Disciplineについて

何を自分の「第一ディシプリン」とするか、ということ。そして私は「建築ディシプリナー」である、ということ。

構造家の池田昌弘氏は自著(作品集)『小住宅の構造』の中で、「インテグレーティド・アイデンティティ」という語を発している。氏は自らを「インテグリスト」と呼び、建築のプロセスの中で形成させる関係と最終形をインテグレーション、インテグレーティド・アイデンティティと定義づける。インテグレーションというと「統合」という意味から、氏の言葉を借りると「上位に立ってまとめていく」というイメージをもつが、氏の考えはそうではなく建築を取り巻く諸エレメントの中で自分は何をベースとした存在か(氏は構造をベースとする)を自覚し、諸エレメント間で共有、交渉、試行錯誤などひとつの「インテグレーション・ダイアグラム」という建築生成の円環に身を置き、止揚させていくという態度に他ならない。

私は氏の考え方に共感する。では氏の主張は従来の建築、あるいは建築家の役割と何が違うというのか、という疑問をもつものもいるだろう。乱暴な言い方をすればそれは氏の「作品」を見れば解説は不要と思われる。

私はあらためて氏の考え方に共感しつつも、私は「インテグリスト」ではなく「建築ディシプリナー」を目指す。

ディシプリンとは何か。もともと「訓練」「規律」などを意味する。社会学者中嶋嶺雄氏は著書『国際関係論』(中公新書)の中で専門分野である国際関係論とディシプリンの関係に言及している。結論から言うとディシプリンを氏は「専門学的学問領域」と訳し、各ディシプリン間の関係を学際的「インターディシプリナリー」な学問としている。氏が挙げる例では「米中関係の変遷:中国共産党の政策形成とアメリカの中国イメージ」といったテーマで研究するとした場合、まず第一に政治学を主たるディシプリンとして学び、同時に社会学のいくつかの分野を隣接ないしは境界部門を第二のディシプリンとして学ばなければならないという。

もちろんこれら学問研究の立場と建築プロセスの実践とは異なるが、建築におけるディシプリンをこれらに代用させて考えることは可能と考える。建築を取り巻く諸エレメント、それは建築計画や構造、設備、施工など技術的専門、それだけではなく建築行政、制度・法律、社会背景、クライアント、及び建築用途に関わる各々の専門領域(例えば病院という用途であれば医療法や医療機器など)など多岐に渡る。そして時代の流れの中でますます専門化、細分化、高度化されそれぞれの専門分野での展開にも常に目を向けなければならない。このようななかにあって、各々が何をすべきかということになると、それは社会的要請や法、あるいは個人の価値観に負うところもあるが、私は以前は特に建築の技術、すなわち意匠のみでなく構造、設備、施工、積算の分野においても、それぞれの第一線の専門家であることを目指そうとした。全ての細部に通暁し、いわば自分一人の手で少なくとも設計の全てを完結させることを目指した。しかし現在はそういった考え方には立っていない。つまり自分が建築プロセスの中で何を第一ディシプリンとするか、池田氏の場合は構造をベースとしたインテグリストであるが、私は意匠を第一ディシプリンとした建築ディシプリナーであるという態度をここに明確にしたい。第一ディシプリンをベースとしながら、前述した他の専門領域、境界部門を第二とした専門領域とすること。そして各ディシプリンとの関係を、学問研究ではなく実践をベースとしながら認識すること。それが建築ディシプリンであると考える。