2014.2.8

ニュース 2014/02/08

 昨年秋に着工した札幌近郊の市内の住宅が先日完了し、今月中に引渡しとなりました。冬季の工事ということもあり、雪と寒さで職人は苦労しましたが、おかげさまで高い品質のものになりました。オーナー様の高いセンスに応え、外観、内観とも白と黒を基調としたデザイン、コンパクトなプランでありながら広さを感じる構成と収納率の高さなど、随所に工夫とディテールが施されています。近々写真を掲載します。 オーナー様には大変感謝するとともに今後の生活を豊かなものになるよう祈っております。ありがとうございました。

2014.1.7

TEXT  新しい都市像

ここに都市に関する二つの主張がある。一つは都市の概念について、もう一つは都市計画の主体についてである。
前者の都市の概念についてのポイントは二つある。
一つは『各個人の居住とか、工場の生産とか、そういう各単位の積み重ねの総和が、たまたま異常に厖大になったというような、いわば帰納的な都市』、もう一つは『新しい都市概念からの演繹的都市』である。そしてこの二つの都市の概念をどのように弁証法的に捉えるかが重要だと説いている。
一方、後者の都市計画の主体について。
『建築家の責任はどこにあるか。実際の形あるものを作り上げること、国民の生活の最終の形態を作り上げることにある。建築というのはどうみたって生産財でもないし流通財でもない。消費以外の何ものでもない。だから最終的には市民の側に立つべきである。しかし実際には市民側から都市に対する発言はほとんどなされていない。市民はバラバラになって皮膚感覚というか、本当に刹那的な感覚によって動かされている。現在の都市計画を進めていっている一番大きなモメントは何と言っても経済界の要請だ。実際には建築家の責任は市民の、国民の生活をよくしていってやらなければならないということだ。しかしそういったって現実的な力がない。そこで市民の間に都市への夢を盛り上げることを願いながらやむを得ず建築家たちがいろいろなイメージを描き出しているというのが現状だ』。

上述いずれも1961年1月1日の日付で『新しい都市像を求めて』と題された座談会(新潮社刊『安部公房全集〈15〉』より)で発言されたもので、出席者は安部公房、川添登、菊竹清訓、田辺員人、丹下健三の五人。都市の概念については安部公房、もう一つの都市計画の主体については川添登のものである。
安部公房の「都市概念」は、都市の生成を始まりと終わり、部分と全体の演繹と帰納の関係で捉えている。都市の「理想」と「現実」の二面性を挙げている。身近な例に引きよせて考えると、いま我々が属するこの都市は、都市計画区域内で定められた用途の制限がある。住宅地、商業地、工業地、さらにそれら各々を細分化した中で細かく制限がされているが、「それらは現状がそうだから、住宅がたくさんあるから住宅地に」といった発想、ではなくたてまえは都市の将来像から決めた区画における制限である。実際はその制限内でも様々な用途が混在するわけで、例えば住宅地にも店舗や事務所も存在する。商業地にも一軒家の建築は可能だ。前述した「理想と現実」という意味は、「将来の理想はこうだが、いま現実はこうである」といった感覚でいつまでたっても描いた理想に到達しないということを含む。これは上述の座談会の時代から半世紀以上経てもいえることである。どの時代も都市の中にいてなにかしっくりこない、違和感を覚える。安部公房はこの感覚をおそらく肌で感じていたのではないだろうか。彼の独特のアングルと視点で撮影した写真作品がそれを語っているように思える。
一方川添登の主張は建築家の立場の根本を思惟するに値する重要な指摘だ。彼は都市計画のモメントが経済界からの要請であることと、建築家がすべき仕事、役割を指摘しつつも限界とジレンマを示唆している。都市に点在する建物、小さな住宅一軒一軒にも顔があり、その都市のファサードを形成する。建築家はそういった視点で都市に対する責任をもち仕事にあたることが大切であることはいうまでもないだろう。

2013.12.3

TEXT 「建築は対象関係論である」-5

『僕は今日大きな願望を抱いた。書くことによって僕の不安な状態を完全に僕の外へ引き出し、それが深みから生まれ来るように、紙の深みに書き込みたい、あるいは、書かれたものを丸ごと僕の中に取り込めるように、それを書き記したい、という願望を』(カフカ 1911年12月8日、日記)

