2013.8.1

TEXT 「WORK – Representation 8,9」

2013/06/30竣工「帯広の住宅」(7/1付ニュース)の竣工写真をWORK-Representation 8として掲載しました。同時にRepresentation 9としてFilm Work 2も掲載しましたのでお知らせします。

Disciplineの仕事は、実作他基本計画のみで監理していないもの、あるいは基本計画のまま中断したもの、また修士設計や映像作品(実験)なども含めてまとめていますが、それらWork(仕事)を「Representation」なる語を付けてまとめています。

Representationは一つの日本語に置き換えることができない語で、文脈に応じて「再現」「表象」「上演」などという語に使い分けられます。Representation=「Re(再)+presentation(現前)」(再現前)・・・再び現前する・・・すなわち「存在するものを別のものに表すこと」であり、代わりの表現、あるいは置き換えと考えられます。とりわけ思考において、それは対象の観念(イメージ)を作ることに他ならないわけですが、それは「表象」と言われます。フッサールによる「表象」の定義は難解で、以下の二つに意味に分けられます。すなわち「作用性質(=単純表象作用)」と「作用資料(=作用の内部で志向的本質の一面を形成する)」というものです(フッサール著『論理学研究』より)。作用資料は、質量が具体的なものになるために必要な他の諸契機と合体した場合の質量のことを指し、代表象と定義し、あらゆる作用の基礎、つまり作用性質の基礎としています。(私の修士設計はこの論理に基づいています)。いづれにしてもRepresentationは「存在を別のもので表すこと」と捉えられ、私は設計に関わる仕事を、それが実作かそうでないかに関わらず、自己の創造行為の表われとしてRepresentation=表象として捉えています。しかし創造といっても、モノをゼロから造り上げるということではなく、これまでの経験や、既にあるものの積み重ねで成り立つものであることから、創造という行為もそれらのものの置き換えでしかないとも捉えられます。HP上で公開することは、もちろん営業上の目的が第一ですが、それであれば単に実作のみ前面に出せばよいわけですが、それよりも他に大事な意味があると考えています。

90年代初めに『Représentation(ルプレゼンタシオン)』という季刊誌が発行されました。計5巻で終了しましたが、各巻の内容が興味深く、執筆陣を見ても、例えば創刊号は中沢新一氏、小林康夫氏、松浦寿輝氏等の思想家に加え、ドゥルーズやバルトの論文まで掲載されていました。今改めて開いてみると、アンダーラインが随所にあり当時の日記を読むような思いがし、当時何に興味を抱いていたかが分かります。
創刊号の巻頭の言葉に次のような記述があります。『隠された一つの意志を「表象」とすることのない複数の言葉からなるその記号は、間違っても確かな場所の占有を目指したりはしないだろう。あたりを埋め尽くしている言葉たちのあるかないかの隙間に滑り込み、その厚みをかいくぐりつつひたすら偏心し、無方向に拡散してゆくという運動だけが、この記号の夢だといえばいえるかもしれない。始まりや終わりの瞬間を思考するのではなく、『Représentation表象=ルプレザンタシオン』は、その中間に拡がりだした既知の時空に幾つもの裂け目をさぐりあて、その網状の回路をひたすら横断し続ける記号=運動でなければならない。・・・そのとき、二つの不断の運動がわれわれの身振りを律することになるだろう。みずから記号の発信を試みつつ、同時に記号の方向転換を組織しうる中継点に徹すること、というのがそれである。』
また第002号の巻頭の言葉では『・・・「新しい」情報ではなく、記号の文脈そのものを新たに組織し、真剣に演じられることで初めて批判的なものたりうるその遊戯への、多方向からの介入を誘発すること。・・・』とあります。
私がWorkをRepresentationとして名づけたのは、もう20年以上も前に上述の引用に感化されたためであり、実作に関わらずHP上に掲載する理由は、一種の記号として発信し、同時にその記号の方向転換を目指すためでもあります。抽象的な言い回しになりましたが、今後も変化を試みつつ、何かを発信していければと思っています。

2013.7.1

ニュース 2013/07/01

2013/06/30 N邸無事に完了しました。昨年の11月にオーナー様に初めてお会いし、ご要望を伺って1週間後にはプランの方向性が決まりました。今年は雪解けが遅く、着工にやきもきしましたが、ちょうどいい季節に竣工し、オーナー様も新しい生活に胸を膨らませておられると思います。オーナー様には重ねて感謝いたします。土地が扇形という特殊な形状でしたが、この地域の中では日当たりや眺望、プライバシーなどの配慮が最もよい場所で、住宅はこの形状に合わせたファサードデザインと、建物に奥行きをあたえるようなデザインの工夫をし、この地域の青く広い空と遠くに臨む緑に映える白を基調としたデザインとしています。内部の特徴は何と言っても広い玄関土間と、スケルトンの直階段をはさんで、それに続く家族が自由に活動できる吹抜けスペース、及びそれをはさむようにリビングとダイニングキッチンが配置されています。近日中に竣工写真を掲載する予定です。あらためてオーナー様、及び関わった全ての方々に感謝いたします。

