2013.10.31

TEXT 「フォークナーとの対話」-5

「時代は繰り返す」とか「いつの時代も変わらない」などといわれる。
フォークナーの短編に『クマツヅラの匂い』という作品がある。短篇とはいえ広がりを感じるのはそれがサートリス家の一挿話だからだろうか。『フォークナー短篇集』(新潮文庫刊、龍口直太郎訳)の解説で訳者が書いているように、「父親ジョン・サートリス大佐の復讐を息子のベイヤードがどのように考えるか」ということがこの作品の眼目だが、19世紀のアメリカ南部では当然「眼には眼を」が正義であることころをベイヤードはそうは考えなかった。父親の若い妻ドルーシラは息子にその「南部の正義」を期待していたが、ベイヤードはそれに応えることはなかった。それはフォークナー自身の考えであるのか、「耐え忍び、一見卑怯者と思われる道を選ぶのが真の勇気」(解説より抜粋)というのが新しい時代の正義と考えるのか。
ベイヤードとドルーシラの会話で、その時代の「夢」についてドルーシラが語る場面がある。

「夢なんて身近かにもってると、あんまり安全なもんじゃないわね、ベイヤードさん。あたしよく知ってるわ。あたしにも、昔は夢があったんですもの。夢なんて、毛筋の引金がついた、弾丸をこめたピストルみたいなもんね。いつまでも消えない夢だったら、そのおかげでだれかがきっと怪我をするわ。だけど、それがいい夢だったら、そりゃあ、それだけの値打があるのよ。この世の中には、夢ってものはあんまりたくさんはないけど、人間の生命の数は多いわね。そして、一人の人間の生命も、二ダースの人間の生命も・・・」

ドルーシラは夫ジョンもかつては夢があったことをベイヤードに語るが、それが結局は身を滅ぼす結果となったことから『夢なんて・・・、だれかがきっと怪我をする・・・』などと実感を込めて話す。
一方ベイヤードは、ドルーシラの話をどう受け止めたか、結局新しい時代、つまり父親の次の世代のいわば衰退した、夢のない時代に、「眼には眼を」の正義は通用しない、あるいはその「気力」がない、という態度をとることになる。
このようなベイヤードの態度は先述したように当時では「一見卑怯者」ととられがちだが、現代の視点に立つと、「南部の正義」は実は20世紀も、今世紀も世界各地で起きているのが分かる。ベイヤードの立場は「赦し」とはニュアンスが違うかもしれないが、少なくとも具体的な力の行動には出ない。だからといって言葉によって解決する術も身につけていなかったが、もしこの時代にフォークナーが現代に通じるような「交渉術」的なものを書いたとしたら、それは受け入れられなかっただろう。その時代の枠組みというものがあるからだ。しかし現代から過去に遡って、粘り強い交渉と赦しで時代を拓いた人物は多くいる。
現代は「夢なんて身近にもってると、安全ではない」時代ではない。が、「夢をもてない」ではなく「もたない」現象もあるように思う。それは今の時代に限ったことではないが、ドルーシラの言葉は、19世紀の南部の小さな町での一人の人物の会話として、フィクションとはいえ現代社会の一つの一断面を表象し、またベイヤードの態度も不幸な社会の一つの救いの道のヒントとなるような感覚を覚える。

2013.9.28

TEXT 「建築は対象関係論である」-4

建築における「脱構築」との最初の出会いは、80年代中ごろバーナード・チュミの「ラ・ヴィレット公園(コンペ案のドローイング)」であったように記憶する。彼と同時代で今では巨匠といわれるダニエル・リベスキンド、ザハ・ハディド、あるいはそれより少し前から活躍していたアイゼンマンやゲーリィなどは当時いわゆるデ・コンストラクションの建築家と呼ばれた。まだ若い学生の感性を刺激するには充分な存在であった彼らのドローイングを含め新しい表現は、それが実現可能か、あるいは実作かによらず視覚に強く訴えかけ、建築としてよりはむしろアート感覚で素直な感動を呼び起こすという点で、ある意味で分かりやすさもあったといえる。一方で彼らのテクストは難解で、それらが彼ら自身の建築の具体性とどう関係するのかしないのか当時は理解できなかった。しかしあれから10年、20年と経てあらためて彼らのテクストを読み返してみて、例えば「A+U」のチュミの特集号の文章はある程度理解できても、その後90年代に入ってから出版された『建築と断絶』(鹿島出版会刊)、あるいは同じく「A+U」のリベスキンドのユダヤ博物館の特集の巻のテクストなどはやはりそれをはっきりと理解できたというにはどれだけの知識が必要か計りしれない。リベスキンドは今世紀に入ってから出版されたドキュメントタッチというか自伝的といっていいか『ブレイキング・グラウンド』(筑摩書房刊)という書物があるが、これは論理の展開ではないせいか分かりやすい(内容は彼の一方的な立場で書かれたものであるため、本に登場する他の建築家の思想や行動については別の見方ができるだろうことは想像できる)。ともかく彼らの言説は建築の優れた表象とは切り離されて考えられなければ、テクストの難解さも建築と同じレベルで評価してしまう危険性を孕む。

