2015.10.7

TEXT 「軽さと重さ」-1

 設計図に限らず何らかの図を書くと言う行為は、基本的に線を引くことと同等と考えても言い過ぎではないだろう。それは一昔のような手書きの時代も今のデジタル時代もあまり変わらないように思える。一本の直線を引くという行為は、ある点からある点へ向けてペンを走らせるか、あるいはCADで長さと方向の数値を入力して表すことができる。しかしいずれにせよこの行為の中にあまり意識にのぼらないことがあるとすれば、それはこの線、あるいは点自体に(長さ、太さなどの)サイズがないということである。例えば0.5ミリの芯のシャープペンで線を引くと、その線には0.5ミリという眼に見えるサイズを含むことになるが、設計上はサイズがないものとして考える。つまり線自体に距離が内在すると設計上矛盾が生じ、破綻を生む。こんな当たり前のことを意識するということはナンセンスだが、現実には線にも点にもサイズがあるということは認識しなければならない。なぜならいわば実体として現前するものを観念上のものとしているわけだが、紙、あるいはCAD上の実体は、何の違和感も不思議もなく現実の物体へとやがて変換されていくからだ。建築物はこの線を引くという行為から始まり、二次元から三次元へと変容していく。線を引くことは形態の生成の大事な位置を占めることにつながる。
 そして造形の基本要素である線についてあらためて考えてみると、私は学生時代に触れた様々な造形理論に帰ることができる。その一つがカンディンスキーである。カンディンスキーの仕事は建築ではなく絵画の分野であるが、彼が遺した100年近く前の造形理論はデザインにおいて今でも私の頭の片隅にある。「絵画的要素の分析のために」と副題が付された『点・線・面』(1920年バウハウス叢書第9巻)は、形態的要素の分析と構成を主にひろく造形一般の問題に触れたもので、あらためて頁を繰ってみると、そのユニークさに引き込まれる。
 同書の「点」の章と「線」の章の各々の冒頭には以下の記述がある。

「幾何学上の点は眼に見えぬ存在である。したがってそれは非物質的な存在と定義せざるを得ない」
「幾何学上、線は眼に見えぬ存在である。線は動く点の軌跡、したがって点の所産である」

 カンディンスキーの「点」についての定義は実際そこに目に見えるものに対して、それは「眼に見えぬ」観念上のものであるということ、そして「線」については私たちが直線を点と点を結ぶ最短の軌跡とする考え方とは別の、つまり点を動きの中で捉え、その集合体のような観念で捉えているといえる。
 また次の点がおそらくカンディンスキーの画家としての独自の発想であり、別の著書『抽象芸術論』の中で詳細に述べられているが、それは即ち端的にいうと直線を温度で以下の3つに区分しているということである。

1. 冷たい形態
2. 暖かい形態
3. 冷と暖とを含む形態

 形態を寒暖で分類しているのだ。
更に論を進め、線と色彩について直線の基本色として以下に4つに分類している。

1. 水平線:黒
2. 垂直線:白
3. 対角線:赤(もしくは灰色、ないし緑)
4. 任意の直線:黄と青

 ちなみにカンディンスキーによると「つねに白の方が黒より暖かい感じ、そして絶対黒は内面的には寒そのものである」と、色彩と寒暖を結びつけている。そして赤、黄、青に関しては「赤は平面について離れぬ性質をもつことにより、黄及び白から区別される。一方対角線が任意の直線と異なるところは、平面上にしっかりとついて離れぬこと、水平線ならびに垂直線との相違は、それがいっそう大きな内面的緊張を有していることである」としている。
 そして更に角のある直線(折れ線)について、角度の種類(鈍角、直角、鋭角)によって色分けをし、折れ線の組み合わせとして三角形、四角形、そして円、各々の形態の三原色を示している点がユニークだ。前述の基本色の4分類に温度(寒暖)と明度の点から、更に以下に線、及び平面を分類している。


