メタル・音楽(1)
唐突だが、ヘヴィメタルのジャンルにおいて、新しいバンドの存在を私は知らない。ヘヴィメタルといっても様々なタイプがあるはずなのだが、括られて一つの印象を与えている。「ただうるさいだけ」「大音量のギターとドラム、絶叫するボーカル」。こういったレッテルはいつのころから貼られてきたのか。そもそもヘヴィメタの始まりはどこか。どんなバンドの、どんなアルバム、曲か。よく取り上げられるバンドにブラック・サバスがある。
トニー・アイオミのギターリフは確かにその後のメタルの始まりともいえなくもない。しかしそのリフは指にハンデがありながも独創的で、さらにオズボーンのボーカルがそのリフのうえにただ乗っかっているという単純な印象はまったくない。しっかりとしたメロディと演奏、ボーカルを構成している。4作目後にメンバー、特にアイオミが曲作りのスランプに陥り、そこから抜け出したときの5作目で披露されたリフには、その後のメタルのリフを先取りしたフレーズがみられるようになったが、基本的に70年代のしっかりとしたブリティッシュ・ロックのスタイルを踏襲している。
ギターリフといえば、70年代はリッチー・ブラックモアも多くの有名なリフを残しているし、彼自身ディープ・パープル後のレインボウや繰り返される再結成やソロでも、自身のリフを何度も採用していて、ディープ・パープル、レインボウと違うバンドとしてライヴを行っても、それぞれのボーカルがリフに合わせたメロディを歌いあげている。レインボウのアルバム『DIFFICULT TO CURE』の2曲目『Spotlight Kid』はパープルの90年代に再結成された時のアルバムの曲でも確か使われている。他にも初期のパープルで有名な『Highway Star』もレインボウでほぼ同じリフが使われている曲があり、多くのリフが様々な曲で引用されている。ライヴではパープルかレインボウかでボーカルが異なるため、パープルで使ったリフをレインボウで披露できないということが一般的にあるが、ブラックモアの場合そういうことにならないようになっている。同じリフでメロディとボーカルが異なるという違いだけの状態で、彼はどちらのボーカルでもかまわないといった感じで演奏しているように聴こえる。一方ボーカルは作詞を担うことが多いが、私の勝手な思い込みだが、ボーカルはブラックモアがあみだしたリフにメロディラインをつくる役目も担っていたのではないかと考える。レインボウもパープルのギランのボーカルとレインボウでのボーカル担当でやはり曲の出来が大きく差がでていることからもそう推測される。ブラックモアはパープルでギランとカヴァーデイルという優れたボーカルを得たが、その後のレインボウでボーカルに苦労したのではないだろうか。レインボウの2作目『Rising』はいわゆる名盤中の名盤だが、ボーカルはロニー・ジェイムス・デイオで、レインボウの歴代のボーカルのなかでは最もブラックモアの曲に合っていたように思われるし、楽曲としても『Stargazer』と『A Light In The Black』はLPレコードのB面を占める大作で、コージー・パウエルのドラムの迫力のうえにメンバーの力量が充分発揮された傑作となっている。しかしその後ボーカルも代わりアルバムとして物足りない印象を与えたが、80年代に入りアルバム『DIFFICULT TO CURE』が出て、ボーカルがジョー・リン・ターナーに代わった。彼のボーカルは80年代という新しい時代にふさわしい魅力を放ち、ブラックモアのギターも一段と引き立ったような印象を与えている。これはやはりボーカルであるターナーの力も大きいのではないかと考える。またブラックモアに関してはギターのリフのみでなく、パープルの『Burn』で披露されたジョン・ロードのソロのキーボード(オルガン)のモチーフは、その後レインボウでも繰り返し採用されているし、前述の『A Light In The Black』、あるいはパープル再結成の『Perfect Strangers』でもわかりやすいかたちでそれが展開されている。ギターソロでなくてもブラックモアを特徴づける代表的なフレーズとなっている。
ギターとボーカルの関係をさらに敷衍すると、これはメタルとは言い切れないが、マイケル・シェンカーが在籍するUFOとその後のM.S.Gの時とで、やはりメロディに大きな差がでている。ドイツ人であるマイケルが当時英語を話せなかったこともあってなのか、作曲とギターテクで自己表現を最大限発揮することに全精力を注ぐ一方で、その手助けとしてUFOではボーカルのフィル・モグの存在は欠かせない。彼もやはり歌詞とメロディに大きな影響を与えたことは十分推測できる。なぜならM.S.GではUFOとはその質にあきらかに大きな差があるように思われるからだ。フィル・モグはまだマイケルがスコーピオンズに在籍していた頃に、たびたび彼をライヴでレンタルしていて、その後マイケルの兄ルドルフ(スコーピオンズでギター担当)の承諾を得て若いマイケルを加入させたといわれている。加入後の1作目『Phenomenon』は、これもいわゆる名盤中の名盤で、ほとんどの曲でマイケルが作曲している。『Doctor Doctor』や『Rock Bottom』といったその後のマイケルにとって重要な曲もこのアルバムに収められていて、歌詞と曲の関係は切り離せないものとなっている。ファンならタイトルを聴いただけでメロディとモグの声、マイケルのリフとソロがすぐに頭の中に駆け巡るだろう。