ヴィトゲンシュタインの『哲学的考察』に以下のような文章がある。
何故哲学がかくも複雑で錯綜しているのか。哲学は完全に単純でなければならないはずなのに、哲学は愚かにも我々が巻き込まれた思考のもつれを解きほぐすのであるが、しかしこのためにはそのもつれと同じだけの複雑で錯綜した運動を行わねばならない。従って哲学の結果が単純であるにせよ、結果に至る方法は単純ではありえない。哲学が複雑で錯綜しているのは、その素材が複雑で錯綜しているからではなく、我々のもつれてしまった悟性が複雑で錯綜しているからである(『ヴィトゲンシュタイン全集〈2〉』より)。

この文自体が難しいということもあるかもしれないが、ヴィトゲンシュタインの主張は「建築」というかたちでも体現されている。20世紀初頭、姉の住宅の設計においてヴィトゲンシュタインは非常な関心を示し、実際に設計した建築家パウル・エンゲルマンの言葉によれば「私は、完成した家を、私のではなく彼の仕事であるとみなします」と言わせるほど深い関わりを持った。エンゲルマンはアドルフ・ロースの弟子であり、完成した家もロースの影響を感じないこともないが、その装飾を除した幾何学的で厳格な構成は、他の同時代の例でいうとテラーニの『カサ・デル・ファッショ』を思い起こさせる。かなり前に雑誌SDの連載(確か海外建築リミックスだったと思うが)で、この「ヴィトゲンシュタインの家」について、記憶違いがもしれないが「透明性」的な言葉をキーワードに評していた。これはロウの「Transparency透明性」のことではなく、あえて言えば「障害がない」とでもいうか、思考の過程で余計な障害を生じさせない操作とでも言った方が正しいだろうか。例えば、窓という建築要素はその部屋の性格によって大きさや開き勝手、あるいは位置などが決まるか、外観のバランスから決めたりすることがあるが、ヴィトゲンシュタインの家では、例えば一般の窓と外に出るいわゆるはきだし窓が基本的に同じデザインであったり、内部のドアも部屋の性格とは関係なく、壁の比率から基本の寸法が決まり、ほとんどが同じサイズになっている。それは人間工学的寸法を無視したものもあり、ドアの高さが人の背の倍くらいのものになっている。要するに雑誌SDの評では、例えば外から中へ移動する際に、ドアの形、サイズなどが同じであることから、そこに「ドア」という概念に余計な思考を介在させないこと、それがこの家では最も重要なことであったのではないか、いうことである。さらにそれはヴィトゲンシュタインの生い立ち、家族関係などの「不幸」を原因に挙げて論じていた。つまり余計な思考の介在はさらに「不幸」をもたらすというのだ。
ヴィトゲンシュタインの生い立ち等はともかく、ヴィトゲンシュタインの「哲学の複雑さ」から特に現代社会の思考過程の単純さと表象の複雑さは、最初に述べた30年近く前の「脱構築」建築とテクストを思い起こさせる。しかし建築は進化し、現代はその思考過程は「複雑」というより、より科学的で複合的になり、むしろ表現されたものはシンプルなものが目を惹くようになったように思う。しかしシンプル一方では、より多様になった現代の思考をうまく体現していないようにも思える。

※参考:『ヴィトゲンシュタインの建築』(青土社刊、B.レイトナー著、磯崎新訳)

2013.8.28

TEXT 「フォークナーとの対話」-4

『八月の光』(新潮社刊、加島祥造訳)
この物語の中心人物クリスマスは、彼が働く製材所に突然あらわれ働き出したブラウンと、中年女性のミス・バーデンの家の小屋に一緒に住むことになる。ある日の眠れないクリスマスの回想の中の情景描写。

「八月の草は股の高さほどだった。草や茎の上には、このひと月に通った馬車の埃が積っていた。道路は彼の前にのびていた。それは樹々や大地の暗さよりやや薄白かった。その一つの方向に町があった。反対方向への道路は丘をのぼってゆく。しばらくすると丘のむこうから光(ライト)が生れ、丘を浮きださせた。やがて彼は自動車の音を聞くことができた。彼は動かなかった。裸のまま尻に両手をあて、股まである埃っぽい雑草の中に立っていて、その間に自動車は丘を越えて近づいてきて前照燈(ライト)をまともに彼へ向けた。彼は自分の裸身が闇の中で、まるで現像液からフィルムの像が出てくるように白く浮きだすのを見まもった」。