2013.5.29

TEXT 「フォークナーとの対話」-3

「失われた世代(Lost Generation)」 現代の日本でも時折使用される言葉だが、本来この言葉はヘミングウェイの『日はまた昇る』のエピグラフ(ガートルード・スタインの表現の引用)をきっかけに1920年代のアメリカで使われるようになった言葉だ。「失われた世代」とは第一次世界大戦によって深い絶望感を抱え、伝統的な理念、価値観に幻滅した世代の典型を指す。フォークナーも代表的な「失われた世代」の作家といわれる。

サートリス一族、コンプソン一族、サトペン一族、スノープス一族・・・
これらの一族はフォークナーのヨクナパトーファ郡シリーズに登場する重要な一族の名であるが、そのシリーズの最初の作品『サートリス』で、サートリス一族は大佐の世代から能力や貪欲さが低下した子孫たちの世代の衰退と転落の一つの指標として描写され、更にコンプソンに至っては入植以来アルコール中毒、夫人の神経衰弱、クウェンティンの自殺等々、失われた過去の南部の貴族的社会への郷愁を抱きながら一家が崩壊していく様が描かれる。これらいわば「失われた」一族が作品で描かれていく中で、スノープスだけは違う。スノープスは既に『サートリス』で登場し、作品の中で彼を次のように紹介されている(白水社刊、林信行訳)。
『このスノゥプスというのは最近十年ほどのあいだにフレンチマン・ベンドという小さな部落から少数ずつ町に移動してきている。まるで無際限の数をもっているとでも思わせる一族の中の若者であった。最初のスノゥプスのフレムが、ある日何の前ぶれもなく裏通りにある田舎の人々の経営している小さな飲食店の帳場に姿をあらわした。そしてそこを足場としてまるで大昔のアブラノームのように、彼はその親類縁者どもを一人ずつ町のなかに入れ、なんとか食っていけるようにさせた。フレム自身はやがて町の水力発電所の支配人となり、ついでそれからの数年間はいわば市制の雑用をする人間となっていた。そして三年前に老ベイヤードの驚きと当惑とをしりめにサートリス銀行の副頭取になり、しかもすでに彼の血縁の一人がそこの帳簿係になっていた。』(原文まま)
また、『響きと怒り』でも、I.O.スノープスが登場し、そしてスノープス三部作『村』『町』『館』でスノープス一族を中心に物語が展開する。特に最初のスノープスであるフレムは「なりふりかまわず」「抜け目のない」成り上がりとして、荒廃する他の一族を尻目に様々なことを利用し、相手の弱みにつけ込み、貸しを作り、たくましく成長し一族は増殖する。これは一種のフォークナー的教養小説といえなくもない。しかし『魔の山』や『ジャン・クリストフ』のような一人の人物の物語ではなく、むしろドストエフスキーの『未成年』に近いイメージがあるが、ドストエフスキー的ポリフォニーはむしろスノープスにあるといってよい。他の作品にも一族が頻繁に登場するのだ。スノープス三部作にはアフォリズムはほとんどないといってよい。が、フレムの抜け目のない人生に、そのたくましさに、一種の尊敬すら抱くこともある。スノープスはフォークナーが嫌っていた一族だといわれるが、本当に嫌いなものをはたして三部作まで書くことができるだろうか。
『館』の中でミンクがフレムについて言う(冨山房刊、高橋正雄訳)。
『あのフレム・スノープスのやつは。だれだってあいつだけは打ち負かすことができねえ。フレム・スノープスを打ち負かせるやつは、ミシシッピにも合衆国全体にも、一人もいやあしねえとも』
『館』では既に第二次大戦が登場する時代まで進み、世界情勢の変化の始まりの期に強いアメリカの中にあって国もフレムを打ち負かせないと言い放ったフォークナーは、ミンクの口を借りて一見この無教養で厚顔無恥のようなフレムを国を超えた大きな勢いシンボルとして表現しようとしたとも読み取れる。

