2018.5.13

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 4

3.D/M
ヨーロッパ人であるニーチェは、彼が属する社会の古い価値の蓄積の上に自らのニヒリズムが存在することを理解し、そのうえで「人間とは克服されねばならぬなにものかである」とする「力への意志」を説く。ヨーロッパの蓄積された価値はもともと価値なきものを価値として依存してきた積み重ねであり、ヨーロッパの歴史とはその蓄積の歴史といってもいいだろう。価値なきものを価値とする「暴力的」行為は、ますます力を強め、一方で多くの価値を排除してきた。これはヨーロッパだけの問題ではないだろう。価値の排除は他の言葉に置き換えて考えられがちである。現代において都合よく使われる言葉、「解体」である。特にデリダの「脱構築」が最も引き合いにされる。デリダはその迷惑に真面目に言葉で解説をし、「解体」ではないことを繰り返し説く。「構造を解体」するというナンセンスは、よく芸術分野、あるいは私が身を置く建築の世界でも一時期流布した。便法として大変都合のいいこじつけとしていまだに多用されている。そもそも「構造」は解体されるものではない。構造はそこにあるものであり、解析、解釈されるものである。解体される構造などないだろう。つまり意味として全く成立しないのだ。現代の思想の分かれ目はこの構造への誤謬にあるのではないかと思う。バルトは自ら「構造」を名乗ったが、フーコーは自分が構造主義であるという指摘を否定し、レヴィ=ストロースの思想は主義などと括ること自体が滑稽でさえあるような、科学的分析による研究姿勢だ。サルトルは構造主義の登場で犠牲となった感があるが、しかしそのとき決して死んだわけではなく今も生き続けるどころか、多くの影響を与え続けている。ドゥルーズもサルトルを取り上げている。ドゥルーズの思想は軽快で、かつ難解で、時に多くの批評家の批判の的ともなっている(アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンによる『「知」の欺瞞』などでラカンやクリステヴァなどもやり玉にあげられている)。ドゥルーズは最初の書物として『差異と反復』を著しているが、ブランショは「力」と「差異」との関係でドルーズの言葉を引用して以下のように書いている。

『力は差異を言う。力を考えること、それは差異の名において力を考えることである。このことはまず、ほとんど分析的様式で理解される。力を言う者は、つねに多数的なものとして言う。もし力が統一された一体性であるなら、力は存在しないことになるだろう。ドゥルーズはそのことを、次のように決定的な簡潔さで表わした。「すべて力というものはある他の力との本質的な関係のうちにある。力の存在は複数的であって、それを単数的に考えることは不条理であろう。」ただ、力は単に複数性であるだけではない。諸力の複数性ということは、隔たっている諸力、隔たり=距離(ディスタンス)によってお互いに関係し合っている諸力という意味である。つまりそういう隔たりは、諸力を複数化する隔たりであり、そして、諸力のうちで、それらの差異の強烈さのようなものである隔たりなのだが、そんな隔たりによって、一方が他方へと関係し合っている諸力ということを意味している(ニーチェは次のように言っている、「こうした距離の感情(パトス)の高みから、ひとはまず、諸価値を創り出す権利を、あるいは諸価値を決定する権利を我がものとするのだ。有用性などはなんの関係もない」)。こうして隔たり=距離は諸力を分離させるものであるが、それは諸力の相関関係でもある - そして、あるもっと特徴的な仕方で、隔たりは諸力を外から区別するものであるばかりではなく、諸力の区別という本質を内から構成するものである。言いかえてみよう。諸力を隔たっているままに保つもの、すなわち外は、諸力の唯一の内奥であって、諸力がそれによって活動して作用を及ぼすものであり、また、何かの作用を被るものである、すなわち、「差異論的なエレメント[差異のみに基づいて成り立つエレメント]であって、それが諸力の現実の全体である。だから諸力は、自分自身のうちに現実を持っておらず、ただ諸関係だけを – そんな関係は、境界となる項たちのない関係なのだが、そういう諸関係だけを - 持っているのであり、まさにその限りにおいてのみ現実的なのである。しかるに、〈力への意志〉とは何だろうか。「ひとつの存在ではなく、ひとつの生成でもなく、ひとつのパトスである」、すなわち『差異へのパッションなのだ』。(ブランショ『終わりなき対話』(Ⅱ)より)

ドゥルーズは力を他の力との関係として、複数性としてとらえ、ブランショはその隔たりの差異を説き、さらにニーチェの言葉を借りて、隔たり(距離)の感情(パトス)から価値の創造の権利の取得に同意する。隔たり(距離、関係)の外は、力の内であり、「差異のみに基づいて成り立つエレメント」であり、力は関係だけを持つ、ニーチェの〈力への意志〉とは『差異へのパッション』である、とブランショは言う。
テキスト2で取り上げた「会話における暴力」は、力の複数性が身近な場面で実感として現れる。

ドゥルーズの『アンチ・オイディプス』に初めて触れたのはもう30年近くも前になる。現在は新訳も出ていて、最初の翻訳より読みやすくなった感じはあるが、基本的に読みにくさは変わっていない。とにかく1頁目からそれまで思想・哲学書では読んだことのない言葉が続く。
「[〈それ〉[エス]。機械の機械] 〈それ〉は作動している。・・・」(ドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』(市倉宏祐訳 河出書房新社刊)
後年、ガタリが「草稿」を出版したが、それを読むと同書におけるガタリの占める領域の深さを知ることが出来る。ドゥルーズとガタリは互いに力を獲得し、互いの思想、領域を拡大・止揚させ、共著という形のテキストで多くの暴力、発展的な諸力を含みながら現前する。二人とも死後も生き続けている。どちらも第一ヴァイオリンであり、第二ヴァイオリンなのだ。
しかし再びニーチェの時代に戻り、ドゥルーズ=ガタリのような関係ではもちろんないし、単純に思想家・哲学者とはいえない人物、つまりマラルメ、のブランショによる引用に続く。マラルメは『ディヴァガシオン』という思想的な著書もあるが、基本的に詩人として知られる。死後も多くのテキストで引用されている。ドゥルーズ=ガタリの関係ではないが、マラルメはニーチェとの関係でいうと、年齢は二歳違いで、全く同時代に生まれ死んでいて、『ディヴァガシオン』でマラルメがとりあげたワーグナーはやはりニーチェのワーグナー批判と対応して考えることが可能だとすれば、二人の思想的関係に思いをはせることができる。ニーチェは狂気の末亡くなったが、マラルメも晩年の作品には狂気が含まれているといわれる。それぞれ狂気にいたる「孤独」を到底想像できないだろう。しかしその孤独のなかに、互いに「会話」がないとしても、真の「友人」を見出すことはできる。私淑する対象がないとしても互いに尊敬し合うことはあるだろう。
・・・5に続く