 この一節に小説のタイトルの「八月」という具体的な日付と「光(ライト)」という語が登場する。この小説の主題は何か、ということが様々なテクストで論じられてきた。一般的には「クリスマス=キリスト」説が人気(訳者の解説による)のようだが、フォークナー自身は「リーナ・グローヴの物語」と答えている。しかし一方でフォークナーはクリスマスの「自分が何者か分からぬ悲劇的な運命」について語っているように、私はやはりこの物語は出自が不明で生後自分を疑い続けてきた者の不安を描いたものだと感じる。引用したクリスマスの回想の情景は、この物語全体を覆う不安定な人間心理を、光と影のコントラストになぞらえ描写され、単なるクリスマス個人の回想としてではなく、最も印象に残る情景として胸に刻み込まれる。このように文中の一節が物語全体を象徴する情景として描かれていると感じる他の作品が、『野性の棕櫚』である。

「・・・いまや部屋の中は平静をとりもどし、激しい怒りは消え去っていたからである。いまやウィルボーンには、台所のストーヴを前にした灰色の妻がたてる物音が聞こえ、またしても、笑いだしそうな、あざけるような、絶え間ない、無愛想な黒い風の音が聞こえたが、彼にはそれにまじって、棕櫚のぶつかり合う荒々しい、乾いたような音まで聞こえたような気がした。・・・」『野性の棕櫚』(冨山房刊、井上謙治訳)

 棕櫚(ヤシの木)の乾いた音が、効果的に二人の主人公の行く末を暗示している描写である。

『八月の光』では、「クリスマス」という名について、製材所の人間たちが交わす会話に興味深い一節がある。
バイロンの思考

「やつの名は何だって?」ひとりが言った。
「クリスマス」
「外国人なのか?」
「白人でクリスマスなんて名のついたの、聞いたことあるか?」と職工長は言った。
「まずそんな名前の人間は聞いたことねえなあ」と別の者が言った。
 このときはじめてバイロンは自分がこう思いついたことを覚えている・・・名前というものはただ人間を区別するための記号にすぎないはずなのだが、場合によると名前が当人の未来の行動を暗示するものとなり、いつかは『やっぱりそうだった』と人々にうなずかれるようなことにもなるんだ・・・と。実際のところ、バイロンの目に映ったかぎりでは、皆はその名前を聞くまでこの見知らぬ男に特別の目を向けたりしなかった。ところがその名を聞くやいなや、まるでその名前の響きには彼らの想像を刺激するような何かがある、といった様子をみせた・・・この男はどこへゆくにもその逃れえぬ名前で恐ろしい警告を発する人間であって、いわば花なら匂い、ガラガラ蛇ならその尾の音と同じように、その名がこの男の本体を表す、と皆は直感したようなのだ。ただし誰もその警告の意味をはっきりとつかむ能力はなかった。・・・

 前述したようにクリスマスがこの物語の中心と考える他の理由がここにある。読後いつも心に残ることは「クリスマス」という名をもつ男の風貌と悲劇的な結末である。それはリーナ・グローヴの印象より強い。フォークナー自身が言うように「自分が何者か分からぬ者の悲劇」が、バイロンの言葉で、別のかたちで表現されているように考えられる。
 私たちは皆それぞれ名前をもっている。その名がその人物にふさわしいか否かに関わらず、何かその人物そのものをあらわしているような、その人物そのものであるような感覚を抱く。文中にあるようにそれは単なる「記号」ではなく、また「シニフィアン-シニフィエの関係」などでもなく、単に「名」というもののもつ現前とした力であると思う。

2013.8.1

TEXT 「WORK – Representation 8,9」

2013/06/30竣工「帯広の住宅」(7/1付ニュース)の竣工写真をWORK-Representation 8として掲載しました。同時にRepresentation 9としてFilm Work 2も掲載しましたのでお知らせします。

Disciplineの仕事は、実作他基本計画のみで監理していないもの、あるいは基本計画のまま中断したもの、また修士設計や映像作品(実験)なども含めてまとめていますが、それらWork(仕事)を「Representation」なる語を付けてまとめています。

Representationは一つの日本語に置き換えることができない語で、文脈に応じて「再現」「表象」「上演」などという語に使い分けられます。Representation=「Re(再)+presentation(現前)」(再現前)・・・再び現前する・・・すなわち「存在するものを別のものに表すこと」であり、代わりの表現、あるいは置き換えと考えられます。とりわけ思考において、それは対象の観念(イメージ)を作ることに他ならないわけですが、それは「表象」と言われます。フッサールによる「表象」の定義は難解で、以下の二つに意味に分けられます。すなわち「作用性質(=単純表象作用)」と「作用資料(=作用の内部で志向的本質の一面を形成する)」というものです(フッサール著『論理学研究』より)。作用資料は、質量が具体的なものになるために必要な他の諸契機と合体した場合の質量のことを指し、代表象と定義し、あらゆる作用の基礎、つまり作用性質の基礎としています。(私の修士設計はこの論理に基づいています)。いづれにしてもRepresentationは「存在を別のもので表すこと」と捉えられ、私は設計に関わる仕事を、それが実作かそうでないかに関わらず、自己の創造行為の表われとしてRepresentation=表象として捉えています。しかし創造といっても、モノをゼロから造り上げるということではなく、これまでの経験や、既にあるものの積み重ねで成り立つものであることから、創造という行為もそれらのものの置き換えでしかないとも捉えられます。HP上で公開することは、もちろん営業上の目的が第一ですが、それであれば単に実作のみ前面に出せばよいわけですが、それよりも他に大事な意味があると考えています。