2013.4.30

TEXT 「フォークナーとの対話」-2

Strangerと親しいバイロン。クリスマスと同様よそ者ゲイル・ハイタワーは、牧師職を追われジェファソンに来た。失った祖父、妻の過去の妄執を抱え、バイロンと出会い、「普通」の「存在感のない」バイロンに刺激を受ける。バイロンのような人物から何を得ることができるのか。バイロンの心の中の一つ
『人間というものは現に持っている面倒な問題には耐えられても、これからぶつかる問題には恐怖を感じるものなんだ。だから慣れた面倒ごとにすがりついて、新しい面倒ごとに入ってゆこうとしないんだ』。
『人間というものは』から始まる類似した言葉は随所に登場する。高い教養を身につけたわけでもないバイロンから発せられる言葉から、彼の人間に対する深い洞察力を読み取ることができる。一方ハイタワーも同じように『人間というものは』の心の内の一つ。
『いろんなことが起こるからだ。手に負えぬほどたくさんにな、そうなのだ。人間というものは自分が耐えうる以上のたくさんのことをやったり、やろうとしたりする。そうして自分が案外に耐えられるものだと知る、それが恐ろしいところだ』。
これらバイロンとハイタワーの『人間というものは』は、フォークナーの『八月の光』(引用は新潮文庫、加島祥造訳)の一節であり、文脈の中で様々な解釈が得られる。しかし一節だけを切り取っても大変含蓄のある言葉として胸に迫ってくる。これらの言葉から読み取れることは「言葉」そのものの意味と、それを発する彼らという人物は何者か、ということである。例えばドストエフスキーの『死の家の記録』の中の一節『・・・それにしても、人間は生きられるものだ!人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う』。(新潮文庫、工藤精一郎訳)から獲得する「人間の定義」と手記の書き手「わたし」の人間像のように。そしてその「人間の定義」の要素として重要なものが「耐え」や「慣れ」ということであること。言葉の意味としては、バイロンの『今の問題には耐えられる』ということは、それがつまり慣れてしまっていて、苦しみから逃れたり、あるいは乗り越えるということよりも、今よりもっと大きな苦しみに直面しないように苦しみに慣れるということを選択する。ハイタワーは、人間は苦しみや困難に案外耐えられるということを悟る。それも慣れの一種で、その慣れがなし崩し的に増幅していってもやはり耐えられると更に悟る。ドストエフスキーは自身のシベリア流刑と死刑判決の経験から体得した重い言葉として一層説得力をもつ。そしてドストエフスキーは「人間の定義」とまで言い切る。
 ではあらためてバイロンとハイタワーの人物像を考えてみると、繰り返しになるがバイロンは「普通」の「存在感のない」人物であり、ハイタワーも牧師職を追われた身である。二人の言葉に特別耳を傾ける者などいないと言っていいような存在といえる。しかしこのような人物からでも時折胸に響く言葉を発せられることがあるということを経験することは、おそらく時代と地域を超えてありうるだろうし、現実に遭遇することもある。漱石の『明暗』の中に、登場人物の小林が津田に語りかける有名な一節がある。
『露西亜の小説、ことにドストエヴスキの小説を読んだものは必ず知ってる筈だ。如何に人間が下賤であろうとも、又如何に無教養であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれる程有難い、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る事を誰でも知ってる筈だ。君はあれを虚偽と思うか』(原文のまま)
これに対し津田はドストエフスキーを読んだことがないから分からないと答え、更に小林は彼らの先生のドストエフスキーに対する穿った解釈に対して涙を流して悔しがる。主人公ではない小林はこの小説の中では少し問題のある人物として様々なシーンで絡んでくるが、そのような人物からこのような言葉を発せられても、普通は見過ごしてしまいそうだ。しかしこれに目を留めることで彼に対する一元的な見方も変わるともいえる。日常の人間関係の中で、あるいは初対面から抱き続けた他者に対する一方的な、予断をもった見方は、「言葉」のもつ力をきっかけに正反対の方向に向くこともありうる。バイロンとハイタワーの言葉はフォークナーが彼らに言わせたのではなく、彼らの言葉として胸に迫ってくる。