2018.5.5

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 3

残る二人、ドゥルーズとマラルメの前に。
身近に引き寄せ・・・坂本龍一の『async』、そして近年坂本のキャリアを包括する『Year Book』がリリースされた。『async』については、長く長く待った作品という感覚だ。YMOの、特に中期YMOと呼ばれる頃の『BGM』と『TECHNODELIC』は中学生当時音楽に敏感だった同時代の私たちの誇りといっても言い過ぎではない。坂本はこの2枚のアルバムの間にソロの『B-2Unit』を出している。前者2枚がポップ寄りだとすると、後者は現代音楽寄りといっていい。しかしどちらもポップスでも現代音楽でもない、根本的な新しさを秘めていて、それが今でも色褪せていない。発売から40年近く経たが、これらを上回る「新しさ」に出会うことがない。『TECHNODELIC』以降、坂本がどんなに世界的な名声を獲得しても、私は満足できる作品に出合ったことがない。根本的な新しさはおろか、坂本自身が新しい音楽を追いかけているかのように見えたのだ。しかし今回の『async』は予想を裏切り、長い眠りから目覚めたような、彼本来の音楽思想に満ち溢れたものに仕上がっていて、『TECHNODELIC』当時の81年頃に引き戻されたような感覚を覚えた。あまりにも長い不在だった「新しさ」が突然現れた。そして一方の『Year Book』のなかで、「その時代」と坂本がレコードデビューする以前の活動の巻を聴いてみると、『async』に直結するような音楽へ向き合う姿と熱気がみとめられる。私が当時中学生のときに買った『千のナイフ』のアルバム内に収められたコンピューターに向き合う坂本の長髪の写真と重なり、未発表の音源の新しさを堪能できる。時代の空気は軽薄短小へ向かい、坂本の音楽も軽いものになっていったが、私はもう一度あの時代の新しさをどこかで待ち続けていたのだと思う。『async』は長い眠りから覚めた、というよりは今だからできた作品だといえるのかもしれない。収録された曲は、「音」そのものの迫力としか表現しようのない体験で胸に迫る。そういう点であの時代の『TECHNODELIC』を想起させる。『async』と趣が異なるのは、『TECHNODELIC』はメロディーのなかに音がある。ギターやピアノといった既存の楽器音ではなく、工場の音や何かはわからないが機械的な音、それらは実際にスタジオの近くの工場の音をサンプリングしたもので、『Epilogue』で使われている。ノイズがリズムを持ち、心臓の鼓動のように胸に迫る。サンプリングでいうと、同時期にたとえばArt of Noiseがそれを駆使した作品『Who’s Afraid of the Art of Noise?』を出しているが、これは従来のロックのアレンジにサンプリングを利用したに過ぎないため、面白さはあるが新しいものという感覚がない。そのため何度も繰り返し聴くというものにはならない。『TECHNODELIC』はそういった類いのものとは全く異質のものだ。曲で言うと『Stairs』や『Seoul Music』は最も「音の暴力の魅力」という点でピークの曲であるように思う。おそらくどんなに真似をしようとしてもできない暴力性であろう。その暴力性を、自信をもって世に出す、あるいは出せる環境があったという意味では、時代が新しさを求めていたともいえる。今ではほとんど考えられないのではないだろうか。ミニマルやアンビエントとも違う、イーノのような非音楽的ともいえず、スティーヴ・ライヒのような割とパターン化したアナログのミニマルでもない。しかしYMO、坂本の当時の暴力性はその後急速に消失したが、長い暴力の不在を経て今ようやく再び目の前に現れた。しかも坂本自身が出来にかなり満足しているようで、これからも他を寄せ付けない、ある意味期待を裏切るような「新しい」ものを世に出してほしい。
音楽、しかもポップミュージックに限らず、70年代から80年代、90年代と時代がますます軽く、即物的というかインスタントな形を帯び始め、さらに自分で制御することのないコンピューターの表現、プログラムを構築するのではなく、あるプログラムを利用するだけの媒体が様々な分野で席巻するようになる。
建築の世界で言うと、私が以前TEXT「「軽さと重さ」-2で取り上げた、P.アイゼンマンが形式主義(フォルマリズム)をキーワードにアメリカの建築学校での講評会の経験で感じたことが書かれたヴィドラーの著作『20世紀建築の発明』の一節をここで再び与えたい。
『最近その講評会で、形式主義の新しく、より毒をもった血筋が普及し、その影響を目の当たりにして当惑したことがあった。・・・「より毒のある」というのは、それがネオ・アヴァンギャルドによる技術的決定主義の旗のもとにあったからである。形式主義のつながりが膨大な複雑さと一貫性とを合わせ持つパラメトリック・プロセスを生産する複雑なアルゴリズムから生成された最先端のコンピューター・モデリング技術のなかに見ることができる。・・・これら最先端のプロセスをもつ作品が、こうした作者不詳のプロセスのなかに、ある自律性の遺産の考えに近いためでも行く分ある。だがその代わりに、私には何かが根本的に間違っており、ここでは今日の建築に関するより一般的な問題が語られていると思われた。・・・イデオロギー的関与の欠如と内在的に決定された意味は、この新しい形式主義を自律性の考えへと結びつける。・・・形式的なものは形式主義と区別されるべきであり、前者は内在的価値をもち、後者は現在の造形における空虚な修辞にすぎない』。(鹿島出版会刊、今村創平訳)
アイゼンマンが覚えた当惑に共感する機会は数多い。プログラムを利用するだけの媒体から新しさは生まれるだろうか。それは新しいかたちの「新しさ」なのかもしれないし、新しい形式主義かもしれない。しかし今の実感としてはこれまで問題にしてきたものとは異なる、いわゆる「腕力的な暴力」がそこには発生していて、それが当たり前に社会に浸透するようになっているように思える。今こうしてパソコンでワープロを打っている間でも、いろんな通知が画面に出てきて、時には強引に更新の通知が表れ、再起動せざるを得ない状況になることもある。これはよく見えない何か(誰か)による暴力以外ない。相手が見えないのだ。これほど四六時中何かとつながっていなければ社会生活を送れないような日常というのは、何か不自然のようであり、また一方では便利でいい時代になったと甘受する人達ももちろんいる。つながっていることが前提となっている世の中で、遮断行為はその人の責任でその人が徹底的な暴力を被る仕組みになっている。このような暴力は腕力による暴力と同質で、このテキストで問題にしている暴力とは全く関係のないものだ。私が取り上げるのは干渉することが憚れるような、静かに耳を傾ける思考、言葉を持たずに迫る力、柔軟な堅物なのだ。決して『造形における空虚な修辞』などではない。だから、そして、ドゥルーズとマラルメへ。
・・・4へ続く

