TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 – 6

ドゥルーズ、マラルメから森有正へ。ブランショのテキストに森有正が登場するわけではない。急な転化の前に、国は違うが、ニーチェにマラルメという同時代人がいたように、ドゥルーズと、そして我々と同時代のフーコーの、「権力」へ。
私は「暴力」の取り方、すなわち「腕力ではない暴力」として暴力をとらえたのと同じように、「権力」に対しても、いわゆる一般的で政治的なとらえ方とは感覚的に異なるとらえ方をしている。M.フーコーが、ある(H.ベッカー、R,フォルネ=ペタンクール、A.ゴメス=ミュラーとの)対話のなかで、次のように「権力」について、彼自身の考えをわかりやすく、簡潔に述べている。
『・・・私が権力という言葉で何を理解しているのかという問題に帰着します。私は権力という言葉をあまり使いませんし、ときどき使うときがあっても、それは「権力の諸関係」という私がいつも使う表現を短くしただけのことです。(略)権力が語られるとき、ひとはすぐさま政治的な構造、政府、支配的な社会階級、奴隷にたいする主人などのことを考えてしまいます。私が権力の諸関係について語るとき考えているのは、そういうことではありません。私が言いたいのは、様々な人間関係においてーそれは今しているような言語的なコミュニケーションであろうと、恋愛関係であろうと、制度的または経済的な関係であろうとー、どのような人間関係においても、権力はつねにそこにある、ということなのです。つまり、一方が他方の行動を指揮しようとするような関係があるということです。だから様々なレベルで、さまざまな形式において、権力の諸関係を見出すことができます。権力の諸関係は可動的なものです。つまりそれは変わりうるものであり、一度に決定的に与えられてしまうようなものではありません。たとえば私が年上なので、はじめあなたは怖気付いていたとしますね。会話が進むにつれて関係が逆転し、今度は私のほうが、年下の人間を前にしているというまさにそのことに怖気付いてしまうことだってあるのです。だからこうした権力の諸関係は可動的、可逆的であり、不安定なものです。さらに主体が自由であるかぎりにおいて、権力の関係がありうるのだということも指摘しておかなければなりません。二人のうちどちらかが他方に完全に掌握されてしまい、彼の物に、つまり彼が無限で際限のない暴力を行使できる対象になってしまったとしたら、権力の諸関係はありません。したがって権力の関係が行使されるためには、双方に少なくともある形の自由がなくてはなりません。』(フーコー『フーコー・コレクション(5)』(ちくま学芸文庫刊)廣瀬浩司訳より)
力というのは、つまり関係の中で生じ、優位や劣勢などを感じ、あるいはそれを行使するかどうか、できる可能性があるのか、資格があるのか、つねにその隙間で考えることもある。それはあくまで関係の中で生じることで、先述した会話における関係では、もっとも身近で誰でも体験することで、きわめてポリフォニックな現象がその舞台である。言葉を武器とする人たちのなかにおいて、最も言葉が大事で、あるいはそれしか能力を要求されないといってもいいような人たち、最たるものが為政者なのだが、それゆえ政治性というのは、最も力の場を表象しやすい類といえる。今その政治性についてどうこういうつもりはないが、人のこころを動かす、揺さぶる言葉なくして、人を動かすことはできないだろう。しかしその揺さぶる言葉でさえ、そのほとんどが脅しといっても言い過ぎではないように私は思うが、それでもその「脅し」を自らの力に変換し、政治性を尊重しながら言葉を受け止められること、こういったことを日常のなかで無意識に反芻することが生活の目的にもなっているように思える。「腕力による暴力」に属する暴力も絡めて、フーコーと同時代人のドゥルーズは、フーコー論である自著『フーコー』の中で、「権力」と「暴力」について書いている。
『どんな力もすでに関係であり、すなわち権力なのだ。つまり力は、力とは別の対象や主体をもつことはない。(略)暴力とは力に付随するもの、力から結集するものであって、力を構成するものではない。フーコーは、ニーチェに最も近い(そしてマルクスにも)。ニーチェにとって、力の関係は、奇妙にも暴力を超えてしまうもので、暴力によって定義されることはないのだ。つまり、暴力は身体、対象、あるいは規定された存在に関わり、それらの形態を破壊したり、変更したりするが、力の方は、他の力以外のものを対象とすることはなく、関係そのものを存在とするのだ。』(ドゥルーズ『フーコー』(河出書房刊)宇野邦一訳より)
同時代の「権力」は、たとえ互いに会わなくてもテキストで会うことができる。しかしその同時代の中で、「会うことができない」人たち、あるいは情報がないか特殊な立場でしか得られないような人たち、これらの人たちは思想的に孤独であり、親炙する者がいない状況でも、死後も生き続けるテキストがあるだろう。
ニーチェやマラルメと同時代の日本人に、哲学ではなく文学において、「権力」について登場人物に語らせた作家がいた。漱石である。一昨年(2016年)は没後100年になる(ちなみに昨年は生誕150年である)。『こころ』の中で、「先生」が次のような言葉を発する。
『かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立を己れとに満ちた現代に生まれた我々には、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう』(漱石『こころ』より)。
漱石の同時代を日本国内で俯瞰することが難しいが、漱石は少し前の代のドストエフスキーを読んでいたことは作品の中で書かれていることから推測される。ドストエフスキーの影響があるとは軽々に言えないが、ドストエフスキーの小説から発せられる深刻さは漱石にも何らかの影響を与えたことも推察される。ドストエフスキーは人間について定義する。上記の漱石による記述も人間の本質に迫る思想である。権力にシュプレヒコールを上げ、しかし立場が権力側に就いたとたんその権力を乱用する人たちは数多い。
『かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようするのです』
この言葉は、漱石自身の言葉として、また漱石の言葉を超越して、私を戒める。
漱石は100年以上前にロンドンに行き、苦悩の末帰国したが、20世紀に半ばにやはり外国に行き、帰国することなくその地、パリで人生を終えた人物、森有正に移りたい。
・・・7へ続く