90年代初めに『Représentation(ルプレゼンタシオン)』という季刊誌が発行されました。計5巻で終了しましたが、各巻の内容が興味深く、執筆陣を見ても、例えば創刊号は中沢新一氏、小林康夫氏、松浦寿輝氏等の思想家に加え、ドゥルーズやバルトの論文まで掲載されていました。今改めて開いてみると、アンダーラインが随所にあり当時の日記を読むような思いがし、当時何に興味を抱いていたかが分かります。
創刊号の巻頭の言葉に次のような記述があります。『隠された一つの意志を「表象」とすることのない複数の言葉からなるその記号は、間違っても確かな場所の占有を目指したりはしないだろう。あたりを埋め尽くしている言葉たちのあるかないかの隙間に滑り込み、その厚みをかいくぐりつつひたすら偏心し、無方向に拡散してゆくという運動だけが、この記号の夢だといえばいえるかもしれない。始まりや終わりの瞬間を思考するのではなく、『Représentation表象=ルプレザンタシオン』は、その中間に拡がりだした既知の時空に幾つもの裂け目をさぐりあて、その網状の回路をひたすら横断し続ける記号=運動でなければならない。・・・そのとき、二つの不断の運動がわれわれの身振りを律することになるだろう。みずから記号の発信を試みつつ、同時に記号の方向転換を組織しうる中継点に徹すること、というのがそれである。』
また第002号の巻頭の言葉では『・・・「新しい」情報ではなく、記号の文脈そのものを新たに組織し、真剣に演じられることで初めて批判的なものたりうるその遊戯への、多方向からの介入を誘発すること。・・・』とあります。
私がWorkをRepresentationとして名づけたのは、もう20年以上も前に上述の引用に感化されたためであり、実作に関わらずHP上に掲載する理由は、一種の記号として発信し、同時にその記号の方向転換を目指すためでもあります。抽象的な言い回しになりましたが、今後も変化を試みつつ、何かを発信していければと思っています。

2013.7.1

ニュース 2013/07/01

2013/06/30 N邸無事に完了しました。昨年の11月にオーナー様に初めてお会いし、ご要望を伺って1週間後にはプランの方向性が決まりました。今年は雪解けが遅く、着工にやきもきしましたが、ちょうどいい季節に竣工し、オーナー様も新しい生活に胸を膨らませておられると思います。オーナー様には重ねて感謝いたします。土地が扇形という特殊な形状でしたが、この地域の中では日当たりや眺望、プライバシーなどの配慮が最もよい場所で、住宅はこの形状に合わせたファサードデザインと、建物に奥行きをあたえるようなデザインの工夫をし、この地域の青く広い空と遠くに臨む緑に映える白を基調としたデザインとしています。内部の特徴は何と言っても広い玄関土間と、スケルトンの直階段をはさんで、それに続く家族が自由に活動できる吹抜けスペース、及びそれをはさむようにリビングとダイニングキッチンが配置されています。近日中に竣工写真を掲載する予定です。あらためてオーナー様、及び関わった全ての方々に感謝いたします。

2013.5.29

TEXT 「フォークナーとの対話」-3

「失われた世代(Lost Generation)」 現代の日本でも時折使用される言葉だが、本来この言葉はヘミングウェイの『日はまた昇る』のエピグラフ(ガートルード・スタインの表現の引用)をきっかけに1920年代のアメリカで使われるようになった言葉だ。「失われた世代」とは第一次世界大戦によって深い絶望感を抱え、伝統的な理念、価値観に幻滅した世代の典型を指す。フォークナーも代表的な「失われた世代」の作家といわれる。