2018.5.4

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 2

『あらゆる言葉は暴力である』(この引用でのみすべてを了解することは危険である)。前回のテキストで引用したブランショの記述で、私は「言葉」を「会話」に置き換えて「暴力」の問題を考えることがある。特に二人による会話において、両者の立場の力関係の差の大小にかかわらず、すべての会話が暴力的であるととらえている。力関係、例えば同じ年齢の子供同士、あるいは社会人になってからの同僚同士、上司との関係、あるいは親子や教師と学生の関係、様々な場面での会話がある。特に友達同士のような一見公平な立場であるように思われる関係でも、そこには公平はなく、ましてや会社や仕事上の関係において公平性を求められる場においてさえも公平など存在しない。その不均衡の中で、会話はあるルールを承知の上で行われる。一人が話しているときに相手が同時に話すことは基本的に違反であるため、交代で話すだろう。そうでなければ会話は成立しないだろう。ということを経験上誰もが知っている。交代で話すとはどういうことか。一方が話すことに関連したことを一方が受け継ぐ場合に会話がうまく運んでいるように錯覚する。つまり全く関係のない話をされると不快になるだろう。あるいは互いにお構いなく自分の話したいことを話すことで満足する関係も多い。どちらにしても会話といえるだろうが、やはり「同時に会話が進行」することはないといえるだろう。それが起こりえる場合は、それは単に自己主張、言いたいこと、をただ単に言うだけに終わってしまう。独り言と同じである。問題にしたいのは会話というものは「言葉が交代で行き来するものだ」ということである。そしてその変わり目で一方が目論んでいた企みが、進行が一時的に一方に譲られる隙に弱められ、間隔をおいて企みが復活するということだ。元通りに復活することもあれば、全く違うもの、あるいは正反対のものに変わることもある。つまり交代の間際で企みの一部が排除される。排除される一方で新たな企みが発生することもある。この瞬間に「暴力」が現前する。(ここであらためて言いたいが、暴力は腕力の問題、しかも否定的な言葉として扱っていない)。この交代をブランショは「中断」あるいは「中休み」と言っている。

『彼らが担う一貫した言述は、いくつかのシークエンスで構成されており、話し手が変わると、それらのシークエンスは、たとえつながるように調整されるにしても、中断される。(略)言葉を話すという能力は中断され、そしてこの中断は副次的に見える役割、まさしく従属した交替の役割を演じる。しかながらこれはかくも謎めいた役割なのであって、言語活動の謎そのものを担っているものと解釈されることができる。文章間の中休み、ひとりの対話者から別の対話者へと移行する中休みであると同時に、注意深い中休み、聴き取りという中休みであって、それは話すこと=語り方の力を二重化する』(同書より)

話し手の交代を「謎めいた役割」とブランショは言い、さらには「言語活動の謎」、と思考の次元を上げている。私はこの謎を一種の暴力の介在ととらえ、対話者の間に、犠牲者の蓄積をみとめる。その犠牲者とは何か。言語活動で犠牲となった余韻(必然ではないもの)である。余韻のなかにその人の主張のかなりの部分が含まれていることが多いだろう。それを排することを負っても対話という交代と中断の暴力をすんなり受け入れることが会話であろう。

2.ニーチェの災難

死後も生き続ける人、ニーチェ、ドゥルーズ、マラルメ、それぞれ生まれが、19世紀半ば、20世紀初め、そして19世紀半ば。ドゥルーズが亡くなったときの記憶はまだ残っている。ドゥルーズ含め、現代でもこの三者は様々なテキストで引用される。
ニーチェは『悲劇の誕生』から後年の『ツァラトゥストラ』までその思想は変化している。初期は芸術のおかれている問題、つまり純粋な創作活動から商業的で俗的なものに堕ちたとする現実からその純粋性をもう一度再生させようという、いわば希望の思想から、後年は理性というものに対する挑戦と、さらに「永遠回帰」という「肯定の思想」に変化していく。しかしその後年のニーチェのニヒリズムを、打開できない現状への受け入れと解釈、ととらえるような誤った認識が一方に存在することも現実だろう。ブランショはニーチェのニヒリズムについて以下のように記述する。

『永遠回帰の思想は、その古くさい不合理性という意味では依然として奇妙なものである。それが表わすのは論理的な眩暈である。ニーチェはそこから逃れることはできなかった。それはすぐれてニヒリズム的な思想であり、ニヒリズムが自らを決定的な仕方で乗り越え不可能なものにしながらも、絶対的に自らを乗り越えていくような思想である。それゆえ永遠回帰は、精神が臆せずそれに立ち向かうときにこそ、ニヒリズムという、この罠のようなものが何であるのかを私たちにもっとも明らかにしてくれるのだ』。(ブランショ『終わりなき対話(Ⅱ)』より)

永遠回帰は、「時間」という概念、回帰という逆の方向への時間の概念を孕みながら、ニーチェはそのニヒリズムという罠を受け入れながら、自らを乗り越える、臆せず立ち向かう、という生の思想を提示する。つまり単なる言葉として、あるいはスローガンとして「永遠回帰」などと主張するのは、腕力による暴力と同じである。いわば健全な暴力的思考とはニヒリズムとともに極端な思考を、それこそ中断することだろう。
ニーチェの「超人」は、決して「宗教」的ヒーローではない。さらにブランショの引用。『・・・人間はその時間の次元においては、再生不可能な過去と不可逆の時間という必然性によってはもはや限定されないということでなければならない。人間は完全な成就としての時間を必要としているのだ。しかし、時間が背後へと回帰するというのは、可能なるものの埒外にあること、つまりは不可能性であり、それはここでは次のような最大の意味を帯びている。すなわち、それは力への意志としての超人の挫折を意味しているということだ。超人は決して極端なものを可能にはしないだろう。永遠回帰は、権力の領界には属さない。永遠回帰の経験がもたらすのは、あらゆる遠近法の転倒である。無を望む意欲は、永遠を望む意志となり、そしてその意志において意欲もなく目的もない永遠が自分自身へと回帰する。(略)価値という概念がその領界へと適用されるのをやめるような、ひとつの領界へと私たちを到らせるのである』(同書より)。戻れない時間のなかで、人間は極端なものを可能にしない。無を望む意欲が永遠を望む意志となり、意欲も目的もない永遠が回帰する。暴力的思考は、あくまで自分自身への回帰のなかで、「問い」という未完な言葉の転倒と、そして決して転倒されない時間の認識のなかで存立するであろう。
・・・3へ続く