M.ブランショによるカフカ論集『カフカからカフカへ』(書肆心水刊)が最近発行され、それに伴い改めて『カフカ全集』(新潮社版)を通読した。この全集はM.ブロート編集版で、ブロートに対するこれまでの文献上の批判の多さ以上に貢献が大きい。彼がカフカとの約束を破らなければ文学史の大きな損失となっていたことだろう。彼の行為自体(編纂と出版)がひとつの創作行為といえるのではないだろうか。M.ブロートは、集英社版『世界文学大事典』によると『ユダヤ系のドイツ語作家。プラハに生まれ育ち、この街の文学的雰囲気にひたりながら分筆活動にいそしみ、文明批評的な小説や論文を数々ものしたが、亜流的な凡庸さが印象を希薄にしているのは否みがたい。ただ生涯の友人だったカフカのために終始献身的に尽力し、その死後、遺志に逆らってまで残された彼の作品を編纂刊行したことによって、たとえ編纂方法に文献批判上の難点があるにせよ、20世紀文学に無比の貢献を果たし得た。(川村二郎)』と簡単に記されているが、彼はカフカの友人である以前に作家であり、カフカとの共著として『『リヒァルトとザームエル』の第一章に寄せて』(『カフカ全集』〈1〉という作品も残している。

ブロートはカフカをいわば第一ヴァイオリンとした第二ヴァイオリンと考えられないか。第一と第二は主に対する従の関係ではなく、同位あるいは第二こそ「全体」にとって重要な役割を果たすということもいえる。他の例でいうとマルクス-エンゲルス、フロイト-ユング、ドゥルーズ-ガタリの関係があてはまる。特にガタリは大抵ドゥルーズとセットでとりあげられることが多いが、『アンチ・オイディプス』は、二人の評伝や草稿などを読むと機械論など主要なキーワードの多くはガタリによるものが多い(『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』河出書房新社刊、『アンチ・オイディプス草稿』みすず書房刊より)。二者の関係は主従関係を越えたものと考える。これらの例と同じようにカフカ-ブロートの関係を捉えることもできると考える。しかしドゥルーズ-ガタリは共に生前も死後も生き続けたが、ブロートは生前に生き、カフカは死後再生した。つまりブロートの行為がなければカフカはブロートと同じくらいのプロフィールの記述で済まされただけで、死後「生き」続けことはなかったのではないだろうか。
一般的に二者の関係ではどちらかを主でどちらかを従としたがる傾向があるように思われる。また二者間ではなく、三者あるいは多数間では、それがピラミッドを形成する。モノが生れ世に現れるまでの過程では、モノが複雑であればあるほど中心となる関係がいくつも存在するが、大事なことは各々の小関係の中で能力を互いに最高に発揮し、更に他の関係との止揚をはかることであることは言うまでもないだろう。そこで初めて「生きたモノ」となるはずだ。
「本HPテキスト-2」でカフカの言葉(日記)を取り上げたように、カフカのエクリチュールに対する拘泥は、日曜作家か職業作家かによらず、その人物の中の生きることの一つの必然と結びついているかどうか、ということにつながるのではなか。

2013.10.31

TEXT 「フォークナーとの対話」-5

「時代は繰り返す」とか「いつの時代も変わらない」などといわれる。
フォークナーの短編に『クマツヅラの匂い』という作品がある。短篇とはいえ広がりを感じるのはそれがサートリス家の一挿話だからだろうか。『フォークナー短篇集』(新潮文庫刊、龍口直太郎訳)の解説で訳者が書いているように、「父親ジョン・サートリス大佐の復讐を息子のベイヤードがどのように考えるか」ということがこの作品の眼目だが、19世紀のアメリカ南部では当然「眼には眼を」が正義であることころをベイヤードはそうは考えなかった。父親の若い妻ドルーシラは息子にその「南部の正義」を期待していたが、ベイヤードはそれに応えることはなかった。それはフォークナー自身の考えであるのか、「耐え忍び、一見卑怯者と思われる道を選ぶのが真の勇気」(解説より抜粋)というのが新しい時代の正義と考えるのか。
ベイヤードとドルーシラの会話で、その時代の「夢」についてドルーシラが語る場面がある。