・水平線:黒=青
・垂直線:白=黄
・対角線:灰色、緑=赤

平面
・三角形:水平線(黒=青)+対角線(赤)=黄
・正方形:水平線(黒=青)+垂直線(白=黄)=赤
・円:(能動的=黄、受動的=赤) =青

 また曲線に関しては「点に対して二つの力が同時に作用し、しかも圧力において一方の力がつねに同じ割合で他方の力を凌駕しつつ、作用し続けるとき、基本型たる曲線が生れる」と定義し、「単純な曲線」と「複雑な曲線ないし波状曲線」として論を展開する。基本的に「曲線はもともと直線だが、絶えず側面から加わる圧力で直線コースから逸らされた」と定義し、これもある一点を中心とした一定の半径の点の集合という円、あるいは円弧の考え方、つまり曲線は中心点をもつという考えから離れ、私たちが、特に設計で扱う曲線とは考え方が全く異なる。つまり直線と同じく運動や力学の過程として生じるものという考え方である。カンディンスキーによると、例えば複雑な曲線、波状曲線の中にも、線の一部を太くすることで円弧の頂点を強調する効果がある、といった手法も紹介されている。そこから発展してカンディンスキーの絵画の曲線の基本パターンをうかがわせる図も紹介されている。カンディンスキーにとって主な具体的な手法として自己の絵画のなかで実践していたものと想像できる。キャンバスのなかで、線、曲線、折れ線、線の太さの強弱に加え色彩も基本理論に沿って描かれたか、あるいは後付けかは絵画作品を見ればいいが、ここはその検証をする場ではない。
 
これらの理論が、つまりデザイン、特に建築設計において一体何がどう影響するのかという問いに対してここでは特に私の結論はなく、ましてや建築デザインの基礎理論だなどと言うつもりもない。冒頭に書いた、線そのものにサイズがないという当たり前で素朴な感覚を思うとき、絵に書いたもの、あるいはCAD上のものは、目に見える実体ではあるが、決して実物ではないということ、極論すればそこには「何もない」という考えをつねにもちながら、それが実体のものへ変換する工程をしっかり概観し、ものごとを進めていかなければならない。このような基本的な姿勢に戻ることも必然なのだ。
 
 「線」の章の最後に、まとめのように以下のような記述がある。
「点は静止、線は運動、から生れたもので、内面的な動きを表す緊張。この二つの要素、その交錯と並置、それらは言葉では表現しえぬ独自の《言語》をつくる。この言語の内面的な響きを鈍らせ、また曖昧にする一切の《混ぜ物》を排除すること、それが絵画的表現に最高の簡潔さと最高の正確さを与える。純粋な形態こそ生命に満ちた内容を存分に表現しうるのである。」(文中引用訳西田秀穂)

2015.10.5

materialscape  物質景

 もはやシニフィアンには興味がない。構造的解釈にも意識が向かない。しかし、一方で私にとりつく強力な思考の道具からは解放されない。あらゆる道具の中で今まで私の手足とはならなかったもの。『顔』のデザイン手法がそのひとつである。建築の顔とは、一つは文字通り人や動物の顔に似たもの。建築のファサードを構成する窓や開口部などが目、鼻、口に見えるものを指す。今ここでとりあげたいのはもう一つの意味として「語る」顔である。
 「語る」とはどういう意味か。18~19世紀にかけて活躍したフランスの建築家ルドゥーの言葉で「語る建築」というのがある。哲学、思想史の研究者高岡佑介氏の言葉を借りると「ルドゥーにとって、建築の性格を表現する手段は、一つだけではなかった。彼は装飾芸術が建築物の「表情」を成し性格を体現すると説く一方で、「語る建築」と称される奇想天外な視覚的言語を編みだし、これによって「性格」を表現しようとも試みた」(月曜社刊『表象』2011/05号より抜粋)。例えばルドゥーが計画した『樽職人の仕事場』は、樽の形状を建築の形態にそのままあてはめ、住人の仕事と直接的に結びつけたものだ。この作品のほかにもルドゥーにはこのような例が多い。

 このような極端な「語る」建築は、現在私たちが普段街を歩いていて目にすることはあまりないだろう。街を形成する顔がこのような「語る建築」のみで構成されている街並みなど想像したくないが、しかし一方で何かを語りかけようとしているものには出くわすことはあるだろう。それは「顔」から切り放された何らかのメタファーとして現出されたものだが、例えば商業地などの人混みや街そのものの混沌を表現しようとしたもの、それは形態の複雑さや材料の複合的な使用などで体現したものかもしれない。農村地帯では牛舎やサイロなどを模した形態など例に挙げることができる。

 「建築」、「建造物」、「建物」はそこにあるだけでその場の空間性に影響を与えている。街並みを形成し、よくも悪くも都市の「顔」の一部となる。私たちが札幌の中心部を歩いていて、ここが札幌であるという感覚を抱くことがあるとすれば、赤レンガ庁舎や碁盤目の区画があることからしかないかもしれない。しかし名古屋市の中心部を歩いていても同じ感覚を抱くかもしれない。「ここは札幌によく似ている」といった感覚を。札幌駅と、駅から外に出て南に歩を進めて目に入る通りに面したビル群はおそらく名古屋にも、東京にもあっておかしくないデザインだ。これらガラスとパネルの単純な構成のいわば(古い言葉でいうと)インターナショナルスタイルはどこにでもあり、そして善し悪しを別にしてその街並みの顔となっている。ここで「北の玄関口」としてのふさわしさについて触れるつもりはない。

