5.『すべての芸術は音楽の状態を憧れる』
岡田温司はイギリスの批評家ウォルター・ベイターによる著作から引用したこの言葉を主題として、『表象08』(2014年)でメディアについて論じている。私はこのベイターの著書を読んでいないが、おそらく誰もが直感的に納得できる言葉として受け止められるだろう。岡田は同書のなかで、『芸術の理想たる、「内容と形式との完璧な一致」をもっとも完全に実現しているのが、「音楽芸術」だからである。「音楽の最高の瞬間においては、目的と手段、形式と内容、主題と表現とのあいだには区別など存在しない』、と論じている。音楽の魅力を言葉で表現することは、難しいというよりナンセンスな感じを受けるのも事実だが、それゆえ岡田のこの論に付け加えることは憚れる。「憧れ」というとちょっとニュアンスは異なるが、私は普通の音楽好きの人間として多くの音楽、特に70~80年代を中心としたロック・ポップス、そして現代音楽を聴いてきた。坂本龍一のことを以前書いたが、YMOともに洋楽ではビートルズをはじめピンクフロイドなどは、この40年で聴かなかった時期はなく、継続して聴いているし、新譜がリリースされたりリマスター盤がでるとつい買ってしまう。そして、このようにこの40年くらい継続して聴き続けているのが、デヴィッド・シルヴィアンである。
彼は特に他のアーティストとは違い、音楽的な進化が大きく、特にこの10年ではJAPANの時代からは想像できないほどの「新しい」音楽を生み出している。彼はJAPANを解散してから30年強、ソロとしてのアルバムを多くは出していない。ロバート・フリップやホルガー・シューカイとの共作や坂本龍一のアルバム参加などを除くと、ソロ名義では作品数としては少ない方だ。しかしそれぞれのアルバムは時代を超えて古さを感じず、毎回明らかに音楽的進化を遂げている。深淵、とはいえポピュラー音楽の枠に収まる範囲、という意味では20世紀最後の『Dead Bees On A Cake』がピークで、2003年の『Blemish』を始まりとして2007年『Manafon』にいたる彼の仕事はほとんど既成のジャンルに収まらないものへと変貌している。
『Blemish』、『Manafon』以前の作品のなかで、私が最も彼らしいと感じ、なおかつよく聴く作品を以下に挙げてみたい。
・Oil On Canvas
・Brilliant Trees
・Laughter and Forgetting
・Before the Bullfight
・Wave
・September
・Waterfront
・Every Color You Are
・Damage
・The First Day
・Thalhiem
・Wanderlust
・アルバム「gone to earth」のインストルメンタル
これらの曲はどれも静かで彼のコンポーザーとしても、ボーカリストとしても堪能できる作品である。
「Oil On Canvas」はJAPANのライヴを収録した同名のアルバムの冒頭の曲で、シルヴィアンの書下ろしで、ライヴ演奏ではない。また正確にはソロ作品ではないのかもしれないし、なによりボーカルなしで、彼のピアノ、シンセサイザーによるミニマルな楽器で演奏された小品であるが、私はこの曲が彼のコンポーザーとしての魅力が凝縮された曲として長く愛聴してきた。荘厳で暗く重々しいピアノ音から始まり、最後は明るい希望へと結ばれる。JAPANからソロへの移行を象徴するようなイメージを与える。
このように彼のキーボードのみの演奏にボーカルを入れた作品は、上記の中では「Laughter and Forgetting」、「September」、「Damage」、「The First Day」がそれに該当する。特にライヴ音源の「Damage」、「The First Day」の2曲は、CDを通してとはいえ深い息遣いを感じることが出来るほどの臨場感を味わえる。またソロで関係を深めた他のアーティストたち、坂本龍一(坂本はJAPAN時代から)、ホルガー・シューカイ、ロバート・フリップ、そしてポップスの世界ではないアーティスト、トランペットのジョン・ハッセル、ギターのデレック・ベイリー(ここでは上記リストに選定していない)、トランペットのアルベ・ヘンリクセンなどが参加して作品のレベルを上げている。例えばロバート・フリップは、コラボレーションでアルバム『The First Day』をつくっているが、ロバート・フリップが他のアーティスト、例えばデヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズのアルバムに参加した作品では、明らかにロバート・フリップらしいギターのリフがその重要な位置を占めている。それは半分以上ロバート・フリップの曲といってもいいくらいに思う。しかしシルヴィアンとの関係ではそうなっていない。上記リストのなかで「Wave」がロバート・フリップの参加した曲に該当するが、この曲はアルバム『gone to earth』からの曲で、この曲だけでなく、いくつかの曲でもフリップが参加している。しかしどれもいわゆるフリップ的なフレーズではなく、曲を引き立てるメロディアスなテクニックが展開され、フリップのギターであることを特に意識させないが、一方で彼のギターのすばらしさの再認識とクリムゾンとは異なる面を知ることが出来る曲となっている。話はそれるが、一流のギタリストが参加した作品として、曲を引き立て、しかもギターが際立ち重要な位置を占める他のアーティストの作品でいうと、P.マッカートニーの「No More Lonely Night」、「We Got Married」(アルバム「Flowers In The Dirt」より)ではデヴィッド・ギルモアが参加している。この2曲は詩がナラティブでウェットな構成であることに対比して、ギルモアのあのフロイドばりの「泣き」で「ソリッド」なギターが冴える作品となっている。甘い曲に甘いアレンジではない選択をするところがP.マッカートニーの一流であることの表れである。