2018.5.3

TEXT 「A Passion Play」 – 暴力と舞台装置 - 1

1. ブランショの助け

Hello darkness ,my old friend,
    I’ve come to talk with you again,
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の冒頭の歌詞とともに、古い、あの感覚が私を覆いつくす。時と場所を選ばず、急に襲いかかる、あるいは常に「それ」が漂う海の中に身を沈めているかのように。「それ」とは、常につきまとう「暴力」に他ならない。様々な場面で遭遇するその漠然とした感覚にどう対抗していくかということが私の人生の目的にもなっているように思う。それはもちろん一般的な、腕力によるそれではなく、大半は「言葉」、あるいは「関係」によるものだ。あえて具体的場面は後述するとして、ここでは過去のテキスト「軽さと重さ」を敷衍して主にブランショのテキストを参照して、私が子供のころから大きな関心の的だった「暴力」の問題について記述したい。

私は建築の仕事を通して土地と建物の存在に常に触れている。何もない土地に新しい建築をつくる。あるいは元からあったものを取り壊しつくる。いずれもその場の景観の歴史を良くも悪くも変える行為に加担している。こういった行為については誰も暴力とは思わないだろうが、施主が個人であれ行政であれ、あるいは民間会社であれ、大きな関係性のなかで、そしてビジネス行為の中で施行されるものであり、その中にあって様々な、しかも大きな力の関係が働いている。そして場面となる空間性は犠牲者として今後しばらくはいやおうなく現前する。私たちの関係の中で生ずる犠牲者の存在には誰もが無感覚になっている。そのことを問題にするような人はいないし、いたとしても誰もそれに耳をかさないだろう。
空間性に対してもっと身近な「感覚」をあげるとすれば、観光地、に行ったとする。例えば自然豊かな風景を360°眺めることが出来る展望台があるとする。そこで期待することは景色を楽しむとともに静寂と、その静寂を助ける可聴域を超える音域(例えば鳥のさえずりや樹葉のざわめき)などであり、それ以外のことは望まない。しかしその期待はすぐに裏切られることを知っている。静寂には邪魔なBGMが流れていたり、目につきやすい場所に『ようこそ○○へ』などと書かれた幕など目に入ったり。さらに言えば「観光地」という存在自体本来おかしなものだ。元から「観光」のためにあった場所などないのではないか。多くの人が押し寄せて、金を落とす期待があるから、そこを「観光地」として「名づ」け、「観光地」としてつくりあげる。そしてやはりその犠牲者として空間が葬りさられる。
子供のころは言葉が未発達で、感情を表現する適切な言葉を持ち合わせていないこともあるためか、何となく感じていた感覚、それは「違和感」、あるいはもっといえば「異」的な感覚であるが、後年になって言葉を習得することによって次第にそれを「暴力」として捉えるようになった。

『やあ 暗闇よ 僕の古い友だちよ また君と話をしに来た』
The Sound Of Silenceのなかでポール・サイモンが綴った詩は、『眠っている間にその種を残していったから、僕の脳裏に植えつけられたその考えは今もなお生き続けている 静寂の音のなかで』と続く。
「言語」が未熟な段階でいわば言語が眠っている状態で、反論できず従うことを強要される空間では、残され、堆積した「種」はやがて言語を身に着けることで次第に萌芽した考察の神経が激しく脳内を張巡り、サイモンが歌うように静寂の音のなかで、いやむしろ静寂とともに抽象的ではあるが、言葉をもって語りかけてくる。
未成熟な期間では様々な「問い」があらわれ、「問い」に対して言葉で答えない対象は権力と立場の優位で、小さな、あるいは優遇される暴力で押さえつける。「問い」についてブランショは著書『終わりなき対話』で以下のように言っている。

『問いは、それが未完了な言葉であるなら、未完了ということを足場にする。問いは、問いとして不完全なのではない。それは逆に、自らが不完全だと宣言することによって完成させる言葉である。問いは、充満した肯定を空虚のなかに置き直すのであり、この先行する空虚によって、充満した肯定を豊かにする。問いによって、私たちは自分自身に問われていることを与え、そしてまた、自分自身に空虚を与える。この空虚のおかげで、そのことをまだ持っていないか、あるいはそれを欲望として持つことが許される。問いは思考の欲望である。』(モーリス・ブランショ『終わりなき対話Ⅰ』(湯浅博雄他訳)

「問いとは思考の欲望である」。とくに言葉が未発達の子供時代においては、その最も欲望的な的は、私にとっては問いであったと思う。学校では先生の言葉は一方的である。一方向的であり、私たちは受け身である。大人は「ねばならない」の繰り返しである。それに対して「問い」は先生を職業とする人をはじめ大人にとってたいていは面倒であり、あらためて常識を考察し子供にわかるように説明することを考えることなどしない。一方子供も「ねばならない」に普通に従うもので、そういうものだと自然に受け止め、あるいは植えつけられる。私も例外ではないが、しかし一方では内面で「問い」は一層膨れ上がり、もちえない言語で不満や理不尽、あるいは先述した「異」の感覚を説明しようと欲する。見えない暴力、あるいはこの段階で「暴力」が言い過ぎだとすると、「力の関係」(健全なたてまえの関係)は社会という舞台装置のなかで着実に植えつけを継続する。ブランショは著書のなかで、言葉について以下に記述している。

『私が言葉を語るとき、私は常にある種の権力の関係を実行している。(略)諸々の能力=権力の網状組織に所属しており、私はそういう網状組織を利用しつつ、私に対してはっきりと現われてくる権力に対抗して闘っている。あらゆる言葉は暴力である。(略)暴力の密かな中心とは、語が名づけるもののうえにもうすでに行使される暴力  - 語は何かあるものを名づけるとき、そのあるものか現存=現前(プレザンス)を引き離すことによってしか名づけることができないので、どうしてもそのもののうえに行使される暴力 - である。こうした暴力は、見た通り死が語っているしるしになっている -すなわち私が言葉を語るとき、死(あの能力=権力である死)が語っているしるしとなっている。だが同時に私たちは次の点もよく知っている。つまり人々が口で言い争うときには、人々はなぐり合ったりはしないという点である。言語を用いることは暴力が開かれてむき出しにならないことを受け入れる企てである。(略)・・・あるもっと強力な統御=支配を目指して自分を留保しておく。・・・』(同書より)