 20数年前、バブルが崩壊した直後の頃に東京の青山周辺を歩いたときの空間体験は、今でも街や街並み、あるいは街の顔、ファサードといった概念に対する思考の体験的な基礎になっている。地方にいる私のような者にとって東京は建築を見て回るというよりは街そのものを見るということに魅力を覚える。マリオ・ボッタ設計の『ワタリウム美術館』から歩いて、東孝光設計の『塔の家』、竹山聖設計の『テラッツァ青山』など個性的な建築物は、何かの比喩表現ではない。例えば『テラッツァ青山』のコンクリート打放しのその造形は、建築のデザインの質とは関係なく言葉を持たず訴えかける力をもち、設計者独自の美意識さえ感じることができる。都内を歩いていると、そのようなコンクリートの存在感、あるいは構成の複雑さ、一般的なマンションですら工夫を凝らしたデザインなどであふれている。目に見えない設計者の言葉が内在しているように感じる。私はとりわけ素材感に対して敏感で、前述のようなコンクリート以外にも、金属板、それもシルバーのスパンドレルから角波鉄板、特にコルテン鋼など、素材そのものに魅かれる。それらの建築への採用に関して施主に説明するための比喩は使うこともあるが、なにより言葉を超えた存在感をもつ。かつて前述した青山周辺の建築群に対して「アヴァンギャルドの風景」と表現した建築評論家がいた。バブル期に建てられた建築に多く見られるいわゆるデ・コン的な建築は、その多くが狭義でアヴァンギャルドといえる。それまでのモダニズムを基本とした手法とは異なるものだ。この現象は東京のような大都市だからということもある。札幌ではあまり見られない風景だ。前述で札幌の街並みに関して『「北の玄関口」としてのふさわしさに触れるつもりはない』と言ったが、例えば本物のレンガの素材感を、あるいは札幌軟石の重厚感など他の都市ではあまりなじみそうにないものを積極的に活かすこともあっていいだろう。しかしこれらの素材を活かすには徹底したディテールが必要で、ミースのようなあたかもイコンとでもいえそうな部分のディテールがないと全体としての存在も陳腐なものになってしまう。設計者の力量はこのディテールで証明されるといってもいいのではないだろうか。また一方でこれらの材料はもちろんコスト上、それらの材料を口にしただけで一蹴されてしまう厳しい現実もある。
 
 私はかつて商業地で店舗計画を依頼された時に、「物の素材」を街形成の一要素として捉える、という視点で計画したことがあるが、その際本テキストの題である『materialscape』としての都市、街を強く意識した。materialscapeはもちろん私の造語で、『物質景』と勝手に名づけたが、このような街並みがどこか都市の一画にあってもいいはずだと思う。現在、私が手掛ける設計のほとんどが住宅であり、住宅地で『物質景』を求めようとはあまり考えないが、住宅地以外の計画の際に少なくとも材料の扱いにはスタディを重ねたデザインをするよう心がけている。

2014.12.16

ニュース 2014/12/16

 WORKに作品を追加しました。Representation12および13です。

札幌の二世帯住宅と札幌近郊のN邸です。それぞれ今年11月と8月に竣工しました。

 

2014.11.25

TEXT 「ディテールと身体表象」-3

 つい先日、ピンクフロイドの新譜が発売された。『The Division Bell(邦題:「対」)』以来20年振りである。アルバムのアートワークは元ヒプノシスのオーブリー・パウエルが手掛けた。ジャケットカバーはタイトルの『The Endless River』にふさわしい美しいイメージと、ピンクフロイドのもつスケールの大きさを兼ね備えている。
 パウエルはヒプノシスの共同設立者の二人(のちに三人)の内の一人であるが、もう一人の重要な人物ストーム・トーガソンは昨年亡くなった。ピンクフロイドのこの新譜は、2008年に亡くなったリック・ライト(ピンクフロイドのメンバーの一人)への追悼であるとともに、個人的にはトーガソンへの追悼としても思いたい。
 ヒプノシスの倉庫に保管されていた大量のフォトセッションや印刷見本などを一冊にまとめた『ヒプノシス・アーカイヴズ』(日本版:河出書房新社刊)がつい最近発売された。私自身も所有するレコード、CDにもヒプノシスによるデザインが多くある。ピンクフロイド、UFO、ウィッシュボーンアッシュ、レッド・ツェッペリンなど。なかでもヒプノシスといえば私だけなく多くの人がまず思い浮かべるのが、ピンクフロイドの『原子心母』であろうが、この本の中でパウエルが初期の頃のヒプノシスに対してのレコード会社の反応について、以下のように言っている。