このアルバムは全編通してハードななかにもマイケル特有のメランコリックな旋律もあり、際立った明るさや派手さというもの、いわば遊び的で無駄な要素があまりなく、その点からも長く愛聴される理由ともなっているように思うのだが、その後のアルバムではギターのリフに明るさというものが垣間見えるようになる。それぞれのアルバムで1枚を通して聴くには何度も繰り返しという感じではなくなる。もちろん好みはあるが、それだけに『Phenomenon』への郷愁みたいなものが一層増すかたちとなる。しかしマイケル脱退2作前、アメリカを強く意識したといわれるアルバム『Lights Out』のタイトル曲は、やはりその後のマイケルの定番となるような力の注ぎようで、彼がつくったもののなかでも最もハードなプレイを披露している。やはりこのタイトルを聞けば、特にライヴ盤の『Strangers in the Night』での「lights out Chicago!」と叫ぶモグの声が聞こえるように、歌詞と曲が切り離せないし、この曲は特にモグのボーカルでなければならないとファンなら思うだろう。モグはマイケルの才能を開花させたというだけでも、一流のプロデューサーでもあるともいえる。
近年ホワイトスネイクの新譜が出たが、残念ながらそこには80年代の冴えはもうない。この新譜のみでなく、87年以降現在に至るまでのアルバムにも同じことがいえる。特に今世紀に入ってからでたアルバムでは全く曲の態をまるでなしていないように思われるし、ほぼギターの勢いのみが前面にでていて、ほとんどの曲が同じような印象を与えている。なかにはいい曲もあるが、アルドリッヂのギターはカヴァーデイルのボーカルには向いていないように思われる。87年のいわゆる『Serpens Albus』(正式には『Whitesnake』(アメリカ盤))は、これも名盤中の名盤で、イギリス本国はもとより世界中でいまだに聴き継がれている。これに大きく貢献したのが、ジョン・サイクスである。このアルバムでサイクスはほとんどの曲でギターと曲作りに参画している。2曲が過去の曲のリメイクだが、カヴァーデイル単独で作られた『Crying in the Rain』はサイクスの自身のライヴでも演奏しているほど、彼のギターが冴えている。つまりサイクスはこの曲の蘇生に自身が果たした役割をよく知っているからこそライヴでも最も盛り上がる曲の一つとなっている。その他の曲もサイクスのギターが全面に出ながらも、カヴァーデイルのボーカルはむしろ水を得た魚のように生き生きとしている。サイクスのバンドで彼が作った曲を聴いても、これもサイクスのボーカルではなくカヴァーデイルのそれだったらどんなにいいだろうと思ったものだが、そう思わせるほどカヴァーデイルにはサイクスが必要だし、サイクスにとっても、彼が自身のバンドでボーカルを担っても、やはり物足りないのが現実だ。双方にとって欠かせない存在だと思うのだが、このアルバム以降二人による曲、アルバムはない。そして現在に至るまでホワイトスネイクは、ヴァンデンヴァーグ以外よいギタリストに恵まれていないように思えるし、そのせいか曲においてもカヴァーデイルの魅力が活かされたものは出ていない印象がある。今回の新譜も例外ではない。
80年代から現在に至るまで、アルバムをコンスタントに出し続けているバンドにアイアン・メイデンがある。ヘヴィメタらしい音楽を作り続けているバンドだが、彼らの音楽の根底には70年代ロックがある。スティーヴ・ハリスはジェネシスやジェスロ・タルの影響を受けていると公言している。(ハリスがジェスロ・タルのアルバムのライナーノーツも手掛けているものもあるほど)。特に5作目の『Powerslave』以降、その影響をうかがわせるような長尺で変調の曲も多い。3作目までは加入したばかりのブルース・ディッキンソンの伸びのあるボーカルとシンプルなロックが魅力だったが、4作目の『Piece of Mind』(Peace of Mindではない)では、ニコ・マクブレインの新加入による高度なドラミングと、スタイルを確固としたスミスとマーレイによるツイン・ギター、そしてディッキンソンの高音のボーカル、なによりハリスだけではなくスミスやディッキンソンの手による曲も個性を放ち、安定した統一感に仕上がったアルバムとして、私は個人的に最もよく聴いたアルバムである。ボーカルであるディッキンソンはこのアルバムで『Revelations』やスミスとの共作の『Flight Of Icarus』でコンポーザーとしての才能も証明した。直近の新譜で『The book of souls』(2015)は、2枚組のスタジオ録音で、80年代で展開した世界観をますます進化させ、聴くものを裏切らない作品となっている。ここでもディッキンソンが書いた曲は色褪せていないどころかますます精彩を放っている。前述の曲『Revelations』のギターリフには、メタルではないウィッシュボーン・アッシュの70年代の名盤『Argus』のなかの『Warrior』のフレーズと同じモチーフが採用されている。メイデンのギターリフには、例えばマイケル・シェンカーに似たものもある。聴いたことのあるフレーズが違うバンドで聴かれるというのは決して悪いことではなく、むしろそれまで積み上げられたブリティッシュ・ロックの伝統を踏襲しているという安定感が伝わってくる。ディッキンソンが在籍した期間に発表されたアルバムを通して聴くと、それがよく伝わってくる。
一方、メタルではないが、自ら「ヌーヴォ・メタル」として90年代に自身のスタイルを名づけたバンドにキング・クリムゾンがある。
・・・続く