以前のテキストでG.ヘルンヴァインを取り上げた。経験と体験を巡る内容の回で、森有正の思想を受けて「特に貴重な経験」として、ヘルンヴァイン展がその後の人生において固定化された「体験」となったことを書いた。その「体験」は私が30歳になる直前のことだったが、さらにその10年前の大学1年の頃の経験が固定化された「体験」となって、それが現在までつながっている対象がミケランジェロ.アントニオーニである。アントニオーニは20世紀の半ばイタリアで活躍した映画監督で、フェリーニと並ぶネオリアリスモの巨匠である。私の「出会い」は、先述したように大学に入学してまもなくのことで、彼の映画は、それまで高校時代から好きで見ていたいわゆるハリウッド映画とは全く異質なものだった。当時テレビで深夜に放映されたアントニオーニの『太陽はひとりぼっち(原題L’eclisse』)をたまたまビデオに録画していたものを観た。その時の印象は、まず単純に面白くないという感覚しかなかった。しかしその後繰り返し観ていくうちに、次第に惹き込まれるようになった。そしてその後アントニオーニの他の作品のみならず、フェリーニやゴダール、ベルイマンなどヨーロッパの映画をよく観るようになった。これらの経験は先の回に書いたヤン・シュヴァンクマイエルやP.ボカノウスキー、セルゲイ・パラジャーノフといった商業映画とは一線を画す作品に触れるようにつながっていったが、いわばその嚆矢が私にとってアントニオーニだったといえる。アントニオーニの映画の中のシーンや画面の構成、空気や役者の表情などから発せられる、いわば像の質感などは、私のその後の仕事や日常の中で常につきまとうというか、自分を支配している覆いのような存在になっている。その覆いのようなものを最初に具体的に表現した例としては、大学院修士設計で、いわば漠然とした空間における「質感」のようなものを、そのアントニオーニから影響を受けた感覚を契機として、全体と部分の考察を基本とした様々な思想、理論の助けを借りながら論と設計を展開した。(それは本HPのWORKで「Representation1」として掲載している)。建築という仕事を基本とした日常の中で出くわす、主に視覚的体験としてアントニオーニの映像が根底にある。
具体的なシーンとして挙げると、『情事』(L’avventura 1960年)では、小島で行方不明となった女性の恋人とモニカ・ヴィッティ扮する友人との関係を象徴するような、建造物の石の壁面が画面の半分を占める二人の背景。『夜』(La notte 1961年)では、特に後半、早朝のゴルフ場で二人が歩くシーン。時間の感覚を失った空と芝が広がる中に樹木が点在するなかを並んで歩き、芝に座りこむ二人。ジャンヌ・モローの美しく暗い表情と、夫への愛が冷めたことを口にする妻としての悲しみがそのまま風景と同化する。そして先述した『太陽はひとりぼっち』では冒頭の男女の別れ話のシーン。何度も話し合った後、早朝の男の部屋から出ていくモニカ・ヴィッティが、住宅地の脇の草むらを抜け、自宅マンションへ入って窓から揺れる樹葉を見つめるシーン。証券取引所で、ある証券マンが亡くなったというアナウンスのあと1分間の黙とうを捧げる中、太い円柱を挟んで立つヴィッティとドロンのシーン。そしてなんといっても最後の数分間の映像。二人が待ち合わせ、歩き、話しが繰り広げられた場所の、二人の不在のシークエンス。『赤い砂漠』(Il deserto rosso 1964年)はアントニオーニ初のカラー作品であるが、特にこの作品は、工場とその排気ガス、港の霧など前作までの都会的な情景とは異なる陰鬱な様相が全編通して作品を覆っている。
今取り上げたシーンは私のその後の生活の中で、ふとした瞬間に訪れる。大学時代の室蘭の風景・・・いつも吹いている風、道路脇に箒で掃かれた跡のような雪、新日鉄工場群と鉛色の空。あるいは札幌での、時間や季節の感覚を失う、何でもない街の風景。仕事で偶然通りかかる団地の画一的な形と小さな公園。あるいは具体的場面でなくても、例えば安部公房の作品で描かれる身近な街の普遍性など。これらの感覚は単に視覚的な経験が「体験」として積み重ねられ、現在に至るまでの自分の心象風景として固定化したもとのとなっている。タイトルに挙げた「質感」とは、マテリアル、すなわちものの物質性というか、具体的な手触りの感覚を、いわば空間をキャンバスにみたてたような手触り感覚を「質感」として捉えたものだ。それは学生時代に出会った「アントニオーニ」から得られた逃れられない感覚となっている。