2013.3.30

TEXT 「建築は対象関係論である」-3

TEXT 「建築は対象関係論である」-3

ゴダールの『中国女』を観たことのある人は、今ではどんな印象を胸に残しているだろうか?今の時代、古い映画ならなおさら映画館で観る機会など希だが、私がかつて劇場の大スクリーンで観た印象は、その映画そのものイデオロギーでもなく、ゴダールの映画手法でもなく、「赤」そのもの(色としての単なる、しかも徹底した「赤」)である。同じゴダールの作品『軽蔑』に登場する「マラパルテ邸」からインスピレーションを受けて設計された鈴木了ニ氏の「麻布EDGE」。建設されてから20年以上は経過しているが、その存在感は今でも胸に迫ってくるものがある。しかしこの「麻布EDGE」を「マラパルテ邸」や「ゴダール」に結びつける者はあまりいないだろう。なぜならこれら2つに共通するのは「階段」という、建築の構成要素の当たり前の形式だからだ。この「マラパルテ邸」と「麻布EDGE」には「中国女―赤」のような直線的な関係はほとんど存在しない。「マラパルテ邸」の「中国女」との違いは、「麻布EDGE」に存在する「階段」の造形表現としての直線的な意味の中のほんの些細な違い、「マラパルテ邸」は屋上へ、「麻布EDGE」は階段そのものへ、という目的の違いにすぎないのかもしれないが、それよりも「階段」といういわばシニフィアンーシニフィエの枠組みではなく「非シニフィアン」としての関係といえる。つまり鈴木氏がたとえ作品について様々なエクリチュールを駆使したとしても、いわば言葉を超えた「モノ」そのものに内在する力が独り歩きし、例えば「階段」という建築言語の周縁を他の造形要素が浮遊し、言語的な意味作用で生み出されるもの以上のダイナミックなダイアグラムが構成される。(これは他の分野、例えば音楽的エクリチュールにも当てはまる。)そして「中国女―赤」的枠組みにならないことの重要な意識は、「移し方」の意識の問題に集約される。それは二つの因子から成る。一つは「想像力」(「創造」ではない)、もう一つは「メタファー」の捉え方、である。これら二つの概念を助けるテキストを、各々とりあげてみたい。
「想像力」について、ガストン・バシュラールの『空と夢』(法政大学出版局、宇佐美英治訳)。
『・・・人々は想像力とはイメージを形成する能力だとしている。ところが想像力とはむしろ知覚によって提供されたイメージを歪曲する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ。イメージの変化、イメージの思いがけない結合がなければ、想像力はなく、想像するという行動はない。もしも眼前にある或るイメージがそこにないイメージを考えさせなければ、もしもきっかけとなる或るイメージが逃れてゆく夥しいイメージを、イメージの爆発を決定しなければ、想像力はない。知覚があり、或る知覚の追憶、慣れ親しんだ記憶、色彩や形体の習慣がある。』
「メタファー」について、手塚富雄の著述(著作集〈1〉『ヘルダーリン』より)
『ここで『詩的精神のとるべき方法について』(ヘルダーリンの著作)の中で述べられた「根拠づけ」と「メタファー」の二つの概念を思い出していただきたい。これは詩的精神と詩作品の素材との関係についての思想である。つまり素材は現実の生からもぎとられた孤立したもので、それだけでは生の大きい連関の外にあり、それをそのまま模写したところで、芸術的には何の意味もない。その孤立したものを詩的精神はひとつの全一的なものに変換することによってそれを大いなる生命に帰属させなければならない。それが彼のいう「根拠づけ」であった。ヘルダーリンの用語ではないが、芸術における象徴とは大体これと同じことになろう。そしてヘルダーリンはこの根拠づけをおこなう表現形式を「メタファー」と名づけたのであった。通常修辞的術語として「隠喩」と訳されるが、原義は「移す」ということで、上述したような根拠を素材による表現に移すのである。それによって素材は「根拠」の表現にあずかることになり、同等に「根拠」もこのことによって初めて感知されて「音調の転移」と結んでくるのであって、音調の転移によって詩において生の対立的調和が実現されることが言語がメタファーとなることと一致するというのが、ヘルダーリンの考えの基本である』
以上の二つの長い引用で、いずれにも共通するのは、想像、あるいはメタファーとは、素材をそのまま模写することではなく、それを「歪曲」する能力、「イメージを変える」能力、孤立した素材を変換すること、である。「麻布EDGE」における鈴木氏の「想像」行為は、「階段」という素材を建築的エクリチュールに変換し、イメージを単線的な「生なきもの」にとどめるのではなく、その周縁の素材と建築的な具体的な素材「マテリアル」と結びつき、氏のいう「物質試行」を最もよく体現したものとして今も力強く現前する。素材の徴収のきっかけは単純かもしれない。純粋な感動や刺激といった、いわば「軽い」根拠から、それを大きな広がりを生む「重い」成果へ変換させるのは、建築的エクリチュールに終始しては達成できず、そこには肉体的鍛錬も加わりながら、「移す」作業にどれだけ肉薄できるか、ということになろう。

