TEXT 「音楽の状態を憧れる」-2

メタル・音楽(2)

キング・クリムゾンの『The ConstruKction of Light』は2000年に発表されたスタジオ録音のアルバムである。ビル・ブラフォード(近年ではブルーフォードという)は不在だ。私はこのアルバムが現在に至る約半世紀にわたるクリムゾンのキャリアのなかでも最も好きなアルバムといってもいい。私にとってクリムゾンの魅力をあえて誤解を恐れず言うと、それは『音の健全な暴力』ということができる。「暴力」という言葉に抵抗はあるかもしれないが、この言葉が私がクリムゾンを聴いてから40年あまりつきまとっていた言葉であり、彼ら、というよりロバート・フリップの音楽は思想的にも多くの影響を受けたといっても言い過ぎではないほどである。アルバム『The ConstruKction of Light』は、その『音の健全な暴力』を極限にまで高めた作品であり、それまでの彼らのオリジナリティを進化させ、統合させた作品ともいえる。どのような点でそういえるのかというと、このアルバムに収録されている曲に具体的に表現されている。まず2曲目であるタイトル曲の『The ConstruKction of Light』は、80年のアルバム『Discipline』のライン上にある作品だ。「ライン上」などというと、直後の2枚のアルバム『Beat』や『Three of a Perfect Pair』のような、よくいわれるような『Discipline』の惰性で契約上仕方なく作られたといわれるようなつくりではなく、曲でいうと『Frame by Frame』や『Discipline』のような、それこそ「規律」や「訓練」といった言葉がうまくあてはまるような、あたかもギター教本をレベルアップさせたような音のつくりだ。また一方で『Larks’ Tongues in Aspic Part IV』はもちろん『PartⅠ』と『PartⅡ』をよりヘヴィにしたもので、リリックな感傷が入る余地が全くない、まさに「音そのもの」なのだ。また『FraKctured』は70年代の黄金期、ライヴでもよく演奏されたアルバム『Starless and Bible black』の『Fracture』のアルペジオ的なフレーズが使われている。このほかの曲でもエイドリアン・ブリューが主に手掛けたと思われるボーカル入りの曲も、80年代、90年代のどちらかというと浮いた感じが消え、よりクリムゾン的色彩が濃いものに進化している。このアルバム発売からすでに20年近く経っているが、この傾向は最近でもよりヘヴィなサウンドで確認できる。特に最近では過去のライヴ音源が多くCD化されている。個人的には昨年の12月の来日公演で実感することを果たした。『Larks’ Tongues in Aspic PartⅠ、Ⅱ、 IV』、『Red』、『Discipline』を目の前で弾いているフリップの姿が信じられなかった。ギターのみでなく、特にドラムの3人編成がより全体に厚みを持たせている。徹底したヘヴィ振りだ。このサウンドに対し「ヘヴィ」という語をあえて用いるのは、フリップが90年代に自らの音楽を『ヌーヴォ・メタル』と名付けたことからも、明らかにメタル・サウンドに対する特別な考えがある。『Red』の音に対し、かつてフリップが『Yes, the iron. It’s the iron, isn’t it?』と発言したと当時のレコードのライナーノーツに書かれているが、その時はシニックな発言として受け止めることもあったかと思うが、90年代以降現在に至るまで『ヌーヴォ・メタル』スタイルを貫いていることからも、彼はメタルに対して自身が目指す究極をみていたのではないかと思われる。95年発売の『Thrak』は『ヌーヴォ・メタル』を実践した最初のフルアルバムだが、そこではシンプルな音階とダブル・ドラムがかつての『Red』を思わせるサウンドとしてヘヴィさが蘇っている。レコード店のジャンル分けでいうとクリムゾンンはロック/ポップスに含まれ、HR/HMのジャンルとは一般的に切り離されていることもある。しかしクリムゾンの「音」はヘヴィメタを超えたメタル・サウンドだ。『音の健全な暴力』ということを最初に書いたが、音に関しては暴力があっていいのではないか。徹底した音の暴力のみこそが、音以外の要素が全く入る余地のない、他を寄せ付けないようないわば「暴力性」こそが、逆説的だが音楽の魅力を引き上げるのではないか。あらゆる音から適切な音を拾ってメロディを紡ぐのではなく、音のすべてを現前させる。それはあたかも「白色雑音」をより「発見的」に、あるいは「再現的」に表出させるような感覚である。

このアルバムの最後の曲は『Larks’ Tongues in Aspic Part IV』から直結したかたちで『Coda: I Have a Dream』につながる。20世紀の悲劇の出来事を列記し、最後にキング牧師の言葉で終えるこのボーカル入りのこの曲も、前曲の暴力性を際立たせる役割を果たしているように感じる。

前回のTEXTで、音楽のことを書く最初にヘヴィ・メタルを取り上げたのも、ロバート・フリップのメタルに対する創作態度からくる私個人のメタルへの偏見のない、むしろ純粋な憧れがそうさせたと考える。