私たちは普通言い争うとき殴り合ったりはしないが、腕力をむき出しにしないための一種のたくらみとして言語を操る。私たちはその網状組織のなかに組み込まれている。そして言葉はシニフィアンの前の段階で発見されたものをいじめつけ、強引に「名づけ」行為をする。名づけられた媒体はシニフェと実を置き去りに新たなシニフェさえ生もうとする。そしてそれはたいてい一方的で暴力的でもある。名づけの過程で排除された項目はその残滓を不幸な形でときおり顔をのぞかせながら様子をうかがい続ける。ブランショは『言葉は暴力である』という。『ある種の権力の関係を実行している』という。私たちも当然権力の網状組織のなかで生きている。言葉も同様である。暴力は腕力による殴り合いのような二者によるとは限らず、あるいは二者によって生じたものであっても、全く関係のない第三者が被る傷が存在する。二者の間に生じる項目、二者の対立する項目の間に生じるもの、それは単体ではなく、また複数というわけでもなく、「無限の空間」とでもいうべきものも存在する。つまり二項においてのみで完結される暴力は限定的でトートロジカルな議論に終始するものとなる。ブランショは同書で以下のように記述する。

『・・・ひとつの項からその対立項へ、たとえば〈存在〉から〈無〉へ向かう。しかるに、ふたつの対立項のあいだには何があるのか。〈無〉そのものよりも、もっと本質的なひとつの無である。すなわち、「両者の - あいだ」という空虚であり、ひとつの間隔 – つねに落ち窪み、そして、窪みつつ、膨らむ間隔 – であって、それはつまりle rien - 作業=作品としての、また運動としてのle rein[何ものでもないもの]- である。たしかに、第三の項、総合の項が、この空虚を満たし、間隔を埋めにやってくるだろう。が、しかし、原則として、あいだ[という空虚]を消え去るようにさせることはなく(もしそうであれば、すべてがただちに停止してしまうだろう)、むしろ逆に、あいだを成就することによってあいだを維持し、あいだが欠けることそれ自体において、あいだを実現し、こうして、そういう欠如をさらにひとつの能力、ひとつの可能性となす。』(同書より)

ここに暴力が存在するとすれば、それは「空虚」、健全な「無」の空間を埋めに来るよう活動であり、鏡の中の鏡のように、無限に「虚無」の繰り返しを反復させ、多くの人が最も好む繰り返しの議論へと突き進む。私はそれを省略したいし、無用な前置きは極力省きたい。そして「虚無」のなかにいて、両極にいるかもしれない項目を見届けたいとも思う。よりハードコアなものとは、その行為のなかでしか垣間見ることが出来ない代物なのだと思う。そうした健全な欲求から発せられる暴力とは他を寄せ付けない迫力を生む。そのとき新たな暴力の地平が開かれるのではないだろうか。
・・・2へ続く

2017.12.30

TEXT 「軽さと重さ」-6

三島由紀夫の小説『金閣寺』に以下の一節がある。

『そう思うことで、かつて私を悩ませた金閣の美の不可解は、半ば解けるような気がした。何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、その板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、・・・その法水院、その潮音洞、その究竟頂、その漱清、・・・その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、美は細部で終り細部で完結することは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。』(三島由紀夫『金閣寺』より)

物語の主人公の溝口が、金閣の美を構造的な解釈から解こうと努力している。ただし彼が放火を実行しようとしている直前のことである。金閣寺の姿、その美しさ、いわば理屈ではない源体験的な感動を、冷静に細部をあたかも日本建築の絵つき解説書の記述のように実に細かく描写し、またその感動からくる美の構造への懸命な解析の努力をあらわしたテキストである。文中に登場する建築の専門的な部位の用語を溝口がすべて知っていたとは思えないが、これは当然三島由紀夫の豊富な知識と研究から導かれているとはいえ、現代の建築家でも持ちえない知識、日本建築を得意とする建築士や職人でもここまで専門用語をすぐに口にできる人はおそらくいないだろう。
上記の部位の用語の最後に書かれている「漱清」という語に注目すると、これは建築の部位の名称なのか一般的な表現なのかも私は知らなかったが、調べてみると「漱清」は「そうせい」と読み、「漱」は漱石の漱、すなわち「すすぐ」という意味で、「清」という字と組み合わされることで、金閣の池と関係があることが想像できる。実際「漱清」とは池に張り出した小亭のことを指すということが分かった。金閣の写真をあらためて先述の描写の順で見てみると、それがあることがわかる。このように建築の細部を追っていくことで気づくものがあるということを改めて認識する。小亭はたしかに金閣の一部ではあるが、「全体」の一部というよりは、その部分が全体を端的にあらわしているとでもいうか、金閣全体の構成がそこでも繰り返さているような感覚をもつ。全体であらわされている部位は小亭で必ずしもあるわけではないが、小さなからだに内包されているような感覚である。
溝口は金閣のいわば内部の人間としての構成要素の一つであり、その要素が外から自分の属する内面を冷静に分析し、そして火をつけ炎上、焼失(消失)させることで自己が一部であるはずの美の対象を自己の内面とともに消失させた。あたかも永遠の美を自己に内包させたまま、強引に自己の人生を葬るかのような行為を、犯罪ではあるが実行した。ノンフィクションでありながらフィクション性が強く、また放火という犯罪ではあるが人間の複雑な内面と金閣の金、放火の火という輝きと色彩を伴った作品で、いまでも色褪せない魅力がこの作品にはある。単なるドキュメントなら他にもより正確に綴られたテキストはある。有名なものとしては水上勉の『金閣炎上』があり、資料としても貴重なものとされている。三島のこの作品の魅力は金閣の放火という事実をそのまま描写するのではなく、想像の世界(創造ではない)へ転換させたことに、作品を通して三島の豊かな創造性を享受することができる。
この作品は世界中で翻訳され、同じように安部公房の『砂の女』や大江健三郎の諸作品とともに日本文学というよりは世界文学として多くの人に今でも読まれている。ちなみに『金閣寺』の翻訳でIvan Morrisによる「漱清」はそのまま「Sosei」と表記され、注などによる解説はない。蔀戸はshuttersと訳されているが、日本人の感覚としては少し違和感があるが、それでもおそらく何百万という読者は日本の言葉の特殊性を自国の言語の特殊性、「音(おん)」と「意味」と混合させて全体として理解していることだろう。
私も高校の修学旅行で観た金閣の美しさは、小亭の存在をはじめ建築部位の意味や名称について無知だったにもかかわらず今でも全体的な美として脳裏に焼き付いている。のちに建築の専門家になって多くの建築に触れることになり、年を経て様々な建築が興味の対象から外れていっても、金閣はじめ日本建築の美だけは変わらずに心に残っている。