サートリス一族、コンプソン一族、サトペン一族、スノープス一族・・・
これらの一族はフォークナーのヨクナパトーファ郡シリーズに登場する重要な一族の名であるが、そのシリーズの最初の作品『サートリス』で、サートリス一族は大佐の世代から能力や貪欲さが低下した子孫たちの世代の衰退と転落の一つの指標として描写され、更にコンプソンに至っては入植以来アルコール中毒、夫人の神経衰弱、クウェンティンの自殺等々、失われた過去の南部の貴族的社会への郷愁を抱きながら一家が崩壊していく様が描かれる。これらいわば「失われた」一族が作品で描かれていく中で、スノープスだけは違う。スノープスは既に『サートリス』で登場し、作品の中で彼を次のように紹介されている(白水社刊、林信行訳)。
『このスノゥプスというのは最近十年ほどのあいだにフレンチマン・ベンドという小さな部落から少数ずつ町に移動してきている。まるで無際限の数をもっているとでも思わせる一族の中の若者であった。最初のスノゥプスのフレムが、ある日何の前ぶれもなく裏通りにある田舎の人々の経営している小さな飲食店の帳場に姿をあらわした。そしてそこを足場としてまるで大昔のアブラノームのように、彼はその親類縁者どもを一人ずつ町のなかに入れ、なんとか食っていけるようにさせた。フレム自身はやがて町の水力発電所の支配人となり、ついでそれからの数年間はいわば市制の雑用をする人間となっていた。そして三年前に老ベイヤードの驚きと当惑とをしりめにサートリス銀行の副頭取になり、しかもすでに彼の血縁の一人がそこの帳簿係になっていた。』(原文まま)
また、『響きと怒り』でも、I.O.スノープスが登場し、そしてスノープス三部作『村』『町』『館』でスノープス一族を中心に物語が展開する。特に最初のスノープスであるフレムは「なりふりかまわず」「抜け目のない」成り上がりとして、荒廃する他の一族を尻目に様々なことを利用し、相手の弱みにつけ込み、貸しを作り、たくましく成長し一族は増殖する。これは一種のフォークナー的教養小説といえなくもない。しかし『魔の山』や『ジャン・クリストフ』のような一人の人物の物語ではなく、むしろドストエフスキーの『未成年』に近いイメージがあるが、ドストエフスキー的ポリフォニーはむしろスノープスにあるといってよい。他の作品にも一族が頻繁に登場するのだ。スノープス三部作にはアフォリズムはほとんどないといってよい。が、フレムの抜け目のない人生に、そのたくましさに、一種の尊敬すら抱くこともある。スノープスはフォークナーが嫌っていた一族だといわれるが、本当に嫌いなものをはたして三部作まで書くことができるだろうか。
『館』の中でミンクがフレムについて言う(冨山房刊、高橋正雄訳)。
『あのフレム・スノープスのやつは。だれだってあいつだけは打ち負かすことができねえ。フレム・スノープスを打ち負かせるやつは、ミシシッピにも合衆国全体にも、一人もいやあしねえとも』
『館』では既に第二次大戦が登場する時代まで進み、世界情勢の変化の始まりの期に強いアメリカの中にあって国もフレムを打ち負かせないと言い放ったフォークナーは、ミンクの口を借りて一見この無教養で厚顔無恥のようなフレムを国を超えた大きな勢いシンボルとして表現しようとしたとも読み取れる。

2013.4.30

TEXT 「フォークナーとの対話」-2

Strangerと親しいバイロン。クリスマスと同様よそ者ゲイル・ハイタワーは、牧師職を追われジェファソンに来た。失った祖父、妻の過去の妄執を抱え、バイロンと出会い、「普通」の「存在感のない」バイロンに刺激を受ける。バイロンのような人物から何を得ることができるのか。バイロンの心の中の一つ
『人間というものは現に持っている面倒な問題には耐えられても、これからぶつかる問題には恐怖を感じるものなんだ。だから慣れた面倒ごとにすがりついて、新しい面倒ごとに入ってゆこうとしないんだ』。
『人間というものは』から始まる類似した言葉は随所に登場する。高い教養を身につけたわけでもないバイロンから発せられる言葉から、彼の人間に対する深い洞察力を読み取ることができる。一方ハイタワーも同じように『人間というものは』の心の内の一つ。
『いろんなことが起こるからだ。手に負えぬほどたくさんにな、そうなのだ。人間というものは自分が耐えうる以上のたくさんのことをやったり、やろうとしたりする。そうして自分が案外に耐えられるものだと知る、それが恐ろしいところだ』。
これらバイロンとハイタワーの『人間というものは』は、フォークナーの『八月の光』(引用は新潮文庫、加島祥造訳)の一節であり、文脈の中で様々な解釈が得られる。しかし一節だけを切り取っても大変含蓄のある言葉として胸に迫ってくる。これらの言葉から読み取れることは「言葉」そのものの意味と、それを発する彼らという人物は何者か、ということである。例えばドストエフスキーの『死の家の記録』の中の一節『・・・それにしても、人間は生きられるものだ!人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う』。(新潮文庫、工藤精一郎訳)から獲得する「人間の定義」と手記の書き手「わたし」の人間像のように。そしてその「人間の定義」の要素として重要なものが「耐え」や「慣れ」ということであること。言葉の意味としては、バイロンの『今の問題には耐えられる』ということは、それがつまり慣れてしまっていて、苦しみから逃れたり、あるいは乗り越えるということよりも、今よりもっと大きな苦しみに直面しないように苦しみに慣れるということを選択する。ハイタワーは、人間は苦しみや困難に案外耐えられるということを悟る。それも慣れの一種で、その慣れがなし崩し的に増幅していってもやはり耐えられると更に悟る。ドストエフスキーは自身のシベリア流刑と死刑判決の経験から体得した重い言葉として一層説得力をもつ。そしてドストエフスキーは「人間の定義」とまで言い切る。
 ではあらためてバイロンとハイタワーの人物像を考えてみると、繰り返しになるがバイロンは「普通」の「存在感のない」人物であり、ハイタワーも牧師職を追われた身である。二人の言葉に特別耳を傾ける者などいないと言っていいような存在といえる。しかしこのような人物からでも時折胸に響く言葉を発せられることがあるということを経験することは、おそらく時代と地域を超えてありうるだろうし、現実に遭遇することもある。漱石の『明暗』の中に、登場人物の小林が津田に語りかける有名な一節がある。
『露西亜の小説、ことにドストエヴスキの小説を読んだものは必ず知ってる筈だ。如何に人間が下賤であろうとも、又如何に無教養であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれる程有難い、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る事を誰でも知ってる筈だ。君はあれを虚偽と思うか』(原文のまま)
これに対し津田はドストエフスキーを読んだことがないから分からないと答え、更に小林は彼らの先生のドストエフスキーに対する穿った解釈に対して涙を流して悔しがる。主人公ではない小林はこの小説の中では少し問題のある人物として様々なシーンで絡んでくるが、そのような人物からこのような言葉を発せられても、普通は見過ごしてしまいそうだ。しかしこれに目を留めることで彼に対する一元的な見方も変わるともいえる。日常の人間関係の中で、あるいは初対面から抱き続けた他者に対する一方的な、予断をもった見方は、「言葉」のもつ力をきっかけに正反対の方向に向くこともありうる。バイロンとハイタワーの言葉はフォークナーが彼らに言わせたのではなく、彼らの言葉として胸に迫ってくる。