「夢なんて身近かにもってると、あんまり安全なもんじゃないわね、ベイヤードさん。あたしよく知ってるわ。あたしにも、昔は夢があったんですもの。夢なんて、毛筋の引金がついた、弾丸をこめたピストルみたいなもんね。いつまでも消えない夢だったら、そのおかげでだれかがきっと怪我をするわ。だけど、それがいい夢だったら、そりゃあ、それだけの値打があるのよ。この世の中には、夢ってものはあんまりたくさんはないけど、人間の生命の数は多いわね。そして、一人の人間の生命も、二ダースの人間の生命も・・・」

ドルーシラは夫ジョンもかつては夢があったことをベイヤードに語るが、それが結局は身を滅ぼす結果となったことから『夢なんて・・・、だれかがきっと怪我をする・・・』などと実感を込めて話す。
一方ベイヤードは、ドルーシラの話をどう受け止めたか、結局新しい時代、つまり父親の次の世代のいわば衰退した、夢のない時代に、「眼には眼を」の正義は通用しない、あるいはその「気力」がない、という態度をとることになる。
このようなベイヤードの態度は先述したように当時では「一見卑怯者」ととられがちだが、現代の視点に立つと、「南部の正義」は実は20世紀も、今世紀も世界各地で起きているのが分かる。ベイヤードの立場は「赦し」とはニュアンスが違うかもしれないが、少なくとも具体的な力の行動には出ない。だからといって言葉によって解決する術も身につけていなかったが、もしこの時代にフォークナーが現代に通じるような「交渉術」的なものを書いたとしたら、それは受け入れられなかっただろう。その時代の枠組みというものがあるからだ。しかし現代から過去に遡って、粘り強い交渉と赦しで時代を拓いた人物は多くいる。
現代は「夢なんて身近にもってると、安全ではない」時代ではない。が、「夢をもてない」ではなく「もたない」現象もあるように思う。それは今の時代に限ったことではないが、ドルーシラの言葉は、19世紀の南部の小さな町での一人の人物の会話として、フィクションとはいえ現代社会の一つの一断面を表象し、またベイヤードの態度も不幸な社会の一つの救いの道のヒントとなるような感覚を覚える。

2013.9.28

TEXT 「建築は対象関係論である」-4

建築における「脱構築」との最初の出会いは、80年代中ごろバーナード・チュミの「ラ・ヴィレット公園(コンペ案のドローイング)」であったように記憶する。彼と同時代で今では巨匠といわれるダニエル・リベスキンド、ザハ・ハディド、あるいはそれより少し前から活躍していたアイゼンマンやゲーリィなどは当時いわゆるデ・コンストラクションの建築家と呼ばれた。まだ若い学生の感性を刺激するには充分な存在であった彼らのドローイングを含め新しい表現は、それが実現可能か、あるいは実作かによらず視覚に強く訴えかけ、建築としてよりはむしろアート感覚で素直な感動を呼び起こすという点で、ある意味で分かりやすさもあったといえる。一方で彼らのテクストは難解で、それらが彼ら自身の建築の具体性とどう関係するのかしないのか当時は理解できなかった。しかしあれから10年、20年と経てあらためて彼らのテクストを読み返してみて、例えば「A+U」のチュミの特集号の文章はある程度理解できても、その後90年代に入ってから出版された『建築と断絶』(鹿島出版会刊)、あるいは同じく「A+U」のリベスキンドのユダヤ博物館の特集の巻のテクストなどはやはりそれをはっきりと理解できたというにはどれだけの知識が必要か計りしれない。リベスキンドは今世紀に入ってから出版されたドキュメントタッチというか自伝的といっていいか『ブレイキング・グラウンド』(筑摩書房刊)という書物があるが、これは論理の展開ではないせいか分かりやすい(内容は彼の一方的な立場で書かれたものであるため、本に登場する他の建築家の思想や行動については別の見方ができるだろうことは想像できる)。ともかく彼らの言説は建築の優れた表象とは切り離されて考えられなければ、テクストの難解さも建築と同じレベルで評価してしまう危険性を孕む。