・・・われわれは常にウケがよかったわけではない。レコード会社がどれほどヒプノシスを嫌っていたことか。「フロントジャケットは牛だけで、ピンクフロイドの名前が出てないだって?これでどうやってレコードを売るんだ?」というのが典型的な反応だ。

 最終的には彼らの案が採用されたわけだが、レコード会社を説得するための実績の乏しさと業界の常識が障害となり、不採用もやむなしと考えるのが普通であろう。しかしこのジャケットは音楽とともに70年代の幕あけを飾るにふさわしい作品となった。何でも「最初」というのはそれだけで尊敬に値する。
 また当時のヒプノシスの仕事について、トーガソンが以下のように言っている。

・・・ポー(パウエルのこと)と私、そしてピーターはいろいろな実験で遊んだ。たとえば現像液をはねかけてみたり、質感を変えてみたり、ブロムオイル法でプリントしたり、ポラロイドを使ったり、手で着色したり、その他多くの効果を使ったりした。(中略)ポートレートらしからぬこと、平凡さを免れることならなんでもやった。ヒプノシスのポートレートを見直していく中で、我々はそれらを再考し、再評価する機会を持つことができた。(中略)これらのイメージは時を逆行させるような魔法を今も生み出している、と我々は思う。

 トーガソンが亡くなる前にアーカイヴズを整理している中での発言だと思うが、当時のアナログ的な実験や遊びが結果的に常識を超えたクリエイティブな力の源泉になっていたといえる。今ではデジタル的な手法が主流だが、過去を振り返ることの意義はこうした経過を知り、そして再評価し、現在に活かすことではないだろうか。
ピンクフロイドの『Wish You Were Here』のアートワークのデザインの経緯として、そのアナログのすごさをあらためて実感する記述がこの本にある。スイマーが砂漠の風景をかきわけて進むデザインがあるが、これは実際にアメリカのユマ砂漠で実際に撮影されたものだということが書かれている。砂漠で彼らの乗り物が砂に埋まって進まなくなったときにバギー・ライダーたちが救助に来てくれたという逸話も書かれているが、このシーンのアートワークを知っている人は、当時はこれが合成か否か半々くらいの認識ではないだろうか。しかし現在はじめて見る人はほぼ100%合成でデジタル処理したものだと思うだろう。CDのカバーにこれほどの労力をかけはしないだろうと考えるのが普通だ。しかしレコードジャケットの約30㎝角に広がる世界は音楽をはなれて独自の世界観をかもしだす。いわゆる「ジャケ買い」をするという行為も納得できるのだ。このアートワークの魅力は、非常識と思わせるものの中にリアリティがあり、またリアリティのなかに幻想がある、ということがいえないだろうか。
 またこの『アーカイヴズ』のなかで、興味深い製作過程の紹介があった。スコーピオンズの『Blackout』について書かれたものである。最終版は彼らによるものではなく、ヘルンヴァインの「絵画」作品であるが、なぜ自分たちの案が却下されたのかということについて、彼ら自身が冷静に分析している。つまり努力して作って、しかも面白いものができたが、結局リアリティに欠け、それがスコーピオンズのイメージとかけ離れていたのではないか、ということが文面から解釈できる。ヘルンヴァインの作品は「絵画」であるが、その「スーパーリアリズム」はリアリズムを超えたリアリティを出している。スコーピオンズのドイツ的なハードコアが、ヘルンヴァインのスーパーリアリズムとマッチした作品となった。ヒプノシスの案は現実の素材を使い、撮影したリアリズムであるにもかかわらずリアリティがなく、ヘルンヴァインは「絵画」であるのにリアリティがあるという、皮肉だが教示的な結果となった。しかしいずれも現実の世界で生み出された手ごたえのあるものには変わらない。

私は先述したトーガソンの言葉が忘れられない。
「・・・平凡さを免れることならなんでもやった。・・・我々はそれらを再考し、再評価する機会を持つことができた。・・・これらのイメージは時を逆行させるような魔法を今も生み出している、と我々は思う」。
 私が建築のデザインにおいて、いろんな理由からややもすればあきらめもしょうがないと思うことも多いが、やはりひとつひとつ手ごたえがあり、実感をもてる仕事の仕方をしなければならないと、この『アーカイヴズ』からあらためて教わったような気がする。

2014.10.28

TEXT 「ディテールと身体表象」-2

 死後も「生き続ける」建築家はそう多くはない。ましてや百年経ても尚建設途中のものなどあまり知らない。
「アントニオ・ガウディ」という名から連想するイメージは人によって様々である。建築デザインに携わる者の中でも「受け入れられない」「大嫌いだ」などと言う者も少なくない。
 私は大学時代、入江正之先生の研究室でスペイン近代建築を学んだ。19世紀末のモデルニスモの時代の多くの建築家たちは、スペイン、カタロニアという土着性と鉄・ガラス・コンクリートに代表される新素材・技術との融合を模索し、世界にも発信しようと努力した。ガウディも例外ではないが、ガウディはとりわけ世界的にも、そのデザインの(悪く言えば)奇抜さが際立ち、曲解され、それがまだ現在でも尾を引いていないともいえない。