2013.3.30

TEXT 「建築は対象関係論である」-3

TEXT 「建築は対象関係論である」-3

ゴダールの『中国女』を観たことのある人は、今ではどんな印象を胸に残しているだろうか?今の時代、古い映画ならなおさら映画館で観る機会など希だが、私がかつて劇場の大スクリーンで観た印象は、その映画そのものイデオロギーでもなく、ゴダールの映画手法でもなく、「赤」そのもの(色としての単なる、しかも徹底した「赤」)である。同じゴダールの作品『軽蔑』に登場する「マラパルテ邸」からインスピレーションを受けて設計された鈴木了ニ氏の「麻布EDGE」。建設されてから20年以上は経過しているが、その存在感は今でも胸に迫ってくるものがある。しかしこの「麻布EDGE」を「マラパルテ邸」や「ゴダール」に結びつける者はあまりいないだろう。なぜならこれら2つに共通するのは「階段」という、建築の構成要素の当たり前の形式だからだ。この「マラパルテ邸」と「麻布EDGE」には「中国女―赤」のような直線的な関係はほとんど存在しない。「マラパルテ邸」の「中国女」との違いは、「麻布EDGE」に存在する「階段」の造形表現としての直線的な意味の中のほんの些細な違い、「マラパルテ邸」は屋上へ、「麻布EDGE」は階段そのものへ、という目的の違いにすぎないのかもしれないが、それよりも「階段」といういわばシニフィアンーシニフィエの枠組みではなく「非シニフィアン」としての関係といえる。つまり鈴木氏がたとえ作品について様々なエクリチュールを駆使したとしても、いわば言葉を超えた「モノ」そのものに内在する力が独り歩きし、例えば「階段」という建築言語の周縁を他の造形要素が浮遊し、言語的な意味作用で生み出されるもの以上のダイナミックなダイアグラムが構成される。(これは他の分野、例えば音楽的エクリチュールにも当てはまる。)そして「中国女―赤」的枠組みにならないことの重要な意識は、「移し方」の意識の問題に集約される。それは二つの因子から成る。一つは「想像力」(「創造」ではない)、もう一つは「メタファー」の捉え方、である。これら二つの概念を助けるテキストを、各々とりあげてみたい。
「想像力」について、ガストン・バシュラールの『空と夢』(法政大学出版局、宇佐美英治訳)。
『・・・人々は想像力とはイメージを形成する能力だとしている。ところが想像力とはむしろ知覚によって提供されたイメージを歪曲する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ。イメージの変化、イメージの思いがけない結合がなければ、想像力はなく、想像するという行動はない。もしも眼前にある或るイメージがそこにないイメージを考えさせなければ、もしもきっかけとなる或るイメージが逃れてゆく夥しいイメージを、イメージの爆発を決定しなければ、想像力はない。知覚があり、或る知覚の追憶、慣れ親しんだ記憶、色彩や形体の習慣がある。』
「メタファー」について、手塚富雄の著述(著作集〈1〉『ヘルダーリン』より)
『ここで『詩的精神のとるべき方法について』(ヘルダーリンの著作)の中で述べられた「根拠づけ」と「メタファー」の二つの概念を思い出していただきたい。これは詩的精神と詩作品の素材との関係についての思想である。つまり素材は現実の生からもぎとられた孤立したもので、それだけでは生の大きい連関の外にあり、それをそのまま模写したところで、芸術的には何の意味もない。その孤立したものを詩的精神はひとつの全一的なものに変換することによってそれを大いなる生命に帰属させなければならない。それが彼のいう「根拠づけ」であった。ヘルダーリンの用語ではないが、芸術における象徴とは大体これと同じことになろう。そしてヘルダーリンはこの根拠づけをおこなう表現形式を「メタファー」と名づけたのであった。通常修辞的術語として「隠喩」と訳されるが、原義は「移す」ということで、上述したような根拠を素材による表現に移すのである。それによって素材は「根拠」の表現にあずかることになり、同等に「根拠」もこのことによって初めて感知されて「音調の転移」と結んでくるのであって、音調の転移によって詩において生の対立的調和が実現されることが言語がメタファーとなることと一致するというのが、ヘルダーリンの考えの基本である』
以上の二つの長い引用で、いずれにも共通するのは、想像、あるいはメタファーとは、素材をそのまま模写することではなく、それを「歪曲」する能力、「イメージを変える」能力、孤立した素材を変換すること、である。「麻布EDGE」における鈴木氏の「想像」行為は、「階段」という素材を建築的エクリチュールに変換し、イメージを単線的な「生なきもの」にとどめるのではなく、その周縁の素材と建築的な具体的な素材「マテリアル」と結びつき、氏のいう「物質試行」を最もよく体現したものとして今も力強く現前する。素材の徴収のきっかけは単純かもしれない。純粋な感動や刺激といった、いわば「軽い」根拠から、それを大きな広がりを生む「重い」成果へ変換させるのは、建築的エクリチュールに終始しては達成できず、そこには肉体的鍛錬も加わりながら、「移す」作業にどれだけ肉薄できるか、ということになろう。