ヴィトゲンシュタインの『哲学的考察』に以下のような文章がある。
何故哲学がかくも複雑で錯綜しているのか。哲学は完全に単純でなければならないはずなのに、哲学は愚かにも我々が巻き込まれた思考のもつれを解きほぐすのであるが、しかしこのためにはそのもつれと同じだけの複雑で錯綜した運動を行わねばならない。従って哲学の結果が単純であるにせよ、結果に至る方法は単純ではありえない。哲学が複雑で錯綜しているのは、その素材が複雑で錯綜しているからではなく、我々のもつれてしまった悟性が複雑で錯綜しているからである(『ヴィトゲンシュタイン全集〈2〉』より)。

この文自体が難しいということもあるかもしれないが、ヴィトゲンシュタインの主張は「建築」というかたちでも体現されている。20世紀初頭、姉の住宅の設計においてヴィトゲンシュタインは非常な関心を示し、実際に設計した建築家パウル・エンゲルマンの言葉によれば「私は、完成した家を、私のではなく彼の仕事であるとみなします」と言わせるほど深い関わりを持った。エンゲルマンはアドルフ・ロースの弟子であり、完成した家もロースの影響を感じないこともないが、その装飾を除した幾何学的で厳格な構成は、他の同時代の例でいうとテラーニの『カサ・デル・ファッショ』を思い起こさせる。かなり前に雑誌SDの連載(確か海外建築リミックスだったと思うが)で、この「ヴィトゲンシュタインの家」について、記憶違いがもしれないが「透明性」的な言葉をキーワードに評していた。これはロウの「Transparency透明性」のことではなく、あえて言えば「障害がない」とでもいうか、思考の過程で余計な障害を生じさせない操作とでも言った方が正しいだろうか。例えば、窓という建築要素はその部屋の性格によって大きさや開き勝手、あるいは位置などが決まるか、外観のバランスから決めたりすることがあるが、ヴィトゲンシュタインの家では、例えば一般の窓と外に出るいわゆるはきだし窓が基本的に同じデザインであったり、内部のドアも部屋の性格とは関係なく、壁の比率から基本の寸法が決まり、ほとんどが同じサイズになっている。それは人間工学的寸法を無視したものもあり、ドアの高さが人の背の倍くらいのものになっている。要するに雑誌SDの評では、例えば外から中へ移動する際に、ドアの形、サイズなどが同じであることから、そこに「ドア」という概念に余計な思考を介在させないこと、それがこの家では最も重要なことであったのではないか、いうことである。さらにそれはヴィトゲンシュタインの生い立ち、家族関係などの「不幸」を原因に挙げて論じていた。つまり余計な思考の介在はさらに「不幸」をもたらすというのだ。
ヴィトゲンシュタインの生い立ち等はともかく、ヴィトゲンシュタインの「哲学の複雑さ」から特に現代社会の思考過程の単純さと表象の複雑さは、最初に述べた30年近く前の「脱構築」建築とテクストを思い起こさせる。しかし建築は進化し、現代はその思考過程は「複雑」というより、より科学的で複合的になり、むしろ表現されたものはシンプルなものが目を惹くようになったように思う。しかしシンプル一方では、より多様になった現代の思考をうまく体現していないようにも思える。

※参考:『ヴィトゲンシュタインの建築』(青土社刊、B.レイトナー著、磯崎新訳)

2013.8.28

TEXT 「フォークナーとの対話」-4

『八月の光』(新潮社刊、加島祥造訳)
この物語の中心人物クリスマスは、彼が働く製材所に突然あらわれ働き出したブラウンと、中年女性のミス・バーデンの家の小屋に一緒に住むことになる。ある日の眠れないクリスマスの回想の中の情景描写。

「八月の草は股の高さほどだった。草や茎の上には、このひと月に通った馬車の埃が積っていた。道路は彼の前にのびていた。それは樹々や大地の暗さよりやや薄白かった。その一つの方向に町があった。反対方向への道路は丘をのぼってゆく。しばらくすると丘のむこうから光(ライト)が生れ、丘を浮きださせた。やがて彼は自動車の音を聞くことができた。彼は動かなかった。裸のまま尻に両手をあて、股まである埃っぽい雑草の中に立っていて、その間に自動車は丘を越えて近づいてきて前照燈(ライト)をまともに彼へ向けた。彼は自分の裸身が闇の中で、まるで現像液からフィルムの像が出てくるように白く浮きだすのを見まもった」。