 私が十年くらい前か、バルセロナを訪れた際に受けた印象はまず、ガウディの建築は何の違和感もなく街並みになじんでいるということである。それは、例えばパリにおけるポンピドゥー・センターとは「なじむ」という意味が異なる。ガウディの建築はバルセロナ、カタロニアそのものであり、地中からあるべき姿として掘り起こされたもののような感覚である。ガウディと同時代の建築家ルイス・ドメーネック設計の『サン・パヴロ病院』の夢のようなデザインを背に、ガウディ通りに歩を進めると、次第に視線が上に上がってくる。『サグラダ・ファミリア大聖堂』が迫ってくるのだ。それは都市計画のなかで重要な位置を占め、人々が自由に立ち入ることができる身近で神聖な場所となっている。
 私が抱くガウディの建築に対する感覚、「地中からあるべき姿として掘り起こされたもの」はどこから芽生えるのか。それは一つに、ガウディは「発見者」である、という認識である。

 以下に入江正之先生の著書『ガウディの言葉』(彰国社刊)から、ガウディの「発見者」としての解釈と創造に対するガウディの言葉を引用する。

 ガウディは地中海人の形態認識と視覚の卓越性について繰り返し語っている。「地中海においてはさまざまな事物の具象のヴィジョンが課せられる。このヴィジョンの中に真の芸術がやすらっている。私たちの造形力は感情と論理の均衡である」。曲線はカタロニアの「大地が偶然に作り出す形態」であったように、地中海人は節度ある光を通して、「具象のヴィジョン」を課せられるのである。ガウディが創造について、「創造は人間を通して絶え間なく働きかける。しかし、人間は創造しない。発見する」と述べているが、これらの言葉の中に共通する理解は、この「発見」に深くかかわっている。ガウディが創出する作品の外形を限定する曲線や源泉を、単純な模倣という意味において外的な対象としての自然の諸形象に結びつけることは他愛のないことである。彼は「創造」するのではなく、ましてや模倣するのではなく、「発見」するのである。この形態を、不可視のフォルムに根付けられた具象のヴィジョンを「発見する」ために、苦痛の感覚に裏付けられた感受性についての言葉のようなガウディ自身の創作の姿勢を貫く言葉が重く横たわっていると考えなくてはならない。
 ガウディの作品を形どる曲線や曲面について、ガウディの建築図面やオリジナル・スケッチから、またガウディの創造の言葉や創作の姿勢を貫く靴の感覚の言及からその源泉をたどってきた訳であるが、ガウディの外側の目に見える形態は力強く訴えかけるが、それらの奥にある目に見えない不可視のフォルムにこそ着目しなければならない。(入江正之編著『ガウディの言葉』彰国社刊より)

 私たちは建築のデザインを、創造する行為と思いがちであるし、あるいは創造もまた「模倣」からくるものであるということも考えることが多い。しかしデザイン過程において、「発見」という意識を持つことはあまりない。少なくとも私にはそのような境地に立てない。建築は、そこに存在することで、その土地の空間性を変える働きがある。私がガウディに抱く「地中からあるべき姿として掘り起こされたもの」という感覚を、設計過程の思考の傍らに常におきたいと考えている。

2014.5.31

TEXT 「ディテールと身体表象」-1

 それが自己の内面にしっかりと備わっているはずだと錯覚し、そしてそれが活かされないものに不満を抱く。「それ」とは「ディテール」である。建築生成の過程で、ディテールが占める重要性は多くの専門家は認識ている。しかし現実の実務ではそれが全く発揮されていないことに常に力不足を感じる。
 
