近年読む本の半分近くは再読で、しかも30年以上前の学生時代に読んだものも多い。D.リースマンの『孤独な群衆』もその一つである。今になってこれを手に取ったのは、これも学生時代に読んだ山崎正和の『柔らかい個人主義の誕生』と『曖昧への冒険』を最近再読し、前者でこの『孤独な群衆』が取り上げられていることがきっかけである。『柔らかい個人主義の誕生』は、前半は『おんりぃいえすたでぃ‘70』と題されていることからわかるように日本版『オンリー・イエスタディ』の試みである。『オンリー・イエスタディ』はF.L.アレンによるアメリカにおける1920年代のアメリカ史について書かれたものであるが、『おんりぃ・・・』は書かれた当時の70年代の日本の同時代を扱っている。この章で日本の60年代、70年代という十年単位、つまりア・デケイドについて触れ、20世紀の先進国における、十年ごとの時代としての社会のとらえ方の関心の強さを論じている。ちなみに『オンリー・イエスタディ』は1920年代の十年間、その後発表された同じ著者による『シンス・イエスタディ』はアメリカの1930年代の十年間を扱っている。『孤独な群衆』はアメリカで1950年ころ出版されたもので、当時のアメリカ社会を、「性格」、「政治」、「自主性」の三つの章に分けて分析し、「他人指向」と「内部指向」をキーワードに、各章でそれぞれに該当する対象の比較で主に構成されている。著者が日本版の序文で、「アメリカ全体のことを書いているわけではないし、日本に当てはめて捉えてほしくない」と書いているとはいえ、それでも世界で現在でも版を重ね、読まれ続けているのは、読者がやはりそこに一定の普遍性を見いだしている故であろう。
20世紀はたしかに年代ごとの特色があり、また日本は世界の流れとは異なる特色もある。それらは周知のことでもあるので詳述しないが、では今世紀に入って2000年代、2010年代という各デケイドをそれぞれ一言で言い表すことができるだろうか。20世紀の動向とは異なる新たな世界的な問題も多く表面化され、また別次元の情報化の明暗も顕著になっている。これも誰もが周知のことである。では十年という単位を今世紀の現在で当てはめるのにはどうかというと、そこには少し違和感があるように思う。それにしてもなぜ20世紀はデケイドという「時代区分」がしっくりくるのか。いやここで「なぜ」という問いを発するのではなく、現実にそれが「機能」していたという事実から何が考えられるだろうか。
前述の『曖昧への冒険』で山崎正和は「歴史主義」という言葉から歴史のとらえ方について書いている。つまりランケとマイネッケ(両者とも歴史学者)によって名づけられた「歴史主義」とカール・ポパー(哲学者)によるヘーゲルとマルクスを代表とする新しい「歴史主義」を比較して、前者を「水平的」(多元的、個別的歴史像)、後者を「垂直的」(一元的、統一的歴史像)としている。つまり前者は『個々の歴史上の時代に最大限の独自性と固有性を認める立場』であるのに対し、後者は『歴史をひとつの全体として捉え、個々の時代をその一連の発展過程の段階とみなす立場』と捉える。山崎は本書で『「歴史主義」者は人間が第一義的にこの時代の子であることを主張し、行動の道標も判断の尺度もすべて具体的に時代の内側にあることを強調』していると書いている。先に「機能」という言葉を用いたのも「歴史主義者」に向けた言葉である。「歴史主義者」という言葉が本当に該当するものがいるのか、それが「水平的」であれ「垂直的」であれ、検証可能かどうか不問だが、たしかにその時代の枠組みから抜け出したり、時代の影響を全く受けずに行動したりすることは誰もできないだろう。思考や行動の背景に時代性があるのは否定できない。しかし例えば今年2020年になって、個人的にはともかく、社会として「これからの十年は何をしようか」と考えなければならない立場の人はそう多くはないのではないだろうか。