TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 4

3.D/M
ヨーロッパ人であるニーチェは、彼が属する社会の古い価値の蓄積の上に自らのニヒリズムが存在することを理解し、そのうえで「人間とは克服されねばならぬなにものかである」とする「力への意志」を説く。ヨーロッパの蓄積された価値はもともと価値なきものを価値として依存してきた積み重ねであり、ヨーロッパの歴史とはその蓄積の歴史といってもいいだろう。価値なきものを価値とする「暴力的」行為は、ますます力を強め、一方で多くの価値を排除してきた。これはヨーロッパだけの問題ではないだろう。価値の排除は他の言葉に置き換えて考えられがちである。現代において都合よく使われる言葉、「解体」である。特にデリダの「脱構築」が最も引き合いにされる。デリダはその迷惑に真面目に言葉で解説をし、「解体」ではないことを繰り返し説く。「構造を解体」するというナンセンスは、よく芸術分野、あるいは私が身を置く建築の世界でも一時期流布した。便法として大変都合のいいこじつけとしていまだに多用されている。そもそも「構造」は解体されるものではない。構造はそこにあるものであり、解析、解釈されるものである。解体される構造などないだろう。つまり意味として全く成立しないのだ。現代の思想の分かれ目はこの構造への誤謬にあるのではないかと思う。バルトは自ら「構造」を名乗ったが、フーコーは自分が構造主義であるという指摘を否定し、レヴィ=ストロースの思想は主義などと括ること自体が滑稽でさえあるような、科学的分析による研究姿勢だ。サルトルは構造主義の登場で犠牲となった感があるが、しかしそのとき決して死んだわけではなく今も生き続けるどころか、多くの影響を与え続けている。ドゥルーズもサルトルを取り上げている。ドゥルーズの思想は軽快で、かつ難解で、時に多くの批評家の批判の的ともなっている(アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンによる『「知」の欺瞞』などでラカンやクリステヴァなどもやり玉にあげられている)。ドゥルーズは最初の書物として『差異と反復』を著しているが、ブランショは「力」と「差異」との関係でドルーズの言葉を引用して以下のように書いている。

『力は差異を言う。力を考えること、それは差異の名において力を考えることである。このことはまず、ほとんど分析的様式で理解される。力を言う者は、つねに多数的なものとして言う。もし力が統一された一体性であるなら、力は存在しないことになるだろう。ドゥルーズはそのことを、次のように決定的な簡潔さで表わした。「すべて力というものはある他の力との本質的な関係のうちにある。力の存在は複数的であって、それを単数的に考えることは不条理であろう。」ただ、力は単に複数性であるだけではない。諸力の複数性ということは、隔たっている諸力、隔たり=距離(ディスタンス)によってお互いに関係し合っている諸力という意味である。つまりそういう隔たりは、諸力を複数化する隔たりであり、そして、諸力のうちで、それらの差異の強烈さのようなものである隔たりなのだが、そんな隔たりによって、一方が他方へと関係し合っている諸力ということを意味している(ニーチェは次のように言っている、「こうした距離の感情(パトス)の高みから、ひとはまず、諸価値を創り出す権利を、あるいは諸価値を決定する権利を我がものとするのだ。有用性などはなんの関係もない」)。こうして隔たり=距離は諸力を分離させるものであるが、それは諸力の相関関係でもある - そして、あるもっと特徴的な仕方で、隔たりは諸力を外から区別するものであるばかりではなく、諸力の区別という本質を内から構成するものである。言いかえてみよう。諸力を隔たっているままに保つもの、すなわち外は、諸力の唯一の内奥であって、諸力がそれによって活動して作用を及ぼすものであり、また、何かの作用を被るものである、すなわち、「差異論的なエレメント[差異のみに基づいて成り立つエレメント]であって、それが諸力の現実の全体である。だから諸力は、自分自身のうちに現実を持っておらず、ただ諸関係だけを – そんな関係は、境界となる項たちのない関係なのだが、そういう諸関係だけを - 持っているのであり、まさにその限りにおいてのみ現実的なのである。しかるに、〈力への意志〉とは何だろうか。「ひとつの存在ではなく、ひとつの生成でもなく、ひとつのパトスである」、すなわち『差異へのパッションなのだ』。(ブランショ『終わりなき対話』(Ⅱ)より)

ドゥルーズは力を他の力との関係として、複数性としてとらえ、ブランショはその隔たりの差異を説き、さらにニーチェの言葉を借りて、隔たり(距離)の感情(パトス)から価値の創造の権利の取得に同意する。隔たり(距離、関係)の外は、力の内であり、「差異のみに基づいて成り立つエレメント」であり、力は関係だけを持つ、ニーチェの〈力への意志〉とは『差異へのパッション』である、とブランショは言う。
テキスト2で取り上げた「会話における暴力」は、力の複数性が身近な場面で実感として現れる。

ドゥルーズの『アンチ・オイディプス』に初めて触れたのはもう30年近くも前になる。現在は新訳も出ていて、最初の翻訳より読みやすくなった感じはあるが、基本的に読みにくさは変わっていない。とにかく1頁目からそれまで思想・哲学書では読んだことのない言葉が続く。
「[〈それ〉[エス]。機械の機械] 〈それ〉は作動している。・・・」(ドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』(市倉宏祐訳 河出書房新社刊)
後年、ガタリが「草稿」を出版したが、それを読むと同書におけるガタリの占める領域の深さを知ることが出来る。ドゥルーズとガタリは互いに力を獲得し、互いの思想、領域を拡大・止揚させ、共著という形のテキストで多くの暴力、発展的な諸力を含みながら現前する。二人とも死後も生き続けている。どちらも第一ヴァイオリンであり、第二ヴァイオリンなのだ。
しかし再びニーチェの時代に戻り、ドゥルーズ=ガタリのような関係ではもちろんないし、単純に思想家・哲学者とはいえない人物、つまりマラルメ、のブランショによる引用に続く。マラルメは『ディヴァガシオン』という思想的な著書もあるが、基本的に詩人として知られる。死後も多くのテキストで引用されている。ドゥルーズ=ガタリの関係ではないが、マラルメはニーチェとの関係でいうと、年齢は二歳違いで、全く同時代に生まれ死んでいて、『ディヴァガシオン』でマラルメがとりあげたワーグナーはやはりニーチェのワーグナー批判と対応して考えることが可能だとすれば、二人の思想的関係に思いをはせることができる。ニーチェは狂気の末亡くなったが、マラルメも晩年の作品には狂気が含まれているといわれる。それぞれ狂気にいたる「孤独」を到底想像できないだろう。しかしその孤独のなかに、互いに「会話」がないとしても、真の「友人」を見出すことはできる。私淑する対象がないとしても互いに尊敬し合うことはあるだろう。
・・・5に続く