 私は大学時代を80年代後半に過ごしたが、その時代背景としては様々な分野でそれまでのモダニズムの概念から発展したポストモダン、あるいはデ・コンストラクションの概念が登場してきた時代でもあった。それらの概念は建築界においては思想の世界から遅れて、表現的な、あるいは表面的、表層的に、いわば手法として都合のいいメソッドとして使われた感がある。世界を席巻した刺激的なプロジェクトや作品、それらを模倣したものが多く出回った時代でもあった。
 そんな時代背景のなかで、当時私が在籍した研究室の先生に大きな影響を受けた。そしてその先生の「教え」は、その後の私の建築設計の基本的な考え方の一つになっている。その先生は日本を代表する建築家の一人で、ガウディ研究の第一人者でもある入江正之先生である。そして先生の師が巨匠池原義郎先生である。私は池原先生に直接お目にかかる機会はなかったが、池原先生の思想は入江先生を経由して学ぶことができたと考えている。それは、「思想的」というより私の感覚では「身体的」といって言いものであり、その「身体的」という感覚の基となっているものは、私を含めた学生に対する先生の接し方、あるいは先生の設計態度といっていいものだ。当時を振り返ると、先生の日常は、まず研究室の学生の誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰宅する、しかも実践としての「設計」と研究・理論としての「論文」を両立させ、双方を互いに刺激し合いながら高めていく、そんなハードで地道な日常であった。そのようなハードな日常の中で、私たち学生は、先生から直接言葉で指導を受けるとともに、先生がまさにドラフトに向かう姿勢のオーラや息遣いが、研究室という一つの空間内で「身体感覚」として私たちの内部に浸み込んでくる。
 先生のそのような設計態度は、それまで池原先生のもとで学ばれた設計態度そのものであろうことは推測できる。先生のバイタリティは、怠け癖がついた私を含めた学生たちを鼓舞し、建築に向かう姿勢を「身体経験」として教えてくれた。
 いまも先生の作品が発表されるたびにその変わらぬ設計概念とぶれない態度の一貫性に改めて頭が下がる。
 
その入江先生から、私が学生時代に学んだ一番大きなものは、ディテールの考え方である。先生のディテールの思想は、先生の師である池原義郎先生の言葉からも読みとることができる。

 以下に少し長めの文章を引用する。(彰国社刊『池原義郎のディテール』 巻頭の池原先生自身の言葉『ディテールは全体の形へ包摂されて見えないもの』より)

(ガウディの作品を訪れ、その時受けた池原先生の印象)
「建築を組み立てる概念、仕組、方法そのものへの追究には天才ともいえる能力をもちながら、そのものを表面に主張するのではなく、人の心に温かく呼応するために、建築がもつものへの“願い”の中に要素を総合化し、内部の生活を包み込む柔らかさに温もりのようなものをもたせるために表皮に形とディテールを必然させるのを見ることができた。私が形やディテールを思うとき、このベリュスガルドで受けた印象が脳裏から離れない。
 私は、建築設計において、ディテールは全体の形の内側に潜在化され、現寸で処理しなければならないものと考えている。建築の形は直接に見ることができ、視覚によって直接理解することができる。そして、その形はディテールに内在している。ディテールは、形の単なる部分ではない。形は視覚により見ることができるが、ディテールは、視覚の中で直接に認知されない、形の内に秘められたものである。
 たとえば、直線は幾何学の概念では、2点を最短距離で結ぶものであり、2点間はただ一つしか存在しない。しかし、造形感覚の世界では、2点間を結ぶ直線はただ一つではない。2点間を結ぶ直線には、硬い直線、柔らかい直線、ゆるい直線というように多数ある。視覚的には、直線と認知されるものの中で、柔らかい直線とは、幾何学的には、かすかに曲がる曲線である。曲率が視覚では認知されないほどの小さい曲線である。しかし、これは、感覚的視覚の中の形では直線であって、柔らかさがひそんでいる直線である。この視覚では見えない微小な撓みは、私のディテールの基本的な概念を説明するものである。和風建築において、柱の面の取り方、“ちり”の扱いなどに、設計者は細心の神経を使うが、そのものは、全体の形・空間の中に内在していて、そのものの存在は、視覚的にはほとんど捉えられないものである。しかし“面” “ちり”は、建築の空間や全体の形の感性と精神を視覚化する役割を演じる。』

 以上の文章には池原先生と入江先生のディテールに対する思想がはっきりと明示されている。特に「直線は幾何学の概念では、2点を最短距離で結ぶものであり、2点間はただ一つしか存在しない。しかし、造形感覚の世界では、2点間を結ぶ直線はただ一つではない。2点間を結ぶ直線には、硬い直線、柔らかい直線、ゆるい直線というように多数ある。」という部分は、実際に建築設計に携わる人間でないと、実感として理解することはできないだろう。しかもここ20数年におけるCADによる設計・作図では、直線は「2点間の最短距離」であり、たとえゆるい曲率だとしても、最終的は閉じることになる円環の一部である。先生の「ゆるい曲線」とは閉じない曲率である。その感覚は、私はドラフトに向かう「姿勢」から生まれるものだと考えている。いわば身体表現によって生み出されるもの、一種のスポーツのような態度に近いのではないかと考えている。飛躍しすぎかもしれないし、また時代遅れともいわれかねないが、私自身はいまでもそう考える。ではそれがCADによる表現で不可能なのかというと、そうとは言えないが、CADに変換する以前の段階でやはりそういった身体表現が必然であると考えている。池原先生の上述の文で和風建築の“ちり” “面”が取り上げられているが、私たち日本人にとって、「理屈は分からないが何となく美しい」と感じることができる「和」のデザインは、そこに秘められたディテールにあることを私たち設計に携わる者は忘れてはいけないと考える。