 この一節に小説のタイトルの「八月」という具体的な日付と「光(ライト)」という語が登場する。この小説の主題は何か、ということが様々なテクストで論じられてきた。一般的には「クリスマス=キリスト」説が人気(訳者の解説による)のようだが、フォークナー自身は「リーナ・グローヴの物語」と答えている。しかし一方でフォークナーはクリスマスの「自分が何者か分からぬ悲劇的な運命」について語っているように、私はやはりこの物語は出自が不明で生後自分を疑い続けてきた者の不安を描いたものだと感じる。引用したクリスマスの回想の情景は、この物語全体を覆う不安定な人間心理を、光と影のコントラストになぞらえ描写され、単なるクリスマス個人の回想としてではなく、最も印象に残る情景として胸に刻み込まれる。このように文中の一節が物語全体を象徴する情景として描かれていると感じる他の作品が、『野性の棕櫚』である。

「・・・いまや部屋の中は平静をとりもどし、激しい怒りは消え去っていたからである。いまやウィルボーンには、台所のストーヴを前にした灰色の妻がたてる物音が聞こえ、またしても、笑いだしそうな、あざけるような、絶え間ない、無愛想な黒い風の音が聞こえたが、彼にはそれにまじって、棕櫚のぶつかり合う荒々しい、乾いたような音まで聞こえたような気がした。・・・」『野性の棕櫚』(冨山房刊、井上謙治訳)

 棕櫚(ヤシの木)の乾いた音が、効果的に二人の主人公の行く末を暗示している描写である。

『八月の光』では、「クリスマス」という名について、製材所の人間たちが交わす会話に興味深い一節がある。
バイロンの思考

「やつの名は何だって?」ひとりが言った。
「クリスマス」
「外国人なのか?」
「白人でクリスマスなんて名のついたの、聞いたことあるか?」と職工長は言った。
「まずそんな名前の人間は聞いたことねえなあ」と別の者が言った。
 このときはじめてバイロンは自分がこう思いついたことを覚えている・・・名前というものはただ人間を区別するための記号にすぎないはずなのだが、場合によると名前が当人の未来の行動を暗示するものとなり、いつかは『やっぱりそうだった』と人々にうなずかれるようなことにもなるんだ・・・と。実際のところ、バイロンの目に映ったかぎりでは、皆はその名前を聞くまでこの見知らぬ男に特別の目を向けたりしなかった。ところがその名を聞くやいなや、まるでその名前の響きには彼らの想像を刺激するような何かがある、といった様子をみせた・・・この男はどこへゆくにもその逃れえぬ名前で恐ろしい警告を発する人間であって、いわば花なら匂い、ガラガラ蛇ならその尾の音と同じように、その名がこの男の本体を表す、と皆は直感したようなのだ。ただし誰もその警告の意味をはっきりとつかむ能力はなかった。・・・

 前述したようにクリスマスがこの物語の中心と考える他の理由がここにある。読後いつも心に残ることは「クリスマス」という名をもつ男の風貌と悲劇的な結末である。それはリーナ・グローヴの印象より強い。フォークナー自身が言うように「自分が何者か分からぬ者の悲劇」が、バイロンの言葉で、別のかたちで表現されているように考えられる。
 私たちは皆それぞれ名前をもっている。その名がその人物にふさわしいか否かに関わらず、何かその人物そのものをあらわしているような、その人物そのものであるような感覚を抱く。文中にあるようにそれは単なる「記号」ではなく、また「シニフィアン-シニフィエの関係」などでもなく、単に「名」というもののもつ現前とした力であると思う。

2013.8.1

TEXT 「WORK – Representation 8,9」

2013/06/30竣工「帯広の住宅」(7/1付ニュース)の竣工写真をWORK-Representation 8として掲載しました。同時にRepresentation 9としてFilm Work 2も掲載しましたのでお知らせします。

Disciplineの仕事は、実作他基本計画のみで監理していないもの、あるいは基本計画のまま中断したもの、また修士設計や映像作品(実験)なども含めてまとめていますが、それらWork(仕事)を「Representation」なる語を付けてまとめています。