シルヴィアンの盟友である坂本龍一はほとんどストリングスのアレンジで参加している。それも特に坂本らしさが表れているわけではないが、やはり曲のレベルを上げる働きをしている。上記のなかでは「Waterfront」が該当するが、この曲では坂本はピアノも弾いている。そしてやはりシルヴィアンのボーカルを熟知している坂本だからこそできるピアノとストリングスのアレンジであることを認識する。JAPAN時代のアルバム『Gentlemen Take Polaroids』のほとんどの曲で坂本が参加していて、「Taking Islands In Africa」はYMOの音作りによっていて、坂本色が強い作品であるが、デヴィッド・シルヴィアンがソロになってからの坂本色の表出は少ない。
ホルガー・シューカイの参加は上記の作品にはないと記憶するが、コラボレーションで2作のアルバムを出している。ホルガー・シューカイはドイツのバンド「カン」のメンバーだったが、現代音楽のシュトックハウゼンに師事したということもあり、実験的で前衛的な作品もある。そういったアーティストへの興味、そして彼らからの影響を自己の音楽の幅を広げる助けとして、積極的にかかわってきた。その延長で先に挙げたジョン・ハッセルなど参加で「Brilliant Trees」を含むアルバム(同タイトル)が出来たが、これも多くのアーティストが参加している。坂本もその一人である。「Brilliant Trees」はソロの最初期の最も完成された作品だと私は思うのだが、それまでポップスでは聴いたことがないようなアレンジ ・・・ジョン・ハッセルのトランペットとオルガン音のようなキーボードを背景にシルヴィアンの深いボーカルが響く。長い曲だが、後半の半分くらいはボーカルのないインストが続く。これは後にアルバム『gone to earth』のインストルメンタルにつながる試みを思わせる。『gone to earth』のインストルメンタルは、彼の最大の魅力であるボーカルがないにもかかわらず、そこには彼の個性が十分表現されている。先に挙げた「Oil On Canvas」のようなメロディというよりはブライアン・イーノのようなミニマルでアンビエンントに近い音楽なのだが、透明で奥行きのある構成となっている。彼の80年代をよく表したものともいえる。
80年代といえば、JAPANのメンバーで再結成されたRain Tree Crowの作品のなかの「Every Color You Are」はバンド色が若干あり、ソロ作品とは趣が異なるが、後のロバート・フリップとの共作につながる雰囲気をもっている。このアルバムに関して、彼自身の発言では、実は『The First Day』のようなもっとハードなものにしたかったらしいが、当時まだそのメソッドをもちあわせていなかったということのようだ。『The First Day』ではメンバー(3人)の個性が際立っているが、Rain Tree CrowではJAPAN時代のような個々の良さが発揮されていないようにも感じられるのも事実である。しかし私はこの曲がとても好きだし、アルバム自体もよく聴く。
「Thalhiem」、「Wanderlust」は名盤『Dead Bees On A Cake』からの曲で、この時期の彼のコンポーザーとして、またボーカリストとしてのピークで、あるいはポップスとしてのピークともいえる。20世紀も終わるころ、その時代性を感じさせないアレンジで、彼のなかで長く醸成され、というよりはアルバムのライナーノーツによるとかなり苦闘した末の成果であり、あれからもう20年も経つが、古さを全く感じない。
そして今世紀に入って、自らのレーベルSamadhi Soundを作って最初のアルバム『Blemish』ができ、『Manafon』へつながる。その間、ナインホーセズ名義では以前のようなポップスに近い作品もあり、そのツアーで2007年に来日している。私はこの渋谷のオーチャードホールの公演に足を運んだ。アルバム『Snow Borne Sorrow』からの曲がメインだったが、『Secrets of the Beehive』のときにできた「Ride」や、JAPAN時代の名曲「Ghosts」の当時と全く異なるアレンジが印象的だったことを思い出す。
先に挙げた曲のリストに加えて、Manafon variationとして『Died in the Wool』というアルバムがあるが、これは現代音楽の作曲家である藤倉大がアレンジを施した作品で、基本的にシルヴィアンのボーカルはほとんど変わっていないが、新しい曲もあり、中でも「A Certain Slant Of Light」は「September」を思わせる、静かで彼独特のメロディラインが際立つ小品も、最後にリストに加えたい。
私が中学生の頃、NHKFMで放送されたJAPANのコンサートを、当時モノラルのラジカセで録音したテープを以降何年にもわたって聴き続け、今から数年前にそのテープをCD化し、今でも楽しんでいる。それはジャパンの最後のアルバム『TIN DRUM』発表前のコンサートで、初期の曲も多く収められたもので、よりポップな色合いのもので、自分のなかで大変貴重なものとなっている。「Swing」からはじまり「Gentlemen Take Polaroids」、「Quiet Life」など。シルヴィアンがどんなに進化しようと、それも今のものと同じ感覚で聴くことができる。
私は日常のなかで、傍らにはシルヴィアンの音楽の進化が同時に流れていて、特に仕事上困難な場面に遭遇しても、傍らにそれがあると常に乗り越えられてきたように思うのだ。これはシルヴィアンを長く聴いてきた人皆にいえることだと思っている。音楽は最初にあげた言葉、『すべての芸術は音楽の状態を憧れる』ように、日常のなかで即時的に憧れの存在に、直接耳を通して出会うことができ、しかも深い感動を味わうこともできる。それによって多くのことが救われることも人は体験する。そしてその音楽性が変わらないということも人にとっては大事だし、一方で進化し続けるというのも、大げさに言えば自分の人生に照らして、とかくマイナス思考に陥りがちな気持ちをプラスに向かわせてくれる一助となる力もある。音楽には根本的に人を励ます大きな力がある。だからそれに対する憧れも生まれるのだろう。
視覚、聴覚・・・個人的な嗜好性から再びエクリチュールの問題への転化・・・ブランショへと戻る。
・・・11へ続く