2014.5.1

TEXT 「木」の硬軟

 この数十年で建築材料として無垢の木を使うことが次第に少なくなった。木造の構造材は、昔はその部位 ―例えば土台、柱、梁など- で使用する樹種が異なっていたが、いまは同じものを使っていることが多いだけでなく、本木ではあっても集成材が使われることが多いし、輸入材も増えているのが現状である。それはたとえ林業の盛んなまちでも例外ではない。
 いまここで書くことは、木の使われ方の推移についてではなく、建築ではあまり耳慣れないある樹種についてである。「白檀(びゃくだん)」という木がある。私が所有する木材辞典から引用すると、『樹名:ビャクダン 分類:ビャクダン科 ・・・硬さ状況:超硬質 腐食耐久性:良 原木は輸入禁止 白檀はインドの葬儀には欠かせない香木です。インドビャクダンは少し黄色を帯びた灰白色をしていて使いこむと黒ずんできます。インドネシアに入ると木も太くなり、木目が荒く黄色が強くなってきます。自生地の東端はティモール島です。日本では囲炉裏框に使い、茶室の炉には最高の框材とされます。仏像彫刻も有名。』などと記述されているように、硬さと香りが特徴である。木造の家なのに木の匂いがしないのは、いまでは普通であるが、和室をつくる機会があったときなどは何か懐かしい匂いがする。それは畳のい草からくるものがほとんどだが、床の間で本木を使うとその香りも加わる。例えば床柱として「紫檀(シタン)」などは最高級品だが、これも白檀の仲間である。黒檀や花梨などとともに「唐木」というくくりをされることもあり、美しい色や艶の特徴を活かした家具や楽器が作られる。仏像でも白檀が使われるが、それは香りとともに腐食耐久性が良いことからであることは明白である(硬質であるため、彫刻は難儀するらしい)。原産地がインド~インドネシアのアジアであるということから仏教国で仏像にこの木が使われることは納得できる。またアジア原産ということから、中国の古典と、そして現代文学の世界でもそれぞれ白檀について書かれたものをみとめることができる。

 ひとつは誰もが知っている『西遊記』、そしてもうひとつは莫言の『白檀の刑』である。
『西遊記』では、悟空と八戒の会話で白檀の硬さについて他の木と比較する形で記述されている。

「おぬしはガキの時分から山のなかで人を食っていたから、木材に二種類あることぐらいは知ってるだろ?」「知らねえな。どんな木材だ?」「ひとつは楊木(やなぎ)、ひとつは檀木(びゃくだん)だ。やなぎは、その性質はなはだ柔軟である。よって名匠がそれで聖像を彫り如来を刻む。それに金箔を貼ったり白く塗ったり、玉(ぎょく)を嵌(は)めたり模様を描いたりすれば、万人が香をたいて礼拝し、はかり知れぬ幸福を手に入れている。いっぽうびゃくだんは、その性質はなはだ剛硬である。よって製油所がそれで油しぼり用のくさびをつくる。そして鉄のたがでしめつけられたりするんだが、それもこれも、この木が剛強なるがゆえに、こんな苦しみを受けるのであるよ」「兄貴、いい話じゃないか。なんでもっと早く教えてくれなかったんだい?そうすりゃ、やつらにぶたれなくてすんだのにな」 (『西遊記』岩波文庫版より)

 以上は八戒が山からおりる際、二人の女の妖怪に会い、八戒が彼女らに「妖怪」と声をかけたことに女怪たちが怒り、八戒が頭を鉄秤棒で殴られたことを、悟空に話した時の二人の会話である。ここでは彫像についてはむしろ柳の方の記述であるが、人間性の硬軟を柳と白檀の硬さの比較でたとえているのがこの会話の眼目であることが興味深い。
 また現代文学では、やはり現代の中国の作家 莫言の『白檀の刑』という作品があるが、内容は「刑」ということから分かるように、処刑が中心として清朝末期の中国を舞台に書かれたものだ。刑そのものについては本書を読むと分かるのでここでは記述は避けるが、かなり残酷なものである。硬い木が使われる理由がここでは納得できると思う。直接刑とは関係ない箇所で、以下に白檀のことが書かれている文節を引用する。

『母屋に入ると、北京から運ばせた竜の彫り物のある金糸模様の白檀の太師(タイシー)椅子[肘掛けつきの直立型椅子]に端座している舅が、目を閉じて躰を休めているのが目に入りました。両手で白檀の数珠を握り、口ではぶつぶつ言っていますが、お経を唱えているのやら、誰ぞを罵ってござるのやら。』(莫言 『白檀の刑』 中央公論新社刊 吉田富夫訳より)