Representationは一つの日本語に置き換えることができない語で、文脈に応じて「再現」「表象」「上演」などという語に使い分けられます。Representation=「Re(再)+presentation(現前)」(再現前)・・・再び現前する・・・すなわち「存在するものを別のものに表すこと」であり、代わりの表現、あるいは置き換えと考えられます。とりわけ思考において、それは対象の観念(イメージ)を作ることに他ならないわけですが、それは「表象」と言われます。フッサールによる「表象」の定義は難解で、以下の二つに意味に分けられます。すなわち「作用性質(=単純表象作用)」と「作用資料(=作用の内部で志向的本質の一面を形成する)」というものです(フッサール著『論理学研究』より)。作用資料は、質量が具体的なものになるために必要な他の諸契機と合体した場合の質量のことを指し、代表象と定義し、あらゆる作用の基礎、つまり作用性質の基礎としています。(私の修士設計はこの論理に基づいています)。いづれにしてもRepresentationは「存在を別のもので表すこと」と捉えられ、私は設計に関わる仕事を、それが実作かそうでないかに関わらず、自己の創造行為の表われとしてRepresentation=表象として捉えています。しかし創造といっても、モノをゼロから造り上げるということではなく、これまでの経験や、既にあるものの積み重ねで成り立つものであることから、創造という行為もそれらのものの置き換えでしかないとも捉えられます。HP上で公開することは、もちろん営業上の目的が第一ですが、それであれば単に実作のみ前面に出せばよいわけですが、それよりも他に大事な意味があると考えています。

90年代初めに『Représentation(ルプレゼンタシオン)』という季刊誌が発行されました。計5巻で終了しましたが、各巻の内容が興味深く、執筆陣を見ても、例えば創刊号は中沢新一氏、小林康夫氏、松浦寿輝氏等の思想家に加え、ドゥルーズやバルトの論文まで掲載されていました。今改めて開いてみると、アンダーラインが随所にあり当時の日記を読むような思いがし、当時何に興味を抱いていたかが分かります。
創刊号の巻頭の言葉に次のような記述があります。『隠された一つの意志を「表象」とすることのない複数の言葉からなるその記号は、間違っても確かな場所の占有を目指したりはしないだろう。あたりを埋め尽くしている言葉たちのあるかないかの隙間に滑り込み、その厚みをかいくぐりつつひたすら偏心し、無方向に拡散してゆくという運動だけが、この記号の夢だといえばいえるかもしれない。始まりや終わりの瞬間を思考するのではなく、『Représentation表象=ルプレザンタシオン』は、その中間に拡がりだした既知の時空に幾つもの裂け目をさぐりあて、その網状の回路をひたすら横断し続ける記号=運動でなければならない。・・・そのとき、二つの不断の運動がわれわれの身振りを律することになるだろう。みずから記号の発信を試みつつ、同時に記号の方向転換を組織しうる中継点に徹すること、というのがそれである。』
また第002号の巻頭の言葉では『・・・「新しい」情報ではなく、記号の文脈そのものを新たに組織し、真剣に演じられることで初めて批判的なものたりうるその遊戯への、多方向からの介入を誘発すること。・・・』とあります。
私がWorkをRepresentationとして名づけたのは、もう20年以上も前に上述の引用に感化されたためであり、実作に関わらずHP上に掲載する理由は、一種の記号として発信し、同時にその記号の方向転換を目指すためでもあります。抽象的な言い回しになりましたが、今後も変化を試みつつ、何かを発信していければと思っています。

2013.7.1

ニュース 2013/07/01

2013/06/30 N邸無事に完了しました。昨年の11月にオーナー様に初めてお会いし、ご要望を伺って1週間後にはプランの方向性が決まりました。今年は雪解けが遅く、着工にやきもきしましたが、ちょうどいい季節に竣工し、オーナー様も新しい生活に胸を膨らませておられると思います。オーナー様には重ねて感謝いたします。土地が扇形という特殊な形状でしたが、この地域の中では日当たりや眺望、プライバシーなどの配慮が最もよい場所で、住宅はこの形状に合わせたファサードデザインと、建物に奥行きをあたえるようなデザインの工夫をし、この地域の青く広い空と遠くに臨む緑に映える白を基調としたデザインとしています。内部の特徴は何と言っても広い玄関土間と、スケルトンの直階段をはさんで、それに続く家族が自由に活動できる吹抜けスペース、及びそれをはさむようにリビングとダイニングキッチンが配置されています。近日中に竣工写真を掲載する予定です。あらためてオーナー様、及び関わった全ての方々に感謝いたします。