2017.12.30

ニュース

「WORK – Representation 15,16」
2015年と2017年にそれぞれ竣工した十勝の住宅とI邸の2件の竣工写真をWORK-Representation 15,16として掲載しましたのでお知らせします。

2016.5.3

TEXT 「像の此岸」-2

 武満徹・没後20年
立花隆による『武満徹・音楽創造への旅』という本が今年2月にでた。生前の武満へのインタビューをもとに立花が解説や武満や関連する人物の対談や著述などを織り交ぜ構成されたこの浩瀚な本からは、武満の立花に対する全幅の信頼感がうかがえる。それとともに生前の武満の肉声までもが聞こえてきそうな感覚に陥る。
 この本の中で、武満の『ノヴェンバー・ステップス』の誕生に大きな影響を及ぼしたものの一つとして、ジョン・ケージの存在が挙げられている。武満とケージの対談で、日本音楽について興味深いやりとりがある。

 武満:・・・もちろん僕は、ここで日本のものすべてがいいと言おうとしているんじゃないんです。
 ケージ:でも、とてもいいものを色々あることは事実ですからね。
 武満:もちろんそうです。僕たちにとって非常に意味のあるものが多い。特に日本人が持っている美的な観念というか、アイディアの中に『さわり』というものがあるんですが、これは何かというと、つまり一番美しいのはノイズだという発想に他ならないんです。
 『さわり』という言葉は実にいろんな意味を含んでいます。漢字で書けば『障』という字。プリベンション。ところが日本では、最も美しいもののことも『さわり』というわけですね。(中略)つまり障害が最も美しい。これはどういうことかというと、障害があるからこそ、自分たちは本当に自由になれるという発想なんですね。
 西洋の機能主義、近代化というものは、物事を最も便利なようにしてきたわけです。不便なものは捨ててきた。だからそれは非常に便利だから、どこへでも持ち運ぶことが出来るでも日本の伝統音楽の中にある・・・僕は必ずしも日本の伝統音楽のすべてをひいきしているわけじゃないけれど、しかし、そこには、どこに持っていくということのできないものがある。持っていくには『さわり』があるんですよ。
 楽器としてもそうです。日本の楽器には、すべて不自由な『さわり』の装置というか、障害装置がついている。音が出しにくいふうに作られているわけです。だから、もしその音がほんとに出た時には、その自由さはものすごく大きいわけです。
 そしてジョン・ケージの発明の中にも、やっぱり『さわり』がいっぱいあるんです。ケージが僕たちに与えてくれた一番素晴らしいものは、やっぱり新しい聴き方、それのほんとに無限な可能性というのを教えてくれたことだと僕は思うんだけど、その世界が、実はとても日本の音楽に近いものだという気がしてならないんですね。(立花隆著 『武満徹・音楽創造への旅(文芸春秋社刊)』)

 ジョン・ケージはプリペアド・ピアノや「四分三十三秒」などの「作品」で知られる前衛の音楽家だが、武満も彼に大きな影響を受けたとはいえ、決して彼のような音楽家にはならなかった。武満自身も上記の対談のようにケージに共感する部分がある一方で根本的に違うことも認識していた。すなわちケージは作品の構築をやめたのに対し、武満は自分の論理で音楽を構築しようとしてそれを実践したという根本的な違いがあった。前述の対談で触れられた日本の伝統音楽において、特に楽器は武満が指摘したように物理的な「さわり」があるということも実体験として後に触れられている。琵琶や尺八といった楽器は、奏者によってだけでなく、海を渡り、外国の地では特に響きが日本とは異なるという。また音質以前の話として、初めてのアメリカの公演を前に尺八が乾燥で割れてしまったということも述べられている。日本のような高温多湿な地との違いということも実感した。楽器の移動という単純な行為でも「さわり」が生じるということだ。初めてのアメリカ公演というのは、ニューヨーク・フィルの委嘱を受けた1967年のことである。

 ニューヨーク・フィルの125年周年の記念行事で作曲の委嘱を受けた作曲家で唯一の日本人として武満は、指揮の小澤征爾、琵琶と尺八の各々の奏者とともに1967年にニューヨークへ渡る。そのときのニューヨーク・フィルとの初日のエピソードがこの本の中で詳細に書かれているが、それを読むと武満の表現者として味わった、屈辱を慰藉するもののない孤独な存在が、彼の風貌とあいまって胸に迫るものがある。小澤はオーケストラの反応を心配していて、彼らが不謹慎な振る舞いに及び、武満に失礼なことをするのではないかと危惧していたという。そしてそれが現実となり、武満はショックを受け作曲料も何もいらないからキャンセルしたいと小澤に訴えかけたという。ニューヨークでの練習の初日に、二人の奏者(琵琶の鶴田と尺八の横山)が舞台に出てきたとき、団員たちが笑い転げて、中には舞台から飛び降りて客席の方まで転げまわっていったのがいて、武満はこんな不真面目な連中とやれるのかと思ったという。武満の訴えかけに小澤は、これはまだいいほうだ、かつて自分が指揮をする曲では団員全員がいなくなったということもあるから、と言って初日は練習なしで、二人の奏者による日本の伝統的な曲をやってもらったという。そうすると団員たちも音楽家であるから二人の素晴らしい演奏を感じ取り、『ブラボー』といってその後うまくいったということが書かれている。
 
 このエピソードから様々な思いを抱くだろう。半世紀前のこととはいえ、戦後20年は経過していてもやはり国と国の間に生じる根拠のない優位性の感覚は歴然と表れている。前述のケージとの対談で触れられたように、楽器だけでなく武満と二人の奏者(琵琶の鶴田と尺八の横山)が「さわり」となり、外国人の目に音楽家として素直に映し出されるには大きな「プリべンション」があるということを実感したことになる。しかし武満はこのことを契機に世界のTAKEMITSUとなる。かつて笑い転げた人間たちにも尊敬の対象となる。

20年前、武満の訃報の日本におけるメディアの扱いは軽いものだったようで、むしろ世界での報道が大きかったと立花が著書で書いている。現代音楽というジャンルが今も当時も難解であるという一般的な認識の証明でもある。当時NHKで特集番組が放送され、立花隆がコーディネート役として出演していたことを思い出すが、彼が話の途中で言葉に詰まり、涙ぐむ姿が放送されたのを見て、当時私は違和感を抱いた。つまりジャーナリストと現代音楽の作曲家の接点が見いだされなかったためだ。しかし今回この著書を読んで、立花が若いころから現代音楽に関心を持ち、造詣が深いことを知り、あのときの立花の涙を今になって理解する。また武満が彼に長時間に及ぶインタビューに応じたという経緯も理解できる。没後20年を経てもなお武満の音楽は生き続け、古典やスタンダードになっている作品も多く、多くの音楽家の尊敬を集めている。交響楽団の定期公演で現代音楽の演奏はほとんどないに等しいが、私たちはCDを通して武満の論理を超えた音の世界を堪能することができる。