2013.3.1

TEXT 「フォークナーとの対話」-1

stranger -客、他人、よそ者、見知らぬひと、また「未知の人への幾分不躾な呼びかけ」(研究社『現代英和辞典』)- またforeigner – 外国人- どちらもその土地の者にとってはよそ者である。しかしこの二つの語のニュアンスは異なるが、strangerは、一つはよそから来たひと、他に自国をもつ者。そして一つは出自が不明な者。-「生まれた土地」と「親が不明」- の二重の会に登場するひと。親が不明 -これは親という概念の欠損、そして血の欠損 - のどちらか(あるいは両方)意味する。
 孤児院で成長したジョー・クリスマス。彼は中年の独身女バーデンの家に住みつくが(バーデンは自分の祖父と兄が黒人投票権の問題から南部軍の軍人だったサートリスに殺された)、そこでの会話。
クリスマス:『なぜあんたの親父はあの男を ― 何という名だっけ?サートリスだ- なぜあの男を殺さなかったのか、ということさ』
バーデン:『そのことをあたしも考えたわ。なぜ父がサートリスを殺さなかったか、ということをね。それは父のフランスの血筋のせいだったとあたし思うの』
クリスマス:『自分の親父と息子を同じ日に殺されてもフランス人は怒らないのか?あんたの親父は宗教を持ってたんだと思うな。まあ、説教師くずれ、といったふうなものさ』
バーデン:『あのときは何もかも終わってたのよ。軍服と軍旗を持ってする人殺し、軍服と軍旗を持たずにする人殺しもね。そしてそんなことでは何ひとつ善くならなかったし、いまもそうよ。何ひとつよ。それにあたしたちは他国者、ここの人たちとは違った考え方をもつよそ者で、それが頼まれも願われもしなかったのにこの国にやってきたのよ。それに彼はフランス人だった。半分はね。でも半分はフランス人だったので、人が自分の生まれた土地に対して持つ愛情を尊敬したのよ。人は自分の生まれた土地によって鍛えられたように行動するものだということを理解したのよ。そのせいだったとあたし思うわ』
リーナ・グローブとジョー・クリスマスの二つの物語を核とした、W.フォークナーの『八月の光』(引用文は中略)(新潮文庫、加島祥造訳)の一場面である。フォークナーの研究者 林文代氏が自著『迷宮としてのテクスト』で「『アブサロム、アブサロム!』を読まないという〈誤り〉を犯す人は幸せである。あるいは読んでしまっても面白かったとか面白くなかったと簡単に割り切れる人も幸せである。」と書いているが、確かにフォークナーの作品は一連のヨクナパトーファ郡を舞台としたものとそうでないもの、そのテクストは「迷宮」と形容しても異論はないが、フォークナーの魅力は、その「迷宮としてのテクスト」としてのフォークナーよりむしろ私は「アフォリズムの作家」としてのフォークナーに惹かれる。フォークナーの評論で彼を「アフォリズムの作家」と位置づけしているものを目にしたことはない。しかし私はそうであると認識する。フォークナーの作品を何度読み返しても、毎回新しい発見がある。それは「迷宮」の解ではなく、「言葉」である。私のそのときそのときの背景を照らすそれらのエクリチュールは、ナラティブを失い、単独で語りかけてくる。これはニーチェの『ツァラトゥストラ』と同じ読書体験である。上にあげたクリスマスとバーデンの会話は、「どこの国が何をするか、あるいはしないか」に結びつくのではない。strangerのもつ不安と、目の前に見えぬ自国、出身、出自―に対する一方的な契約と、そして決して道徳上の理由からではない、むしろ「見られている」ことへの恥の感覚、それらが混合したstrangerとstrangerの、一つの表象である。それを各自の中の出自経験の呼び覚ましとして、直感として捉えたときに、その会話は物語から切り放され、自身の問題へと変容する。 – 繰り返すがフォークナーは「アフォリズムの作家」である、と。