2013.3.1

TEXT 「フォークナーとの対話」-1

stranger -客、他人、よそ者、見知らぬひと、また「未知の人への幾分不躾な呼びかけ」(研究社『現代英和辞典』)- またforeigner – 外国人- どちらもその土地の者にとってはよそ者である。しかしこの二つの語のニュアンスは異なるが、strangerは、一つはよそから来たひと、他に自国をもつ者。そして一つは出自が不明な者。-「生まれた土地」と「親が不明」- の二重の会に登場するひと。親が不明 -これは親という概念の欠損、そして血の欠損 - のどちらか(あるいは両方)意味する。
 孤児院で成長したジョー・クリスマス。彼は中年の独身女バーデンの家に住みつくが(バーデンは自分の祖父と兄が黒人投票権の問題から南部軍の軍人だったサートリスに殺された)、そこでの会話。
クリスマス:『なぜあんたの親父はあの男を ― 何という名だっけ?サートリスだ- なぜあの男を殺さなかったのか、ということさ』
バーデン:『そのことをあたしも考えたわ。なぜ父がサートリスを殺さなかったか、ということをね。それは父のフランスの血筋のせいだったとあたし思うの』
クリスマス:『自分の親父と息子を同じ日に殺されてもフランス人は怒らないのか?あんたの親父は宗教を持ってたんだと思うな。まあ、説教師くずれ、といったふうなものさ』
バーデン:『あのときは何もかも終わってたのよ。軍服と軍旗を持ってする人殺し、軍服と軍旗を持たずにする人殺しもね。そしてそんなことでは何ひとつ善くならなかったし、いまもそうよ。何ひとつよ。それにあたしたちは他国者、ここの人たちとは違った考え方をもつよそ者で、それが頼まれも願われもしなかったのにこの国にやってきたのよ。それに彼はフランス人だった。半分はね。でも半分はフランス人だったので、人が自分の生まれた土地に対して持つ愛情を尊敬したのよ。人は自分の生まれた土地によって鍛えられたように行動するものだということを理解したのよ。そのせいだったとあたし思うわ』
リーナ・グローブとジョー・クリスマスの二つの物語を核とした、W.フォークナーの『八月の光』(引用文は中略)(新潮文庫、加島祥造訳)の一場面である。フォークナーの研究者 林文代氏が自著『迷宮としてのテクスト』で「『アブサロム、アブサロム!』を読まないという〈誤り〉を犯す人は幸せである。あるいは読んでしまっても面白かったとか面白くなかったと簡単に割り切れる人も幸せである。」と書いているが、確かにフォークナーの作品は一連のヨクナパトーファ郡を舞台としたものとそうでないもの、そのテクストは「迷宮」と形容しても異論はないが、フォークナーの魅力は、その「迷宮としてのテクスト」としてのフォークナーよりむしろ私は「アフォリズムの作家」としてのフォークナーに惹かれる。フォークナーの評論で彼を「アフォリズムの作家」と位置づけしているものを目にしたことはない。しかし私はそうであると認識する。フォークナーの作品を何度読み返しても、毎回新しい発見がある。それは「迷宮」の解ではなく、「言葉」である。私のそのときそのときの背景を照らすそれらのエクリチュールは、ナラティブを失い、単独で語りかけてくる。これはニーチェの『ツァラトゥストラ』と同じ読書体験である。上にあげたクリスマスとバーデンの会話は、「どこの国が何をするか、あるいはしないか」に結びつくのではない。strangerのもつ不安と、目の前に見えぬ自国、出身、出自―に対する一方的な契約と、そして決して道徳上の理由からではない、むしろ「見られている」ことへの恥の感覚、それらが混合したstrangerとstrangerの、一つの表象である。それを各自の中の出自経験の呼び覚ましとして、直感として捉えたときに、その会話は物語から切り放され、自身の問題へと変容する。 – 繰り返すがフォークナーは「アフォリズムの作家」である、と。