この一節では椅子や数珠に白檀が使われていることが書かれていて、中国では昔から馴染み深い木の材料だったのではないかと推測できる。
 いずれにしても木は建築だけではなく様々なものに使われる。木は生き物であり、硬軟だけでも人間性にたとえることもある。身近に本木が少なくなる中、改めて木の魅力をみつめてみたい。 

2014.4.29

ニュース 「WORK – Representation 10,11」

2014年の2月と3月にそれぞれ竣工した札幌近郊の住宅「T邸」と「恵庭高齢者住宅」の2件の竣工写真をWORK-Representation 10,11として掲載しましたのでお知らせします。

2014.2.8

ニュース 2014/02/08

 昨年秋に着工した札幌近郊の市内の住宅が先日完了し、今月中に引渡しとなりました。冬季の工事ということもあり、雪と寒さで職人は苦労しましたが、おかげさまで高い品質のものになりました。オーナー様の高いセンスに応え、外観、内観とも白と黒を基調としたデザイン、コンパクトなプランでありながら広さを感じる構成と収納率の高さなど、随所に工夫とディテールが施されています。近々写真を掲載します。 オーナー様には大変感謝するとともに今後の生活を豊かなものになるよう祈っております。ありがとうございました。

2014.1.7

TEXT  新しい都市像

ここに都市に関する二つの主張がある。一つは都市の概念について、もう一つは都市計画の主体についてである。
前者の都市の概念についてのポイントは二つある。
一つは『各個人の居住とか、工場の生産とか、そういう各単位の積み重ねの総和が、たまたま異常に厖大になったというような、いわば帰納的な都市』、もう一つは『新しい都市概念からの演繹的都市』である。そしてこの二つの都市の概念をどのように弁証法的に捉えるかが重要だと説いている。
一方、後者の都市計画の主体について。
『建築家の責任はどこにあるか。実際の形あるものを作り上げること、国民の生活の最終の形態を作り上げることにある。建築というのはどうみたって生産財でもないし流通財でもない。消費以外の何ものでもない。だから最終的には市民の側に立つべきである。しかし実際には市民側から都市に対する発言はほとんどなされていない。市民はバラバラになって皮膚感覚というか、本当に刹那的な感覚によって動かされている。現在の都市計画を進めていっている一番大きなモメントは何と言っても経済界の要請だ。実際には建築家の責任は市民の、国民の生活をよくしていってやらなければならないということだ。しかしそういったって現実的な力がない。そこで市民の間に都市への夢を盛り上げることを願いながらやむを得ず建築家たちがいろいろなイメージを描き出しているというのが現状だ』。

上述いずれも1961年1月1日の日付で『新しい都市像を求めて』と題された座談会(新潮社刊『安部公房全集〈15〉』より)で発言されたもので、出席者は安部公房、川添登、菊竹清訓、田辺員人、丹下健三の五人。都市の概念については安部公房、もう一つの都市計画の主体については川添登のものである。
安部公房の「都市概念」は、都市の生成を始まりと終わり、部分と全体の演繹と帰納の関係で捉えている。都市の「理想」と「現実」の二面性を挙げている。身近な例に引きよせて考えると、いま我々が属するこの都市は、都市計画区域内で定められた用途の制限がある。住宅地、商業地、工業地、さらにそれら各々を細分化した中で細かく制限がされているが、「それらは現状がそうだから、住宅がたくさんあるから住宅地に」といった発想、ではなくたてまえは都市の将来像から決めた区画における制限である。実際はその制限内でも様々な用途が混在するわけで、例えば住宅地にも店舗や事務所も存在する。商業地にも一軒家の建築は可能だ。前述した「理想と現実」という意味は、「将来の理想はこうだが、いま現実はこうである」といった感覚でいつまでたっても描いた理想に到達しないということを含む。これは上述の座談会の時代から半世紀以上経てもいえることである。どの時代も都市の中にいてなにかしっくりこない、違和感を覚える。安部公房はこの感覚をおそらく肌で感じていたのではないだろうか。彼の独特のアングルと視点で撮影した写真作品がそれを語っているように思える。
一方川添登の主張は建築家の立場の根本を思惟するに値する重要な指摘だ。彼は都市計画のモメントが経済界からの要請であることと、建築家がすべき仕事、役割を指摘しつつも限界とジレンマを示唆している。都市に点在する建物、小さな住宅一軒一軒にも顔があり、その都市のファサードを形成する。建築家はそういった視点で都市に対する責任をもち仕事にあたることが大切であることはいうまでもないだろう。