2013.2.1

TEXT -3 消尽

  拠所としていた過去のいくつかの〈方法論〉 ― 現在でも継続的に使用するもの、そして活きた使われ方・無理な使われ方 ― 私がいつの時代か乱用した〈文学理論〉の「借用」による建築への転用、つまり既に過去になりつつあり、いや言葉として今では像の構築に障壁があるもの - そういうものが私にとって少なくとも今二つある。
一つは「カーニバル」、もう一つは「ポリフォニー」。
どちらもミハイル・バフーチンの文学理論の重要なキーワードだが、「カーニバル」は他にユングの元型論でもトリックスター元型の文脈で展開される。「カーニバル」とは中世における階級的秩序の転覆であり、バフーチンにおいてはブリューゲルの絵画(『謝肉祭と四旬節の喧嘩』)を例でそのイメージを確認できる(バフーチン著『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化』)。トリックスターは、日本では山口昌男氏の文化人類学でのテキストで興味深く論が展開されるが、一般的には民話において『半ば面白半分、半ば悪意のある狡猾ないたずらもの』の性格をもつ(ユング著『元型論』)。「カーニバル」の中にトリックスターが存在するという意味ではなく、「カーニバル」の「逆転性」を人間のかたちをした像としてトリックスターは神話的に描かれる。
 もう一つの「ポリフォニー」は、バフーチンの「ドストエフスキーの文学論」に基づく中心言語だが、モノフォニーに対して多声的であり、一つの声ではなく多くの声が含まれることを意味する。具体的にはドストエフスキーの『罪と罰』では、多くの人が知っているように物語としては非常に重く暗いものである。一人の青年(ラスコーリニコフ)が金のために老婆を殺め、自責に耐え切れず自首し、シベリアへ送られる。この流れに何ら「明るさ」は見受けられない。が、「文学理論」によらずとも、『罪と罰』を繰り返し読んだ者は、おそらくむしろ「明るさ」を感じるだろう。マルメラードフの臨終の場面では身内の者以外の者も、まるで見世物小屋のように集まって人間の死を覗き込む。死の場面でさえもある意味活き活きとした場面に変わり、あるいは発狂したカテリーナ・イワーノヴナの叫び(フランス語のcri )、その他登場人物の非常に長々とした科白の中には更に様々な人物が登場する。日本の小説は私小説とよくいわれ、小説の中で響いている声が唯の一つだけということが多いが、ドストエフスキーは非常に多くの声が響いている。ドストエフスキーの「明るさ」はポリフォニーによる「暗さ」の反転であり、その意味で「カーニバル」的ともいえる。
 では一方、「建築」において、私はこれらの言葉をどう借用していたか。建築の生成過程での声が一つか多声的かという点においてのみで、それ以上の深さはないし、逆転や転用などの意図もない。多声的という言葉には、単に多くの人間がプロジェクトに関わるというよりは、デザイン的アプローチにおけるイメージとしての言葉として使用していた。しかしそれは建築に個性の有無を問うものでもないし、俗にいわれる「作品性」や「作家性」なるものを問うつもりもない。ましてやその善し悪しの判断根拠にするものでもない。評価におけるひとつの言語、あるいは方法の癖のようなものであった。現在はもちろんこれらの言葉を使用して建築を評価、あるいは計画することはない。これらの言葉はもちろん現在では死んだわけではないし、相変わらず文学批評では「ポリフォニック」という語をよく見かける(バフーチンの用法とは異なるものも多い)。言葉のイメージが変化してきているということはいえるだろう。「カーニバル」自体、現代ではその場面をイメージしにくい。それに置換する像は今では何にあたるのか。あるいはそれは現代の社会、国を問わず、あらゆる場面で逆転が表象され、像として完全に過去に埋没するか、消え去りつつあるのではないだろうか。

2012.12.31

TEXT 「建築は対象関係論である」-2

・・・ひとたび自分の手から放れたあと、独り歩きする姿をどのように見守るか。「私的」プランをいかに「非私的」プランに高めるか。成人してもなお手をひき、彼を最期まで見届けようとでもいうのか。しかし自己の能力以上の力を発揮するために手放さないでいるということは必要条件といえるだろうか。ここに二つのテキストを引用する。

 「僕は、心おだやかに生きるためではなく、心おだやかに死ぬことができるように、人々から遠ざかっている」(カフカ『日記』より)。

 「僕はもう少し書こう。もう少し書いて、何もかも言ってしまいたい。いつか僕の手が僕から切り放されて、何か書けと命令すれば僕の考えもせぬ言葉を書くようなことがあるかもしれぬ。全く変化してしまった解釈の時間が始まるだろう。もう言葉と言葉とがまともに続かなくなってしまうのだ。(略)僕はしかし、おそろしい恐怖にもかかわらず、結局何か偉大なものの前に立たされた人間だという気がする。何か書いてみようという気持ちをちっとも持っていなかった時分から、僕はときどきそんな気がしたのを覚えている」(リルケ著『マルテの手記』新潮文庫、大山定一訳より)。

  ブランショは著書『文学空間』のなかで、カフカと「マルテ」から、創作者としての「自己」と、手を放れた「自己」との関係を、エクリチュールという側から問うている。

 カフカについては、「彼は書くためにこの世からおのれを除き去り、心おだやかに死ぬために書く。今や、死が、自足せる死が、芸術によって与えられる報酬だ。それが執筆の目標であり根拠である」、と。また「マルテ」については、「マルテの発見とは、非人称的死という、このわれわれの手に余る力の発見だ。これはわれわれの力の超過であり、われわれの力を超えたものだ」、と。

 カフカは「書く」という行為を「いかに生きるか」ではなく、「いかに死ぬか」という動機づけにしている。そして作品から「自己」を消し、「彼」という「非人称」化をすることで、不安に満ちた自己観察から解放しようとしたといえる。「マルテ」も切り放された手が何を書くか、もはや自己制御は不可能であると考えている。しかしカフカも「マルテ」も、その制御不能を報酬と考える。そして「非人称」化を肯定する。