2015.11.21

materialscape -3

 構築物が存在し風景を形成する。様々な都市施設があり、建築物が建ち並び、規制に基づき都市の望む姿に誘導されていく。都市の公共的な空間はモノとそれを扱い関係するヒトで景として成立する。しかしこの都市における公共というなんとなく曖昧な概念は一体誰がどのような外力で企むのだろうか。私たちが住むこの街の姿は、どのような力が働いて今日に至り、そして未来を目指しているのだろうか。そこに働くモメントは公共性という漠然とした、得体のしれない何かにどのように内在しているのか。あるいはどのような外力が働くのか。
 ハイデガーは『存在と時間』において、序説の前にプラトンの『ソフィステース』を以下に引用している。
「・・・というのは、君たちが〈ある〉〔存在する〕という言い方をするとき、一体それがどんな意味なのか、君たちはずっと前からむろんよく知っているのだ。僕たちも以前には、それがよく分かっているつもりだったが、今はてんで分からなくなって困りきっているのだ」。
 ハイデガーはこれを契機に〈ある〉〔存在する〕という根源的な問いを提示し、「すべての存在了解一般が可能になる視界としての、時間を解明することが、この論文のさしあたっての目標なのです」(岩波文庫版 桑木務訳(以下引用同))と自著で論を展開していく(ちなみに著書は未完である)。
 本書第一部第一篇の第四章「共同存在および自己存在としての世界・内・存在「ひと」」の「日常的自己存在と〈ひと〉の節で、公共性について自己及び他人、そして「現存在(ダーザイン)」をモチーフに論じている。「現存在(ダーザイン)」はここで簡単に定義はできないが、かっこつきで人間存在を表し、人間の在り方を指している。そしてこの章(第四章)は「現存在の予備的な基礎分析」の中の考察である。長い著述の中で一つのポイントとしてまとめられるのが、公共性は①差異性(ちがい)、②平均性(ありきたり)、③平坦化(ならし)で構成されるというものだ。
 ハイデガーによると、「ひとが他人とともに、(また他人のためには、また他人に反対して)つかんだところのものを配慮する場合には、いつも他人となんらかの差異をめぐっての関心が存する。それが他人の差異を均すためのものであれ、自分の現存在を他人との関係において引き上げようとすることであれ、自分の現存在が他人より優位にあってかれらを抑えつけようと企てたりする場合であれ、いつも関心は差異に根ざしている」と論じ、現存在は差異性の性格をもっているとしている。さらに「ひとは自分独自の在り方をもっていて、このような差異性の傾向は相互存在そのものが平均性を配慮するものだということに基づく」と論じ、ひとは自分の存在において本質的に平均性に関わっているとする。またさらに平均性は「全て出しゃばってくる例外を監視する。どんな優位も抑えられる。全て深遠な根源的なものも一夜明ければとっくに知られたものとして滑らかになっている。およそ闘いとられたものはみな手ごろなものになり、このような平均性を目指す関心は現存在の本質的な傾向を露呈し、これを存在可能性の平坦化と呼んでいる」。ハイデガーが「公共性」をこのように概念として「差異性」、「平均性」、「平坦化」の三段階で分類しているところが興味深い。
 差異は一個人の中でも表われるし、もちろん他人との関係で顕著になるが、いずれにしても公共性という巨大な怪物の前では平均化され平坦化されるというような一義的で狭義な思考ではないが、あらためて「ひとは自分独自の在り方をもっていて、このような差異性の傾向は相互存在そのものが平均性を配慮するものだということに基づく」という言説から「個」(部分)、「共同(相互)」を、「公共」(全体)という枠の中で、「すべてを曇らす」という現実の中で関心を持ち続けるかということが、ますます大事になってくるであろう。
 
 蛇足になるが、公共は英語で「public」という。
 よく自己PRという言葉を、特に学生の就職活動の面接練習で使う。たいていの学生は自分が中学、高校時代に経験したこと、例えば部活やバイトで頑張った経験を滔々と話す。その努力を社会、会社で活かすということを言いたいのだろうし、それはそれで別にかまわないのだが、採用する側の立場に立ってみればその経験は単なる思い出としてしか捉えられない。結局それが社会と学生個人との関係で考えたとき、公共という社会の中での自分の存在の在り方まで踏み込んだものであれば、「個」「公」のどちらにも偏らない、様々な関係性を意識しうる能力を今後育てることができると思えるようになる。(私は採用する側と学生を指導する側のどちらも経験したことがあるので、多少実感としての考えである)。自己PRのPRとは「public relation」の略であり、「広告」や「宣伝」のほか、字義通りに捉えると「公共的な関係性」といえる。話はハイデガーから逸れるが、最初の問いに戻って「公共性」における「力」というものの存在について、今後も考えてみたいと思う。
 

2015.10.20

TEXT 「軽さと重さ」-5

 ビートルズの音楽は、ポップスのクラシックとしてというわけではなく半世紀にもわたって聴かれ続けられているということはすごいことである。ジョン・レノンもP.マッカートニーも優れたコンポーザーだが、それだけでなく歌詞と曲との密接な結び付きという点においても天才といわれる。われわれ英語圏の者でなくても心地よい響きで心に伝わってくる。しかし一方で歌詞の意味がよく分からないという曲も多いようだ。ポールもそうだが特にジョンの曲にはいくつか存在する。有名なものでは『I am the walrus(アイ・アム・ザ・ウォルラス)』という曲は、実際訳された歌詞を見てみると、確かに全体を通して何について言っているのか不明だ。イギリス本国でさえそう言われている。私も三十数年聴き続けているのにほとんど意味を考えたことなどない。他にも例えば『Lucy in the sky with diamonds』や『Come together』などもそれに該当する。しかしどれも一般に普通に今でも聴かれている。音楽でなく言葉のみの世界なら、例えば詩のカテゴリーとして評価されるのだろうが、音楽しかもポップスであるということに大きな意味があるように思う。つまり言語のもつ「音」とメロディーを融合させ、韻を踏んだり音符の数に合わせて文字数を決めるなど音楽特有の手法を用いている前提があった上で、一般に向けて聴きやすく歌いやすい工夫がされているからだ。ではそういった操作による単に言葉の持つ「音」のみに加担したものかといえばそうではないだろう。歌詞の意味そのものにも魅力と意味があるはずである。『I am the walrus』の歌詞を見てみると