2013.5.29

TEXT 「フォークナーとの対話」-3

「失われた世代(Lost Generation)」 現代の日本でも時折使用される言葉だが、本来この言葉はヘミングウェイの『日はまた昇る』のエピグラフ(ガートルード・スタインの表現の引用)をきっかけに1920年代のアメリカで使われるようになった言葉だ。「失われた世代」とは第一次世界大戦によって深い絶望感を抱え、伝統的な理念、価値観に幻滅した世代の典型を指す。フォークナーも代表的な「失われた世代」の作家といわれる。

サートリス一族、コンプソン一族、サトペン一族、スノープス一族・・・
これらの一族はフォークナーのヨクナパトーファ郡シリーズに登場する重要な一族の名であるが、そのシリーズの最初の作品『サートリス』で、サートリス一族は大佐の世代から能力や貪欲さが低下した子孫たちの世代の衰退と転落の一つの指標として描写され、更にコンプソンに至っては入植以来アルコール中毒、夫人の神経衰弱、クウェンティンの自殺等々、失われた過去の南部の貴族的社会への郷愁を抱きながら一家が崩壊していく様が描かれる。これらいわば「失われた」一族が作品で描かれていく中で、スノープスだけは違う。スノープスは既に『サートリス』で登場し、作品の中で彼を次のように紹介されている(白水社刊、林信行訳)。
『このスノゥプスというのは最近十年ほどのあいだにフレンチマン・ベンドという小さな部落から少数ずつ町に移動してきている。まるで無際限の数をもっているとでも思わせる一族の中の若者であった。最初のスノゥプスのフレムが、ある日何の前ぶれもなく裏通りにある田舎の人々の経営している小さな飲食店の帳場に姿をあらわした。そしてそこを足場としてまるで大昔のアブラノームのように、彼はその親類縁者どもを一人ずつ町のなかに入れ、なんとか食っていけるようにさせた。フレム自身はやがて町の水力発電所の支配人となり、ついでそれからの数年間はいわば市制の雑用をする人間となっていた。そして三年前に老ベイヤードの驚きと当惑とをしりめにサートリス銀行の副頭取になり、しかもすでに彼の血縁の一人がそこの帳簿係になっていた。』(原文まま)
また、『響きと怒り』でも、I.O.スノープスが登場し、そしてスノープス三部作『村』『町』『館』でスノープス一族を中心に物語が展開する。特に最初のスノープスであるフレムは「なりふりかまわず」「抜け目のない」成り上がりとして、荒廃する他の一族を尻目に様々なことを利用し、相手の弱みにつけ込み、貸しを作り、たくましく成長し一族は増殖する。これは一種のフォークナー的教養小説といえなくもない。しかし『魔の山』や『ジャン・クリストフ』のような一人の人物の物語ではなく、むしろドストエフスキーの『未成年』に近いイメージがあるが、ドストエフスキー的ポリフォニーはむしろスノープスにあるといってよい。他の作品にも一族が頻繁に登場するのだ。スノープス三部作にはアフォリズムはほとんどないといってよい。が、フレムの抜け目のない人生に、そのたくましさに、一種の尊敬すら抱くこともある。スノープスはフォークナーが嫌っていた一族だといわれるが、本当に嫌いなものをはたして三部作まで書くことができるだろうか。
『館』の中でミンクがフレムについて言う(冨山房刊、高橋正雄訳)。
『あのフレム・スノープスのやつは。だれだってあいつだけは打ち負かすことができねえ。フレム・スノープスを打ち負かせるやつは、ミシシッピにも合衆国全体にも、一人もいやあしねえとも』
『館』では既に第二次大戦が登場する時代まで進み、世界情勢の変化の始まりの期に強いアメリカの中にあって国もフレムを打ち負かせないと言い放ったフォークナーは、ミンクの口を借りて一見この無教養で厚顔無恥のようなフレムを国を超えた大きな勢いシンボルとして表現しようとしたとも読み取れる。