2013.2.1

TEXT -3 消尽

  拠所としていた過去のいくつかの〈方法論〉 ― 現在でも継続的に使用するもの、そして活きた使われ方・無理な使われ方 ― 私がいつの時代か乱用した〈文学理論〉の「借用」による建築への転用、つまり既に過去になりつつあり、いや言葉として今では像の構築に障壁があるもの - そういうものが私にとって少なくとも今二つある。
一つは「カーニバル」、もう一つは「ポリフォニー」。
どちらもミハイル・バフーチンの文学理論の重要なキーワードだが、「カーニバル」は他にユングの元型論でもトリックスター元型の文脈で展開される。「カーニバル」とは中世における階級的秩序の転覆であり、バフーチンにおいてはブリューゲルの絵画(『謝肉祭と四旬節の喧嘩』)を例でそのイメージを確認できる(バフーチン著『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化』)。トリックスターは、日本では山口昌男氏の文化人類学でのテキストで興味深く論が展開されるが、一般的には民話において『半ば面白半分、半ば悪意のある狡猾ないたずらもの』の性格をもつ(ユング著『元型論』)。「カーニバル」の中にトリックスターが存在するという意味ではなく、「カーニバル」の「逆転性」を人間のかたちをした像としてトリックスターは神話的に描かれる。
 もう一つの「ポリフォニー」は、バフーチンの「ドストエフスキーの文学論」に基づく中心言語だが、モノフォニーに対して多声的であり、一つの声ではなく多くの声が含まれることを意味する。具体的にはドストエフスキーの『罪と罰』では、多くの人が知っているように物語としては非常に重く暗いものである。一人の青年(ラスコーリニコフ)が金のために老婆を殺め、自責に耐え切れず自首し、シベリアへ送られる。この流れに何ら「明るさ」は見受けられない。が、「文学理論」によらずとも、『罪と罰』を繰り返し読んだ者は、おそらくむしろ「明るさ」を感じるだろう。マルメラードフの臨終の場面では身内の者以外の者も、まるで見世物小屋のように集まって人間の死を覗き込む。死の場面でさえもある意味活き活きとした場面に変わり、あるいは発狂したカテリーナ・イワーノヴナの叫び(フランス語のcri )、その他登場人物の非常に長々とした科白の中には更に様々な人物が登場する。日本の小説は私小説とよくいわれ、小説の中で響いている声が唯の一つだけということが多いが、ドストエフスキーは非常に多くの声が響いている。ドストエフスキーの「明るさ」はポリフォニーによる「暗さ」の反転であり、その意味で「カーニバル」的ともいえる。
 では一方、「建築」において、私はこれらの言葉をどう借用していたか。建築の生成過程での声が一つか多声的かという点においてのみで、それ以上の深さはないし、逆転や転用などの意図もない。多声的という言葉には、単に多くの人間がプロジェクトに関わるというよりは、デザイン的アプローチにおけるイメージとしての言葉として使用していた。しかしそれは建築に個性の有無を問うものでもないし、俗にいわれる「作品性」や「作家性」なるものを問うつもりもない。ましてやその善し悪しの判断根拠にするものでもない。評価におけるひとつの言語、あるいは方法の癖のようなものであった。現在はもちろんこれらの言葉を使用して建築を評価、あるいは計画することはない。これらの言葉はもちろん現在では死んだわけではないし、相変わらず文学批評では「ポリフォニック」という語をよく見かける(バフーチンの用法とは異なるものも多い)。言葉のイメージが変化してきているということはいえるだろう。「カーニバル」自体、現代ではその場面をイメージしにくい。それに置換する像は今では何にあたるのか。あるいはそれは現代の社会、国を問わず、あらゆる場面で逆転が表象され、像として完全に過去に埋没するか、消え去りつつあるのではないだろうか。