あるとすれば顕著化した地球温暖化の弊害に向き合いながら各国がどのように進行の阻止のための対策を立て実行するかという世界的な取り決め、そして約束を果たしていくかということに対面する為政者、また彼らだけでなくもはや人類全体、特に先進国の人間、彼ら(われわれ)自身が該当し、大きな、また世界共通の克服しなければならないテーマとして前に立ちはだかるが、ただそれは時代区分としてのデケイドとはあまり関係はないし、これからの十年何をしようかなどといった悠長なテーマではない。時代区分は山崎の言葉を借りれば『人間が技術的にひとつの目安として有効でもある』。しかし『そうした時代概念は人間が生きるための便宜的な手段ではあっても、生きるための気力をかきたてる、精神全体の原動力となるものではない』。今振り返って2010年に、21世紀に入ってからの十年間のことをある特定の特色ある区分として考えた記憶はないし、一つの節目として捉え次の十年に向かって進む一歩などと考えることもなかった。それは個人的に学生時代を80年代から90年代に過ごした期間においても同じで、当時世界情勢は劇的に変貌し、それが精神的に、思想的に次に進む方向の指針になったということはない。つまりその渦中においてその時代を「垂直的」に俯瞰し、時代区分として確定化することなどできないし、あるいはその時代の雰囲気みたいな漠然とした空気を感じているに過ぎないなかで、来たる次の時代への気力として「時代性」が押し上げるということは少ないのではないか。
山崎正和は同書で次のように書いている。
あまりにも技術的な思想は価値観について無邪気であり、それゆえにかえって特定の理念を標榜する思想よりも一層熱狂主義に傾くという逆説を見せる。いつしか手段が目的となり、作業計画が至上命令と化して、人間の精神全体の大動員が進められたのであったが、現代はこの疑似的な熱狂主義の急速に冷却した時代だといえる。(『曖昧への冒険』新潮社刊より)
これは70年代後半から80年初めのころの文章である。つまり60年代、70年代の「熱狂主義」の時代と訪れた冷却時代を言っている。90年代は世界的にも情報化が急速に加速し、世界の勢力の構図も変化し、かつてのエキソチシズムは消滅し、世界共通の負債をかかえる一方でゆきすぎた愛国主義も横行している。60年代の高度成長期に馬車馬のように働いた社会が70年代で新しい価値を手にし、次のデケイドで消費を謳歌したという「機能」を経て、「では次の十年は」という意味でのデケイドはあまりにも無邪気な思考だ。
本書で山崎は以下のようにも書いている。
・・・交通災害も、過度の競争の弊害も、全体の社会問題としては将来に解決の道があるとしても、それがけっして自分にとって本質的な救済にはならないことを、現代人は感じ取ってしまったといえる。災禍の総量が減れば減るほど、例外的な奇禍にみまわれた個人は一層不幸なのであり、しかも、その犠牲者がほかならぬ自分である可能性は、誰にとってもいささかも減じたわけではないからである。そして、それを感じ取った人間は、もはや、時代の共同の理想に酔えないのはもちろん、たんに共同の苦痛をわけあうことを通じてすら、ひとつの同時代に参与して生きている実感を覚え難いのは、当然であろう。
今この80年当時に書かれた文章を読んでいると、現在「災禍の総量」は減るどころか、年々増加し、国内だけの問題ではなく、世界中で起こっている災禍のますますの脅威にもはやなすすべもなく、どこかで誰かが何かを毎日訴えている。この脅威は誰か特定の不幸ではなく、万人の不幸に陥っていることを感じ取っていながらこの時代の理想のたてまえと思惑、駆け引きにため息をつきながらも、それを次の瞬間には忘れ、同時代性とは関係ないレベルで同じことを繰り返しているのも現実だ。
今世紀に入って特に、いわば前世紀的デケイド観みたいなものに対する意識が薄くなってきても、前述した「垂直的」に上昇する「歴史主義」の構図のなかで、危機的な時代の位置づけをし、自己の存在との連関で日常の些細な自他の行動に各自が敏感にならざるをえない時代であることはいえると思う。それはもはやいわば「便宜的」なデケイドとの必然でなし崩し的な決別であるともいえるのではないか。