2013.4.30

TEXT 「フォークナーとの対話」-2

Strangerと親しいバイロン。クリスマスと同様よそ者ゲイル・ハイタワーは、牧師職を追われジェファソンに来た。失った祖父、妻の過去の妄執を抱え、バイロンと出会い、「普通」の「存在感のない」バイロンに刺激を受ける。バイロンのような人物から何を得ることができるのか。バイロンの心の中の一つ
『人間というものは現に持っている面倒な問題には耐えられても、これからぶつかる問題には恐怖を感じるものなんだ。だから慣れた面倒ごとにすがりついて、新しい面倒ごとに入ってゆこうとしないんだ』。
『人間というものは』から始まる類似した言葉は随所に登場する。高い教養を身につけたわけでもないバイロンから発せられる言葉から、彼の人間に対する深い洞察力を読み取ることができる。一方ハイタワーも同じように『人間というものは』の心の内の一つ。
『いろんなことが起こるからだ。手に負えぬほどたくさんにな、そうなのだ。人間というものは自分が耐えうる以上のたくさんのことをやったり、やろうとしたりする。そうして自分が案外に耐えられるものだと知る、それが恐ろしいところだ』。
これらバイロンとハイタワーの『人間というものは』は、フォークナーの『八月の光』(引用は新潮文庫、加島祥造訳)の一節であり、文脈の中で様々な解釈が得られる。しかし一節だけを切り取っても大変含蓄のある言葉として胸に迫ってくる。これらの言葉から読み取れることは「言葉」そのものの意味と、それを発する彼らという人物は何者か、ということである。例えばドストエフスキーの『死の家の記録』の中の一節『・・・それにしても、人間は生きられるものだ!人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う』。(新潮文庫、工藤精一郎訳)から獲得する「人間の定義」と手記の書き手「わたし」の人間像のように。そしてその「人間の定義」の要素として重要なものが「耐え」や「慣れ」ということであること。言葉の意味としては、バイロンの『今の問題には耐えられる』ということは、それがつまり慣れてしまっていて、苦しみから逃れたり、あるいは乗り越えるということよりも、今よりもっと大きな苦しみに直面しないように苦しみに慣れるということを選択する。ハイタワーは、人間は苦しみや困難に案外耐えられるということを悟る。それも慣れの一種で、その慣れがなし崩し的に増幅していってもやはり耐えられると更に悟る。ドストエフスキーは自身のシベリア流刑と死刑判決の経験から体得した重い言葉として一層説得力をもつ。そしてドストエフスキーは「人間の定義」とまで言い切る。
 ではあらためてバイロンとハイタワーの人物像を考えてみると、繰り返しになるがバイロンは「普通」の「存在感のない」人物であり、ハイタワーも牧師職を追われた身である。二人の言葉に特別耳を傾ける者などいないと言っていいような存在といえる。しかしこのような人物からでも時折胸に響く言葉を発せられることがあるということを経験することは、おそらく時代と地域を超えてありうるだろうし、現実に遭遇することもある。漱石の『明暗』の中に、登場人物の小林が津田に語りかける有名な一節がある。
『露西亜の小説、ことにドストエヴスキの小説を読んだものは必ず知ってる筈だ。如何に人間が下賤であろうとも、又如何に無教養であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれる程有難い、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る事を誰でも知ってる筈だ。君はあれを虚偽と思うか』(原文のまま)
これに対し津田はドストエフスキーを読んだことがないから分からないと答え、更に小林は彼らの先生のドストエフスキーに対する穿った解釈に対して涙を流して悔しがる。主人公ではない小林はこの小説の中では少し問題のある人物として様々なシーンで絡んでくるが、そのような人物からこのような言葉を発せられても、普通は見過ごしてしまいそうだ。しかしこれに目を留めることで彼に対する一元的な見方も変わるともいえる。日常の人間関係の中で、あるいは初対面から抱き続けた他者に対する一方的な、予断をもった見方は、「言葉」のもつ力をきっかけに正反対の方向に向くこともありうる。バイロンとハイタワーの言葉はフォークナーが彼らに言わせたのではなく、彼らの言葉として胸に迫ってくる。