 ブランショは『終わりなき対話』の「第三類の関係」(思潮社刊、上田和彦訳)の中で、「自己」と「他者」の関係を三つに分類している。第一の関係は、「他者」を「自己」と同一化すること、他なるものが他の事物であっても、人間はそれを同一のものにするよう勤めるという考え方。第二の関係は「他者」と「自己」とがいわば弁証法的に統一すること。「〈私〉=主体は、自らを分割しようと、〈他なるもの〉を分割しようと、その関係を仲介者として肯定し、その中で自らを実現するのだが、この今度の関係にあっては、絶対的に〈他なるもの〉と〈自我〉は無媒介的にひとつになる」。そして第三の関係は、第二の関係を超えて、「他なるもの」は「他なるもの」のままで「主体―客体」の関係も生成せず、統一もしない関係。

 自問した「非私的」プランとは、ブランショにおける第二の関係を目指した漠然とした像を指す。つまりどこかの段階でプランは自己を放れ、弁証法的に止揚されていくという願望。建築生成はエクリチュールの問題とは距離があるが、同じ地平においた両者を俯瞰すると、私は創作をさらに第三の関係に「至高」させる希望をもちながら、いまだに第一の関係に身をおいているか、あるいはその創作態度から永遠に脱却できないのではないかという恐れを抱く。しかし第三の関係は第二の関係の上位にあるという謬見を捨て去り、建築生成において何を「他者」とするのか、「自己」とは、「統一」とは何かを問うことをやめてしまえば、「私的」プランは「独りよがりの」という修飾語で短絡的に捉えることに留まり続けることになろう。

2012.12.1

TEXT  「建築は対象関係論である」 -1

レヴィナスは『貨幣の両義性』と題する講演の中で、「聖潔の価値論」に触れ、以下のように述べている。

 予測不能ではあるがつねに閉じられている、この経済という広大な秩序の閉塞と監禁に対立するのは、唯一者から唯一者への超越であり、まさに異邦人であるがゆえ類の共同体を持たない異邦人たちのあいだの超越である。ひととひととの関係は異邦人との関係であるが、それは外在性において関係する仕方であり、類の共同体以上に良き共同体であり、一者が他者に対して無―関心 ―ならざることである(レヴィナス著『貨幣の哲学』法政大学出版局)。

閉じた円環―とりわけ経済における閉じた円環は、同族社会に外在する秩序であり、その外在性との関わりにおいて内在存在の利害は「交換」によってつながっている。他人との関わりは、いわばこの「交換」作用のドライな法則のなかで相手の顔を読み取ることで成立する。レヴィナスはこの関係のなかで、他者が自分の存在と結びつく以前に、他人に責任を負うということ ― これを新しき価値論「聖潔の価値論」 ―として、この価値が自身を呼ぶ、と説いている。更にそれは「無私無欲・没利害」であり、「つねに存在するべく存在するのではなく、内存在性の利害を超越」する。彼のこの講演は1980年代のもので、こういった考え方を私のような者が字義通り捉えることは危険ではあるが、何かを媒体として他者と関わるという点において、大きな示唆を与えている。「交換」の媒体として「貨幣」があるわけだが、今村仁司氏(故人)は、自己の暴力論の重要なキーワードとして「第三項排除」を掲げ、そのひとつが「貨幣」であると説く。様々な経済活動における「貨幣」の存在は、いわばvictim(犠牲者)として排除される存在であり、従来の「暴力論」の幅を拡大した。

建築の生成過程において、依頼人と設計者、施工者の三者がその代表者を果たす。建築 ―不動物― を介して、それをvictimとして空間を占拠する。元々占めていた空間性を、よくもわるくも排除することになる。一般的に取られる生成過程の多くは、最初は依頼人と設計者の関係である。設計者は(狭義の)設計技術を武器(道具)に依頼人に接する。その接し方を「点」として捉えるとすると(設計者は個人とは限らず組織も含めるものとする)、施工者と依頼人との関係はむしろ「面」といえる。施工者の関係は様々な内在性を含有する。それはピラミッドや円錐などの立体を想像してもよいが、それは決して業界の権力構造を示すものではない。しかしここでその構造を持ち出せば、結論として設計者は施工者の面的構造を理解しないという「問題」と、「解決法として、その構造は三角柱や円筒になるべき」などとなってしまう。私がここで言いたいことは、この生成過程の構造(あるいは閉じた円環でもよい)のなかで、設計者の自己完結した論理を依頼人が知らず、ましてや施工者も知らない、知っていたとしてもあくまで設計者の個人的な思索としてかたづけるという現状を踏まえ、建築が価値をもつひとつのあり方として、様々な立場の内在性を「建築」という媒介を通して共有すること、そして設計者は施工者の内在性にも深く関与すること(施工者と一体的に仕事を進めるという意味ではない)、更にこのピラミッド、あるいは閉じた円環に外在する領域に積極的に関与するという働きが求められる、ということである。