 I am he
As you are he
As you are me
And we are all together

 (訳)僕は彼で
    君は彼で
    君は僕で
    僕らはみんな一緒

 内容は各人称の関係をひとつの単純な論理で形成させている構造だが、「僕」という存在は彼から見ると「彼」であり、「君」という存在は第三者的「彼」でもある。「僕」は「僕」以外の人間と全体を形成し、つまり「僕」は「君」にも「彼」にもなり、「君」にも「彼」にもならない。人間の存在の根源といったら大袈裟なのだが、単純な言葉で深いことを言っている。ジョン・レノンの意図は分からないが、彼は人間の深層の部分を直感的に表現することに長けているように思う。「僕」と「僕ではない者」もみな一緒である、つまりその一緒の前提を明確にせず、概念として二つの対立する存在を同時に現前せしめること。私は丸山圭三郎の「コードなき差異」の概念を思い浮かべる。
 ソシュールによる言語記号とは「自らに外在する実体を指し示す表象ではなく、間主体・共同主観的網の目の産物に過ぎない」ものであり、「記号学」の解体を、「ラングの現象面と本質面の区別ということではなく、意識の表層におけるランガージュのありかたから深層意識におけるランガージュの活動への試み」としている(「」内は『現代思想を読む事典』(講談社刊)から)。意識の表層とではなく深層における「差異」の概念を、丸山氏は「コードなき差異」つまり「いまだコード化されていない差異」としている。コードとは信号の発信者と受信者の間で情報を表示し伝達するための体系のことを指すということで、このような体系を持たない概念のことを指している。多義的でシニフィアンとシニフィエの関係も曖昧な、人の深層意識で発生する概念は、われわれ普段実社会で理屈の中で理不尽さを感じながらも生きている者にはなかなかうまく処理できないが、例えば子供の世界では言葉遊びや意味不明の言葉や音を素直に受け入れる。丸山氏が自著の著作集Ⅳでとりあげている童謡『かごめかごめ』では

 かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面だあれ

 「夜明け」と「晩」、「後ろ」と「正面」という互いに逆のものが同じ平面に同時に存在するような表現。「夜明けであり晩でもある」、「後ろであり正面でもある」ともとられる表現に対して子供はその理屈を考えたりしないだろう。丸山氏は、「一切の指向対象を生みだす以前の差異である」としている。
 ビートルズに戻ると、『I am the walrus』に限らず、あまり歌詞の意味を意識しないで聴いている曲がほとんどだが、英語圏ではない者でも時代を超えて聴き続けられている秘密は、この言葉のもつ指向性のない、もっといえば普遍ともいえる開放性によるものもあるのではないかと考える。

2015.10.19

TEXT 「軽さと重さ」-4

 1988年に発行された二冊の『a+u』にA.ヴィドラーの短いテキストがある。その二冊とは、バーナード・チュミの「ラ・ヴィレット公園」が初めて紹介された9月号とP.アイゼンマンの作品集の臨時増刊号である。それぞれに掲載された論文を今改めて読んでみると、最初に読んだ88年当時には感じなかった違和感を覚えたので、それをここで少し述べたい。
 まず9月号だが、(そこにはチュミ本人のテキストもあるが、)ヴィドラーはチュミの建築について『アーキテクトの快楽』と題して論文を掲載している。その内容のキーワードとして「快楽」を使っている。ヴィドラーの考えによるとチュミの考えというのは、「建築家というものは、古今の優れた作品について考察することに意図的に快楽を感じようとせずに、むしろそれを「解体」することに快楽を覚え、快楽を明らかにひねくれた方向へと確実に反らそうとするのである」(引用『a+u』9月号より)。そしてチュミの快楽の本質とは、「受け継がれてきた規範に関する計画的な逸脱、秩序の観念を疑ってみること、調和の概念を再検討すること、形式主義や機能主義の通説から離れること、建築の限界そのものを確かめること」、と記述されている。ここまではヴィドラーによる解釈であるから彼がどのように解釈しても構わないのだが、チュミの「快楽」の考えをバルトの快楽と結びつけていることに対して私は大いに首をかしげる。まずヴィドラーは、「チュミが「解体」で感じる快楽は、バルトが指摘した区別を用いれば「作品」の快楽ではなく、「テクスト」の快楽となるであろう」としている。これはつまりバルトによる「テキストの快楽」とチュミの考える「建築家の快楽」を無理に、あるいは無理解に結び付けているといえないか。ヴィドラーによるバルトのテクスト及び快楽とは、「テクストは作品のように「展示され」いつでも消費されるものではなく、論証されるべきもの」、及び「作品の快楽は優れた著作を読んだり、優れた建物を見たりといった申し分のない恩恵であり、消費の対象としての性格によって相変わらず限定されているが、テクストの快楽は読むことと同様に書く享楽、「快楽」に満ちている」、としている。
 バルトの『テクストの快楽』は、全体を通して決して一義的でなく、上記のようないわば結論的で明確な定義では書かれていない。バルトが著書『テクストの快楽』で述べているテクストの原初的な意味のひとつに「織物」との関係で以下に記述している。「・・・われわれは今、織物の中に不断の編み合せを通してテクストが作られ、加工されるという、生成的な観念を強調しよう。この織物の中に迷い込んで、主体は解体する」。しかし本書は全体的に断章的に書かれていて、しかも前述したように結論めいたことは明確な解答などないし、曖昧な記述も多い。ヴィドラーはチュミの建築にどうしても「テクスト」という概念を取り込み、それに「解体」と「快楽」をもち込もうとした過程で、あたかもバルトの「テクスト」「快楽」が適切な解答を与えているかのごとくあてはめる行為は、バルトを知らない者にとっては誤解をあたえることにつながる。バルトのテキストに対する、それこそ「快楽」は、バルトの前述したような断章的で曖昧ともいえる言説からわれわれが何をどう読み取るかという行為から生まれるといってもいいのではないか。例えば「出現―消滅の演出」や「オイディプス的快楽」など身体や物語の生成との関係で捉えた概念など、分かりにくい部分ではあるが、われわれに豊かな解釈を促す役割を果たしている。ヴィドラーはキーワードとして「解体」を使用したいという意図がこのテキスト全般から伝わってくる。そうであれば、批評家の巨匠に対して失礼かもしれないが、チュミが使う「テクスト」という考えを超えて、もっと建築的で具体的な解釈で「ラ・ヴィレット公園」を例に論を構築してほしいと感じる。「ラ・ヴィレット公園」そういう意味では格好の素材なのだから。