私には何かが根本的に間違っており、ここでは今日の建築に関するより一般的な問題が語られていると思われた。・・・イデオロギー的関与の欠如と内在的に決定された意味は、この新しい形式主義を自律性の考えへと結びつける。・・・形式的なものは形式主義と区別されるべきであり、前者は内在的価値をもち、後者は現在の造形における空虚な修辞にすぎない。」

 アイゼンマンのこの記述は、コンピューター・プログラムによるアルゴリズムをデザイン手法として否定しているものではなく、また私もハディドの建築をそのように一元的に捉えているわけではない。しかし一方である形式をコントロールする立場がそのコントロールの外れた、いわば意図しない自律性にゆだね表出されたものがその成果だとしたら、それは確かに造形上の修辞ととられかねない。また時代の要請にも応えていないものにもなりかねないだろう。つまりそこには説明不可能性を絶えず孕み、自律した主体が存在しないもの、開き直って言えば「それがデザインというもので、デザインの能力はプログラミング能力、あるいはプロデュース能力と同等である」かのような地点に立ってしまう。建築デザインはコノテーションの余韻や閉鎖的な他者に意味不明なメソッドを受け付けなくなってきている。だからといってもちろんデザインは形式的に一つの解答に収斂するものではないことは誰もが分かっていることだ。