例えば自動車の生産を例にとると、デザイン(設計)と製造は大抵は一体で、一メーカーの商品として売り出している(例外もある)。以前何かの冊子でとりあげられていたが、日産自動車の設計側の姿勢として「事前にできることはすべてやる」ということが書かれていた。従来の生成過程は設計から試作、また設計、そして製造側での検討、また設計側へのフィードバック、その繰り返しを経てようやく製品化される。これは当たり前ではないかとおもわれるが、このようなシステムは時間とコミュニケーションにかかるコストが膨大で、結局製品の価格に転嫁されるということである。設計の段階であらゆることをシミュレートし、それがそのまま製造でも問題なく、コストもクリアーされる。このシステムはもちろん時代の要請でもあるからであろうが、やさしいことではない。建築は一般的にこのような過程を経ることは希だが、設計者は少なくとも施工者の内在性へ積極的に関わることが、依頼人、更にはその外に存在する他者に対しても責任をもつということになるのではないか。

2012.11.1

Disciplineについて

何を自分の「第一ディシプリン」とするか、ということ。そして私は「建築ディシプリナー」である、ということ。

構造家の池田昌弘氏は自著(作品集)『小住宅の構造』の中で、「インテグレーティド・アイデンティティ」という語を発している。氏は自らを「インテグリスト」と呼び、建築のプロセスの中で形成させる関係と最終形をインテグレーション、インテグレーティド・アイデンティティと定義づける。インテグレーションというと「統合」という意味から、氏の言葉を借りると「上位に立ってまとめていく」というイメージをもつが、氏の考えはそうではなく建築を取り巻く諸エレメントの中で自分は何をベースとした存在か(氏は構造をベースとする)を自覚し、諸エレメント間で共有、交渉、試行錯誤などひとつの「インテグレーション・ダイアグラム」という建築生成の円環に身を置き、止揚させていくという態度に他ならない。

私は氏の考え方に共感する。では氏の主張は従来の建築、あるいは建築家の役割と何が違うというのか、という疑問をもつものもいるだろう。乱暴な言い方をすればそれは氏の「作品」を見れば解説は不要と思われる。

私はあらためて氏の考え方に共感しつつも、私は「インテグリスト」ではなく「建築ディシプリナー」を目指す。

ディシプリンとは何か。もともと「訓練」「規律」などを意味する。社会学者中嶋嶺雄氏は著書『国際関係論』(中公新書)の中で専門分野である国際関係論とディシプリンの関係に言及している。結論から言うとディシプリンを氏は「専門学的学問領域」と訳し、各ディシプリン間の関係を学際的「インターディシプリナリー」な学問としている。氏が挙げる例では「米中関係の変遷:中国共産党の政策形成とアメリカの中国イメージ」といったテーマで研究するとした場合、まず第一に政治学を主たるディシプリンとして学び、同時に社会学のいくつかの分野を隣接ないしは境界部門を第二のディシプリンとして学ばなければならないという。

もちろんこれら学問研究の立場と建築プロセスの実践とは異なるが、建築におけるディシプリンをこれらに代用させて考えることは可能と考える。建築を取り巻く諸エレメント、それは建築計画や構造、設備、施工など技術的専門、それだけではなく建築行政、制度・法律、社会背景、クライアント、及び建築用途に関わる各々の専門領域(例えば病院という用途であれば医療法や医療機器など)など多岐に渡る。そして時代の流れの中でますます専門化、細分化、高度化されそれぞれの専門分野での展開にも常に目を向けなければならない。このようななかにあって、各々が何をすべきかということになると、それは社会的要請や法、あるいは個人の価値観に負うところもあるが、私は以前は特に建築の技術、すなわち意匠のみでなく構造、設備、施工、積算の分野においても、それぞれの第一線の専門家であることを目指そうとした。全ての細部に通暁し、いわば自分一人の手で少なくとも設計の全てを完結させることを目指した。しかし現在はそういった考え方には立っていない。つまり自分が建築プロセスの中で何を第一ディシプリンとするか、池田氏の場合は構造をベースとしたインテグリストであるが、私は意匠を第一ディシプリンとした建築ディシプリナーであるという態度をここに明確にしたい。第一ディシプリンをベースとしながら、前述した他の専門領域、境界部門を第二とした専門領域とすること。そして各ディシプリンとの関係を、学問研究ではなく実践をベースとしながら認識すること。それが建築ディシプリンであると考える。